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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.148 カウントダウン(9月24日)

昨日は慌ててタイトルをつけ忘れた。タイトルをつけ忘れたブログを大慌てで書いた後、地域学校合同運動会の準備で小学校へ行き、副大会長としてそのまま運動会の進行を行い、午後からは運動会を欠席して、村の慰霊祭へ参加(ドクター家は祖父が戦死している遺族)、その後衝動買いしたコンバインが届いたので倉庫に受け入れ、日課のトレセントレーニングをして夜は月1の定例隣保集会参加と、例によってバタバタした1日だった。忙しすぎて「小人閑居して不善をなす」の書を書く間もなかった。小人ドクターとしてはその方が閑居する間がなくて良いか。ともかく昨日一番うれしかったことは、合同運動会で「みんな集まれ」というロープで作った輪の中に3分間で地域の人が何人入れるかという種目の進行をしている時に、「それでは後10秒で3分です。10・9・8・7・6・・・」とカウントダウンしてたら、応援していた小学生が声をそろえて「・・・5・4・3・2・1」と合唱してくれたことだ。それまでの小学校演技に夢中で取り組む姿といい、合同演技で地域の人を応援する姿と言い地域の小学生(後輩)も、前回の中学生に負けず劣らずグッドだ。地域活動の良さを痛感する日が続く。

☆初の開催、地域・学校合同運動会。こんな絵になるシーンが随所に。ドクターが校長なら新聞社に売り込むところだが。

 

☆運動会で自撮りしてたら、地域の人が「撮りましょうか」。地域でもブログのおっさんが浸透してくるか。

 

☆届いたばかりの新車コンバインを試乗。いい感じ。来年が楽しみです。

Dr.147 

また物好きにもドクター米を注文してくれる人が現れた。ありがたいことだが、冒険指導の注文もお願いしたいのだが、こちらの方はさっぱりだ。でも世の中はままならないものだから、自分の思った通りに行かないのは想定済みだ。自分はこうあってほしいと願っていても、世間が求めているのは違う役割かもしれない。ここであまり自分の思いにこだわりすぎると生きにくくなる。今日「小人閑居して不善をなす」という言葉に出会った。小人に閑があるとろくなことをしない(考えない)ので、小人は忙しくしている方が良いということだ。これも言えてるなと、ヒマなドクターは考えるのであった。やはり小人は生きにくい。

☆昔書いた「忙中閑あり」の書、今度は「小人閑居して不善をなす」を書き足さなければならないが、あまり書が多くなるのも大変だ。

☆また頂いた新米注文のため精米に精を出すドクター。これ結構いい仕事です。ありがとうございました。

 

 

Dr.146 時間はあるのにバタバタ(9月21日)

時間はたっぷりあり、ゆったりと過ごせるはずの日にもバタバタ慌ただしくせわしないのがドクターの一日。これは最早物理的な時間の問題ではなく、性格の問題だ。「忙中閑あり」という諺もある通り、いくら忙しくても心の持ち方次第でゆったりと過ごせる。この諺は心の持ち方で主観的な時間の流れ方は違うということを言っているので、いつも急かされている感の人には「閑中忙あり」ということもあり得る、アリエール。どうせなら「忙中閑あり」派で行きたかったが、貧乏性の性格と酉年生まれ(この干支の人はバタバタ鶏のイメージらしい)のため、根っからの「閑中忙あり」派のようだ。それが証拠に30年ほど前に自分で書いた「忙中閑あり」の書が昔の自分の部屋に貼ってある(明日写真あり)。昨日も朝からブログを書いて、パソコンで事務処理をして、菓子パンをあてに1年前にスタバ本店で買ったコーヒーを飲むと田んぼの畔の草刈りに行って、as soon as 戻るや否や最近はまっているスポセントレーニングをして、その足で地域の小学校で運動会の準備、その後も食うわ飲むわ寝るわであっという間に一日が終わった。忙しいけれども、この年齢になると草刈りの途中で軽トラの荷台に腰掛け周囲の自然を眺めながら「せわしいけどこれが自分の人生やな~」と自分の人生を振り返ったり、「変わらんものは仕方ない。これとうまく付き合っていくしかないなあ」という諦念を噛みしめる余裕があったりする。というわけで時間はあるけどバタバタな毎日が今日も続く。まあ悩んでる暇がなくていいか。

☆時間はあるけどバタバタな一日の1コマ。バタバタ草刈り中に閑あり。

 

☆地域・学校合同の運動会準備であいさつする校長先生の裏で写真を撮る変なおっさん。

 

☆多くの地域の方がテント建てをしている中、「私は冒険教育指導で高いとこ得意やからと、器具庫の屋根に上って万国旗を張る役を買って出ながら写真を撮る変なおっさん。

 

Dr.145 パッツパツ(9月21日)

「人生は壮大な時間つぶしである」と言った人がいるが(多分ドクター)、定年後は放っておくと仕事というやりがいもあってお金もらえる「ぴか一」の時間つぶしネタがなくなるので大変だ。そこで皆さん、趣味だの旅行だのやりたかったこと等に取り組まなければならないが、継続的に毎日時間がつぶせるかどうかが大事なポイントになる。「冒険指導」や「百姓仕事」も結構良いネタではあるが、継続的に毎日というわけにもいかない。「食事」や「睡眠」は結構良い線いっているが、それだけではまだ時間がつぶしきれない。その他の時間をどうつぶすかで人生の満足度が違ってくる。つぶし方をどうしようかなどと悩めるだけ幸せだと気付いた人は良いセンスをしているが、良いセンスだけでは十分でない。ドクターの場合はこの幸せをかみしめながら、今のところは「スポセントレーニング」で時間をつぶすのが結構気に入っている。運動中は「ランナーズ(ウォーカーズ)ハイ」を感じられるし、後の食事もビールもおいしくなる。大事なのは「健康のため」とか「スタイル維持のため」とか、運動の目的を他に求めないことだ。他の目的のための運動は苦痛だし、主目的が達成されれば運動が続かなくなる。運動(に時間を費やすこと)だけを目的にやっていると、結果として「時間がつぶれる」「時間つぶしに悩まなくてよい」「健康」「好スタイル」「トレーニング仲間ができる」等のプラス副産物ができる。そこにさらに最近「パッツパツ」という副産物も出てきた。「パッツパツ」というのは胸の筋肉がついてシャツや服がピッチピチになる状態のことだが、どうも最近筋トレが続いたせいか服を着ると胸周りが窮屈に感じる。これまではスポセンではランニングマシンだけだったが、何せこの頃は時間があるのでダンベルやバーベルを持ち上げてしまい、どうも筋肉が増長してしまったらしい。胸の筋肉とお腹のぜい肉は共存しているが、このまま「パッツパツ」が続けば新しくシャツや服を買わなければならなず出費がかさむ。「今更筋肉をつけてどうするねんという」という気持ちと、「下半身は衰えてどんどん走るスピードは遅くなるのに、上半身にはこの年齢でも筋肉がつくんや」という驚きの気持ちが共存する。ともかく何も狙わないで良い時間つぶしを探り当てると面白いことが待っていることが分かったので皆さんに報告します。

☆旅先で運河沿いを走っていると書いたら「小樽ですか」というメールをくれた友人がいたが、ブログに書いたことに直ぐ反応があるのは嬉しい。でも小樽ではありません。

 

☆篠山に帰ってきて直ぐに行ったのも「スポセン」。さて、このパッツパツはどうしようかな。

 

Dr.144 足お悪いですか(9月20日)

自分へのご褒美休みで運河沿いを走っていると、ベンチで休憩されていた地元の方から「足お悪いんですか」と声をかけられた。ドクターの走りがあんまり遅かったのを心配してのことらしい。自分としてはいつも通りのペースで走ってるつもりだが、傍から見ていると足の調子が悪いのでやむを得ずゆっくり歩いているように見えるらしい。「昔はそこそこ速かったんですけどね、今はこのペースが丁度いいんですよ」「私も足が悪いんですよ」とかみ合わないセリフを残したまま、そのおじさんは足を引きずるようにしながら去っていった。このように慣れない土地では慣れない体験をする。この非日常感が旅にはいいのだが、これもしばらくそこにいると慣れてきて、非日常が日常になってくる。こうなってくると目新しさも消えて、いつもの思考が戻ってくる。ドクターの場合は「定年後の毎日をどうお気楽に過ごすか」という命題だが、今回はいつもの生活(ゆっくり走っていても、だれもがいつものことと気に留めないような)の有難さに気づくというヒントを得たが、こうなると一刻も早くいつもの生活(日常)に戻りたくなる。でも、戻ってみると、変化のない毎日に退屈して、また変化を求めたがるのだろう。とかく悩みはつきないが、この程度のことで悩んでいられるということ自体が幸せなのだろう。丹吉師に聞いてみたい。

☆旅先での更新のため写真の添付が心配ですが、うまくいかなければ戻ってから。何とか出来てます?

 

 

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