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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1335 合う人合わぬ人(8月2日)

 誰にでも、波長の合う人合わない人がいると思う。この頃合わない人が増えたように思うのは、自分の癖が強くなったせいか、現在の立場のせいか、はたまた前と変わらないのに疲れや弱気でマイナス思考に陥っているからなのか。

 どっちにしても気にし過ぎず、自分の見方も結構いるのだから、元気を出して自他貢献を進めて行きたいと思う。

 前から思っているように、人を変えることはできないので、自分が変わるか、合わない人とは接触は最低限にするのが良いようだ。ただこちらから心を閉ざすのはしないようにしたい。

 人間でも動物でも相性はあると思うので、また世の中に人は多いので、気持ちよくいける環境を選びたい。

 会う人とは元気よく、合わない人ともそれなりに、自分にはやさしく最大の味方として、最大の合う人として機嫌よく生きられるように心掛けたい。誰でも自分の最大の理解者もしくは見方は自分、ただし一番ごまかせないのも自分、自分に恥じないように行動していれば、自分はいつでも最大の見方でいてくれる。

 まあ皆さん、今日も自分に正直に、自分を信じてボチボチ生きましょう。

 ☆ドクター的にはいつも変わらず人にも自分にも優しい人だと思うのですが。自分に甘すぎますかねえ。

Dr.1334 今しかできないこと(8月1日)

 また高校時代剣道部仲間の会合に参加した。春から3回目。黒豆栽培の作業をしてから、昼食を一緒にとるパターンが多い。

 5~6人が集まることになるが、みんないろいろな人生を50年間ほど過ごした後に、一堂に会せるのは本当に有難いことだ。場所を提供してくれる友人がいたり、送迎してくれる友人がいたり、料理に詳しい友人がいたりするからできる。

 ドクターは自分の農作業もあって、昼食会からの参加が多いし、特に何と言った貢献はしていないが、可能ならできるだけ参加するようにさせてもらっている。みんな歓迎してくれる。

 あまり考えたくないことではあるが、いつ参加できなくなるか分からない。今できるうちに参加させてもらおうと思って参加している。同年代の卒業生の何人かは鬼籍に入っている。

 でも考えて見れば、こうした会合だけでなく、毎日の生活そのものが、今しかできないことかもしれない。人間いつかは命が終わることは間違いないので、日々、一刻一刻が今しかない瞬間の連続だ。

 とはいっても、毎日毎回感激に耽ってばかりもいられないので、今回のように折にふれて、生かされていること、出会いの大事さ貴重さを感じながら、かけがえのない時間を過ごしていきたい。

 今日も一日のかけがえなさを思いながらも、ボチボチ行きましょう。

 ☆前にも見てもらったけど、かけがえのない瞬間写真。こんな時間の積み重ねですね人生は、気付いてないかもしれませんけど。

Dr.1333 固定観念を破る(7月31日)

 人権の講演会で衝撃的なお話を聞いた。女性として生まれた人が、今は夫としてパートナーと結婚して、他人の精子で子どもを授かり、二人の子どもを育てられているという。

 何年にもわたって男性ホルモンを注射されているので、容貌も声も体つきも普通の男性のようだ。

 講演では、お風呂とかトイレとか必要な区別はしたらよいが、制服とか髪型とか区別する必要が無いものは多いとのことだった。

 言われればその通りだと思うが、言われるまでは気付かなかった。こういう固定観念と言うか、決めつけは他にもあるのではないだろうか。学校に行かなければならないとか、定職に就かなければならないとか、知らず知らずのうちに刷り込まれている考え方があるのではないかと思う。それが生き方を不自由にしている所もあるのではないかと考えさせられた。

※ここからは再度立ち上げて書いてます。上まで書いたところで、「ネット環境に繋がってません、更新に失敗しました」という表示が出たので、今日は更新は無理と思って(今までにもこういうことは何回かあったので)書き止めた(写真も添付しなかった)が、もしかしてと思って、「更新」タグをおしたら更新できてたような感じ。慌てて、書き足し、写真アップしてますが、これも「更新に失敗しました」表示が出たら、更新は無理と言う固定観念だったかもしれない。ことほど左様に固定観念は至る所に染み込んでいる。これを抜け出すのなかなかですね。

 ☆気付きが多かった人権講習会。誰もが生き易い世の中にしたいですね。固定観念から抜け出して。

Dr.1332 次の世代(7月30日)

 オープンハイスクールを見に行った。模擬授業では若い世代(結構年配の方もおられたがドクターよりは若いと思われる)の先生が中学生に授業をされていた。

 高校生が後輩の中学生の質問に答える座談会では、多分高校2年生が上手に場を和ませながら、進行していた。

 夜の会合では、若手(30代後半から40代?)の地域で活動している人が、前向きな意見を言っていた。ドクターもその年代では元気にそういう役をやっていたような気がする(自分が思っているほどではなかったかもしれないが)。

 こうしたことを振り返ってみるに、世の中着実に前の世代から次の世代へバトンが渡されていく。自分や自分の世代がいないとだめになるというのは思い過ごしで、世の中はそれなりに上手く進んで行く。

 こうなったら、次の世代のことは安心して、自分や自分の世代の役割、世代に応じた役割をやって行くのが良い。

 歴史を見ても、どの分野にも不世出の偉人はいるが、その人がいなくなっても世の中はそれなりに回ってここまで来た。偉人でそうなのだから、凡人の自分などいなくなっても確実に世の中は回っていく。

 だから寂しいとかそういう問題でなく、次世代は動いていくのに安心して、また言うけど、自分の世代に応じた役割を果たしていくのが良い。ただ世代役割も固定観念に縛られず、自分の個性にあった自分らしい役割を果たすのがいい。ドクターの場合は一般的な世代役割よりもかなり幼稚なものになりそうだが、齢を顧みず不成熟で稚拙だけれども誠実な行動、そんな感じでしょうか。人のために、それを忘れなければ、幼稚でも稚拙でも大丈夫なように思うのですが、こんなんで本当に大丈夫でしょうか。

 ☆夕暮れの景色。一日の空にも夫々の時刻にあった素晴らしさがある。後刻のことは心配せず、自分の時の美しさを出したい。

Dr.1331 前にも見ました(7月29日)

 毎晩のように行われている「ふるさと一番会議」(市長と教育長らが地域を回って住民の皆さんから意見を聞く会)の最後に、「いろいろ課題はあるけど魅力も一杯ある丹波篠山市・この地域、地域の皆さんと市役所力を合わせて盛り上げて行きましょう」「オー」のエール係をやっている。

 毎回同じでも何だと思って、昨夜は狂言の舞の一節を織り込んで「オー」をやった。会が終わってから一人の方が近寄って来られ、「前にも見ました。東雲高校で子どもがお世話になってる時、入学式や卒業式でやってはりましたね」と言われた。

 保育所の訪問の時、子どもが保育室を走る活動を見ていて、つい一緒に走ってしまった。一同が会した時の「オー」にしても、舞の披露にしても、子どもと一緒に走るにしても、昔からよくやっていた。

 人(今回はドクターの例ですけど)の本質は変わらないということか。体力とか技の切れとか衰えはあるもの本質は変わらない。

 今後いつまで、こんな感じで生きるのかは分からないが、生きてる限りは自分らしく行くしかない。こんな自分が自分で好きなのが幸いだ。皆様ご一緒に、自分で自分のことを好きと言う気持ちを忘れず、自分らしく生きましょう。それしかないし、それで十分じゃないでしょうか。

 ☆幾つになっても成熟しない、本質おちょけの生き方、これで行くしかないですよね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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