Dr.249 流れに任せて生きる(1月15日)
流れに任せて生きるという信条の下に流れに任せて生きているが、この3連休のように何もない定年後生活者にとってもさらに何もない毎日が続くと、さすがにいつもの生活が退屈になってくる。それにいつものようにブログを書いていつものようにトレーニングへ行っていると、いつもと同じことをするのにこだわっている自分に気付く。昨日のトレーニングなんか身体がしんどくやる気もないなか惰性で身体を動かしただけだ。流れに任せてこだわりをもたずしかも毎日をお気楽に生きるというのが理想のはずだったが、最近の日々は結構これに近い感じでいい線言っていたように思っていたが、ここに来て飽き・マンネリ・惰性という天敵がやってきた感じだ。だからと言って波乱万丈な出来事を期待している訳ではないが、定年後生活先駆者としては何とかこの天敵に対処する考え方をつかんで皆様にお伝えしたい。「感謝と貢献」がキーワードであることは方々でもいい、自分でもそう思っているのでこれを頼りにこだわらないで上機嫌に生きる毎日を実践して皆さんのモデルにしてもらえるようになりたい。これがうまく行けば少しは貢献になるかな。
☆天気が良かったので田んぼの畔に他所からとってきた袋に入った土を撒いて畔直しをした。天気や近くにもらっても良い土があるので、ちょっと傷んだ畔を直してちょっとした運動にもなる。流れに任せた上機嫌な生活結構良い線言ってるように思うんですけど。あと一息が難しい。

Dr.248 自分が生まれた時代(1月14日)
成人式の日の新聞社説で、今年成人になる人が生まれた20年前はスマホでなくガラケーが中心であったようなことが書かれていた。年々時代の変化のスピードは速くなり、近未来の世界では人工知能が現在の人間の仕事の大部分にとって代わるとも言われている。ひょんなことから手に入れた、ドクターが生まれた日の新聞(61年前)のコラム記事では「脈動するアジア 救いのない(人口)過剰 対策もまだ見られぬ」と題して、中国やインド、ネパールやビルマ(ママ)では人口過剰が貧困を招いていると論じ、貧困対策に手いっぱいで人口抑制策にまで手が回っていないと嘆いている。人口を増やすのが大きなテーマになっている現在とは隔世の感がある。20年前にしても60年前にしても自分が生まれる時を選べるわけではないが、生まれた時代によって自分の人生は大きく違ってくる。生まれた時代だけでなく、生まれた国や家庭といった自分の力とは関係のない要因が自分の人生を大きく規定する。だとすればここはドクターが言うように身の回りに起こる出来事をすべて自分の努力の結果だと一喜一憂せず、自分に与えられた運命と言う大きな流れに乗って行こう。余計なことを考えず安心して乗っていれば浮き沈みはあってもちゃんと行くべきところへ運んでくれる。どうせなら面白いところまで運んでほしいと願ってしまうところが悟りきっていないドクターの未熟なところだ。
☆ひょんなことから手に入れた自分が生まれた日の新聞を見ながら、人生について悟りと迷いを行き来する中途半端なドクター。

Dr.247 変わらない本質(1月13日)
先日の市内小学校教頭研修会で謝辞を言ってくれたのは、ドクターの高校時代の剣道部1年後輩の先生だった。その先生は「講師(一応ドクターのこと)が言われるように、人間万事「塞翁が馬」なので、出来事に一喜一憂せず自分がやる事になったことを精一杯やって行きたい」と語られた後、「講師は高校時代から今と変わらず頑張りすぎるなと言われていたので、私も無理に昇段試験を受けなかった」というような話をされた。「いやあ、そんなこと言いましたか。いくら何でも運動部やってて頑張らなくてよいはおかしいでしょう」と返したが、どうも自分では覚えていないがそんな昔から「がんばらなくて良い」と言っていたようだ。自分としては紆余曲折の人生経験を経てようやく今の境地「流れに従って生きる。無理をしないで(がんばらないで)、出来ることを出来る範囲でやりながら上機嫌で毎日を生きる」に達したと思っていたが、昔からあんまり無理しない派だったことが判明した。人の根っこ(本質)はあんまり変わらないということか。それなら自分の根っこを冷静に見つめ、それにこれまでの人生でつかんだ生き方のコツ(生きる知恵・人生のヒント)を味付けして、今の自分に一番ピッタリくる生き方を見つければ良い。
☆研修担当の教頭先生が研修会の様子を撮った写真を送ってくださった。一見しただけではこれが何の研修になるのかと思われるかもしれないが、みんなで楽しい時間を共有することの大切さについて改めて教えてもらった会だった。ドクターのいい加減な指示に気持ちよくお付き合いいただいた皆さんに敬意を表するとともに、各教頭先生の個性を活かされ、子ども達のために頑張らないで頑張られることをお願い申し上げます。



Dr.246 楽しかった研修会(1月12日)
久しぶりにSAP活動として市内小学校教頭先生の研修をさせていただいた。テーマは「互いの良さを認め合う人間関係づくり」だ。このテーマは先方が提案されたもので、ドクターは「分かりました。やらせていただきます」と二つ返事で引き受け、実際には教頭先生方にお話ししておいた方が良いだろうと思う「校長試験に受からなくても落ち込まなくてよいという話(実は私も落ちたけど何とかなるし、受かったから幸せ受からなかったら不幸せと言うことではない)」や「思うように人(職員・先生方)が動いてくれない時どうするかという話(もともと他人を自分が思うように動かそうというのは無理があるので諦め、そんなことより自分が活き活きと仕事をしたり子どもと関わったりしているとその姿に感化されて動くかもしれない)」をしたりみんなでワイワイ楽しい時間を共有するアクティビィティ(活動)等を行った。ドクターのやる冒険教育は必ず人間関係やコミュニケーション、仲間を肯定的に見る要素が入っているので、どんなテーマでも何とかなる(と少なくとも本人は思っている)。研修がテーマに沿っていたかどうかはともかく、とても楽しい時間をみなさんと共有できて嬉しかった(と少なくとも本人は思っている)。研修が有意義だったかどうかはともかく(自分の言動で人を動かそうとする、今回なら何か役立つ知見を参加者に与えようという思いは横において)、自分自身がその場を思いっきり楽しむという見本は見せられたのではないだろうか。後は自分勝手に楽しむドクターの姿が参加者の皆さんに感化や触発をあたえられたかどうかが心配なだけだが、「心配してもどうしようもないことは気にしない」というのも元気な管理職の秘訣だということも自他共に伝えたい。
☆これまでやったなかでも最も楽しかった研修。参加者はともかくドクター的には最も盛り上がった。



Dr.245 農家の生き方に学ぶ(1月11日)
先にも書いたが農家の生き方には学ぶ点が多い。ドクターも半農家だがなんちゃって農家のドクターに学べと言うことではもちろんない。学ぶとすれば何事も中途半端では学ぶところがないということか。ともかく農家の生き方の何が良いって、自然の流れに従って生活しているところだ。それは農業自体が自然に大きく左右され、人間の力や計らいを超えた天地自然の流れには逆らえないということを身に染みて知っているからだと思う。いくら人間の力でがんばっても、日照りや日照不足、長雨や水不足、台風や病害虫の発生があれば豊作はない。今頃なら晴れて田んぼが乾いていればトラクターで荒鋤きをし、晴れても田んぼがぬかるんでいれば畔直しなど別の仕事をし、雨や雪が降れば室内の仕事か休み。天候や自然に合わせてその日やることを柔軟に決めていく、いくら緻密な計画を立てても計画通りにいかないことを知っている。敢えて言うなら、計画通り行かないことも織り込んだ大まかな方針で行くということか。細部にこだわりすぎない柔軟な生き方、(自然の)流れに任すと言っても自力努力をしないということではなく、やる時には(やれる日には)日没まででもがんばるが、日没過ぎれば仕事はやめる(できない)。身体を使うことも多いので齢とっても元気だし、共同作業も多いので孤独でもない。こんなに学ぶ所が多い農家でありながら、定年後の安らかな生活が得られないドクターの行く末はどうすればいいのか、農家一本でいくのか、冒険指導家との二足のわらじで行くのか。計画にこだわり過ぎてはいけないということに未だ気が付かないのかと言う農業の神様のお叱りが聞こえる。
☆今日も生き方のヒントを求めて町の書店へ行く。長年「町の本屋」でやってこられた店主方のお人柄からも学ぶ所が多い。


