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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1742 手を切る(10月2日)

 手を切ると言っても、何かを止めるとかいう意味ではなく、本当に手を切った。畑の雑草を鎌で切っていて、勢い余って自分の左手人差し指の先を鎌で切ってしまった。

 切った瞬間頭にひらめいたことは、「痛い」ということと、「この鎌こんなに切れたんや」ということ。雑草を切っていた時には、もっと鎌が切れたらいいのにと思って力いっぱい草を切っていた。

 その後血が治まってから(結構時間がかかるほど切り口は深かった)考えたことは、この世の中で自分に起こることは全て天が与えた試練で、無駄なことはないと思っているので、なぜ手を切る必要があるのかしらんと言うことだった。何を自分に気付かせるために手を切ることになったのだろう。

 その答えはまだよく分からないが、奥様が言った「指落とさないで良かったね」というのが、一つの答えだろうか。あの勢いで鎌をふるって雑草を刈っていたので、指が落ちてもおかしくなかった(そこまでいかなくても、血が止まらず、救急車を呼ぶ事態になっていたことは考えられる)。

今朝見ると、傷口は開いているが、血は止まっているし、腫れも痛みもない。ありがたいことだ。この頃いろんな行事がたてこんで、このブログを読んでくれている人型ネコに心配されるほどだったので、ちょっと立ち止まれ、ゆっくりしろということを知らせる警鐘だったのかもしれない。

 しかし、血が止まった後も、テープぐるぐる巻いて、作業を再開したので、軽傷で警鐘を軽く受け取ったかもしれない。警鐘には気を付けながら、ボチボチ行きますわ。

 ☆いろいろバタバタの一つ、高校のスピーチコンテスト。別に見に来てくれと頼まれたわけではなかったんですけどね。こんなとこにも顔出してるので、余計バタバタになってます。指切り警鐘大事にして行きます。

Dr.1741 アンコンシャスバイアス(10月1日)

 アンコンシャスバイアスというのは無意識の思い込み、偏見ということで、自分では気づかないうちに勝手に思い込んだり、気が付かなかったりすることがあるということだ。昨日の人権研修会で、改めてこのアンコンシャスバイアスに気付くことの大事さに気付かされた。

 講師が例として挙げられたのが、この男性講師は講演依頼などを自分の予定で決めて、後で奥様に伝えることが多かったらしいのだが、ある時「あなたは自分の都合で予定が決められるけど、私は子ども世話や食事の準備などもあって、勝手には決められない。自分の身勝手さに気が付いているの」と言われて初めて自分が恵まれていることに気付いたとおっしゃっていた。

 典型的な差別事象だけでなく、このような一見差別と関係なさそうな日常的なことにも、このアンコンシャスバイアスが関わってくる。当然差別事象にも関わってくる。特に多数派にいると、自分の有利さに気付くことが出来にくいということだ。

 これからも気を付けてこのアンコンシャスバイアスに陥っていないかどうか、絶えず点検していきたい。

 ☆池の点検写真です。これは大丈夫だと思うけど、油断は出来ない。

Dr.1740 たまたまということ(9月30日)

 世の中には、なぜこのタイミングでということが、時々起こる。例えば、ドクターは平日の朝はテレビ漫画の「紙ウサギ ロペ」を見るのを楽しみにしていて、その時間の前にはテレビの前に陣取って、背景の小さな文字も見落とさないようにと身構えている。

 6時53分ごろに番組が始まるのだが、その時間に限って便意が襲ってくることがある。ほんの1~2分の番組なので、それぐらい我慢できるだろうと思われるかもしれないが、それがどうしようもないほど切迫したものである時があるのだ。

 もっと前の便意(例えば5分以上前)なら、トイレを済ませてから落ち着いて観ることが出来るし、番組が終わってからの便意なら、全く問題はない。それが番組が始まる直前(例えば1~2分前)の場合があって、この時には「どうしようかな。何でこのタイミングやねん」とうなってしまうことがある。

 卑近な例で申し訳なかったのだが、こういうことが便意以外でも起こることがある。他の時間(他のタイミング)なら全く問題がないのに、たまたま一番起きてほしくない時間に起こってしまう(遭遇してしまう)ということがあるということだ。

 皆さんにも思い当たるふしがないでしょうか。こんなことは他にも、良い例でも起こって、たまたまこのタイミングだったから良い結果になったということも起こる。本当に世の中不思議なもので、このタイミングの絶妙さを見ても、人知を超えた事象の凄みを痛感するのでした。人間の力や努力は大事ですが、それだけで何でも済むわけではないということです。やっぱり謙虚さが大事ですね。

 ☆昨夜の観月会、たまたま絶好のタイミングで月が会場の上に。有難いたまたまということもありますね。

 

Dr.1739 ハードな一日(9月29日)

 昨日はハードな一日で、昼食を食べる間もなくどころではなく、夕方残っている弁当を見て今日は昼食を食べてなかったんだと気付くほど緊迫した時間が続いた。

 詳しくは略しますが、全ての人が細部まで全部一致するというのはなかなか難しい。時間が掛り過ぎる。

 どこかで誰かが決定していかなければならない。難しくハードな時間だったし、まだ終わっている訳ではないが、できること、(立場上)しなければならないことを、全力で精一杯やらせてもらったし、これからもやっていきたい。

 こんな事案がいくつかある。中にはそれほどヒートアップしないものもあるが、何事にも自分らしく全力であたって行きます。まだも少し元気ですので、ご心配なく。

 ☆満月に近い月が見守ってくれている、そんな感じでした。

 

Dr.1738 先が読めない(9月28日)

 簡単にどちらが良いのか分からない、先が読めない問題にいくつか遭遇している。人生には比較的迷わず決められる問題もあれば、なかなか決断に迷う重い問題に出会うことも間々ある。

 決断には迷っても、放っておくことが出来ない場合も多い。どちらか、あるいはどれかに決めて、進んで行かなければならない。そんな時どう決断するか。

 今学んでいるのは、隠さないで、できる最大の手当をして、決断した方向で進んで行くということだが、それでいいのか正直迷いもある。

 公的な問題の決定では、衆知を集めて(その時点で情報は公開されているとも言える)、上記のような方向で行くしかないと思うが、私的な問題の決定において、後悔するかどうかも含めて流れや大きな意思の方向に従っていきたいと考えている。

 いろんな場面で、自分の意思を超えた大きな力に生かされて今があると思っているので、先が読めない様々な問題も含めて、大きな存在大きな流れにゆだねて行きたい。無責任なようだが、結果は受け入れていく覚悟があれば、それはそれで責任を持って重要な決断をしていると思う(大きな意思に任せるという)。

 まあそんなことで、しんどいこともありますが、勇気を持って進んで行きましょう。それしかないし、それで十分です。

 ☆大規模修理中の能舞台。これも大きな決断ですけど、その方向で進んでいます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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