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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.961 私はブロガー?(5月15日)

教育長ブログ『教育長きょういくじょう』が神戸新聞で取り上げられ、何人かの人から「見てますよ」「私の近くにも見てる人います」みたいな反応を頂いた。何かの拍子に思いがけない人が、このドクターブログを見ていることが分かる体験はこれまでにも何度かした。校長時代の『校長先生絶こうちょう』も含めて私のブロガー(ブログを書く人)人生は、10年目に入る。前にも書いた(かどうかは忘れた)が、ブログを書き始めたきっかけは、S高校時代のPTA役員の方の「よその学校では校長ブログありますよ」だった。「それならうちも始めてみましょうか、文章書くのもパソコン操作も不慣れですけど」と始めてから10年通算3000回ほどになる(適当ですけど)。文章がうまいのかどうか分かりませんけど、自分の思いを書いて、それを読んでくれる人がいて、読んで生きるのが楽になる人がいる(ドクターが勝手にそう思ってる)というのは嬉しいことだ。今となっては自分の人生はブロガーとして生きるためにあったのかと思わないでもないほどだ(たいそうですけど)。流れとご縁で生きるドクターとしては、この先人生がどうなって行くのか、ブログがいつまで続いていくのかは「流れ」次第だが、ひと時の間(この10年)でもブロガーとして生きられたことを感謝している。今はやりの「ユウチュウバー」にはなっていないけど、これからどうなるのかは流れ次第で楽しみです。

 ☆昨日の朝は小学校のあいさつ運動の様子を見に行ったり、古文書寄贈者の贈呈式に行ったり、ブロガー以外の仕事もちょっとはしてますけど、1日のうちブログ書いてる時間が一番長いか。そんなことないですよ。

Dr.960 都合の良い引用(5月14日)

教育長をやらせてもらってから、人の前で話す機会(校長会、市部長会、庁舎内世間話など)が多くなった。思い付きで話すのは得意らしく、毎回同じことではいけないというサービス精神もあって、いろんなことを脈絡なく話している。そんな中で、「教育長のお話しにもあったように・・・」とか「教育長の話に刺激をもらって、私も・・・します」みたいなことを言われると嬉しい。でも、よく考えるとその後の「・・・」部分がその人の言いたかったことやしたかったことのようで、それを補強する部分を自分の話から都合よく引用されているのではないかという気がしてきた。例えば、この間の会合では「リスクを怖れてはいけない」「勇気を持って一歩踏み出せ」みたいなことをお話しさせてもらったが、その後「教育長がリスクを恐れるなと言われたので、前から考えていた・・・に勇気を持って挑戦します」みたいなことを言われた。そう引用されると、その人の「・・・・」を応援しないわけにはいかなない。でも考えて見ると、都合の良い引用はドクターも得意とするところだ。というより、このブログも含めてこれまで自分が言ったり書いたり考えたりしていることは、以前に誰かが言ったり書いたりされたことの我流焼き直し(都合の良い引用)がほとんどだ。都合の良い引用というのか、先人の発言にヒントを得て自分の考えになったというのか、そんなことを考えると「都合の良い引用」は悪くない。誰もが自分(の生き方)に都合の良い(役に立つ)知恵や知見を、他人の意見や考えから引用して(とって)、自分のものにしていけば良いのだ。ということでこれからは都合よく引用されても、いろいろ邪推せず素直にまずは喜ぼう。

 ☆ドクターが副組合長を勤める農業法人の組合長から引用させてもらった地域の田植え写真。この写真で法人ブログを書いてくれという頼みで、この写真を引用して都合の良い記事を書いた。このように自分に都合の良い引用:我田引水は自分も得意とするところだ、この田の水のように。

Dr.959 してもらう田植え(5月11日)

先日お休みを頂いて近所の小学生の田植え体験をボランティアとして引き受けた。小学生に植えてもらうためには、その田のその場所だけ田植え機での田植えをせず、当日小学生が植える苗も残しておかなければならない。普通なら田植え後すぐにする水入れ(田植え時は水を落としておくため)や肥料撒きもその田だけ後日にしなければならないし、当日は休みをとったり事前の準備(といっても荷物起きのブルーシートを運ぶくらいですが)をしなければならないしとか、そこそこの地元ボランティアとしての負担はあって、こちらとしては「(小学生に田植え体験させてあげる)してあげる田植え」と思っていたら、当日は小学生が盛り上がり、予定の面積を植え終わっても「他に植えるとこないですか」というので、反対の隅やドクターの雑な田植えで隙間だらけの空きスペースまで子どもたちに植えてもらった。おかげでその田も横の田も機械植えの後から人が隙間を植える『さし苗』をしなくてよくなった。「してあげる田植え」が逆に「してもらう田植え」になった。子どもたちの「田植え、おもしろいわ」の声にも元気をもらい、こちらとしても引き受けて良かったと思える良い時間となった。この「(子どもたちに指導者が)してあげる教育(田植え)」から「(子どもたちから指導者や先生に)してもらう教育(田植え)」の転換は、日頃から自分が思っている教育の理想で、図らずも今回の田植えがそうなって、その効果を再認識することができた。つまり「してもらう(教育・田植え)」は、してもらった方に元気を与えるだけでなく何より、子供の成長という点から(人に貢献し感謝されるという体験が子どもの自己肯定感や成長を促す等)優れた効果を発揮するということだ。

 ☆子どもたちに田植えをしてもらい感謝するドクター(近所のおっさん)。子どもたちが植えた跡(棒より手前)を見ながら、子どもたちにしてもらった田植えは楽しかったなあと感慨にふける。意欲ある子どもが予定を超えて田植えするスペースがあったのはドクターの適当で雑な機械田植えのお陰。適当な性格も役に立つことがあるのも知れて良かった。

Dr.958 綱渡り田植え(5月9日)

何とか田植えが終わったが、本当に綱渡りの連続でよく終えられたものだと思う。ツイていたとしか言いようがないハラハラの連続だった。まず朝から作業の段取りとか何とか考えると興奮して寝られず、睡眠不足で田植え機上で居眠りしてしまうかもしれない状況だった。次に借りた苗運搬用軽トラの四駆切り替えがうまく行かず、苗積んだまま坂道でスリップして動けなくなった。この時はその時刻にたまたまやってきた息子と妹に押してもらい何とか脱出できた。その後も重心が高い田植え機で、圃場を出る時や移動する時にひっくり返りそうになることが数回あったが、息子の助けで何とか事なきを得た。計画では二日に分けて実施する予定だったが、成り行きで1日でやってしまい、田植え機洗車後にエンジンをかけようとするとかからなかった。バッテリーの不調のようだ。もし2日で実施するつもりだったら、2日目は出来なかったか大幅に予定が遅れただろう。1日目も途中に手伝ってくれていた妹のご主人との会話のために(声が聞こえないので)エンジンを切ろうとしたが、もし切っていたらそこで作業は中断していたかもしれなかった。そんなこんなで薄氷の綱渡り田植えは何とか(ドクター田植えは他の人のように、きちんと奇麗に植えるなんてことにはとっくにこだわっていない)終えることが出来た。今年の米は「ドクター薄氷米」とか「綱渡り米」とかで売り出そうかとも思うが、そもそも秋に本当に収穫できるかどうかも、たくさんの幸運が重ならないと分からない。もし幸運にも収穫出来たら、「丹後の恵み米」(丹波の恵み米をもじって)として希望者にお分けしよう。人に幸せを分けると自分にも幸運が訪れるというから。でもそんなセコイ考えではだめですね。

 ☆ハラハラドキドキ薄氷綱渡り、出たとこ勝負で田植えをするドクターと経験の為田植え機に乗る息子。もし収穫出来たら、ツキだけで人生を歩み米作りもするドクターの「丹後の恵み米」として希望の方には無料でお分けしたい。

Dr.957 自他を見つめる(5月7日)

自分の内部を見つめ、自分の癖や特徴をつかむことは大事だと思うが、自分だけを見つめていてもはっきりしない。自分の特徴、全体的な立ち位置を明確にするためには、やはり他者を見て、自分の相対的な特色をつかむのは有効だ。しかし、他者との比較は劣等感や誤った優越感につながりかねないので、注意を要するし、頻繁にやる必要はない。他者と比べて自分の特徴をつかんだ後は、他人は他人、自分は自分という割り切りも必要だ。ともかく、自分の特徴を冷静につかみ、長所を伸ばして上機嫌で生きることにつなげたい(短所に拘泥するのはお勧めしない)。自分のことは自分が一番よく知っているという思い込みは間違っていることは、これまでの経験から知っている。自分では気づかない自分の特徴(良さ)を他人の目に照らしてつかむことは、悪いことではない。そんなこんなで、自分のプラス面を伸ばして自分も周囲の人も社会にも貢献したい。そんなことを考えながら他市にあるK高校の朝の登校風景を見に行った。あいさつが素晴らしいという話を聞いて、自分の市の学校の立ち位置を明確にし、長所を取り入れたいと思ったからだ。やはり実際の現場を見るのは参考になる、ここでの気付きを活かしたい。

 ☆自分の市にある城跡で自市を見つめ、自分を見つめることも大切だ。自他の良さを見つめよう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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