Dr.1112 アクセス数(11月19日)
夜に市内各地を回って、市政や教育の話を住民とする「ふるさと一番会議」をやっている。
昨日の会場で、「市長や教育長は市長日記や教育長ブログをやっているが、どの程度の人が見ているのか」という質問があった。
市長も教育長も最近のアクセス数は知らないと答えたが、いったいどれぐらいの人が見てくださっているのか自分達でも知りたいほどだ。
会場でこうした日記・ブログを見ている人に手を手をあげてもらったが、市長日記はチラホラ、教育長ブログはほとんど手があがらなかった。
それでも時々「見てますよ」という声掛けを頂くので、手ごたえは感じているのだが。
会が終わってから、大阪から移住してきたと言う小学生をお持ちの女性が「最近は〇〇(名前を忘れたが、インスタかなんかのサイト)がいいですよ。若者の多くが見てます。私がこの前あげたデカンショ豆(この名前ははっきり覚えている)の動画は1万人以上の人が見ていて、見た人の数はすぐに分かります」みたいなことを話してくださった。
どんどん情報ツールは進化するので、機械オンチには付いて行くのがなかなか難しい。ブログは時代遅れになりつつあるのは薄々は感じていたが、さてどうしたものか。こちらのドクターブログの閲覧数はほぼ毎日チェックして一喜一憂しているのだが。
昔は学校で子どもや親に配るプリントもガリ版でつくっていたが、その後ワープロ、パソコンと代わり、最近ではタブレットでやり始めている。
どこまで付いて行けるかは流れに任せようと思うが、最後にその女性が言われた「丹波篠山での子育ては最高で、友達にも勧めています」という声は、何時の時代でも通用する嬉しさだった。
☆文章とは特に関係ないけど朝の出勤前。いろいろ悩んでいる。
Dr.1111 面倒くさい男(11月18日)
今朝は気分がすぐれない。絶好調、上機嫌とはいかない。「絶好調、上機嫌な毎日を送る」はドクターの目指すところで自分の代名詞にもなっているが(勝手にそう思っているが)、実際には気持ちの浮き沈みが激しく面倒くさい男だ。
今朝の不調は何か嫌なことがあってのことならまだ分かるが、そうではない所がややこしく面倒くさい。
昨日は何人の方からお褒めの言葉を頂いたのだが、褒められると今度は逆に厳しいことを言われるのではないかと身構えてしまってしんどいという訳だ。単純に、褒めてもらった時には「ありがとうございます」と喜んでいればよく、厳しい言葉があればその時に落ち込めばいいのに、まだそんなこともないのに先取りして落ち込んでしまうとは、われながら心配性過ぎると思う。
背景には自分に自信がないので、褒め言葉や上首尾がずっと続くわけがないという思いがある。だから褒め言葉が続くと、今度はバランスをとるためにも批判やきつい言葉が来ると身構えてしまう。
目下、これまでずっと気になっていた「耳鳴りや」「天井鳴り」(動物の足音)は治まっているが(忙しすぎてそれに気づく暇がないというのが実情)、それはそれで何もないのが落ち着かない。このまま何もなしで済むはずがないと思ってしまって、いつか耳鳴りも天井鳴りももどってくるのではないかと気になるのだ。
何とも小心な面倒くさいやつだと自分でも思うが、自分にもいくつかは良い所もあるので、特別優秀というわけでもないがそこそこな人間ではあるという自分好きでもある。この辺りはお気楽と言うのかお幸せな傾向はある。
というところで、自分の面倒くささに手を焼きながらも、自分を見捨てないで何とか今日も一日を過ごします。
☆新人(入庁1~3年目)職員とこんな写真も。元気な時も時々ある、面倒くさい男です。
Dr.1110 大丈夫か(11月17日)
日々生活していると「(これで自分は)大丈夫か」と思う事態がどんどん増えてくる。
物忘れもそうで、昨日は数時間前に話した市会議員の名前が出てこなかった。何か月か前(これも正確には思い出せない)に、更衣室のロッカー番号が思い出せなかったことがあって以来のショックだ。
話してても途中で、言わなければならないことを忘れてしまうことも時々ある。「大丈夫か」と不安になるが、大丈夫じゃなくなるまで、行けるとこまで行くしかない。
訃報のお知らせもよく回ってくるが、中には自分と同じ年齢でお亡くなりになった方もおられる。自分もいつ死んでもおかしくない年齢だと思うと、大丈夫かと思いながらも生かされていることに感謝の念が湧いてくる。
この上は、いけるところまで与えられた(巡ってきた)役割を精一杯勤めるしかない。勤めが果たせなくなったら別の役に変わるしかないが、それを自分が判断できるか自信はない。
そこらあたりは流れに任せるとして、とりあえずは今日もやらなければならないことを自分らしくやって行きたい。
☆市役所の階段で出会った教え子夫婦と赤ちゃん。彼らの顔や在学中のエピソードは覚えているので、まだ大丈夫か。自信はない。
Dr.1109 塞翁が馬(11月16日)
最近読んだり聞いたりした人の話に、「人間万事塞翁が馬」のエッセンスが出て来た。
大学入試失敗やら入社・転職試験失敗、離婚やら虐待やら、大変なことを経験したが、後にそれが生きて生きがいやら仕事に生かされているという話だ。
「人生に起こることに無駄はない」みたいな言葉もあったと思う。辛い出来事や思いと違う結果も後で良いことに繋がると思うと意味がありそうだが、やっぱり渦中はしんどいし後で絶対役に立つとも言い切れない。
結局出来事に一喜一憂せず、出会う出来事には淡々と対応せよ、流れでやる事になったことは引き受けよということだと思う。ドクターがいつも言ったり思ったりしている「流れを生きる」ということ。
ここまでは理解できるが、凡人の身としてはやはり流れでやってくることが(後で役に立とうと立つまいと)ストレスの大き多き過ぎない方が良いと思ってしまう。「神はその人が耐えられないような試練は与えない」みたいな言葉もあったように思うので、それを頼りに今日も一日何とか生き延びましょう。「その日の晩酌を楽しみに何とか一日を終える」(丹吉曰く『久しぶりの師匠登場』)
いろいろ言葉を知っていると生き易いか。そうでもしないと生き延びられないか。
☆新入職員と市長等との対談会。「尊敬する先輩を見つけよ」(副市長)「置かれた場所で咲こう」(ドクター)等の言葉も行き交った。ドクターの場合多くは自分に言っている。
Dr.1108 ちょっと面白い(11月15日)
経済的にしんどい家庭の実態とそれへの実のある支援についてのお話しを聞く講演会に言って来た。
たまたまこれまでマジョリティー(大多数)の中にいられているので、マイノリティ(少数派)の苦境については心底は分からないのかもしれないが、理解したいし何らかの支援が出来ればと思う。
人生は運とご縁のところが大きいので、いつ流れが変わって厳しい状況になるかも分からない。支援する側、支援してもらう側の入れ替わりはあり得る。どちらの側になっても生きて行けるように、できることをやって行きたい。
こんなことを考えながら会場を後にしようとしたら、受付にいた係の人が「ブログ(公式の方)見てますよ。ちょっと面白いですね」と話しかけてこられた。
「ちょっと」のところが気になるが、見て頂いているだけでも有難い。世の中、いろんな方がいることを忘れず、自分の出来ることを自分の出来る範囲で頑張って(頑張り過ぎないようには気を付けて)自分の役目を果たして行きたい。
☆いろんなことを考えさせられた(「ちょっと面白い」も含めて)研修会。やはりいろんな所へ出かけていくことは大切ですね。