ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1594 お別れ(4月19日)

 同じ村のドクターに農業を教えてくれたおじさん(享年80歳)が亡くなって、自宅からの出棺を見送った。葬儀は家族葬でやられる。

 お顔を拝ませてもらって、いろいろ教えてもらったり、親切にしてもらったことを思い出した。高齢者が多い村だが、齢の順に逝くとは限らない。

 ほとんどの隣保の人が集まった中に、数人顔が見えない方もいて気になる。何かの用事で参列できないことはあると思うが、体調を崩されたのでなければいいのだが。

 人は誰でも一回は逝く(考え方によっては又転生して別の生を生きるというのもある)ものだから、大騒ぎせずとも静かに別れを惜しめばいいのだと話す、これまた参列者の中の先輩もいる。

 父母、親友も含めて、何人かの知人を見送った者として、自分にもいつか旅立ちの日が来るとは思っている。その日がいつなのかは誰も分からない。

 この世の別れは寂しいし、あまり考えたくないことだが、誰にでもやってくるのだから、どう向き合えばいいのか、考え方を整理して、心を整えておくのは必要なことだと思う。逆に言うと、これさえ上手く落とし込めれば、最後の日まで機嫌よく生きられる。

 まだまだ悟りの境地にはほど遠いが、合間を見つけてはその答えを見つけて行きたい。日々バタバタしていてなかなかその時間が取れないのが現状だが。ひょっとしたらバタバタのうちに逝ってしまうのがドクター人生かも。

 こんなこと書いたからと言って、特に今、何か体や心に不安があるわけではありませんのでご心配なく。

 ☆昨日の会議で出会った、若き日の冒険仲間。まだまだ元気ですよ。

Dr.1593 バトンを渡す(4月18日)

 教員の籍を残しながら教職員大学に派遣されている先生に会った。ドクターも30代に同じように教員を一時休んで大学院で学ばせてもらった。

 30代の学生生活、新鮮で毎日が学びの日々を送った。修士論文を書いて、その後研究を続け大学での研究者を夢見たが、その道へのお呼びもなかったし、今から思うと研究者の才能もなかったように思うので、研究者の道を歩めなかったことについてはそれほど悔いはない。

 それよか、自由な大学院時代が懐かしい。その大学院生活を現在送っている後輩がいる。人生順送りだと思う。

 そうこうしているうちに、大学空手道部のOB会から現役の活動の様子と会費の請求が届いた。これも自分が現役の頃、OBの皆さんに資金面・指導面も含めてお世話になった。今、指導のお手伝いはなかなかできないが、会費は払わせてもらって、自分が受けた恩は返したい。

 これも順送り。バトンを渡すということだろう。バトンを渡すことは多くなってきたが、まだバトンを持っている場面や、これからバトンが来ることが想定される場面(遺族会の役など)もある。

 自然な形で、バトンを渡したり、バトンを受け取ったり、受け渡しをスムーズに行って、自分がバトンを持っている間(部門)は全力で、でも自分らしく、ドタバタボチボチとやって行きたい。

 ☆現役の派遣大学院生と、かつてのええ加減研究者のドクター。あの頃もドタバタやってました。みなさん、ぼちぼちバトンを持っている間は自分のペースで走りましょう。

Dr.1592 今年も新緑が(4月17日9

 今年も新緑が美しい季節になった。日本は四季の移り変わりがはっきりしているので、季節を象徴する事象に出会うと、今年もこの季節を迎えることが出来た。1年生き延びたと感じる。

 いろいろしんどいことはあっても、生かされている自分に感謝しながら、後何回味わうことが出来るか分からない季節の変わり目を味わっている。

 周囲の知人の死の知らせが届く。多くは高齢者の方だが、中にはまだまだ逝くのは早いと思う人もいる。

 こんなことを考えていると、数年前に逝った同級生の友人のことが頭をよぎる。教職を退職して、数年私学で勤めて、その職を辞して、これからが本当の定年後の人生と言う時に、急な病の発病で逝ってしまった。

 人生はいつ終わるか分からないということを、痛感させられた。八十何歳の平均寿命はあるが、誰もがそこまで保障されている訳ではない。

 とすれば、生かされている人生、日々を大事に歩んで行きたい。自分にとって大事に歩むとは、流れでやる事になったことを精一杯勤めることと、自他に明るさと元気を届けることだ。この思いを忘れないように、今日もボチボチ歩んで行きます。

 美しい緑に気が付いて、季節の変わり目に、こんなことを考えてしまいました。ドクター、身体は元気ですねのでご心配なく。

 ☆緑のステージと、その帰りに見た丹波篠山市を取り囲む緑。自然きれいです。時に立ち止まって周囲の四季を感じたいですね。

Dr.1591 変わらずバタバタ(4月16日)

 昨日は更新がなかったのでご心配をおかけしたのではないでしょうか。何せ土日百姓で、土日イベントがない時の時間は貴重なので、朝早くから雨の中の田んぼ鋤き(雨結構降ってましたけど、寒かったですけど)など予定一杯でバタバタしていました。

 朝ブログ更新の時間はとっていたのですが、その時に限ってパソコン不調で、メカに弱いドクターとしてはオロオロするばかりで、今回は時間ないので明日また起動してみて、その時調子悪かったら、パソコン屋さんに相談するなど対応を考えようと切り替えて(その時無理なら無理しない、後に回すの得意です)、田んぼ仕事となりました。

 その後昼一には村の協議会の会計担当なので、監査を受けました。何せ金銭に弱いので、どうなるか心配しましたけど、何とか終了。その後又、田んぼ鋤にもどって、最後はトレーニングにもいきました。

 というような調子でバタバタ、今朝パソコン立ち上げてみると何とか動いてます。今のところ文章も書けてるので、後はアップできるのを祈るのみです(何事も祈って何とかしようという傾向もあります)。

 今日も又、何やかやとバタバタしますが、その方が良い面もあります(これまた、何事にも両面あって、プラスの面を見て行こうというの気を付けてます)。

 もっと落ち着いて暮らせという声も聞こえて来そうですが、性格なのか、こんな感じで生きてます。明日の朝、パソコン調子よければ又更新しますので(多分今日のバタバタの様子を紹介します。でも、その場で急に思いつくのも得意ですので、内容はどうなるかわかりませんけど)、よろしくお願いします。

 ☆雨の中、寒い中、着こんで田んぼ鋤いてます。鋤きかたは性格と同じで適当です。

 

Dr.1590 刹那的(4月14日)

 「あなたは将来のことを考えていない(主としては親が建てた家をどうするかという話ですが)」と奥様から言われて、「考えてないことないけど、毎日を乗り越えることで精一杯で余裕がない」と答えた後、「わたしは、刹那的に生きている」と言ってしまった。

 何度かここでも書いてるように、未来のことをあれこれ考えると、あれはどうなるのだろう、これはどうしたら良いのだろうとか、あれこれ心配と不安に押しつぶされるので、先ずは今日一日を何とか過ごして、夕飯時の一杯を楽しみに生きるということをやっている。

 今日一日だけ何とかと思うと、何とかやっていくエネルギーがやってくる。それと、「刹那的」というのは、その場しのぎみたいなニュアンスがあってマイナスイメージだが、「今を生きる」訳だし、人生は刹那の積み重ねともいえる。未来のことは分からない要素も多い。

 だから、先ずは今日一日を精一杯生きる(乗り越える)というのは、悪いことばかりではないようにも思っているし、自分の人生を振り返ると、計画的に生きてきたと言うよりは、人生のその時期時期の出会いや成り行きに乗って、生きてきたように思う。

 計画的に生きられる人は勿論そうされたらいいのだが、先ずは今日一日と思って生きている人もいると思う。特に生きるのしんどい人は、先ずは今日一と日々を何とか生き延びる、そんな生き方もありだということを伝えたい。

 ☆この時の満開の桜も今は葉桜です。満開その刹那が美しい。まあ何やかやとありますが、先ずは今日一日を乗り切るところから始めましょう。ボチボチ行こか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2026年2月24日
    Dr.2535 やっぱり人との関わり(2月24日)
    2026年2月23日
    Dr.2534 進歩はいらないか(2月23日)
    2026年2月22日
    Dr.2533 一体となって(2月22日)
  • ページのトップへ戻る