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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1737 議論(9月27日)

 いろんな会議に出るが、ほとんど発言のない会議もあれば、いろんな意見が出る会議もある。いろんな意見が出る会議は、議論が激しくなることが多い。その中には、もっと明るく楽しい議論をしようと言う意見もあり、そうあってほしいとは思うがなかなか思うようには行かない。

 意見が一杯出るというのは、思いが高ぶるからで、自然と熱い論争になる。そのしゃべる内容や発言の仕方には個性が出る。自分の知識をとうとうと喋る人、相手を撃破しようとする人、感情的になる人、冷静な人。

 ドクター的には議論は得意ではないが、立場上しゃべらないわけにはいかない場合もあるし、指名されることもある。

 そんな時には、自分の中心となる思いを中心に、できるだけ分かりやすくとは思うが、それこそ個性が出て、明確論理的とはいいがたい始末となる。

 ただ、議論は、お互いの考えを出し合って、より良い方向に歩み寄りながら進んで行こうというものだと思うので、相手を言い負かすことだけを目的としないで、柔軟な心と相手への敬意を忘れないようにはして行きたい。

 ☆この前の村の秋祭りでの行事姿。こういうのは得意なんですけど。

Dr.1736 一人飯(9月26日)

 奥さんがコンサートに出かけたので、夕飯を自分で用意して一人で食べなければならなくなった。といっても、いつもは奥さんの作ってくれたおかずを食べて一人でテレビを見ながら一杯飲むというのが定番なので、自分で夕食を準備しなければならないというところが違っているだけだ。

 かつてと言っても大昔は、と言っても10数年前は、自分で料理もしていた。カレーやだし巻き、焼きそばやみそ汁などを作っていた。自分で言うのも何だが結構いけていた。息子も自分で料理を作るが、かつての父の影響か遺伝か。

 ともかく、ここんとこは全く作っていないので、自分で食事を用意しなければならない時は、

お弁当とお酒のあての購入となる。昨日もスーパーで購入していたら、何人かの知り合いに声をかけてもらった。

 買って帰って、テレビを見ながら一杯飲んで、奥さんが帰るまでに寝てしまった。一杯飲むのは幸せな時間だが、やはり毎回購入してきたおかずというのは飽きが来る。そうせざるを得ない状況の人もいるので勝手なことは言えないが、今のところ奥さんがいて、ご飯を作ってくれて、それを肴に一杯飲んで即寝られる、そういう今の状況に感謝しなければならない。

 何でも失って初めてわかるということが多いが、失わないうちに感度を高くして、自分の恵まれている点に気付いて感謝し、それに報いる貢献をしていかなければならないと思う。問題はその貢献の中身だが、これも気を付けないと、自分では貢献のつもりでも却って迷惑と言うこともある。

 ここはやはり、大きな流れに託して、自然な形でやってくる貢献を出来る範囲でやって行くのが良いように思います。

 ☆改修中の能舞台を見に行って、思わぬ知人に出会いました。やはり世の中の出来事は人知を超えている。人知を超えた大きな存在に託して、生きて行きたいと思います。

Dr.1735 伝統行事(9月25日)

 村の秋祭りがお宮さんで開催された。神事と子ども相撲・神輿、もちまきなどの伝統行事がなされた。

 ドクターは子ども相撲の行事の役をやらせてもらったが、出場する小学生までの子ども力士が減っている。でも今年も年長児から小学6年生まで7人が参加してくれた。半ズボンの上にまわしを撒くのだが、小学生の父親が「昔はこうやってました」と言いながら手伝ってくれた。

 今年参加した小学生も何年か後に親になって参加してくれるかもしれない。神事に参加している村役員たちも、かつては雲の上の人みたいな年長者のおえらさん方だと思っていたが、今では同年齢の者やドクターよりも若い人も参加している。

 ドクターが今回やった行事の役も、これまで村の先輩の皆さんがやられてきたもので、また誰かに引き継いでいかなければならない。

 こうした引継ぎで、村は存続してきたものだと思う。この引継ぎを残すためにも伝統行事は大切で、できるだけ守り続けて行かなければならない。新しい伝統も考えながら、自分の役割を果たしていきたい。

 ☆伝統の子ども相撲行事の役は、村の中でもお調子者の役のような気もします。後継ぎを探していきます。

Dr.1734 慰霊祭(9月24日)

 ドクターが住む地域の戦没者慰霊祭が4年ぶりに開催され参加した。ドクターの祖父が先の大戦で中国戦線で銃弾が胸を貫通し奉天の病院で32歳で戦死している。父が7歳の時で、父は長く地区の遺族会長を務めた。

 もちろん、ドクターは祖父との思い出はないが、家には青年将校軍服姿の祖父の写真が飾ってある。この日の慰霊祭や折々のお墓参りの時に祖父の墓にお参りする時などに祖父のことを考える。

 幼い子供を残して亡くなった祖父や小さい頃から父親がいない家で生きてきた父のことを思うと、今の自分、今の平和がいかに有難いことかが分かる。今の平和、今の生活を当たり前と思わず、感謝して自分の出来る社会貢献はしていかなければならない。大したことはできないが、小さくても自分の役割を果たすためにも、自分の心が安定し、笑顔で元気に生活していかなければならない。

 そのためにも、どう考えて、どう行動するのがいいかを学んで、これが良いなと思うことを見つけたらこのブログなどで自他へ発信しているのだが。

 今の生活を当たり前と思わず、過去の大変な時代や現在でも戦争や紛争中の国や地域があるコトにも思いを馳せ、現在への感謝と自分が出来ることについて考え行動する、これも日々を前向きに生きる上で大切なことだと思う。

 ☆地元お寺で和尚様の御読経を聞きながら平和の大事さについて考えた地域慰霊祭。

Dr.1733 大きな力頼み(9月23日)

 不安にかられた時はどうしていますか。ドクターの場合はこの前お話ししたプラスを見るということとに加えて、神頼みと言うのか自分を支えてくださっている大きな力に頼る(信頼する、お願いする)ということをやっている。

 自分が今ここに生きているというのは、自分の力だけでなく、人知を超えた大きな力と言うのか、さまざまな諸要因(偶然)の組み合わせのお陰と思っている。それは縁起(ご縁)と言っても良く、ドクターのよく使う言葉では、「流れ」ということになる。

 今の自分を生かし、何らかの役割を勤めさせているのは「ご縁」や「流れ」のお陰で、その大きな力の意志で生かされ役割を頂いているのだから、自分が不安で潰れてしまわないようには配慮してくださっているはずだと信じ、「今、不安になってますから、元気が出るようによろしくお願いします」と言うような感じでお願いをする。

 こうしてこれまで生き、生かされてきた。これを「神頼み」「他力本願」「自己努力なし」というような言葉で非難されると困るのだが、言いたい人には言っていただくとして、自分としては「大きな力頼み」をした上で、自分にできる自分が最善と思うことを最大の力で(といっても自分流で)やってきたつもり。こうして不安が多い世の中を生きてきたような気がする。

 誰も内面の不安の克服の仕方など吐露する必要はないが、(自分も含めて)誰かのためになればと思い、敢えてここに記すところです。悩みやすい皆様、ご一緒に少しでも心が楽に元気が出る考え方を探っていきましょう。大丈夫、あなたの生は祝福されています、今まで生かされてきたのだから。

 ☆近くの畔で見たヒガンバナ。今年は背が長いようです。生きてるといろんな年があります。面白いことにも出会えます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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