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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1472 快楽と幸せ(12月6日)

 今日の新聞に、「快楽と幸せ」についてのお話が載っていた。「快楽」はその楽しい時間が短く刹那的で、「幸せ」(幸福)はもうちょっと期間が長く芯まで届くというような趣旨だった。だから、「快楽」ではなく、「幸せ」を人生の目標にしましょうみたいなことだと思われる。

 確かに「快楽」は刹那的で持続しないし、それをより長くしようとすればいろいろと無理が生じる。これまた確かに「幸せ」は永続してよいものだが、気を付けないと、それに慣れてしまって有難さや充実感を忘れてしまうという留意点もある。

 ドクター的には人生には遊びやゆとりが必要で、その遊びの中に「快楽」もあり、ゆとりの内に「幸せ」を感じるチャンスが入ってくるように考えている。

 遊びは広く、イコール快楽追及でないことは言うまでもない。人生の時間の中心は、「幸せ」を感じて生きて行きたい。今の生活の中にある「幸せ」に気付くことから始めて、「幸せ」のアンテナ感度を高くすれば、日々の生活にある凸凹の出来事の凹の時にも「幸せ」を感じることが出来るようになる。

 人生の仕事や住むところ、誰と暮らすか等には自分の意思に加えて「流れ」が大きな存在としてあると思っているが。ドクターとしては、自分の意思の中にさへ「流れ」の存在が大きいように考えているほどですけど。

 そこで、どのような流れでどのような日々になろうとも、自分の考え方で「幸せ」を感じて行けるような人生観を磨きたい。それが出来れば、どこに住もうが、どんな仕事をしようがそれほど大事(おおごと)ではなくなる(だからと言って仕事等がどうでもい良いなどとは思ってませんよ)。

 ☆バタバタの人生(毎日)の中で、こんな景色を見る時間がありました。幸せなことです。まだ修行が足りず、すぐ忘れてしまいますけど。

Dr.1471 縁起の法則(12月5日)

 仏教に縁起という考え方がある。全てのことは縁があって起こる。縁には本来、いい意味も悪い意味もない。これを踏まえて、起こることに一喜一憂せず、それを活かすようにしなければならない。

 後半はドクターの考えも入っているが、ドクターが言う流れは縁の考え方にも似ているが、違うところもある。どれが正しいというよりは(勿論何千年も続いている仏教の方が正しいとは思うが)、要はその考え方で生きて、生き易いのが大事だと思う。

 仏教の縁起で起こる出来事は中立のようだが、良縁、悪縁という言葉はある。ドクターのいう流れで、気を付けなければいけない時は、悪縁と似た悪い流れが来た時だ。それを反省や自戒の好機と考えて、今後の生き方に生かすことが大切だと考える。

 仏教の縁起もドクターの流れも、より良い人生のために、どう考えればいいのかと言うことだと思うので、仏教の考え方を参考にさせてもらって、より良い生き方、よりへこみ過ぎない生き方ができる考え方を求道し続けて行きたい。

 お釈迦様のような厳しい修行をしていない身としては、偉そうなことは言えませんが、参考にできるものは仏教と言わず、他の宗派や宗教の考え方、哲学、身近にいる人の生き方、何でも参考にさせて頂いて、自分に合った考え方を磨いていきたいと思います。道は遠いですけど。

Dr.1470 流れを信頼しきれるか(12月4日)

 自分の思いにとらわれ過ぎず、ご縁や流れを信頼して生きて行く。この方針で生きていて、上手く行っている時はあんまり問題ないが、問題は上手く行かなかった時だ。

 上手く行かないというのは自分の思いや計画と違うということだから、自分の思いにこだわらないという方針にその時点で反しているのだが、やはり人間全く自分の思い、こうなった方が良いという思いからは直ぐには脱しきれない。

 そんな時には、大きな力は自分に何故このような試練を与えるのですかと、思わず嘆き節を言いたくもなるが、どうしようもないので、出来ることに努めるしかない。

 そのうち状況が改善すると、今度は喜んで流れに感謝したり、嬉々として人生・事態を進めて行き、あんまり流れを意識することも無くなる。

 本当に勝手なものだと思うが、まだこんなぐらいの悟りにしか達していない。上手く事が運ばない時でも、全く動じず、全く流れを疑わず、機嫌よく人生・事態を進めて行ける、そんな域を目指して精進を続けます。

 まあボチボチですけど。あんまり進歩しているようにも思えないけど(進んでいるのは年齢だけです)、進むしかないので、やれることをやって行きたいと思います。皆様ご一緒にボチボチ生き易い考え方を追い求めて行きましょう。

 ☆昨日は写真撮らなかったので、前に撮った奴です。今はモミジの葉っぱは一つもないです。生き方はそんなに進まないけど、季節・日時だけはどんどん進んで行きます。

Dr.1469 長い一週間(12月3日)

 いろんな出来事があり長い一週間だった。悩んだり喜んだりいろいろあったが、一喜一憂しないで、特に「一憂」しないで行くには、自分の思いにこだわらない・とらわれないで流れに任せて柔らかく生きて行くことが大事と悟った週だった。

 自分の思いにとらわれず、柔らかく生きて行くと、自分としては比較的穏やかに生きて行けるのだが、その結果迷惑をかける人が出てこないかと気になっている。自分の意思を全く持たなくてもいいのかという迷いもまだ吹っ切れていない。

 自分の生き易さだけを考えた生き方もどうかと思うが、自分が生き易いというのも大事なテーマだ。自分の幸せと周りの人の幸せが両立すれば一番いいが、ここがなかなか難しい。

 少しは生き易くなったかと思えば、また次の課題が出て来る。なかなかより生き易い人生に向かう求道の道は究められないが、止めるわけにはいかないし、止めたくもない。最後まで、求道の旅を続けたい。出来れば笑顔で、出来るだけ周囲に喜んでもらいながら。

 幸い、昨夜出会った旧知の人々はドクターが「いろいろストレスがあって(大変なんです)」と言ったら、「(あんたには)そんなもんはないやろ」と笑顔で応じてくれて、ドクターはストレスを感じない元気な奴と思われているようだ。見かけ通りになるよう、内心も元気でいきたい。

 ☆今朝容器に張っていた氷を素手で割って、血がにじんだ拳。幾つになってもあんまり進歩してませんんね。求道の道も遠いかも。

Dr.1468 苦を無くするには(12月2日)

 ストレスが少し無くなったりもするけど、またしんどくなったり。常に心穏やかに、苦を無くした状態でいるにはどうしたら良いのだろう。

 苦とは思い通りにならない状態。だとすれば、思いを持たなければいいということになる。流れ・ご縁を大事にする者としては、自分の意思(思い)よりも、天の意思(流れ・ご縁)を大事にするのは受け入れられる考え方だ。

 これが分かっていれば、苦も無くなり、日々が心穏やかに幸せに暮らせるはずなのだが。まだそうなっていないというのは、修行が足りず、自分の思いや怖れにこだわっているからだろうか。

 少しづつは平穏な日々に近づいているようにも思えるが、時には自分の考え方をチェックしないと、また元に戻ってしまう。なかなか悟りきる境地には到達できないが、それでも自他の生のため、出来る限りの修行・心の整えを続けて行きたいと思います。ぼちぼちですけど。上手く行った考え方は、またこのブログなどで発信しますので、良かったら使ってください。

 ☆今日も写真ダメそうでしたが、配線替えたらアップできました。何でも変えてみるのもありですね。

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