Dr.1054 アクセス急増(9月11日)
最近、このドクターブログのアクセス数が急増している。
不可解だ。固定ファンはいても、そんなに人に見てもらえるようなことを書いている自信はない。面白みもちょっと下がり気味ではないかと心配している。
それがこのところの急増である。要因を考えて見たが、
①アクセス数を図るソフトが故障している、
②誰かがドクターブログの欠点(書いてはいけない内容など)を見つけようと呼びかけた、
③自分でも気づかないうちに内容が向上して人を惹きつけるものになっている、
④アクセス数を高めたいという潜在意識から、無意識のうちに自分で何度もクリックしている、等が考えられるだけだ。
良くは分からないが多くの人に読んでもらえるのは嬉しいことだ。今後も人の役に立ちそうな考え方を発信していきたい。
かつて書いていた「校長ブログ」や今やっている「教育長ブログ」は、役職上多くの人に読んでもらいやすいという役得があるし、新聞やテレビで取り上げられた後はものすごい数のアクセスがあった。
ブームでアクセスはあっても、内容が大したことないので時期又元に戻る。今回もいずれまた自然な数にもどるだろうと思われる。
アクセス数は増えてほしいが、急に増えだすと何かあるのではと心配になる。
こんなええ加減な奴が書いているブログですけど、良ければ見てやってください。時には何かの役に立つかもしれません(時間つぶし等)。
☆昨日は思うような写真が無かったので、前に撮ったやつです。以前と同じ写真かもしれませんけど。
こんな適当な奴が書くブログですから、何も期待しないで見てくださいね。

Dr.1053 気分に振り回される(9月10日)
かつての教え子がSNS上に、「毎日が気分に振り回される」「嬉しい楽しいが欲しい」みたいなことを書いていた。
かつて教えていた身として、何か答えてあげたく思い、
「私も未だにそうです。でも生きてると、いつか生きていて良かったと思える日が必ずやってきます。人生経験上確かです」みたいなことをコメントした。
力になったかどうかは分からないが、本心だし64歳の実情でもある。
自分も毎日何とかやって行ける気がする時もあれば、落ち込むときもある。周りを気にするので余計にそうなるようにも思うが、だからと言って周りを気にせず唯我独尊って生き方もできないし、できたとしてもどうかなと思う。
敢えて「何とかなる」「にもかかわらず笑顔だ」「上機嫌力だ」などと言ったり書いたりしてるが、一番は自分に言い聞かせている。
そして結局は、ジタバタしたとしても「なるようにしかならないので」、流れとご縁に任せて(信頼して)、たんたんとやるべきこと、やれることを精一杯(といっても無理せず自分らしく笑顔で)やっていこうという思いに落ち着く。
これが今のところの答えだし、ドクターの生き方でもある。こんなんでやってます。
教え子が見てくれてたらいいけど、かえって「(元)先生、大丈夫ですか」って心配させるだろうか。
これまでも多くの教え子や周りの人に心配をかけながら、その思いを力になんとか生きてきた。しゃあない奴ですね。
☆自他を奮い立たせようと撮った写真ですけど、なんか変ですね。でもまあ、またピンと合う時もありますよ。何とか今日一日をがんばろう。

Dr.1052 私きょひします(9月8日)
生まれて数か月の赤ちゃんをお持ちのお母さん方が交流するプログラム「赤ちゃんがきた」の様子を覗いてきた。
コロナ禍なので人数を制限して実施し、この時は5組の赤ちゃんとお母さんが来られていた。
最後の方の意見交換の場に入らせてもらったが、近くの赤ちゃんを抱いた女性が
「新しい教育長さんですね。私きょひします」と小さな声で話しかけてこられた。
穏やかな表情と、厳しい発言のギャップに驚いて2~3回聞き返したら
「きょひします」ではなく「きょういんしてます」だった。
市内で小学校の教員をしていて、教育長が変わったのは知っていたが、まだ会ったことはなかった。それがこんな所で会えて嬉しいみたいなことだった。
就任時の経緯から、ドクターの教育長に賛成しないという声を聞く中で「拒否」と言う言葉に過敏になっていたのか、自分の弱気さに改めて気付くとともに、「きょういん」を「きょひ」と聞き間違える自分の聴力の衰えといい加減さにも思わず苦笑いした。
お母さん方には「大変なことも多いとは思うけど、今しかできないことです。貴重な時を楽しんでがんばってください」とお話ししたが、考えて見るとこのセリフ、自分に言ってもおかしくないか。
ともかく、混乱もあったけどほっこりする時間を過ごさせてもらった。
☆弱気と暢気と適当が交錯するドクターの心中。

Dr.1051 ストレスをどうする(9月7日)
自分より若い知り合いが脳梗塞で入院したという。原因ははっきり分からないが、ストレスのある役職だったので、その影響でないかと心配する。
ドクターの亡くなった友人もそうだったが、元気そうに見てもある程度の年齢になるといつ急変するか分からない。
ストレスが良くないのは分かるが、全くストレスのない仕事や日常はないと思うし、もし全くストレスのない生活があるとしたら、ドクターなら退屈するだろうし、ストレスがないことがストレスになるかもしれない。
だからと言って、ドクターがストレス好きと言うことではないし、今の仕事はストレスあり過ぎだとは思う。適度なストレスが良いとは分かっていても、これがなかなか難しい。
ご縁と流れで生きるドクターとしては、どんな役割(仕事)が回ってくるかは予想が付きにくい。役割によってストレスも違うと思うので、結局はストレスも流れ次第と言うことになる。
だとすれば、どんな役割どんなストレスが来ても、何とかやって行くためには、こちらのストレス対処法を工夫するしかない。
真正面から捉えると耐えきれない場合は、すかしたり、斜めにしたりするのが良いように思うが、真面目や周りを気にする性格があるので、どこまでできるか自信がない。自信がないけど、ストレスコントロールは自他の為でもあるのでやるしかないか。
ドクターはお気楽な性格だと思っていたので、自分で自分を真面目だと思っているとは意外に思われる方もあるかもしれないが、自分で自分を真面目と言うくらいだから、真面目度はそれほどでもないかもしれません。
☆休みの日にコンバインに乗るドクター。作業中に自撮りするぐらいだから、農作業への打ち込み度は超真面目という訳でもないか。何事もほどほどが良い。

Dr.1050 一生懸命生きる(9月6日)
ある著名な経営者Iさんが、「人生で一番大事なことは何ですか」と問われて答えたのが、「一生懸命生きること」だった。
「何のために生きる」「なぜ生きる」という問いに対する答えにも似て、各自が考えたり、「考えないで生きる」が答えだったりする。
ドクターの場合は、「流れによって、与えられた場所で精一杯というのか自分の個性を出して自分らしく生きる」というのが今のところの答えだ。
「一生懸命生きる」というのも良いが、無理があったり悲壮感があったりするのは良くない。やはり自分も楽しく(やりがいを感じて)生きるのが、周りも楽しくすると思う。
わかっちゃいるけど、これがなかなか難しいのだが、でも目指すところとしては「楽しく、自分らしく(自分のペースで)」というのを忘れないようにしたい。
自分らしくやって、その場にそぐわないのなら、場を変えてくださいって感じだ。自分の力量や自分らしさの範囲を超えたことは、やろうと思ってもできない。
自分も周りも楽しく(幸せに)するためにやれるだけのことは、どこに置かれてもしますって感じで生きて行きたい。
☆稲はもう収穫できる稔り状態だが、天候や田んぼの状態が整わないと稲刈りは出来ない。自分の出来ることを置かれた状況(条件・場)でやっていくしかない。稲刈りもそうだし、それで十分だと思う。



