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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1093 進退(10月26日)

 このところ有名野球選手をはじめスポーツ選手の去就・進退が話題になっている。ドクターの周りにも進退について考えておられ方が何人かおられる(ドクター含む)。

 人間生まれる時や死ぬ時は自分で決められないので自然や流れに任せるしかないが、現役引退や役職引退、反対に何かの役を引き受ける時や何かの仕事に就くときは自分で決められそうに思うので迷いや葛藤が出てくる。

 後者の場合も自然や流れに任せたらどうだろう。自分の意思はどうでもよいのかという意見もあるだろうが、それも含めて流れだと思っている。

 「どうしても辞めたい、やりたい」という意思が強い場合はそうなるだろうし、「どちらかと言えばこうなんだが、なかなか決めかねている」ような場合は現状維持になる場合が多いとは思うが、周囲の状況や評価によっては一概に言えない。

 進退を決めた後の影響も、プラスマイナスがどの程度あるかも事前には測りがたい。事前にはっきりしていると思うならプラスが多い方に決めたら良いと思うが、そんな事前の予測がひっくり返るような経験は間々ある。

 何事においてもプラスマイナスの両面がある。「二つ良いことはないし」「二つ悪いこともない」。ただ渦中にいると冷静さを失い、マイナスの陰に隠れているプラス、プラスの中に混じっているマイナスを見落としがちになる。

 外から他人事として見ると両方が見えてくる。その冷静な視点で見るとやっぱり物事にはプラスマイナス両面がある。これを忘れないように、当事者になっても、進退の結果にこだわり過ぎず、自分の人生をこれまで運んでくれた運や流れを信頼して、端然と時を紡いでいこう。

 これいつものように、こういうことを書くきっかけになった事象はあるけど、自分にも向かって言ってます。皆さん、ボチボチ行きましょう。

 ☆部屋の窓から見た隣の家の屋根にとまる小鳥。彼らのように自然体で・・・。

Dr.1092 一人は寂しい(10月25日)

 奥様と娘が大学の下見に一泊2日で出かけたので、母との夕食を除いてほとんどが一人の時間となった。

 家族とは普段からそんなに話しするわけではないが、一言二言は交わすし、何より「そこにいる」という感覚はある。それが誰もいないと、世の中に自分ひとりって感じになり、強く寂しさを感じた。

 世の中には一人で暮らされている人もいるので、慣れるのかもしれないが、普段家族で過ごしていて急にそれがいなくなると、弧族感や寂寥感は大きい。

 生きる元気や生きる意味も失いそうな感じだった。それほど家族の有難さが分かったのなら、普段から大事にしなければならないが、これがまた勝手なもので、また日常が戻ってくるとその有難さを見失いがちになり、不平や不満も出てくる。

 人間って勝手なものだと思いながらも、家族の存在意義を感じられた今回の妻娘不在は貴重な体験でした。

 今後は常に一緒にいる人の数は減っていくだろうから、一人に慣れるのと、家族も家族以外の人も含めて交流の機会は大事にしていきたいし交流する人も大事にしていきたい。

 ☆スーパーで久しぶりにマツタケを見たが(勿論見るだけ)、昔々は今は亡き親父と一緒にマツタケ採りに行っていた。自分が生きる時代と共に家族ノカタチも生き方も変わってくる。変化する人生、悪いことばかりでもないはず、時間の流れにも乗って生きましょう。

Dr.1091 明日のことを思い煩うな(10月24日)

  今日のしんどさは今日だけのこととし(一日の終わりでそれも終わりとして)、明日のことは思い煩わないようにしようというような言葉が聖書にもあるらしい。

 何とか一日を終えて、夕食時の一杯を楽しみに生きる(一杯後はバタンキュー)ドクターとしては、意を強くする言葉だ。聖書にも仏教(人生は苦である)にもこのような言葉があるとは、古今東西を通じて人類には生きるのがしんどい要素があるということだろう。

 人間は知能が発達して生き延びて来たが、その知能故に「まだ起きていない未来を予測し、まだ起きていない苦難に悩む」ということが起きている。未来には幸せな予測もあるはずだが、しんどさが先に来るのは、これまでの人生(過去から現在まで)において苦しいことの方が多かった故か。

 最悪を想定しそれに備えるというのは大事なことだと思うが、その最悪予想が常に頭の中心と言うのでは心が持たない。

 時には備えながらも、そういう心配から逃れる時間も必要。休日何かは元気を蓄えるのに良いと思うが、日曜になると明日からのことが気になりだす。

 そんな時こそ、この言葉「明日のことは明日心配しよう」(ちょっと変わって来てますけど)で乗り越えましょう。

 ☆何とか今日を元気に生きる考え方を見つけたいと思案するドクターに朝日が差し込んできました。

Dr.1090 場所を変わる(10月23日)

 仕事場のパソコンの不調で、いつもいる部屋から多くの皆さんがいる場所へ移ってパソコン作業を行った。

 すると普段聞こえてこない多くの人の雑多な声が聞こえてきたり、見える景色も随分と違う。

 場所は変わっても、その場所にあるパソコンを使っていつもの仕事をしただけだが、もし仕事の中身もいつもその席にいる職員がやっていることをやらなければならないとしたらどうだろうと想像してみた。

 以前に校長をやめてからそういう一スタッフの仕事をやったことがあるが、半人前の仕事しかできなかったという記憶がある。手先が不器用で遅く、仕事の覚えも悪いので役に立たないのだ。

 人にはそれぞれ向き不向きがあり、年齢や役職によっても仕事の内容は変わってくる。ドクターには管理職の仕事が似合っており、一職員の仕事には不向きだみたいな傲慢なことを思っている訳ではない。

 管理職の仕事もボロだらけだと自覚している。何をやってもどこにおいてもボロだらけだが、これまで何とか一番傷が浅い(自分のストレスにとって)道を歩んでこられたのではないかと、これまでの自分の歩みとそれを導いてくれた流れに改めて感謝する気持ちが湧き起こった。

 誰でもつい今の自分が置かれた位置や状況の不満は言いたくなるが、今の自分の恵まれている点には気付きにくい。

 時々は視点を変えて(そのためには物理的に場所を変えるのが有効)、今自分が置かれている場所のプラスマイナスを見てみることも必要ではないか。パソコン操作場所移動体験からいろんな気付きを得ることが出来た。

 ☆事前投票所が設置された市役所ロビー。もし働き場所がロビーの案内係だったらどうだろう、意外と得意かもしれないし、思っているほどできないかもしれない。

Dr.1089 滅多にない良い日(10月22日)

 生きてると辛い日も多いけど、時に「生きてて良かった」と思えるような良い日に巡り合える。だから生きてるんじゃないのかという寅さんのセリフもある。

 その滅多にない良い日に巡り合った。

 会いたい人に会えた。予期してなかった良い人に会えた。やりたいと思っていたことが出来た。心配事がそれほどでもなかった、久しぶりに息子と連絡が取れた・・・

 具体的に言ってないのでなんのこっちゃでしょうが、ともかくドクターにとって滅多にない嬉しいことが続く日だった。こんな日は、物事がすべて良い方向で動く。

 こんな日は滅多にないので、いつ終わるのか気になったり、こんなに良いことが続いていいのかと落ち着かなかったり、貧乏性だ。

 あんまり貧乏性的発想過ぎては、折角の機会を謳歌できないし、運気の上昇を止めてしまうような気がする。

 それは分かっているので、ほどほどに楽しませていただいたが、調子に乗ってこんな良い日がいつまでも続くと思ってはいけない。やはり現実は厳しいことが多いものなので、身構えながら、又どうしようもないことは諦めながら、ボツボツ行きたい。そうすれば又いつか、滅多にない良い日がやって来てくれると信じて。

 ☆行ってみたかったススキの群生地へも行けた。滅多にない良いことは誰にも訪れると思いますよ、滅多にはないでしょうけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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