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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1340 幸齢者(8月7日)

 80歳になったら高齢者ではなく、幸齢者と言おうという意見を知った。昨日も村の先輩が明後日から70歳になると言われたが、全くそうは見えない。お元気そのもので、農業も村のこともバリバリされている。

 それなりに体力は弱ったと言われるが、朝から晩まで田んぼや畑で農作業、すごいとしか言いようがない。

 長く生きていると体力低下を含めて、いろいろできないことも増えてくる。でも、できないことを数えるのではなく、まだできること、残されている力や役割にこだわりを捨てて取り組んで行くことが大事だということを学んだ。

 若い時と同じようなことや役割が出来なくなったら落ち込むというのはやめたい。その時々の状況でできること、しなければならないこと、やる流れになったことに、こだわりなく打ち込んで行きたい。

 いろいろ気にしたり、悩みやすい性格なので、後期高齢者を超えて、幸齢者になるまで日々を機嫌よく生きられるか自信はないが、いろんな解決策や考え方を見つけるのも得意としているし、流れを信頼して、大きな力に生かされているのを信頼する考えも頂いているので、まあ何とかなるんじゃないでしょうか。皆さん、不安もあるけど、ボチボチ行きましょう。

 ☆大まかでだいたいですけど庭の手入れ終わったことにします。こんな感じで生きてくのでしょうね。

Dr.1339 生きがい(8月6日)

 「生きがい」はあるに越したことはないだろうが、無くても生きられる、というか生きなければならない。「生きがい(あるいは夢)がなければならない」と言っても、無理に見つかるものではないし、無理に見つけようとすると安直なものに留まると思われる。

 例えば、ダンスが生きがいがという人がいたとして、ダンスができる間は良いが、出来なくなると生きがいが無くなるということになるだろう。飲むのが生きがいというのもありだと思うが、飲めなくなったらそれに代わるものが要るのだろうか。

 「生きがい」というかどうかは別として、生きていて楽しみなこと、それをやって元気が出ることは、あると生きる励みになる。

 その楽しみにしても、これじゃないとだめとなると、失くした時の喪失感は半端でない。死ぬ時まで機嫌よく生きるには、生きがいや楽しみはにも固執せず、その時々の状況に応じて、たんたんと生を紡いでいきたい。寿命まで生きること、それまで機嫌よく生きられる、考え方、生活習慣、生活環境を整えて行きましょう。それが生きる意味かもしれません。

 ☆今日も又、昔の写真で失礼します。こんなテーマで中学生に話していたようです。詳細は忘れましたが、多分言ってることは今と変わらないと思われます。その時々の状況に応じてたんたんと。

Dr.1338 ホッとしたのもつかの間(8月5日)

 今朝は半日ほどの人間ドックに行くので休みを取っている。昨夜帰る時に明日の午前は勤務がないと思うと、久しぶりに気張らなくても良いホッとした時間が訪れた。

 定年でフルタイム勤務を終えた時のような感じかなと思い出した。何が起きるか分からない勤務に、大勢のいろんなタイプの人との人間関係、やはり気を使う。

 いろいろストレスに負けない生き方、考え方を試してみては、自他に発信しているが、それでもなかなか決め手はないし、これで悟りきったというゴールもない。

 昨日などは校長会で、「ネガティブ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える力)なる言葉と考え方を紹介して、直ぐに解決しない問題も多いと思いますけど、そういう宙ぶらりんの状態にも耐えて行きましょう、それは大事な能力です、等と聞きかじった言葉を紹介して一番自分に言い聞かせた。

 ホッとしたのが束の間だからと言って、いつもホッとしていると、ホッとした事態が常態となって、それではホット緊張が解けた解放感は味わえない。だからと言って365日何年も緊張のしっぱなしと言うのも辛いことだ。

 ここは、流れとご縁でやらせてもらうことに携わりながら(緊張をしながら)、時々ホッとした瞬間の嬉しさを体験する、こんな感じもいいのかも。

 「生きる目的が必要」なのではなく、「生きることが目的」という言葉も知った。自分が生き易く、心が楽になる生き方、考え方を見つけて、生かされている間を快調に生きましょう。

 ☆最近のいい写真ないので、昔の笑顔写真です。どんな時でも楽しくやってたみたいですね、この人は。こういう写真撮る時だけかもしれませんけど。

Dr.1337 自分を離れる(8月4日)

 いろんな場所で自分の生き方について参考になる言葉に出会う。読んでピンときたことは自分のものにして生き易さにつなげたい。

 「置かれた場所で咲きなさい」もドクターがよく紹介する言葉で、自分の意思を離れて、いろんなご縁で置かれた場所で活躍しようということで、どこに置かれるかは時の運、ご縁、神の意志、流れを信頼して任そうということに力点を置いて使っていたが、後半の「咲きなさい」も、敢えて「咲かなくても良い」という言葉も目にした。

 無理して咲かなくても、咲くか咲かないかも、時の運、流れ、人知を超えた力も働くのだから、咲くか咲かないかばかりに焦点を合わすのではなく、咲くときには咲くし、大して咲かない時には咲かない、それでいい。ってことだ。咲いたからと言って自慢し有頂天になる、咲かないからと言って悲観ししょげる、どちらも違うだろうと思う。

 「我を離れる」と言う言葉も、上手く行っても行かなくても、自分が自分がという気持ちを離れる。どこで生きるかどんな生き方をするかも含めて、授かった命、与えられた使命、それをたんたん丹後とやっていくだけ。自分の精でも、自分の手柄でもない、自分を離れて、自分が良いと思うことを(それが結果的に誰かに不快を与えることもあるかもしれないが)やっていくだけ、でもこの言葉はさらに「良い悪い」も離れるのかもしれない。深い。

 ただ、深いのが上等で、浅いのがだめというのも違うようにも思う。要は自分が機嫌よく生かされた命を生ある限り生きて行く、それしかないし、それで十分。こんな感じです、今日のところは。

 ☆久しぶりに訪れた校長出発点の学校。いい子どもが育っています。

Dr.1336 思わぬ人と講演会(8月3日)

 思わぬ人からこのブログ読んでますとメールを頂いた。こんな嬉しいことはない。もしまたどなたかメール頂けるなら、また嬉しくなります。アドレスはsap@fullvalue.jpです。

 ところで中堅職員の講習会でお話をさせてもらった。校長や教頭を目指す人たちで、本当にありがたい存在だ。是非、校長や教頭になっていただきたく、自分の経験を思い出して、やりがいを3つお話しさせてもらった。

 一つは、どの学年どのクラスの子どもとも関われる。管理職になるとよく子どもから離れるので嫌だという人がいるが、逆に誰とでも必要な場合や相性が合う場合には関われる。これは楽しくて面白い。

 二つは、自分のやりたいことができる。団体のトップなので、自分がやりたい活動が出来る。ドクターとしては、今も一応は団体のトップのはずだが、現職は校長の時程自由さはないように思う。それはそれで、暴走を止めてもらっている訳だから、自分にはない視点を教えてもらっているのだから、と思うようにしている。

 3つ目は、子どもを笑顔にできる。これは今も変わらず、子どもだけでなく、周囲の人を笑顔に、元気を与えて、生きがいを持って生きてもらえるようにする、そんなことに関われる、少しでも貢献できるということは、自分の生きている喜び、生きがいになる。

 そんな思いを昔の写真(子どもと笑顔で写っている)と一緒に話した。この話がどれだけ役に立ったか、後援会の参加者にはたまた、思いがけずこのブログを見ていただいてる方々に、分からないけど、先ほどのメールでお知らせ頂ければこんな嬉しいことはございません。

 まあともかく、今日もやる流れになっていること、ボチボチ楽しみながら取り組んで参りましょう。

 ☆昨日更衣室のロッカーみたら、取り忘れの100円玉を見つけました。もちろん届けましたけど。生きてると、思いがけず嬉しいことがありますね、この100円やメールのように。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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