ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.254 野外活動フォーラム(1月21日)

全県野外活動フォーラムに参加した。兵庫県下各地で野外活動に携わっておられる皆さんがキャンプ関係者を中心に集まった。若者の世代が活動に参加しないとかシニア世代が元気だとか、キャンプで婚活だなどが話題に上がった。ドクターは前々からの思いである「学校教育に体験学習の考え方を」「学校の先生に失敗も含めて子どもの自主性・主体性を優先して見守る視点を」ということを訴えた(と自分では思っているが「昼食の味噌汁のお代わりがなかった」という声だけが聞こえたかもしれない)。そこでの収穫としては、「体験をどのように解釈するかと言う力が大事だ」という考え方を得たことだ。同じような(野外)体験をしても、辛いと感じただけで終わってしまう子どももいれば、何とか出来るようになりたいと感じる子どももいる。体験を積み重ねて、体験から自分の人生を豊かにする学びや癒しを惹きだす考え方(心の使い方)を身に着けることが大切だということだ。これは野外活動に限ったことではない、自分の人生で起こる様々な体験(特に辛い体験)に応用できる。早速ドクター自身の思い出しても辛い最近の体験に応用したい。

☆熱心にフォーラムに参加する皆さんとフォーラム中にこんな写真を撮る不謹慎なドクター。でもお陰様で自分の人生を軽くする学びを得ることが出来ました。この学びで辛い体験を乗り越えたい。

 

Dr.253 アドバイス(1月19日)

息子がセンター試験を受けるというので早朝JRの駅まで送っていった。最後にどういうアドバイスを送ろうかといろいろ考えて見た。①試験前はトイレに行っておくように(トイレが近い自分を想定して)、②一つの難問にこだわらず次へ進め、トータルの得点が勝負だ(一発試験には有効なアドバイスだとは思うが最後にかける言葉としては若干受験テクニックに走りすぎているかな)、③緊張するな(こんなんアドバイスになるかいなって感じ)、④人生何とかなる(受験前から得点が取れないのを想定しているようでイマイチ)などだが、どれももう一つのように思われ迷った挙句、最後に車から駅に向かう息子に言ったのは「楽しんで来い」という入試には似合わない言葉だった。息子もキョトンとしていた。どなたか適切なアドバイスの仕方をアドバイス頂けないだろうか。

☆早朝のJR駅と列車をバックに記念撮影する受験生の父。「そんなことしてる場合ではないやろ」というアドバイスが聞こえてくる。

 

Dr.252 本来無一物(1月18日)

「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という禅語は、人間は本来何も持たないで生まれてきて、何も持たずに死んでいくということを言っているらしい。昨日は24年目を迎える阪神淡路大震災のニュースで一杯だった。ドクターもあの震災は神戸で体験し、それ以外にもこれまでの人生で死にそうな目に遭ったことや全財産を失いそうな目にあったことや人生が大きく変わる種々の体験に遭遇し、今こうして今の生活をさせていただいているのは本当にいろんな偶然が働いた紙一重の幸運のお陰だと感謝している。文字通り有り難いことが起こっているという感じだ。たまたま命を含めて今の生活をさせていただいていて、後しばらく(40年ぐらいかな)すれば何も持たないで還っていくのだから、自分の財産や地位を惜しまず自分に出来る恩返しはしていきたいと思う。幸い財産も地位もほとんどないので、ほとんど何も惜しまずに貢献活動ができるのが退職後の利点だ。またこの殊勝な気持ちが揺らぎだしたら、震災の体験や何も持たずに生まれてきて何も持たずに還っていく事実を思い出したい。

☆近所をうろうろしていてたまたま鄙びた温泉を見かけたので入ってみた。ここがいかに鄙びているかはオニの置物や傾いた塔がある庭を見ていただければ一目瞭然だろう。お金(入浴料700円)と時間を惜しまずこの鄙びた温泉につかってボーっとできる有難さを噛みしめながら自分に何の貢献が出来るか考えた。

 

 

Dr.251 あなたはきっと想像以上だ(1月17日)

早いもので、もう娘の中学校のPTA卒業記念号に会長としての原稿を書く時節になり、『あなたはきっと想像以上だ You are fantastic !』というタイトルで、「自分の限界を低く決めつけずどんどんやりたいことに挑戦していってください」というようなことを書いた。挑戦するには自信が必要だが、初めてやる事なのだから根拠のない自信で良いというようなことも書いた。考えて見ると「自分の限界を早くから決めつけずどんどんやりたいことにチャレンジして自分の人生を面白がって上機嫌で生きていこう」という呼びかけは、在職時から『リミッターを外せ』『上機嫌力を磨け』『まだまだいけるぞ』みたいなキャッチコピーで生徒たちに呼びかけて来た。せっかくいいもの(潜在能力・ポテンシャル)をいっぱい持っているのに、偏差値教育の弊害か、日本人特有の謙虚さか、すべてにおいて遠慮がちな子ども達をたくさん見て来たからだ。しかし定年後のこの頃では「がんばらなくていい」「無理するな」「自然体で流れに任せてボチボチ行こう」みたいなことを自他に呼びかけているから不思議だ。未来のある若者に言うことと、老い先短いおっさんに言うことは違っていいとも思うが、自分の言動にこだわらないというのか無節操ないい加減さは一貫している。もしかしたらドクターのいい加減さは自分の想像以上かもしれない。

☆芦屋六麓荘辺りをうろついていると豪邸が多い。この豪邸の主人たちも最初からこんな生活(と言ってもどんな生活か想像でしか分かりませんけど)を想像してたわけでもないでしょうし、ドクターも定年後にこんな(豪邸を見て回って嘆息するような)生活は想像外だった。でもこれも悪くないか。

 

 

Dr.250 おっさんの生態(1月16日)

退職後の観察の結果、定年後のおっさんが昼間に集まる場所は図書館とスポーツセンターであることを突き止めた。さらに最近午前中の喫茶店にも、モーニング目当てのおっさんが多数集まることが判明した。これは特定の喫茶店の話ではなく、モーニングが美味しくリーズナブルな価格のところは例外なく一人または二人のおっさん客で埋まっている。この状態では若者や女性(おばはんを除く。おばはんは適応力が高くどんな場所や状況にも動じない)は入りにくいだろう。よくも近くにこれだけ多数のおっさんがいたかと思うほどの様相で一見の価値はある。集まったおっさんには以下の共通点があることも突き止めた。①スポーツ新聞を好む、②新聞を持って席を立つ人がいる時、知らない人同士でも「これどうぞ」と渡したり、「それおくれ」ともらったりする、③携帯電話の着信音が大きく、「誰か鳴っとんで」と一人の人が大きな声で言うと周りの人がみんな自分のポケットを探るが、大概鳴っているのは最初に大きな声で言った人のやつである(しかもガラケー)、④若い女性ウェイトレスが近くに来たら何やかやと話しかけ、レジで支払いの時には「この時間はおっさんばかりですね。そういう私もそうですけど」と言い「お客さんはまだ若いですよ」と言われてニンマリする(ドクターの場合)等だ。きっと他にもおっさんのたむろする所があるに違いない。これからも研究を続けよう。

☆おっさんがよく集まるタイプの喫茶店。中にはその様子をレポートする困ったおっさんもいる(写真)。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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