Dr.1802 簡単ではない(12月7日)
昨日のブログで書いたように、「柔らかい心」「とらわれない心」の大事さをつかんで、しばらくは(午前中は)快調に過ごせたが、午後になっていろいろと難しい案件に出会うとたちまち快調とはいかなくなった。
まだまだ悟りが足りない。修行が足りないと痛感した。一度、悟ったような気になって、快調に行くのだけれど長続きしないというのは、これまでからよくあることだ。だからと言って、悟りと言うのか、楽になる生き方を探らないのも違うと思っている。
課題は、どんな時でも、長く続く、快調な生き方、モノの考え方を身につけることだと思う。修行僧の方でも、長い長い修行がいるように、世間に生きている物として、悟りへの道筋がそんなに簡単でないのは当たり前のことだ。
こえからも、修行(いろんな生き方に触れる、いろんな生き方の本を読む、感じる、体感する、実践する等)を続けて、長続きする、どんな場面でもブレない、本物の悟りと言うのか、心の整え方を身に着けて行きたい。
流れとご縁を大切に、自分の出来ること(やらなければならないこと、やる羽目になったこと)を精一杯に無理せずボチボチやっていくというのは、結構良いと思っているのですが。
☆昨日書いた、豆の雑粒機です。左から豆枝を突っ込みます。硬いと粉々に砕けます。