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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1012 腹八分(7月19日)

気が付いたらもう夏休みに入る週になっている。終業式や始業式、1学期や2学期というのは学校のことで、一般社会や農業などの分野ではあんまり学期や夏休みを意識するわけではないが、時の過ぎる速さは感じる。

 1学期を終わろうとしている今、どうだったでしょうか。私の場合は8割は満足、2割は思い通りにいかなかった感じです。でも考えて見ると、今までどこの職場でも10割満足と言うことはなかった。概ね7~8割良ければ良しではないでしょうか。

 6割でも良しが上回れば良しということもできる。食事でも腹八分が良いと言われるし、何事でもパーフェクトはないし、万が一あったとしても、もしそれを達成してしまったら後は減って行くだけのようにも思われる。

 流れ派としては、別に満点を目指している訳ではないが、それでも満足度は良いに越したことはない。

 しかしまあこれも満足度に一喜一憂せず、流れに任せることとしましょう。

 いろんな経験・職場を体験したので、まあこんなものかと言えるのかもしれない。まだまだ未知の領域も多いが、何とかやって行きたい。皆さんご一緒にぼちぼち行きましょう。

 ☆昔の写真ですけど、この時もまあまあでやってたように思います。立場はいろいろ変わりますけど、完璧満足はないですね。ぼちぼち行きます。

Dr.1011 休日の過ごし方(7月18日)

休日出勤や休みもとれずに働いている人もおられる中、休日を取らせていただいたが、この休日の過ごし方が結構難しい。

 何もしないでじっとしていればいい休日かといえばそうでもない。それなら趣味やレジャーでどこかへ出かければいいかと言うと、そんな趣味や付き合ってもらえる人を持たない身としては、これもなかなか難しい。

 仕事のある日はそれをしていればいいが、予定のない休日をどう過ごすかは自分の主体性、人生に対する姿勢が問われているようにも思われる。

 結局ドクターとしては、農作業の一日となったが、自然の中で鳥の鳴き声を聞きながら汗を流すのはそれはそれでいいものであり、作業が終わって行くのでそれなりの達成感もあり、一日の終わりの一杯にも良い、その後の熟睡にもつながり、良いことづくめのようにも思われるが、これが毎日となるとどうだろうか。

 農作業の毎日を求めてやっている同級生もいるが、自分の場合は時折が良い。結局個人の好みと言うことだろうか。

 定年後の仕事はそんなに選択肢があるわけではなく、ここはやはりご縁と流れで回ってきたことをやって行くのが良い。それでも休日と言うのか自由な時間がある時どう過ごすのかは自分の生き方、大きく言えば人生そのものような気がする。

 そして、ドクターの場合は結局ここでもその時の流れにまかすということになる。この流れで生きるということが、つまりは自分の人生・生き方なのだろうか。

 ☆先日の撮影でも何をやるかは行き当たりばったり流れ任せ。でもこの日に演武をやると決めたのは自分の意思のような気もするが、それも自然な流れでそう決まって行ったようにも思われる。

 結局、どう休日を過ごすか、どう毎日を過ごすか、どう生きるか、全て流れに任せて安心して進んで行こう。

Dr.1010 無用の用を説く(7月17日)

丹波篠山市がホストタウンになっているパラリンピック柔道選手、プエルトリコのルイス選手を応援する動画を取るため、篠山城址で大書院をバックに空手と舞とヌンチャクを披露した。

 空手も舞もヌンチャクも長らくやっていないが、少しでも日本らしいもので応援したいという気持ちでやったが、どれも切れは今一つだが、そこそこは見られる出来だったと自己満足した。自己満足は得意とするところだ。

 撮影スタッフやら担当部署やらの人に付き合っていただいたが、その中に今年市役所に入ったF君がいたので、写真係をお願いするとともに「無用の用」について一説ぶった。

 「若い時はそれが何かの役に立つからやる役に立たないものはやらないみたいな狭い考えではなく、何の役に立たなくても、ただやりたいからやる、面白そうだからやってみるということがあって良い」

 「今回の私の空手も舞もヌンチャクも、こうしたことに使おうと思ってやって来たわけではないが、これまでから折に触れていろんな場面で役に立ってきた。君もやりたいことをどんどんやったらいい」

 こんなことを得意げに語ったが、彼の頭には「無用の用」より、「上司の得意げな話には愛想笑いで付き合わなければならない」とか、「年齢がいったら若手に好きなことが言える」とかの教訓が残ったかもしれない。

 ともかく人生何が役に立つかどうか、どう転ぶかどうか分からないし、思い通りには行かないけどなるようにはなるみたいなことを学んでいる。また機会があれば若手に話したいが、迷惑かもしれない。

 ☆城跡での動画撮影。「何事にも精一杯、楽しんでやる」こんなことも感じてもらえればうれしいな。ともかく自分としては面白かったです、機会を与えてくださりありがとうございました。

 

Dr.1009 しけた面はいらない(7月16日)

 小中学校の校長会で「しけた面してるやつにチャンスは来ない」というイチローの言葉を紹介して、「リーダーは笑顔で楽天的に考えみんなを引っ張て行きましょう」みたいなことを話した。

 このブログと同じで、みんなに話すことは自分に話すこと、自分が気を付けたいことだ。「しけた面してるやつ・・・」のイチローの言葉と言って紹介したやつも、本当にイチローが言ったのかどうかは知らないが、結構きつい表現にはなっている。

 表現のきつさはともかく、暗い顔、きつい顔、しけた顔は自分自身はもちろん、周囲の人にも嫌な気持ちを与える。出来る限りは避けたい。自分に言い聞かせている。

 というよりは、普段からいろんなことが面白い(興味深い)ので自然と笑みがこぼれる。有難いことだ。世の中にはきつい環境で生きられている人もいるのに、お気楽に生きられる環境で暮らさせて頂いているというのは本当に感謝しかない。

 思い返せば自分の人生でも辛いことはあるにはあるが、どれも自分が蒔いた種、自業自得で、それ以外の与えられた環境としては恵まれていることばかり。

 そう分かっていれば、後は周囲に恩返ししかないし、それなりにはやってるつもりだが、大したことはできていない。この恩返しにしても、自分の出来る範囲で無理はしないという感じだ。

 自然体で自分らしく、出来る範囲で、やる羽目になったことを、全力と言うのか自分なりにその時出来るレベルで取り組む。こんなことで生かされているので、自然と笑顔になる。有難い。

 ☆今月の自撮り写真。どれもしけた面ではないと思うが、これはカメラ用か、いえいえそうばかりではありません( ´艸`)

Dr.1008 最後の一花(7月15日)

知り合いに教育長就任祝いに頂いた胡蝶蘭の花びらがどんどん落ちて行って、ついに最後の一枚となった。「最後の一葉」ならぬ「最後の一花」。

 小説のように、最後の一枚が散ってしまえば自分の命(使命)は終わると強く思っていたわけではないが、毎日花びらが散って行くのを見るのは寂しい。丁度その頃自分の元気も無くなって来ていたので、冗談交じりで「この花が散ってしまえば自分の元気も無くなってしまう」みたいなことを言ったりしたこともあった。

 今が完全に元気を取り戻したわけではないが、「(花が散ろうと散るまいと)自分の役目が終わるまでは精一杯やる」という思いでいる。

 「流れに任す」という人生訓と同じく、周囲のいろんな環境(花的、人的、体調的・・)が変わっても、それを受け入れながら、やること(やる流れになったこと、やる羽目になったこと)をやれる範囲でやるだけだ。

 「最後の一花」を前にして、自分の生き方を再確認できたのは意味があった。何事(最後の一花が落ちることも含めて)にも固執せず、たんたんと自分の人生を歩んで行きたいと思ってますので、小説のように「最後の一花」を描かなくても大丈夫です。

 小説では、雨の日に「一葉」を描いた人が亡くなってしまうようなことだと思うので、自分の周りの方にはそんなご苦労はかけたくないなとは思う。知らない間にご苦労かけてる人はたくさんいるとは思うけれど。

 いろんな人に(これまで元気をくれた花にも)感謝しながら、機嫌よくいきたい。

 ☆最後の一花を前にいろんな思いのドクター。まあ行けるとこまでがんばります。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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