Dr.1407 まあいいか(10月18日)
一日の終わりに、やり残したことや不完全にしか実現しなかったことが頭に残ってしまうことがある。こういう時には、「まあいいか」「なるようになる」の常套語が効き目がある。
これを言うと、いろいろやり残したことはあっても今日は終わった。先ずは一杯飲んで休んで明日に備えようという気になる。
気になるコト、気になる人、思い出して疲れること、イヤーな気分になることに時間を費やすのは良くない。自分の気分があがるコトに集中した方が良い。分かっていてもなかなか難しいものですけど。
自分が機嫌よく、元気で過ごすことが、周りの人のためになるのは間違いない。いろいろ考えたら何とかなるのならそれもアリかもしれないが、これまでの経験から言うと、考えたら何とかなるというものではなかった。ずっと落ち込んでいては余計にまずい事態になる。
性格にもよると思うので、強制はしないが、まあいいか、何とかなるの精神で進んで行くのが、ドクターみたいな人(結構周りに気を使うタイプ)には良いようです。進んでいると、良い声も聞こえてくる。
楽しいコト、気分があがるコト、面白いコト、元気が出ること、を意識的に探して上機嫌を維持したいものですね。
☆園児の安全訓練を見守るドクター。やっぱり現場は面白い。

Dr.1406 生きるが目標(10月17日)
「死ぬまで生きる」を目標にしている人がいる。「生きること」だけを目標に生きるのは、何か寂しかったり、生産的でないような気もするが、それは人生は意義あるものでなければならない、何かを成し遂げなければならないという思いがあるからだろう。
「社会貢献」や「自己成長」「目標達成」を生きがいにする考え方・生き方もある。それはそれで素晴らしく、そのように生きられる人はそうされるのがいい。ただ、あんまり肩に力が入り過ぎるとしんどくなる派の人(ドクター含む)は、もっとお気楽に生きるのが良い。
「死ぬまで生きる」を目標に生きるもありだと思う。その「生きる」の中身だが、健康で幸せを感じて上機嫌で生きるで行きたい。そのためにはどのように考えたらいいのか、どんな生き方をしたらいいのかを探っている。
今回は、その探りの過程で出会った考え方で、ある本に書かれていたことだ。生きるのが目標だとすると、そんなに高望みはしなくても良く生き易いことは生き易いと思う。問題は、それで幸せを感じられるかどうかだ。
ただ、何度か言うように(何度かは忘れましたけど)、何を「幸せ」と感じるかは、本人次第だ。自分の価値観で決めればいいことで、他人にとやかく言われることはない。だとすると、「ただ生きること」を目標に生きて、幸せを感じられるならそれはそれで素晴らしい。ただ、今自分がその域に達しているかどうかと言うと自信はない。
もう少し、自分との対話を続けながら、死ぬまで機嫌よく生きられる考え方についての考察を続けたい。皆さんも、ご一緒に幸せに生き易い考え方を探って行きましょう。まあ、これもボチボチでけど。
☆休日に仕事場から見た、お堀の貸しボート。乗ってる方か見てる方かどっちが幸せ?比べるモノでなく、その時の置かれた状況によるかな。

Dr.1405 寝付き(10月16日)
今朝の奥様が見ているテレビを横でのぞき見してると、健康には寝つきの良さと目覚めの良さが関係していると言っていた。理由は分からないが、寝つきの良さには自信がある。昨夜もラインをしながら寝てしまったようで、今朝見返すと何をその後打とうとしたのか自分でも分からないほどだ。
目覚めもお陰様でいい方だと思う。このように眠りに関しては今のところは、すぐ寝られて、朝気持ちよく起きられるまで熟睡できてます(途中トイレ起きはしますけど、今は一回で済んでます)。
これも当たり前と思うのではなく、感謝したい。何事も今回のテレビの情報のように、それで苦しんでおられる方がいるということが見えにくい。想像力が乏しいのだと思うが、人は油断すると自分の不満や不調はすぐ気づくが、自分が順調に言っている所は見えにくくなる傾向がある。
恵まれている所に気付いて感謝して大事に継続できるようにしていく。他の人が不調で苦しんでおられることにも気づいて、手助けが出来るようにする。自分の不調については、あまりそこばかりにフォーカスせず、何とかなるだろうという大らかさで対応する(勿論緊急的な措置は別です)。
そんな感じで、感謝をベースに元気よく行きたいと思います。今日も皆さんボチボチ上機嫌で生きましょう。
☆法人の共同販売テント。ここで活動していた時を思い出します。感謝です。

Dr.1404 落としどころ(10月15日)
仕事の話なのであんまり詳しくは書けないが、解決すべき課題が起こって、関係者(この場合は3者ぐらいかな)の話を聞いてみると、それぞれおっしゃることは分かるところも多いが、それぞれの思いを尊重すると問題は解決しないということに出くわした。
こんな場合、それぞれに少しづつ折れてもらって、落としどころを見つけたいと思うが。落としどころで解決を図ろうとするのを嫌う人もいる。原則が大事で、それに従って進めるべきだということだろうと思う。
落としどころというのは、まあいえば、妥協で、それは本来の解決ではないというのだ。ドクターがよく使う「とりあえず~しましょう」という言い方も気に入らないようだ。根本的な解決ではないことにつながるのだろう。
言われて初めて気づいたのだが、確かに「とりあえず」はよく使っている。「とりあえず」や「落としどころ」のやり方は、波風をできるだけ避けようという妥協的なやり方だとは思うが、現実的に物事を前へ進める点で悪い面だけではない。
これはもう生き方とも関係している思うが、原則をかたくなに貫き通すというやり方は、自分のやり方ではない。職務上原則を大事にしなければならない場合は勿論あるが、私生活では、流れを大切に柔軟にやって行きたいと思う。
今回の案件もそうだが、原則論で行くのか柔軟路線で行くのか、案件によって違うと思うが、その見極めが難しい。悩ましいが、悩み過ぎたからと言って解決があるわけではないので、ここは人の助けも借りながら、たんたんと進んで行きます。「たんたん」は原則重視か柔軟重視か、どっちやねんという声が聞こえて来そうですけど。まあぼちぼち全力でがんばりますわ。
☆この間の出張の合間に行った興福寺。仕事か私用かどっちやねん。

Dr.1403 想像と現実は違う(10月14日)
出張と言うこともあって、昼食に普段食べない「うな重」を食べた。ドクターとしては普段の外食に使うお金の3倍以上の値段で、本格的なうなぎ屋さんだからと期待して食べたら、そんなに大したことはなかった。
これなら普段時々食べる、庶民価格の「うな牛」の方が美味しいのではないかと思ってしまった。最近滅多に食べられない「焼マツタケ」も作って食べてみると、いま一つだった。作り方がまずかったのかもしれないけど。
そんなこんなで、普段とは違う憧れの世界、憧れているうちが華だということが分かった。こんなことは、他にもあるような気がする。普段の生活に飽き足りなかったり、行き詰ったりした時、別世界ならどんなに素敵な世界が待っているだろうかと夢想するが、現実に体験してみると想像ほどではなかったということ。
日常の生活では、ともすれば課題やしんどい面ばかりが目につきやすいけど、恵まれた点や素晴らしい体験も幾つもある。そこを見失って、別の世界へ行けば(条件が変われば)バラ色な世界が待っていると思うのは甘いということだろう。
うな重体験からの学びを活かして、夢想の世界に期待し過ぎず、現実世界の恵まれている面に気付き、感謝の心を忘れず、ボチボチ行きたいと思います。皆さん、今の恵まれてるところを忘れないように行きましょうね。
☆滅多に食べない「うな重」。普段の「うな牛」の美味さを再確認しました。日ごろの世界の恵まれた点に気付き、感謝していきたいと思います。どちらも美味しいことには変わりなく、どちらも食べる機会があったことに感謝しないといけないですね。


