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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1615 ストレスは気持ちから(5月14日)

 精神的にしんどくなるのは、実際の出来事よりも、その事をあれこれ心配したり、その気持ちを引きずるからのことが多いという記事を読んだ。当たっていると思う。

 気になることや気になる人がいると、ずっとそのことが気になって、それがしんどい。それなら考えないようにしたら良いのだが、これがなかなか難しい。

 こんな時には、身体を動かしたり、別の用事を入れたり、元気が出るホルモンを気にした食事したりするのがよいと本で読んだ。これらも一理あるともう。実践してみる価値はある。

 何せ人間は、考える力があるので、良い面もあるけど、心配し過ぎる面も出て来る。ストレスへの対処方法には個人的な性格もあって、自分独自のやり方を見つけなければならない。中にはそんな心配も全くないような人もいて、羨ましく思えるのだが、人と比べて自分の劣った面に焦点を当てるのは良くないやり方なのでやめましょう。

 ドクター流はまだまだ摸索中ですが、自分の恵まれた点にスポットを当て感謝の気持ちを持つ、人生に完璧はないのである程度で「まあいいか」「上出来や」と思う、「大体」や「適当」「大雑把」の価値を見直しボチボチで行く、みたいな対処方法をいまんとこやってます。良いの有ったら教えてください。あっ、自分流を探さなあかんかった。でも人のは参考にはなります。特に悩んでいて、そこから脱出した人のやつ。

 ☆少年少女合唱団の入団式に参加しました。お話しされているのは団長さんです。お話の中の何事も続けるのが大事という言葉、心にとまりました。絶好調な生き方に繋がる心の持ち方、探し続けます。大体ですけど。

Dr.1614 みんな元気にやっている(5月13日)

 昨年度まで一緒にやっていた方々の仕事場に顔を出した。仕事場が離れてしまうと、顔を合わせることはなかなかないが、皆さんそれぞれの持ち場で元気にやられているようで安心した。

 他人の心配よりも自分の心配をしなければならないほどギリギリの状態でやっているのが実情だが、それでもかつて仲良くやっていた人が、別の場所でも自分の特性を生かして元気にやられているのは嬉しいことだ。

 考えて見れば、普段あまり見かけることは無くても、ドクターの知らない人々が、夫々の持ち場で自分の仕事に打ち込まれている。それだからこそ、世の中が回っている。自分が見聞きする世間はそのうちのごく狭い範囲だ。多くの人のお陰で社会が動いている、そのことに気付くことが出来たという意味でも、普段自分がいる世界と違う世界(職場)を覗けたのは良かった。

 ギリギリの状態でやっているドクターも、時に余裕のありそうな話をすることもある。昨日の校長会では「大変な事案にも丁寧に対応していれば、それが後日良い方向に繋がることがある」みたいな話を、自分の校長時代の経験を入れて話しした。その事案当時の真っただ中では、ホントに大変な状態だったが、後から考えればそれがのちの人生に生かされることがあったという話。

  今の綱渡り状態の日常も、後から振り返れば、それがあったから後の自分の人生に生きてきたと言えるようになるのだろうか。いろいろと考えるきっかけを与えてくれた、元同僚の現職場訪問、温かく迎えてく下さって嬉しかったです。これからもこんなご縁が広がりますように。

 ☆また新しい出会いでご縁の輪が広がって行くのかな。これまでのご縁を大事にしながら、新しいご縁も大切にしていきたいと思います。

Dr.1613 結構覚えている(5月12日)

 何度か行った小学校に又行った。その学校で興味深い取り組みが行われているからなのだが、授業中(体育館に全校生が集まっている)にいろんな子どもと話していると、ドクターのことを覚えていてくれる児童が数人いた。

  中には、小学生の野球チームの大会で、ドクターが始球式で暴投を投げたのを覚えている子がいたり、前にも一緒に写真を撮った子がいたりした。以前に歯医者さんで出会ったときに、覚えてくれている子もいた。

 そんなこともあって、子どもの記憶力の凄さと、覚えてくれているのだからいい加減な言動には気を付けなければならないという自戒の念が湧いた。

 自分の存在を覚えてもらっているということは嬉しいことで、こんなことが心豊かに生きるのにつながるのかなと思ったりしている。思い出や人の心に自分の存在が残っていること等は、具体的には目に見える形では何もないが、結構大切なことだ。大事にしたい。自分が覚えてもらっているということも、自分が覚えている思い出も。

 心豊かに生きる、これは人生を充実して生きる一つの大きなポイントだと思う。先ずは自分の心の中にある思い出を大事に生きたい。そんなわけで、今日はどんな思い出が出来るだろうか。出来ればよい思い出にしたいですけど。

 ☆これは記事の小学校ではないけど、いろんな学校を訪れられるのもいい思い出です。まだ終わってませんけど。

Dr.1612 元気そう(5月11日)

 交通安全関係の行事で小学校へ行ったら、来られていた地域の交通安全指導員っぽい方が「(あなたは)元気そうで、子どもと触れ合う職にはぴったりですね」と社交辞令もあってか話された。

 これに気を良くしたドクターは、いつも以上にはしゃいで子どもたちの前に立った。その時には文字通り元気で何の憂いもなく、楽しい時間を過ごした。この無邪気に元気な時間が一日中続いたらいいのだが、そうは問屋が許さない。厄介なことやしんどいこと、苦手な人にも会わなければならない。

 考えて見たら、一日中無邪気に元気ではしゃいだ状態が続いたら、それはそれで大変なような気がする。だからといって、四六時中落ち込んでいるというのはしんどすぎる。

 やはりバランスと言うのか、頃合いが大事だろう。前から言ったり思ったりしているように、「にもかかわらず笑顔」「にもかかわらず上機嫌」というのは、意味のあるコトだと思っている。さらに「元気そう(に見える)」というのは、もしかしたら本当に少しは元気なのかもしれない。自分が思っているほど、しんどく沈み込んでいる訳でもないのかもしれない。

 一番大事なのは、人からどう見えるかと言うことだけではなく、自分自身が日々を機嫌よく笑顔で過ごせることだ。ただ、自分が自分のことは一番よく知っているというのは、違う場合もある。人から元気そうに見えるというのは、自分では分からないけど、本当に元気な面もあるのかもしれない。

 そんなことで、人からの意見も参考にしながら、自分の外面も内面も元気で行けるように、がんばって(ボチボチですけど)今日も何とか過ごしましょう。「オー」。

Dr.1611 別れと出会い(5月10日)

 年度が替わって、あるいはこれを一区切りにいろんな役員や人員が変わる。旧知の方とはお別れするし、新しい方とは新たなお付き合いが始まる。別れは寂しいけど、だからと言っていつまでも付き合いが続くわけではないし、それがベストという訳でもない。

 頭では分かっていても、やはり別れは悲しい。それまでのお付き合いが心地よかったほど、寂しさは大きくなる。その寂しさと、これまでの交流の思い出を胸に大事にしまって、時折振り返りながら新しい時間を生きて行くしかない。

 新しい出会いにも又いつか寂しい別れが待っているだろうが、先ずは今の生活で出会う人達と暖かな思い出を紡いでいきたい。かつて暖かい交流があった人との思い出はそう簡単にはなくならないし、時に思い出してはほっこりして、無償に会いたくなる時がある。

 今を生きる者としては、時は止められない。前を向いて、この世の定めに従いながら、自分の生を歩んで行こう。寂しさもある、にもかかわらず笑顔で明るく元気に歩んで行こう。

 ☆いろんな会(機会)にいろんな人と出会いながら、今を元気にボチボチ歩んで行きましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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