Dr.90 のど元過ぎれば(7月21日)
最後に勤めた三田西陵高校事務室の歓送迎会があった。馴染みの校務員さんが開口一番「田んぼの水やりは大変ですか」と言われた。これは最近のドクターブログ「水戦争」を見ておられる証だ。聞けば奥様ともども毎日見ていただいているという。ありがたいことだ。こういう方が後100人ぐらい増えないものかしら。それはともかく現役の校長・教頭・事務室の方のお話を聞いていると、いろいろ大変なようだ。そういえば私が現役だった頃も楽しいことは多かったが、たいへんなこともそこそこあった。「のど元過ぎれば何とかを忘れる」(この何とかはホントに忘れてしまった)というが、現役のど元を過ぎてしまったドクターは校長時代の大変だったことを忘れていた。最近は退職後の一人ぼっち感や農作業の大変さ(水戦争など)に心を悩ましていたが、現役時代の苦情(主に職員や近所の方から)や人間関係のトラブル(これも職員間が多い)に比べればまだましだった。人は往々にして今の悩みや不満にばかりに心をとられるが、今の恵まれているところ、幸せなところにも気づく心を持ちたい。ブログアクセス数も「絶こうちょうブログ」と比べると激減だが、それでも毎日100人以上の方が大したことも書いていない「ドクターブログ」を見てくださる。このありがたさにのど元をすぎないうちに気付けて良かった。大切なことに気付かせてくれた最後の(多分)歓送迎会だった。出席者の皆様とそのご関係者の皆様(そしてこのブログを見ていただいている皆様)のご多幸をお祈り申し上げます。
☆西陵高校事務室の歓送迎会にご出席の、よくブログを見てくださっている実直な公務員さんとブログ用写真シャッター係をよくお願いした優しい事務長。
☆久しぶりの大勢の人との会話を喜ぶドクターと朝帰りの車から見た三田市の朝日。
☆かえって早々村のため池の樋を抜く水利係のドクター。のど元の日々に帰ってきた。
Dr.89 どうしたらよいのか分からない問題への対応力(7月20日)
「暑読」していて、「教育の大きな目的の一つは、どう対応したらよいのか分からない問題に適切に対応する力をつけることにある」という文章に出会った。そのためには教師や親やいろんな大人の言うことに矛盾があった方がいいという。その方が子供が自分でいったいどれが正しいのだろうかと考え出すからいいのだそうだ。この考え方には一理ある。入試などではつべこべいわずに先生の言う正解を一つでも多く覚えていった方が有利かもしれないが、実際の社会で生きていくには「これまで習ったことのないような問題」「いろんな人の言うことが違っていたり、いろんな答えがある問題に自分の解を見つけなければならない問題」などが山積しているから、こうした問題に出会ったときに対処する能力を磨いておくことは生きる力そのものだ。現役時代の学校や家庭生活では、「先生方の言うことが違っていてはいけない(学校の統一方針に従って全職員が一致して動かなければならない)」や「母親と父親の言うことが違っていては子どもが言うことを聞かない(だから、あなたは私と違うことを言ってはいけないとよく妻から注意された)」と随分言われたが、各自が思い思いのことを言ったりしたりする方が良かったのだ。この文章に出会って少しは自信を回復したが、これまで出会ったこともなくどう対処したらよいのか分からない問題「定年後の人生をどう充実させるか」が今の自分を苦しめている。こんなことなら若いうちにもっと「どうしたらよいのか分からない問題への対応力」を磨いておくのだった。
☆もうすぐ巣立ちを迎える我が家の子ツバメと子育て必死の親ツバメ。この子ツバメ達にも、「どうしたらよいのか分からない事態に対応する力」を身に着けてほしいが、そもそもツバメ達は「そんな力があったらよかったのに」などと悩まないか。
Dr.88 水戦争(7月19日)
酷暑が続く中、田んぼや畑の水不足が深刻になってきた。おまけに一部の地域では先の豪雨で川の本流から農業用水路に水を誘導する堰(通称フーセンダム:意味不明)が流され、ポンプアップしないと水が流れない事態になっている。ポンプアップ時間も限られ、水量も十分ではない。通常は早いもの順なので、ドクターは朝4時にポンプ小屋の電源スイッチを入れに行った。一番は一番だったが、この時点では水路に水がなく、家でモタモタしている間に、順番は後回しになった。その日の午後になってようやく順番が回ってきて何とかドクター田にも水は入ったが、まだまだ水の必要な田んぼは多い。他の水系の田んぼでは、上流優先となってしまっていて、上の田んぼの人が用水路をせき止め自分の田に水を入れだしたら、その人の田んぼが終わって堰を外してくれないと下流には順番が回ってこない。水の勢いが十分にある時には(そういう時には水争いにならない)、すぐに田んぼに水が入り順番もすぐ回ってくるが、近ごろのように源流の川自体に水が少ないと、流れる水もちょろちょろでなかなか順番が回ってこない。それでも待つしかないが、最近の日照りでは水の無い田のひび割れもひどく、稲が枯れてしまわないかと気が気でない。昔は水をめぐって武力衝突まで起こったらしい。ところで、この水争いにも人柄が出る。一滴たりとも漏らさず水をせき止める人もあれば、下流の人のことも考えて少しは水を流してくれる人もいる。誰しもまず自分の(田の)ことを考えるが、自分だけが良ければ良いという考え方では近所付き合いがしにくい。こういう切羽詰まった時こそ人柄が出る。この機会に自分の度量を育てたい。
☆昨日の「涼耕熱読」ではないが、日中クーラーの効いた部屋で本を読み、夕方まだ暑い中、畑に出るドクター。何をしてても熱いが、心は冷静にユーモアーと気配りを忘れず行こう。
☆「水戦争」の様相も帯びてきた最近の水不足でひび割れする田んぼ。
☆下流にも流す思いやりのある堰き止め方をする人もあり、その人の人間性も出る水の当て方。ドクターの止め方は雑で水が漏れる。意図的ではないところに限界はあるがアバウトな性格は自分も周りも生きやすい。農業的には大成しないとは思われるが、まあいいか。
Dr.87 涼耕暑読(7月18日)
定年後は「晴耕雨読」な生活を理想としているが、こう晴天が続くと「雨読」が恋しい。先日のような豪雨が続くと晴れの日を待ち望んだりしたから勝手なものだが、こう豪晴が続くとホントに雨(できれば適度な)が欲しい。まあ天候も人生と同じように思うようにならないので、ここはジタバタせず天の天候に従うしかないか。長らく水をもらっていない水稲ががんばってくれることを祈りながら、こちらは先日ベテラン工務店主に付けていただいたクーラーの力を借りて、酷暑中は冷房の効いた部屋で読書、夕方になって少し暑さがましになったら田んぼ(草刈り)や畑(黒豆の土寄せ)仕事をする「涼耕暑読」の生活をするようにしている。文明の利器クーラーがあればこそ可能なライフスタイルなので、とても自然に従った生活とは言えないが、中途半端はドクターの得意とするところなので、当面はこの「涼耕暑読」で無理をしないように行きたい。この無理をしないのも得意とするところだから。
☆先日炎天下でやった酷暑HAP。HAPは予約制なので天候がどうであろうとその日にやらなければならないが(警報・雷注意報などを除く)、できれば「晴(天)HAP雨(天酷暑)昼寝」みたいな感じでいきたいものです。
Dr.86 先生はなくとも子は育つ(7月17日)
かつて勤めていた篠山東雲高校の元生徒と、これまた東雲高校の元生徒が勤める居酒屋で飲んだ。勿論彼は二十を超えている。現在は篠山市内で手広くアルバイト数人を使いながら農業を営んでいる(アルバイトからは社長と呼ばれているらしいが、その呼ばれ方は嫌だと言っていた)が、現役時分は暴れん坊だった。彼はもともと農業の力はあったが、なんせ暴れん坊だったので、集団の中で我慢の力や自制心を身に着けてほしいと、何とか学校を続けてほしいと思っていた。こちらが転勤してからはほとんどあっていなかったが、久しぶりに会ってみると、すごく成長していた。商売をやっていく中で、ほとんどカッカすることはなくなり、人に頭を下げることも覚えたという。若い人を使うようになって、どうしたら人にやる気を出してもらえるかに心を割いているという。見違えるような成長だ。これこそ彼が在学中に教えたかったことだ。「親は無くとも子は育つ」という言葉があるが、まさに「先生はなくとも子(生徒)は育つ」という思いだ。そりゃここまで成長するには、いろんな苦労や多くの人のお陰があったと思うが、本人の根っからの性格の良さも幸いして、頼もしい好青年になっていた。その店で働くもう一人の元生徒とも話したが、彼も一人前の社会人へと成長している。こんな様子を見ると、先生の役割って何だ、いなくても生徒がが育つなら先生なんていらないんじゃないかとも思ったりしたが、何人かの先生とは今もあっているという。生徒が成長してからも会ったり、思い出したりしてもらえる先生がいるということは、その子の人生にその先生が(そしてその先生の言動が)生きているということだ。そんな先生がいるなら、やはり教師はやりがいがある。やっていて良かった。
☆久しぶりの元生徒との出会い。「先生はなくとも子は育つ」が、時々会いに着たり連絡をくれたりする「生徒がいるから先生は育つ」。
☆ドクター家のツバメは「親がいるから子が育つ」だ。