Dr.138 1等賞(9月14日)
先日JAへ出荷した新米の検査結果通知が来た。今年のドクターが作ったお米の審査結果は何と「1等」だった。「何とか2等には入りますように」と神に祈ったあのお米が、祈りを超えて「1等」になったのだ。親父が亡くなり自分でお米を作るようになってからの等級は、初年度が「1等」(これは親父が土づくりをしてくれていたお陰)、その次の年から順に「2等」「3等」と来て去年が「2等」(一部「選外」)で、今年「1等」になったのだ。自分で土づくりからやって「1等」だったのは今年が初めてということだ。初めての米作りの「1等賞」と言ってもいい。「嬉しい」「でもなぜあの米で1等なの」「今年は全員1等なんとちゃうの」「これで1等がでるんやったら、来年からもいけるぞ」「この頃定年後の一人生活にも慣れて来たな」「今年の気の合う仲間とやる黒豆パーティーはいつにしようか」「ブログで触れると喜ぶ人(親友のT教頭とかA高校生のU君とか)と嫌がる人(S高校のB教頭とか)がいるな」「冒険指導はヒマやけど地域の役員は忙しいな」とか何とかいろいろな思いが頭の中を駆け巡った。米作りの1等(賞)と言っても、これまでのドクターの人生で1等賞をとったことってあったけと考えて愕然とした、1等や最優秀賞をとった記憶が全くないのだ。教員採用試験模試は全国2位やったし、国体の空手競技はベスト8やったし、全県校長人気投票1位は架空やし(とか何とか言いながら自慢してる?)。でも、1等賞はなくても十分生きていけるし、「1等賞は獲るより目指すもの」とある人が言ってたし(丹吉師曰く)、何より今年のお米の1等は単にお米の等級であって、ドクターの米作りが市内「1等賞」であったわけではないのだ。これからは「お気楽な生き方」の1等賞を目指してがんばろう。でも待てよ、「お気楽な生き方」に他人と競う発想は要らないか。
☆今年のお米の検査結果「1等」に喜ぶドクター。「1等」かどうかは別にして、低農薬無化学肥料神頼み適当耕作のドクター米はおいしいよ。みなさん一度食べてみてくださいね。
Dr.137 先生も素敵(9月13日)
久しぶりに嬉野台生涯教育センターで冒険指導を行った。対象は高校1年生だが、生徒も素直で素敵だったが、引率の先生方もみなさん熱心で冒険教育やよりよい指導に対して関心が高い素敵な方々だった。指導の合間や休憩時間、終了後などに多くの先生方とおしゃべりをした。ドクターが冒険指導でやりたいことの一番は先生方に従来の教え込む教育だけでなく、教えないで生徒の気付きを待つ教育のすばらしさを知ってもらうことだ。そのため普段から引率の先生方とはできるだけおしゃべりをしたり、活動の様子をみてもらったり、時には生徒と一緒に参加してもらったり、写真を撮ってもらったりしている。中にはいつもの学校と同じ調子で課題に取り組んでいる子ども達に指示を出したり、盛り上がるところだけ見て後は無関心だったりする残念な先生もいるが、今回の先生方はどなたも熱心ですばらしい関わり方をなされた。ドクターとのやりとりはこんな感じだ。「あの子はすぐやりたがるけど、あまり周りのことを考えてませんね」「いつもそうです」、「あの子はグループを引っ張る力があるのだから、もっと自信をもってやればいいですのにね」「私たちもそれを期待しています」、「あの三人は結構グループ全体のことを考えていますよ」「学校では見ない姿で、彼らの意外な一面が知れて良かったです」みたいな。中には「教員向けの冒険講座ってありますか」と、冒険教育に関心を持たれた先生もおられた。ドクターが特にすごいと思った先生は、自ら志願して生徒たちに身を任せてタイヤをくぐった先生だ(写真参照)。こんな先生はこれまで見たことがない。良かったことも多かったが、残念なのはドクター丹後の体力の衰えを実感したことだ。ドクター班だけ20分ほど早く終わってしまった。体力の衰えか、いつも以上に生徒や先生としゃべりすぎたせいかはさだかでないけれど。
☆久しぶりの嬉野台で、いつものような冒険活動の指導が始まったが、
今回の生徒たちは素晴らしかったが引率の先生方も素晴らしかった。最後の写真のような感じで生徒たちに身体を支えてもらってタイヤをくぐった先生もいた。こんな先生はこれまで見たことがない。
Dr.136 定年後のコツ(9月11日)
定年後の充実した生活を模索しているが、昨日は比較的良い感じの過ごし方が出来た。ここにきてようやく定年後のコツをつかみかけたような気がする。気がするだけなので、まだ大きなことは言えないが、確信が持てるまで待っていれば何時の事になるか分からないし、忘れてしまいそうなので、とりあえず昨日つかんだコツを紹介しておきたい。コツ①仕事を持つ(定年までよく働いたので定年後はゆっくりしたいと思っている人も、「何もしない生活」は1週間ほどで飽きてくるらしい。フルタイムか週3日程度かは好みによるが、何らかの仕事を持った方が人との関りも持てて良いようである。しかし、このコツは65歳とか70歳くらいまでは行けても、その後は通用しなくなるようにも思う)、コツ②健康を維持する(これが大切なことについては説明の必要もないと思うが、普通にしていると加齢とともに問題が生じてくるものなので、その覚悟「どこか悪い所が出てきて当たり前」と手当「コレステロールや血圧が高ければ運動をして痩せる、歯がガタついてくればインプラントで補強するする等)が必要。決していつまでも完全な健康体にこだわってはいけない。無理なことにこだわるとストレスになる)、コツ③自己(自分の人生)を肯定する(「なんやかやと言ってもよくここまでやってきたやないか」「今こうして生かされているだけでも大したものだ」とか何とか自分に甘く肯定する。決して自分で自分に厳しくしてはならない)、コツ④時間的余裕を楽しむ(コツ①と矛盾するようでもあるが、そこそこの時間的余裕ならば、それを楽しみゆったり過ごすことも可能なはずだ)等だ。昨日は朝から息子の送迎(塾のある日は学校への送りと学校から塾への送りはドクターの役割)と無理のない仕事、退職先輩校長や母とのおしゃべり(この会話の中からコツをつかんだ)、読書、スポセン、サウナ、飲酒などで過ごしたが、最近には珍しく結構よかった。この調子で行きたい。
☆昨日久しぶりに訪れた退職時勤務校で馴染みの生徒達(3年生)と。昨日調子が良かったのは結局この子たちと出会えたからかもしれない。やっぱりドクターブログには生徒が似合う。
Dr.135 神のご加護(9月11日)
公教育の現場にいる時には、あまり大きな声では言えなかったが、神を信じるというのは大きな力になる。何教の神でも、仏でも、宇宙の意志でも良いが、人間の力を超えたものの存在を認め、人間(自分)の力の限界を知り謙虚さを失わず、生かされていることに感謝しながら生きるという姿勢が大事だと思うのだ。昨日も新米をJAの倉庫に運ぶときに雨がピリピリ(篠山地域の方言。雨がパラパラ降る意)してきて、ドクターは神に祈った。「どうか倉庫に運び入れるまで本降りになりませんように」と。祈りが通じたのか、何とか小雨のうちにJA倉庫に運び込むことができ、これでようやく今年の米作りはすべて終わった。神のご加護を実感した瞬間だった。今後は供出した新米が「2等になりますように」(ドクター流成り行き任せの米作りでは1等を望むことは気が引ける)と祈らせていただく。神頼みだけの生き方でいいのかと言う批判はあろうが、何も人の努力を否定している訳ではない。神のご加護を信じ心安らかに自分の生かされている範囲で精一杯はやるというスタンス(生き方)がいいようにおもうだけだ。ただし、神のご加護を受けるに値するだけの善行(ホントは善行かどうかは分からなくても自分が頼まれたことややる羽目になったことを誠実にやるということで良い)を積んだり、自己中や卑怯な振る舞いはしないように気を配っておかなければならない。こんな感じでやってます。
☆小雨の止むのを神に祈って「新米の供出」を何とか終えることができました。そして今日も又ドクターの神頼み人生が続きます。
Dr.134 ヤッター後もやもや(9月10日)
最近はよく警報で学校が休みになる。朝、警報が出ているのを知って「ヤッター」と思う人は多いと思う。どんなに学校好きな人でも一瞬はそんな気持ちになるのではないだろうか。先週土曜日の某私立中学校の冒険指導も警報のため中止となった。そんなことがあるとは夢にも思わず、朝早く家を出て学校に向かう車の中で中止の知らせを聞いて思わず「ヤッター」と叫んだ。冒険指導は好きでやっているくせに、それが中止になって喜ぶのはおかしいと思われるだろうが、この時はホントに心から嬉しかった。この冒険講座は10回シリーズで、同じ中学生20名ほどを相手に90分授業を10回おこなわなければならないというハードルの高いもので、毎回新しいネタを用意しなければならないこともあって、子どもたちは素直で可愛いのだが、指導者としては指導日が近づいてくると頭が痛くなるほどストレスがたまるものだ。だからそれが一回減ったのが嬉しさにつながったのかもしれない。指導者は岡山や大阪など遠くから集まってきているので朝7時の時点で中止と言われても、来るのを中止することはできない。この日も全員が集まり、対象学年の学年団の先生方とのミーティングをして解散した。その帰り道で気付いたのだが、いつもの満足感がない。いつもは無い知恵を絞りだして精一杯の指導をして帰路に就くときには、それなりの満足感と言うのかある種の達成感があるのだが、今回はそれがない。そういえば、達成感なり満足感は、ある種のがんばりとかハードルを越える努力の後に感じるものだ。気がかりだった指導が警報で流れた「嬉しさ」とハードルを越えなかった「達成感の無さ」とが、心の中で葛藤して「もやもや」の状態になったのだ。では「もやもや」が嫌だから、警報は出なかった方が良かったかと言うと、単純にはそうともい思えない。そこが優柔不断人間ドクターの性(さが)だ。性(さが)はどうしようもないので、「どうしようもないものには逆らわない」という、お気楽人生の教訓に従って、今回も単純に「ヤッター後もやもや」を経験したというにとどめたい。ところで最近結構「お気楽人生」への教訓と言うのかヒントが溜まってきた、本にでもまとめたい。
☆雨の合間を縫って、魚肉ソーセージ(母のお勧めです)を食べながら草刈りをした。雨が上がっていれば外で作業をし、雨が降っていれば屋内で作業をする。「自然の流れに従って生きる」、また教訓集のネタが一つ増えた。