Dr.1285 村用(6月6日)
この土日は水利組合や村連合協議会や野獣柵の点検やら何やら村の用事が重なってブログが書けなかった。ブログが書けなかったが、自分が村で生きているのは実感できた。
普段は市役所に出勤して生活しているのでそれほど意識していなかったが、ずっと村にいるようになると、今回のような日々が続くことになるのだろう。
良くも悪くもこの村で生まれて、この村の人と一緒にこの村で生きて行く。人によっては、生まれ育ったところと生活していくところが違ったり、住むところを何度か変える人もいるのだろう。
どちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、各自に与えられた運命の一つだろう。どこに住むのか、だれと暮らしていくのか。
自分に与えられた環境を大事にしながら、やるべきことをたんたんとやって行こう。いろんな人にも出会うが、結局は自分の人生は自分で生きて行くしかない。自分の心が楽になるような心の持ち方を探求しながら、基本的には生きづらい人生を少しでも自他の楽しい時間を増やすようにやって行きましょう。ここは頑張る価値があると思います。なんせ自分の人生なんですから。
☆久しぶりのドクター部屋から見る雨模様。雨の日もあれば晴れの日もある。まあ皆さん、今日もボチボチ行きましょう。

Dr.1284 最後をどう生きるか(6月3日)
新聞の投稿欄に「主人は60歳で定年して、70歳まで別のところで働いて、それから現在85歳まで毎日農業で田畑に出ているが、付き合わされて困っている」というような奥様の声が載っていた。
他人事ではない。ご主人の立場と自分を重ね合わせて、自分はどう最後を過ごせばいいのかと不安が一瞬頭をよぎった。
70歳まで働けて、それから15年も農業が出来る元気さがあるというのは良いことだと思うし、誰でもそこまで元気でおられるわけではない。
大方はこれでいいけど、この生活で自分が充実感を持って生きているか、奥様も含めて周囲の人に幸せを与えられているのかが気になる。詳しいところまでは分からないが、要するに何をするか、何をしているかと言うより、それで幸せか、幸せ感を持って生きて居られているかがポイントのような気がする。
難しいところだが。機嫌よく生きる、身体と心の健康維持についてこれからも研究していきたい。
☆無電柱化した河原町通り。ここを幸せ気に歩いていた老夫婦?(夫婦かどうかは確かには分かりません)。こんな生き方ができれば良いのかな。今後の研究成果発表にこうご期待ください。

Dr.1283 弱ってはいけない(6月2日)
65歳高齢者になったからか、コロナが治まりかけていろんな行事や総会が活発になってきたからか、忙しく疲れが抜けきらない。
ゆっくりする時間があればいいのかというと、退屈症のドクターとしては身体は休めても、心が落ち着かないようにも思う。自由時間いっぱいの時はよく近くの温泉に入ったけど、それも週に何日もとなると飽きてくる。
閑な時も農作業はあったけど、それも毎日となると飽きてくるし、誰とも会わないので焦りもやってくる。
そんなこんなで、やる事があって、いろんな人に出会える今の状態が良いように思うが、冒頭の通り少々疲れ気味。少々なら、こちらを採る方が良いようにも思うが。何にしても、一長一短あるのは人生のどの局面とも共通する。「二つ良いことさてないものよ」の世界だ。
ここまで考えてきて、やっぱり結論は流れに任そうだ。忙しさも閑さも、流れ様にお任せして、その中で出来ることを楽しみながらポジティブに考えて終わりの日まで歩んで行こう。ここで「終わり」と言う言葉が出て来るのは、65歳高齢者になったからか。何歳でもいつか終わりが来るのは間違いないんですけどねえ。ともかく、弱らないで元気に今日の歩みを勤めて行きます。
☆昨日は市内中学校での高校説明会であいさつ。こんな嬉しい機会も頂ける流れにやっぱり感謝ですよね。

Dr.1282 たんおめ(6月1日)
今日が誕生日で何人かの方から、「誕生日おめでとう」の言葉を頂いた。中でも下宿している娘からのラインがうれしかった。なんせ初めてですから。
誕生日を迎えて一つ齢を取ったからと言って、急に劇的な変化は当然ない。正月に年が改まる時と一緒って感じか。いつもの誕生日と一緒だが、65歳から高齢者の仲間入りをしたかと思うと少し感慨深い。
よくぞここまで生きられたという思いと、前(30代から50代)と精神的には何にも変わっていないという思いが入り混じる。自分よりも先輩の人が同じような感想を述べられているのを聞いたような気がするが、自分も同じかって感じだ。
肉体的には明らかに衰えが来てるが、それなりにはまだ動ける。動けることに感謝しながら、自分が今やらなければならないこと、やる役割や流れになっていることを、自分らしくやっていくだけだ。これっていつもと同じセリフですね。年取ったら「同じことを言うようになる」って話も聞いたことあるから、ドクター着実に年取ってきてますね。
☆65歳の変わらないドクター。写真の時に光が入ってきて、虹みたいなのが写りました。吉兆や。何かええことあるやろか。健康で65歳、家族も健康、やることもある、十分吉兆やろって声も聞こえてきました。空耳と独り言が増える、明らかに高齢者や。


Dr.1281 変化の激しい時代(5月31日)
現代は変化の激しい時代と言われる。いつの時代でも変化はあったように思うが、最近のテクノロジーの発達は社会の変化も早く激しくしているのだろう。
自分の人生を振り返って、高度経済成長期に生まれて電化製品が急速に普及して働き方も変わったが、公務員・教員として働いたので経済の波はそんなに感じなかった。半面職場は高校から不登校施設、野外活動施設、特別支援学校から教育事務所、校長職と職種も立場も変化はそれなりに会ったように思う。
退職後も冒険指導者から空き家バンク勤務、市会議員から教育長と激しく変わった。外から見れば変化が激しいように思われるだろうが、自分としてはいつでも同じ感じだ。中身はそんなに変わっていない。
たまあに、昔の自分が書いた文章を見ることがあるが、今とあんまり変わり映えしない。中身は変わらないが(進歩がないとも言います)、自分の立場も住む社会も変化していると言えば大きく変化している。
自分の生活はともかく、これから人生の真っただ中を生きようとする人は大変だろう。変化の激しい社会を生き抜く力を身につけなければならない。その力の中身はいろいろ言われるけど、結局自分で考え備えて行かなければならない。
まあしかし、何時の時代でもそれなりに変化があったとすれば、そんなに怖れることはないのかもしれない。ボチボチ流れに従って、その時々に自分がやらなければならないこと、決めなければならない決定を、その時々の流れに従って、流れに導かれる方に生きて行けば、人生が動いて行くように思います。いつの時代でも、人生のいつの時期でも、自分を生かしめている大きな流れを信頼して、自分がその時その立場で出来る最善を自分らしく果たしていきましょう。出来れば笑顔で楽しみながら。またいつものような話ですみません。
☆ウチの村で新規就農に向けた学びをする方。この方の人生もどう展開していくのか、安心して流れに任せて行きましょう。その時はそんな話はしてませんが、今度また出会ったら激励したいと思います。大丈夫、何とかなりますよ。初めての人にも気軽に写真に応じる彼ですから、既に大丈夫だとは思いますけど。
