ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1096 教え子の成長(10月29日)

 遅い時間にスポーツセンターへ行くと、かつての地元高校の教え子二人がトレーニングを終えて帰るところだった。

 暖房のスイッチが入ってなかったので入れながら「暖房なしでやってたの」というと、「(身体を動かすと)直ぐに暖かくなって暖房何て要らなくなりますよ」という。

 こちらが「身体が温まるほど長くやらないから、暖房はつけるわ。年齢が行くとそんなに長くトレーニングできんようになるんや」というと、「あれっ、先生って年齢を言い訳にする人でしたっけ。そんな言い訳しない所が先生のいいところやと思ってたのに」みたいなことを言う。

 「そ そ そやったな。そんな言い返しが出来るとは、おもえら成長したな」とかなんとか言い返しながらも、ホンマにこやつら成長して逞しくなったなと嬉しく思った。

 筋肉の付き方ではとっくに抜かれたが、地元職場の仕事を通して人との対応力もしっかり身に着けてて来ている。こんなことをいいながらも「お先に失礼します」と帰る彼らは礼儀も心得ている。社会人力でももはや抜かれてるかもしれない。

 教え子の成長で自分が抜かれるのは悪いことではない。教師冥利に尽きる。

 もしかしたら自分がしてやったのは、トレーニングの魅力を伝えることだけだったのかもしれない。あっこれも彼らが勝手に身に着けたものか。

 まあともかく、地元若者が元気に育ってくれているのは嬉しいことだ。

 ☆教え子の成長を嬉しく思いながら、一人トレーニングを終える。

Dr.1095 温かい心(10月28日)

 市内高校の授業を見学した。自分達でテーマを決めて、調べて、研究する「探求」の授業だ。

 2~3・4名の班がテーマを発表していた。そのテーマにした理由と、深めるための問いを班員がボードに書いて発表した。

 一つの班が「丹波篠山市の人は何故暖かいのか」みたいな問いを立てて、その理由を探るのだという。そのテーマにしたのは他市から来ている生徒が、丹波篠山市に来ると人が暖かくて安らぎを感じる、それは何故だろうという問いから決めたのだという。

 この日は問いを発表する所だけ見せてもらったが、今後の展開が楽しみだ。

 と同時に、こうしたテーマが浮かぶほど、丹波篠山の人が暖かいと感じてもらえたのは嬉しい。そうそう、その日は市役所で食事に困っている人に職を提供する活動を始めようという人にも出会った。

 周囲の人は暖かい。時には冷たい人にも出会うが、暖かい人が多い。自分も何か暖かさを周りに提供できないか、これはいつも考えて行きたい。そしてそれも他人のためと言うより、そうすることが自分も楽しいからという発想も忘れないようにしたい。

 上のことも、市役所職員の方から学ばせていただいた。学ぶことは多いし、楽しいし、ためになる。

 ☆生徒達が自分達で決めたテーマを探求していく授業。参加も前向きで結構いい感じの後輩たち。

Dr.1094 いい感じの瞬間(10月27日)

 いろいろ悩んでいる子どもや大人も多い。悩んでいても生きてさえいれば、いつか「いいこと」や「生きてて良かった」と思えることに出会える。だから毎日が辛いことが多くても、時々やってくるそういう良い出来事のために生きてるんじゃないかということを書いたことがあるが、今回はそれにプラスして、「いい感じの予感」というのか「瞬間のよい感じ」もあるということを付け加えたい。

 何せ瞬間のことだから、直ぐに通り過ぎてしまうのが残念だが、今朝も「これこれ」「この感じ懐かしいな」「いいな」という感じが瞬間訪れる時間があった。

 この感覚は嬉しいことだ。でも時間にしたら、感覚としては数秒、もしかしたら0.数秒かもしれないほどで、直ぐに過ぎ去って戻ってこない。

 でもこの感覚は、今後又訪れる、そして次回はもう少し長くという期待につながる。この期待が生きる力になる。

 どんな小さなこと、ささやかなことでも、生きるエネルギーにつながることを見つけて、今日を何とか過ごしましょう。できるだけ周囲の人に笑顔や役立ちを届けながら、そう無理しないで出来るだけでいいすけど。

 ☆「選挙へ行こう」というブログを書こうと撮った写真ですけど、バタバタしてていつになることやら。出来るだけ頑張りますけど、できないことも多々あります・・・

Dr.1093 進退(10月26日)

 このところ有名野球選手をはじめスポーツ選手の去就・進退が話題になっている。ドクターの周りにも進退について考えておられ方が何人かおられる(ドクター含む)。

 人間生まれる時や死ぬ時は自分で決められないので自然や流れに任せるしかないが、現役引退や役職引退、反対に何かの役を引き受ける時や何かの仕事に就くときは自分で決められそうに思うので迷いや葛藤が出てくる。

 後者の場合も自然や流れに任せたらどうだろう。自分の意思はどうでもよいのかという意見もあるだろうが、それも含めて流れだと思っている。

 「どうしても辞めたい、やりたい」という意思が強い場合はそうなるだろうし、「どちらかと言えばこうなんだが、なかなか決めかねている」ような場合は現状維持になる場合が多いとは思うが、周囲の状況や評価によっては一概に言えない。

 進退を決めた後の影響も、プラスマイナスがどの程度あるかも事前には測りがたい。事前にはっきりしていると思うならプラスが多い方に決めたら良いと思うが、そんな事前の予測がひっくり返るような経験は間々ある。

 何事においてもプラスマイナスの両面がある。「二つ良いことはないし」「二つ悪いこともない」。ただ渦中にいると冷静さを失い、マイナスの陰に隠れているプラス、プラスの中に混じっているマイナスを見落としがちになる。

 外から他人事として見ると両方が見えてくる。その冷静な視点で見るとやっぱり物事にはプラスマイナス両面がある。これを忘れないように、当事者になっても、進退の結果にこだわり過ぎず、自分の人生をこれまで運んでくれた運や流れを信頼して、端然と時を紡いでいこう。

 これいつものように、こういうことを書くきっかけになった事象はあるけど、自分にも向かって言ってます。皆さん、ボチボチ行きましょう。

 ☆部屋の窓から見た隣の家の屋根にとまる小鳥。彼らのように自然体で・・・。

Dr.1092 一人は寂しい(10月25日)

 奥様と娘が大学の下見に一泊2日で出かけたので、母との夕食を除いてほとんどが一人の時間となった。

 家族とは普段からそんなに話しするわけではないが、一言二言は交わすし、何より「そこにいる」という感覚はある。それが誰もいないと、世の中に自分ひとりって感じになり、強く寂しさを感じた。

 世の中には一人で暮らされている人もいるので、慣れるのかもしれないが、普段家族で過ごしていて急にそれがいなくなると、弧族感や寂寥感は大きい。

 生きる元気や生きる意味も失いそうな感じだった。それほど家族の有難さが分かったのなら、普段から大事にしなければならないが、これがまた勝手なもので、また日常が戻ってくるとその有難さを見失いがちになり、不平や不満も出てくる。

 人間って勝手なものだと思いながらも、家族の存在意義を感じられた今回の妻娘不在は貴重な体験でした。

 今後は常に一緒にいる人の数は減っていくだろうから、一人に慣れるのと、家族も家族以外の人も含めて交流の機会は大事にしていきたいし交流する人も大事にしていきたい。

 ☆スーパーで久しぶりにマツタケを見たが(勿論見るだけ)、昔々は今は亡き親父と一緒にマツタケ採りに行っていた。自分が生きる時代と共に家族ノカタチも生き方も変わってくる。変化する人生、悪いことばかりでもないはず、時間の流れにも乗って生きましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月1日
    Dr.1936 運がいいんだよね(5月1日)
    2024年4月30日
    Dr.1935 交友関係広い人(4月30日)
    2024年4月29日
    Dr.1934 ゴールデンウイーク(4月29日)
  • ページのトップへ戻る