Dr.1547 戻るか戻らないか(2月26日)
しばらく指導はしていないが、講師として指導するための資格を維持するための嬉野台生涯教育センター冒険教育講師登録研修会に参加した。
久しぶりに指導者仲間に出会ったり、冒険教育フィールドに足を運んだりした。ここ2年は指導していないので、いざ再開と言っても簡単ではないけど、今ならかつての冒険教育フィールドに戻ることは可能なような気もする。
ドクターがかつて打ち込んだ冒険教育は面白くて、学びや気付きも多く、自分に合った活動の場だと思う。しかし、参加者との年齢の差や指導者の体力的な問題もあり、いつまでも出来るわけではない。という考えも固定観念で、実はいつまでも出来るものかもしれないという思いもある。
自分が指導する代わりに、今回の研修会にもたくさん参加していた若手の指導者を育てる方が良いのかもしれない。ポイントは面白さ、ワクワク感だと思う。自分がワクワクするフィールドは相手にもその気持ちが伝播して効果も大きい。今の自分、どちら側に立つのが自他をワクワクさせるのだろうか。
自分が指導できる環境になった時に、冒険教育指導講師に戻るのか、若手養成役になるのか、ここには戻らず新たな活動の場を求めるのか、今はまだ迷い中だし、最終的な方向付けは自分の意思だけでなく、流れとご縁だと思っている。
いつ方向が決まるのか、決まらないのかも含めて、大きな力・大きな存在に託したいと思う。どうなっても大事なのは、自分がワクワクしながら生きる営みを続けることだと思っている。皆様も、自分の人生ワクワクしながら先の展開を楽しみに、今やることを機嫌よく取り組んで行きましょう。
☆ この冒険フィールドに戻るのか戻らないのかは神のみぞ知る。お前がしっかり考えろという声も聞こえてきそうですが、ドクターの考えは自分の行く先は大きな存在にお任せしますということです。


Dr.1546 自分の生き方(2月25日)
どう生きて行くのか、普段はいろんな案件でバタバタしていてじっくり考える時間はあんまりないけど、絶えず頭の奥にはある。
ふと時間が空いた時に頭の前面に出て来る。基本は大きな流れ(ご縁)に任せて、やることになったことを自分らしくやって行く。いままでこれでやって来て悔いはないのだから、これからもこれでやっていけば大丈夫だとは思うが、これまでもそうだったが、流れを信頼してやっていても新しい流れの潮目が近づいてきたと思う時には不安にかられる。
新しい流れでは上手くやって行けるだろうか。時間を持て余すことはないのか。大事なのは今と未来であり、人生の最後の方でもそこが充実していなければトータルとして悔いを残すことになりはしないか。そんな不安が頭をよぎる。心配性、不安症傾向だとは思うが、なかなか生来の気質は変えにくい。
心配性だからこそ、どう考えたら納得感・充実感・元気いっぱい・お気楽に生きられるかと言う心の整え方、考え方(哲学)に関心がある。それをずっと探求してきたが、お陰様で日々やる事があってなかなか生き方探求研究は進んでいないし、そればっかりになってもしんどいような気もする。
やはりドクターの場合はバタバタやる事があった方がいいのかと思うが、いつまでもやる事があるのか、バタバタでなくても心落ち着いて暮らせる秘訣がつかめればそれでもいいではないかという迷いもあったり、考えや悩みの方もバタバタで忙しい。結局、バタバタして人生のエンドを迎えそうな気もするが、それが「ハッピーエンド」になるような生き方、心の整え方を探していきたい。結局こういうところに落ち着くのですね。
☆今月もいろいろありましたが、今のところ元気です。まあ何とかなるのでしょう。お気楽な生き方道これからも探求していきます。よろしければ皆様ご一緒に。

Dr.1545 変わった変わらない(2月24日)
奥様の友人夫妻が丹波篠山へお越しになって、一緒にお茶をした。もう何十年のお付き合いだが、奥様方は「男は齢を取ると頑固になる」とおっしゃる。ウチもそうだという。自分の自覚としては全く逆で、年齢を重ねて人に優しく柔軟に接せられるようになったと自負していたのだが。
明日から嬉野台生涯教育センターの冒険教育講師登録のための研修を受けるので、これまでの冒険教育研修受講修了書を見返していると、20年前の冒険教育に対する初々しい気持ちを思い出した。こちらの方は、しばらく冒険教育指導現場にも言っていないので、少し熱気は下がって来たのかと自省する。
でも、冒険教育から学んだことは多く、楽しさ、仲間、挑戦、自分(達)で考える、個性を活かす等、いまでも自分の芯となっているものが多い。
人は変わらない部分と変わる部分、変えられる部分があると思う。自分らしさの原点は変えずに、より良い方向に変えられるところは柔軟に変えて行きたい。かたよらず、こだわらず、とらわれず、この人生を生きる指針は変わっていないのですが。
☆奥様の友達夫婦を案内した河原町と20年ほど前の冒険教育研修修了書。こだわらない生き方にはこだわっているのかな。


Dr.1544 耐えられないタイプ(2月23日)
新聞の投稿で、定年後ゆっくりしたいと思っていたが、早々に耐えられなくなって仕事を探したというのが載っていた。
人には、仕事とかやる事とか何も無くても大丈夫なタイプと空白の時間に耐えられないタイプと二手あると思う。「あなたは、耐えられないタイプやね」と妻から言われた。自分でもそのように思うし、何歳までも仕事があるわけではないので、いつかは仕事を離れて、充実した時を過ごす暮らし方を身につけなければならないと考えている。
いくつか仕事以外の打ち込むものの候補はあるが、実際にやってみないとそれで行けるかどうかは分からない。これまでの人生を振り返っても、仕事も含めて人生時間の中心を占めるものは、自分の意思だけでなく大きな流れでやって来たように思う。
「また流れ任せか」と言われそうだが、自分が生まれて来たのも、自分に備わった個性や社会・地域・家庭での役割や状況も自分の意思だけで決まったのではない。というより、自分の意思と思うものまで、大きな存在の思し召し(おかげ様)のようにも思われる。
こういうタイプの人間は主体的に自分の時間の使い方を決めるのは苦手で、何か外から役割が与えられる方が生き易いのかもしれない。
ともかく、これからの人生時間の過ごし方は、どこまで時間があるのかも含めて、流れとご縁にお任せするのが良いかな。そういうタイプです、ドクターは。
☆園児たちの一生懸命な生活発表会見てきました。不審者扱いでなく、こんな機会が覗ける役割。大変な面もあるけどやりがいもあるし、時間の使い方で悩まなくてもいいし、有難いことです。

Dr.1543 説得力(2月22日)
いろんな案件の解決は一般的な結論では済まないことがある。一人一人、一つ一つに個別性がある。一般論ではない対応をとらざるを得ないこともある。
こうした場合に周囲に理解を得られるようにするには、理解を得られるような説得力が必要だが、ドクターには説得力がない。自分の説得力の無さは、これまでの幾つかの経験からも明らかだ。
大学時代の空手道部主将としてや高校空手道部顧問として退部したいという部員を説得できたことが無い。相手の意思を尊重すると言えばそうなのだが、論理的に相手を説き伏せる論破力がない。
これは良くも悪くも生き方にも関わることで、ドクターとしては相手の意思を尊重する、世の中には絶対と言うことはないのだから一つの結論にこだわらない、よく言えば融通無碍、悪く言えば信念がないという感じの生き方がある。
説得力の無さを自覚しながら、たんたんと自分が出来る最善をやって行く、それしかできないし、それでいいんじゃないでしょうか。というわけで、自分の無力に打ひしがられながらも、自分の良さも見失わないようにしていきます。
☆40数年前に買ったネクタイを締めて気合を入れて臨んだのですが、説得力なくまだまだ先が見えませんけど、希望は無くさないようにして進んで行きます。人生難題もあるけど、前へ進んで行きましょう。
