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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2351 弱音(8月16日)

 昨日はお盆休みの人も多く、正午には戦没者の追悼行事、夕方から夜にかけてはデカンショ祭の行事もあり、バタバタしていたところに、いろいろと気が重くなる情報も入って来て、「これではもうもたない」等と心許せる人に弱音を吐いてしまった。

 「ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりしたら、もう休むしかないな」等とも言っていた。その後、姉妹都市や友好都市の市長や議長、幹部職員のもてなしや、デカンショ本部での盛り上げなどをやったり、いろんな人と話したりすることになった。

 一番嬉しかったのは、最後の学校の卒業生が「校長先生に会えてよかった。あの学校が良かったし、校長先生がドクターで良かった」等と話してくれたこと。そうこうしているうちに、花火の時間になり、一日が弱音の続きを言う間もなく、あっという間に終わることになった。

 何も課題は解決していないが、ともかく落ち込み過ぎないうちに一日を終えることが出来た。今日もどうなるか心配なところもあるが、弱音を吐きながらでも何とか一日を終えたい。

 皆さま、いろいろと思い通りにならないことや心重いことはあると思いますが、何とか弱音を吐きながらでも歩みを止めないで、できることをやりながら進んで行きましょう。

 ☆まだ写真の調子が悪いようで、昨日の写真が出て来ませんので、6年前の昨日です。この頃も同じような、電線にとまるツバメの写真撮ってたみたいですね。人って変わらないってことでしょうか。何とかやりくりしながら、やってきたということでしょうか。

☆今日は時間があるので、ダメもとでもうちょっとパソコンいじくっていると、何とか昨日の写真が出てきました。今日もできることをがんばって行きましょう。ボツボツですけど。

Dr.2350 なんとか(8月15日)

 何とかお盆の行事を終えることができた。いろんな行事ややることを終えるのが何とかっご詠歌も何とかあげれたって感じで、どの本を使ってご詠歌をあげていたのかも不確かになっている。何とか今年のお盆はこれで、ご先祖様に許していただくしかない。

 他のことにしても、余裕でこなすという感じではなく、何とかぎりぎりでって感じ。体力も気力も加齢で衰えて来るからだろうか。何よりも心というのか精神に元気が出ない。辛うじて食べて寝るのは出来ているので、良しとしなければならないのだろう。

 何にしても今日もいろいろあることを、何とかやって行きたいと思います。それをしながら、心の元気を保つ方策も考え試していかなければと思っています。皆様も、いろいろあると思いますが、元気がある方はそれなりに、無い方はない方でそれに応じて、今自分が出来ることを何とかやって行きましょう。そうこうしているうちに、また元気が戻ってくることを期待して。

Dr.2349 誘惑に絶える力(8月14日)

 ドクターにはいろいろ役に立つことを教えてくれる元教え子がいて、今回も昨日の長い間の黒画面の正体やその対処の仕方などを教えてもらった。さらには、生き方についてもいつも参考になる言葉を紹介してくれる。

 今回の言葉は、人が生きて行く上で誘惑や問題には誰も出会うが、それに対応する力や助けもあるので安心して(信頼して)歩んで行けばよいということだった(これで良かったでしょうか)。ドクターもいろいろ誘惑やしんどいことに出会うが、それに対する助けも感じることがある。特に最近はしんどいことに良く出会うように思うが、それに耐える力というのか、助けもあって何とか今日も歩んで行ける。

 先ずは食べて寝て、いろいろやらなければならないこと(今日ならお盆の行事、仕事は又別にありますけど)を何とかやろうとしている。いろいろ支障もあって、完璧には出来てないけど、そこは許していただき、今の自分の状態でできることを精一杯できのは有難い。

 本当に完璧や理想には遠いが、現状でできることはやらせてもらっている。そして、教えてもらったように耐える力や助けの存在も感じる日々だ。自分の今の状態に感謝しながら、できることをボチボチ精一杯自分らしく、自分の良さを活かしながら進んで行きたいと思います。

 そうそう、昨日はドクター仕事場のブログを読んで丹波篠山市に移住を決めたというご家族や、元教え子たちにも会うことが出来ました。励みになります、ありがたいことです。皆様、今日もボチボチ行きましょう。耐える力や助けが与えられていることを有難く感じながら。

Dr.2348 なくなっていたかも(8月13日)

 今日はこのブログ更新画面が出るまで30分かかり、もうあまり時間がない。長い間パソコンの真っ黒画面を見つめながら、このままこのパソコンが起動しなければ、このパソコンに入っているデータがすべてパーだな等と思いながら、長い時間を過ごした。

 このデータの中には、これまでの年度ごとに作った文章や冒険教育のデータ、百姓や家の家系、年中行事など大事なものが入っている。予備のデータをバックアップしていなければならないものを何もしないままぼっーと生きてきた。

 このデータが無くなったらこれまで生きてきた大半のデータがなくなってしまうようなものだ。こんなことは人生にも何度かあるのかしらん。これまでの人生が不意に無くなってしまうような経験。

 はかない人生、一瞬で何もかも無くなってしまうような体験、このあの世とこの世の交換があると言われているお盆に、切ない思いを抱く時間でした。お盆だから余計にそう思うのかもしれませんが。

 はかなく何もかも一瞬で無くなってしまうかもしれない人生。だから、生きているうちは大事にやることを淡々と歩んで行きたいと思います。皆様も、ご自分の人生、ご自分のやる事を今日も大事にやって行ってください。

 ☆写真もたくさん入っているパソコンですけど、今日はそれも上手く開かないので写真無しです。すみません。人生何が起ころか分かりませんね。今日も良い一日を、ボチボチ行きましょう。

Dr.2347 はかない人生(8月12日)

 阪神淡路大震災を経験した在日朝鮮人の家族などが描かれる映画を観た。重いテーマで内容も重く、他にも人生の様々な重さを引きずっている人々が登場した。アル中の人もいれば、精神安定の療法に関するシーンも登場して、本当にすごく人生の重さを痛感する映画だった。

 外見からは一見普通の暮らしをしている人にも、その人が抱える重い課題があって、それとともに生きているのだが、ふとした瞬間に辛さに負けて、のたうちまわる時間を味わう。そこからも抜け出す時もあるが、その重荷とどう向き合うかを考えながら、自分の人生を生きて行く。絶えず、何のために生きているのかを問いかけながら。

 というような感じの本当に重い映画だったが、人生の一端は描いているとも考えられ、そういう人もいる中で、自分はどう生きるのかを問うことにつながる内容だった。そこで余計に、食べて寝て活動することが出来ている普段の生活の有難さを思うことになる。

 逆に言うと、食べて寝て活動できていれば、他に何を望むのだろうというようなことまで考えさせられた。感謝と貢献の気持ちは揺るがないが、最後は日々の生活が送れていることに感謝しながら自分のできること、しなければならないことに精一杯取り組んで行くといういつもの気持ちになった。

 重い課題も抱えながらのはかない人生という思いもわいてきて、それだけに力み過ぎず、たんたんと流れとご縁でやる事になったことをやりながら、自分の人生の時間を過ごして行きたい。

 皆さまも、時に人生を振り帰られると思いますが、考え込み過ぎず、たんたんと今の自分にできることをボツボツやって行くしかないと思います。重いけれどもはかない人生、今の自分に出来ることをやりながら進んで行きましょう。

 ☆よく見る電線にとまる鳥たち。考え込み過ぎずに生きているのが良いと思います。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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