Dr.1502 有難い(1月7日)
生きてるといろんなことがあるし、いろいろと嫌な言葉にも出会う(勿論嬉しい言葉にも出会うが、嫌な言葉や出来事の方が頭に残りやすい)。
そんな時に、只今を生かされていることだけでも有難いと思えれば、有難いということを思い出せれば、随分と楽になり、生き易くなると思う。
今日読んだ本には、「心の底から有難いという気持ちが沸き起こって来なくても、とりあえず口で『有難い 有難い』を唱えれば、やがて心にも『有難い』の気持ちが起きる」というようなことが書いてあった。
これは、作り笑いでも、とにかく笑顔を作っていれば、気持ちも弾んで来るし(「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」の言葉もあり)、たとえ弾むまで時間が掛っても、作り笑いでナチュラルキラー細胞が働くという研究もあるコトに通じている。
先ずは「有難い」の気持ちを大事に、口にも心にも唱えながら、日々を送ることから始めたい。
☆新しくなったカメラで自撮りに挑戦したドクター。ちゃんと写っている、有難い。こんな感じですね。有難いの言葉を大事に、今日も始めましょう。

Dr.1501 交代(1月6日)
長年使っていたデジカメを交代せる時が来た。カメラをポケットに入れて持ち歩くのは、校長時代からもう10年以上やっているだろうか。
ポケットに入れているので、よく落としたりして傷がつく。外側だけでなく、内側のレンズなんかも傷が付いたりして、画面の中央部が白く光るようになっていた。
この画面を指摘してくれた方もいらっしゃたが、なかなか交代のタイミングが見つからなかってこれまでズルズルと来ていた。この正月の「初売り」セールを利用して、思い切って買い替えることにした。
お店で、ポケットに入りやすそうなのを選んで、結局前と同じ機種になったけど。選んでる時に、ポケットに入りやすいか試させてもらったときに、床に画面から落として早速傷がついてしまった。傷がついたのを戻すわけにも行かず、「これもらいます」と即決した。
というわけで、新品デジカメは最初から画面傷つきからスタートだが、どっちみち使っていると、いろいろ傷がつくので、まあいいかと諦めた。
このデジカメ交代で思うのが、人間でも何でもいつかは(世代)交代する時期が来るということだ。交代は寂しい気もするが、交代を繰り返して人類はここまで来たのだから、交代は必要なことだ。問題はそのタイミングと後退した後の機種の取り扱いだ。
何かいい使い道はないのか、人生の交代にも参考にできるようなことはないのか、考えて見ます。
☆古い機種で撮った新しいデジカメ。新しい機種で撮った古い(これまで使ってい)たデジカメの写真は容量オーバーでアップできませんでした。なかなか交代はスムーズには行きませんね。

☆その後、新しいカメラの画質を調整して、アップできるようになりました。人手間かけると、交代も後押しできますね。これも教訓でしょうか。

Dr.1500 記念の数(1月5日)
ドクターブログ1500回という記念の数になりました。何でも続けていると、いつかは記念の数になりますね。絶こうちょうブログも1000回やったか2000回やったかぐらいいったと思います、適当ですけど。
今の職場のブログは350回ほどですからまだまだですし、トレーニング回数は2700回ほどですけど、適当です。
何でも続けていると、区切りの数には到達するけど、だからどうということはない。記念は記念で嬉しいし、ちょっと感慨はあるけど、もっと大事なのはこれからも続けていくこと。
いつまで続けられるかは分からないけど、続けられるうちは続けていく。これは人生にも通じる。いつまで生きられるかは分からないけど、生きられるうちは生き続ける。
これもブログと一緒で、ご縁があって見ていただいたり、関わって頂いたりする人があるから続けられる。閲覧数や関わっている人の数は気になるけど、それは自然に任せて、それよりも中身や生き方をしっかりとしていく。と言っても気張り過ぎず、読んでくれたり関わってくれた人がホッとできるような、そんな中身・生き方を目指しています。
ということで、今回は記念の数で、ちょっとホッとして、また明日からたんたん丹後と歩みを続けて行きます。どこへ向かう歩みなのかは、流れとご縁に任せて、心安らかに、周りの人にも安らかを与えられるように気を配りながらも、ボチボチ行きますわ。良かったら皆様ご一緒に参りましょう。
☆年始からこんな感じですけど、マイペースです。ボチボチと上機嫌が一番です。

Dr.1499 どう過ごす(1月4日)
珍しく特に何も予定のない日だった。こういう日をどう過ごすかが、定年後機嫌よく暮らすにはポイントになる。
昨日のドクターは、朝一番はもうすぐ頼まれている講演の中身を考えていて、その後農作業(トラクターで田鋤き)、午後から息子と1時間ほど離れた温泉へ行って、その後家族で鉄板焼きとなかなかな一日だった。
それでも自分のためだけに時間を使うというのは、ちょともやもやしたところもある。
生きる目的を、「機嫌よく日々を送る」としているが、「生きる意味を考えるため」という人もいる。その辺も、日々の充実とつながっているようにも思う。
忙しすぎるとそれは嫌だと思うし、暇すぎると何だかなと思ってしまう。とかく人間難しいものですね。これからも。何も無くても機嫌よく日々を送れる考え方、生き方考えて行きます。なんか見つかったら又お知らせいたしますので、こうご期待。
☆ドクターの書いた書初め。「日々是好日」これ目標に頑張ります。

Dr.1498 良いことを数える(1月3日)
新年でも、いつもの日でも、生きてると辛いことやしんどいこともある。そんな時予期せず時に出会う嬉しいことや嬉しい言葉が元気を与えてくれる。
昨日も新年早々職場に行くと、メールでドクターと一緒に働けて良かったというような文章が届いていた。何か買いかぶりのところもあると思うけど、嬉しく有難いことだ。
その後行った大書院での新年の書初め大会でも、話しかけた中学生がドクターのことを覚えていてくれていて「篠山の高校へ行きます」と言ってくれた。おまけに写真も撮ってくれた。
この前の新春駅伝大会でも、嬉しい言葉を幾つか聞いた。もちろん悪いコトや言葉にも出会うと思うけど、出来るだけ気にせず受け流したい。
高齢期の生き方としては、「〇〇になりたい」というより、「こう生きたい」を目指すのがいいということを知った。ドクター的には「機嫌よく日々を過ごしたい」ということになるだろうか。そして、その秘訣の一つが「嬉しいコト」や「嬉しかった言葉」を思い出し、それを大事に機嫌よくを続けるだ。
「機嫌よく生きる」それを続けてどうなのかということを言われる方もいるかもしれないが、機嫌よく生きていると、自分が楽しいし、周りの人に思いがけず生きる力を与えていることもある(但し、これをねらってはいけない)。そんなことを狙うわけではないが、生かされている命、出来るだけ穏やかに機嫌よく全うしたい、それが一番だ。生きてるとそれだけで誰かの役に立っているということもあるかもしれません。皆さん、良いことを数えながら機嫌よく行きましょう。ボチボチで。
☆大書院であった新春書初め大会。小中学生に交じって書きました。バタバタはいつも通りですけど。バタバタ、ボチボチどっちやねん。両方です、すみません。


