Dr.1469 長い一週間(12月3日)
いろんな出来事があり長い一週間だった。悩んだり喜んだりいろいろあったが、一喜一憂しないで、特に「一憂」しないで行くには、自分の思いにこだわらない・とらわれないで流れに任せて柔らかく生きて行くことが大事と悟った週だった。
自分の思いにとらわれず、柔らかく生きて行くと、自分としては比較的穏やかに生きて行けるのだが、その結果迷惑をかける人が出てこないかと気になっている。自分の意思を全く持たなくてもいいのかという迷いもまだ吹っ切れていない。
自分の生き易さだけを考えた生き方もどうかと思うが、自分が生き易いというのも大事なテーマだ。自分の幸せと周りの人の幸せが両立すれば一番いいが、ここがなかなか難しい。
少しは生き易くなったかと思えば、また次の課題が出て来る。なかなかより生き易い人生に向かう求道の道は究められないが、止めるわけにはいかないし、止めたくもない。最後まで、求道の旅を続けたい。出来れば笑顔で、出来るだけ周囲に喜んでもらいながら。
幸い、昨夜出会った旧知の人々はドクターが「いろいろストレスがあって(大変なんです)」と言ったら、「(あんたには)そんなもんはないやろ」と笑顔で応じてくれて、ドクターはストレスを感じない元気な奴と思われているようだ。見かけ通りになるよう、内心も元気でいきたい。
☆今朝容器に張っていた氷を素手で割って、血がにじんだ拳。幾つになってもあんまり進歩してませんんね。求道の道も遠いかも。

Dr.1468 苦を無くするには(12月2日)
ストレスが少し無くなったりもするけど、またしんどくなったり。常に心穏やかに、苦を無くした状態でいるにはどうしたら良いのだろう。
苦とは思い通りにならない状態。だとすれば、思いを持たなければいいということになる。流れ・ご縁を大事にする者としては、自分の意思(思い)よりも、天の意思(流れ・ご縁)を大事にするのは受け入れられる考え方だ。
これが分かっていれば、苦も無くなり、日々が心穏やかに幸せに暮らせるはずなのだが。まだそうなっていないというのは、修行が足りず、自分の思いや怖れにこだわっているからだろうか。
少しづつは平穏な日々に近づいているようにも思えるが、時には自分の考え方をチェックしないと、また元に戻ってしまう。なかなか悟りきる境地には到達できないが、それでも自他の生のため、出来る限りの修行・心の整えを続けて行きたいと思います。ぼちぼちですけど。上手く行った考え方は、またこのブログなどで発信しますので、良かったら使ってください。
☆今日も写真ダメそうでしたが、配線替えたらアップできました。何でも変えてみるのもありですね。

Dr.1467 世の中は広い(12月1日)
こんな人がいるだろうかと言うほどの奇特な人に出会った。何のゆかりもない市の子どもたちに文房具などを何十万円分も寄付し続けているという人だ。
障害がある自分の子がかつて公共や学校にお世話になったので、その恩返しのつもりで寄付・プレゼントを続けているといわれる。
比較的お金をお持ちの方や、晩年になって寄付をされる方は知っているが、現役世代でありながら、普通の会社員でありながら、自分の家庭の生活もありながら、稼ぎの一部を寄付する、それも何年間も続けるというのはそうできることではない。世の中は広い。こんな奇特な人もいるのだ。
物価もあがる、先行きも不透明なこの時代、お金はいくらあっても、自分の生活のためや貯蓄をしておきたいと思うのが普通だと思うのに、人のために使う。
これはもう生き方、何のために生きるにつながるという大きなテーマの中から出て来たことなのだろう。なかなか同じようにはできないが、他者や社会への貢献、人に喜んでもらえる生き方をするという大きなテーマはドクターも考えているので、自分にできる貢献を考えて行きたい。今回知ったこの人を刺激に、貢献一層力を入れていかなければならないと気合がはいっていますが、まあ例の通りボチボチ気合入れて行きます。
☆今日も写真上手くアップできません。気合の空回りでしょうか。気を付けます。
Dr.1466 交代時期(11月30日)
先日ある会の役員を交代するので、後任を紹介してくれないかと依頼された。その役は定年後の人がこれまではやって来ている。週3日~4日の勤務で報酬はそんなに多くないので、現役の人には勤めにくいようだ。
定年延長が言われる昨今、いつまで現役を続けるのか、その後にどんな役をやるのかは大きな関心事だ。自営業など仕事によっては80歳くらいまでは現役と言う人もいたり、死ぬまで現役という人さへいる。
公職の場合は後輩のためにその役を交代するのも一つの考え方だ。仕事の種類や考え方、人生設計なども相まって、何かと交代時期の決定は難しい。
ドクターの場合は、流れとご縁に任せようと思っている。自分の意思というのも、その時の流れで高まる時もあれば、本当に自然な流れに任せる場合もある。要するに「流れ」を信頼して、任せて行こうというものだ。自分の意思の高まりも流れに任せる、こんなんでいいんでしょうかという気持ちもあるが、所詮は生かされている命、生死も役割も大きな存在の意志に沿う、これも一つの意志です。
☆いつもの村の景色です。ここに生まれて生かされている自分。感謝しながらやらなければならない役をやらせていただくだけです。

Dr.1445 何とかギリギリです(11月29日)
いろいろとストレスは多いけど、何とかギリギリでもってる感じ。ただ有難いことには、食事は美味しく(ついでに一杯も美味しく)、夜は即寝で、トレーニングもほぼ毎日できている。
いろいろ気になることやら、気になる人の言動はあるけど、何とかやらせてもらってる感じ。もっと余裕を持って生きられたらいいとは思うけど、これまでの人生を振り返ってもいつも何やかやとありながらもギリギリでやって来たという感じ。
ということは、ドクター人生こんなものでしょうか。バタバタかつギリギリでドタバタしながら生きられるだけい生きて行くそんな感じです。欲を言えばきりがないけど、美味しく食べ、ぐっすり寝て、特に痛い所もない(曲げた時の腰の痛みや耳鳴りはあるものの)。ありがたいことです。
自分の恵まれたところに感謝しながら、出来ることを自分らしくやらせてもらいながら、決められた日まで歩んで行きたいと思います。皆様ご一緒に、生きている間を上機嫌に明るくまいりましょう。
☆ホッケーの元気な若者といつものエールで、こんなん出来るの有難いですね。ボチボチ参りましょう。
