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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1350 毎日がチャレンジ(8月18日)

 昨日仕事場に、かつて冒険教育で一緒に働いた後輩たちが訪ねて来てくれた。会議等で会うことはできなかったが、自分を訪ねて来てくれる人があるというのは嬉しいことだ。自分の存在価値を認めてもらったようで有難い。

 あの時燃えていた冒険指導の日々を思い出した。その時は夢中で日々の取組自体が冒険・チャレンジだとは思っていなかったが、今から振り返ると、何もなかったところに冒険施設を作って、冒険指導者を養成するって、なかなかの大仕事だったなあと感慨がやってくる。

 過ぎたことに浸っていても仕方ないが、今の仕事も日々チャレンジのような気がする。新しいことにバリバリ取り組むチャレンジや肉体的なチャレンジとは違うが、日々いろんな思いの人と何とか調和しながら精神的に参ってしまわないで進むというのは、考えて見れば結構チャレンジだ。

 「チャレンジは人を成長させる」「人の成長にはチャレンジが必要」みたいなことは、よく言っていたし、今でもそう思う。

 チャレンジはエネルギーも使うし、ずっと上手く行くことばかりではないけど(リスクや失敗があるのがチャレンジ)、これを続ければ自分の成長につながるし、流れでやる羽目になったことはたんたんとやっていくという人生哲学にもマッチする。

 まあともかく、時折やって来てくれる、元気をくれる仲間、気の合う人からの暖かいメッセージ、それらを拠り所に、本日も最後までどうなるか分かりませんけど、チャレンジをボチボチやってみますわ。まあみなさん、ボチボチ行きましょう。

 ☆チャレンジな一日の終わりに。ちょっと疲れて見えますが、がんばれ自分、頑張り過ぎないで愉快なチャレンジを(最後は神頼みかい)。

Dr.1349 国は違っても(8月17日)

 ALT(外国語指導助手)の皆さんに日本文化について、ブロークンイングリッシュ(下手な英語)で話をした。中身はどこまで通じたか定かではないが(通じたとしても大した内容ではないが)、おもてなしの心や感謝を伝えたいという気持ちは伝わったようだ。

 国は違っても、コミュニケーションはとれるし、個性の違いは感じる。いろんな国の人がいるが、個性は様々だ。物静かな人、やさし(そうな)人、純朴な人、まとめ役的な人、お調子者の人(日本文化を説明した日本人:ドクター)など、その人の持ち味がビビッド(適当な英語です)に感じられる。

 相性も、合いそうな人あいにくそうな人(今回はいませんでしたけど)、国を超えてどこにでもいる。今回のプレゼンを手伝ってくれた情報通信技術支援員の日本人の若者とは、これまでそんなに親しく関わったことはなかったが、今回話してみてとても話しやすい人だと感じた。とても相性が合うとこちらからは一方的に思っている。

 そんなこんなで、国を超えて、年齢性別を超えて人柄や性格や相性は分かり合えるものだ。ということは、世界中どこへ行っても、いくつになっても、自分の性格や生き方と合う人もいれば合いにくい人もいるということ。

 どうせそのようなことならば、ちょっと合いにくそうな人がいても気にせず、「何とかなるさ」で、たんたんと自分のペースで自分の生き方でいきましょう。もちろん、できるだけ周りの人とは上手くやって行くことは心掛けながら、それでも自分と自分の生き方を大事にしながら朗らかにいきましょう。

 ☆ALTの皆さんに素をさらけ出して話をするドクター。写真はドクターと相性の合う(と一方的にこちらが思っている)日本人のMさんが撮ってくれました。

Dr.1348 前向きに疲れたら読む本(8月16日)

 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本というのを読んでいる。書かれていることは、なるほどと合点の行くことが多い。

 私達教師は特に前向きに生きるや、夢や希望に向かって、せっかくの人生を無駄にしないみたいなことを言いがちだが、それはそれでその励ましで元気が出る人(子ども)にあhそれでいいが、人生中々思うようには行かない。

 というより、思い通りにいかないことの方が圧倒的に多い。そもそも、人生はたまたま始まったもので、意味や目的などない、限られた寿命の間生きてまた無くなって行くだけみたいなことも書かれている。

 ドクターもこれまで生きて来て、そのとおりだと思うことは多い。ただ、せっかく(でもないけど)、生まれて来たのだから、生きてる間は機嫌よくいきたい。そのためにはどうしたらいいのか、どのように考えたらいいのかに興味がある。

 そこに対する示唆は頭に残っているものはないが、ドクター的には、流れで生きる。ご縁と自分に出来ることをすることを大事に、精一杯(と言っても無理し過ぎることのない範囲で)笑顔を忘れず、日々を過ごす、みたいなことになる。

 このような本や、これまでの学びをまとめて、自分にも、他の人にも参考になるような、人生のヒントをまとめている。良かったらまた見てやってください。これまで書いてきたこととそう変わりませんけど。

 ☆より一層、母が好きだったユリの花が咲いてます。だいぶ生きて来たけど、まだまだ生き方完成していません。果たして完成があるのかもわかりませんけど。まあボチボチ行きましょう。

Dr.1347 多少の満足といくつかの後悔(8月15日)

 人生の最後には誰でも「多少の満足といくつかの後悔」が残るらしい。これはよく分かる話で、人生の最後でなくても、日々そんな感じがする。

 ということは、これが真理と言うのか、人生の定理だとすると、何もそんなに身構えて生きなくても良いということではないか。上手く行かなかったとしても、ああこれがいくつかの後悔(今日一日なのかもっと長く尾を引くかは分からないにしても)のうちの一つか、またそのうち満足と言うのか嬉しいことも起こるだろうから落ち込み過ぎないようにしようと考えればいいだけのこと。

 また良いことがあったとしても、ああこれが多少の満足の一つか、これはこれで嬉しいことだが、どうせまた幾つかの後悔がやってくるからと、無防備の心体制は採らない方が無難だということ。と言っても、喜んではいけないということではなく、喜ぶときは喜んだとしても、いづれまたしんどいこともやってくることを忘れないようにしようということだ。

 こんな感じで、良いこと悪いコト、後悔と満足を織り交ぜながら、人生が一日が進んで行くということだ。さて、今日の良いこと悪いコト、どんなことが起こるやら。まだまだ悟りきらないドクターとしては、この定理を分かっていても、できれば悪いことは最小限にしてもらって、良いことの方が多めにお願いしたいと勝手なことを願うのでした。未熟者ですけど、ボチボチ修行もさせて頂きましょう。

 ☆目指せ、陽気な未熟者(ホントは悟り人ですけど、道は遠そうなので、当面はこんな感じで)。

Dr.1346 初盆(8月14日)

 母の初盆供養を行った。熱い時期の日中なので、お寺さんも含めて大変だと思ったが何とか終えることが出来た。その後息子と二人で、近くの地ビールのお店ともう一軒のお店でお酒を頂きながら、いろんな話をした。

 息子が母(息子にとっては祖母)との思い出で一番覚えていることは、二人で夜空の星を眺めたことだという。そんな時間にそんな場所(庭にブルーシートを敷いたらしい)に付き合ってくれた愛情と思いやりを感じたらしい。

 ドクターにとって母との具体的な場面をそんなに覚えている訳ではない。一番感謝しているのは、「自慢の息子」と言ってくれたことだ。母が自分のことを自慢と言ってくれるのは、それが客観的な評価でなくても嬉しいものだ。他人がどうこう言おうと、母は自分を評価してくれているというのは、自信というのか心の安定につながった。自己肯定感も持てたと思う。

 長く寝込まなかった人生の晩年の在り方も参考になる。思い通りには行かないものだが、母を通じてせっかく授かった命、定められた日まで機嫌よくいきたいと思う。母の初盆に考えたことです。

 ☆初盆の日に母が好きだったユリが咲いて供養しているかのようでした。有難いことです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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