Dr.158 ドクターで良かった(10月4日)
小学生の冒険指導をしたが、彼らの性格が良かったのか、こちらが年齢をとって孫を可愛がる心境になったのか、ともかくとても可愛い連中だった。最後の振り返りでは、「仲間を信じることの大切さがわかりました」「みんなが応援してくれるから挑戦できたと思います」「みんなで解決に向けて意見を出し合うことが大事だと思いました」「楽しかった」等という感想の後に、いつもおちょけていた子がもう一ついいですかと言って「ドクターで良かった」と言ったのを皮切りに、「ドクターで良かった」という声が相次いだ。その場の雰囲気もあったと思うが、子ども達からこんなに「あなたで良かった」コールをもらったことはなく、思わず眼がしらが熱くなった。すかさず子どもたちから、「ここで泣かんかい」というツッコミも入ったが、ホントに面白くって楽しい連中だった。中には、ドクターの年齢を「60位でしょう」とか、体重は「80キロくらいでしょう」とか鋭い観察眼を持った子もいて、子どもはまだまだ未成熟のところもあるけどあなどってはいけないということを再認識させられた。「子どもから学ぶ」という、ドクターが教師になろうと思った原点を思い出させてくれた。教師生活を終えた今、どれだけ学べたかと言えば心もとないが、いくつも思い出す顔とエピソードがある。それらは間違いなく今の自分の血肉となっている。教師を辞めた今も冒険教育などで子どもと関われる幸せを噛みしめながら、ふとこんな心境は人生の終わりに感じるものではないのかしらんと思った。本当に人生の終わりが近いのかもしれない。気を付けよう。
☆天候に恵まれた嬉野台生涯教育センターでの冒険活動の様子。
☆個性満開の生き生き子どもたちでした。子どもたちが大きくなる過程で、いつかまたこの日のことを思い出してくれたら嬉しい。これってやっぱり終わりが近い人の心境か。
Dr.157 種を播く(10月3日)
大学院時代の先生に押していただいた「来る者は拒まず去る者は追う」という方針を、現役時代高校現場では大切にしていた。まだ成長途上の高校生に一時の決断で学校を去らせてはいけないという思いだ。引き止め引き留め、やるだけのことはすべてやった上で学校を去った生徒はいたが、それでも悔いは残る。それとは少し違うが、定年後の生活では「来るモノは拒まずやってみる」という方針で、できるだけいろんなご提案を引き受けようとしている。その一つが先日あった「高校生地元就職応援委員会」だが、そこには企業関係者や学校関係者等が集まり、如何にして地元の若者に地元企業に就職してもらえるかを議論している。委員の皆さんはみんな熱心で、委員長として司会をしながらそれぞれの意見に感心したり、疑問に思ったことは聞いてみたりして、なかなか充実した時間を過ごさせてもらっている。委員会を運営する事務局の方は大変だと思うが、委員長ドクターは「いろんな意見が出ますので、もうまとめることはあきらめましたから、さらにどんどん思いついたことを発言してください」と宣言して早々に議長の役割を放棄しながら議論を楽しんだ。困った委員長だ。その中である委員から出た「種を播く」という言葉が気に入っている。いろんな施策がすぐに成果(地元就職)に結びつかなくても、市の魅力や市内企業の情報などの種を播いておけば、いつか芽が出る(地元就職に結びつく)という考え方だ。世間は早急な成果を求めがちだが、長い目で見て種を播いておくことが大事ではないだろうか。今回ノーベル賞を重唱された先生もそのようなことを言っておられたし、ドクターもそう言っておられる。全然レベルが違いますけど。
☆いろんな意見が出た委員会。種を播くことの大切さを学んだ。
☆嬉野台生涯教育センターで冒険指導しながら、子ども達に将来の人生に役立つ種を播いた。つもりですけど、逆にドクターの心に種を播かれたかもしれません。
Dr.156 意味が分からない(10月2日)
昨日、町で後ろ向きに歩いて帰る小学生を見かけた。車が通る通りからは一本奥まった道路だから、交通安全的には絶対危ないということでもないが、後ろ向きに歩いている意味は分からない。多分、いつも前向いて歩いているのに飽きたのかもしれないし、好奇心かもしれないし特に意味はないのかもしれない。意味が分からないということで言えば、この頃毎日行くスポーツセンターのベンチに座って一人でしゃべっているおっさんも見かけた(同じような傾向はあるがドクターではない)。口の中でブツブツつぶやくというような程度は超えて、身振り手振りも交えてはっきりとしゃべっている。「誰と話しておられるのですか」と聞こうとして思いとどまった。「けったいなおじさんをそっとしておくことができない変なおっさん」の絵が目に浮かんだからだ。しかし、考えようによっては、この小学生やけったいなおっさんの行為は評価できるのではないか。世の中、意味を求めすぎているのではないか。何の意味もないけど「やりたいからやる」「やりたいという明確な意思もないけど自然とやっている」ということがあって良い。これが完成すれば悩みから解放される。一風変わった小学生とおっさんを見て思いついたことを書いてみたが、この文章にも特に意味はない。
☆特に意味はないけど撮ってみただけの写真。意味を書こうと思えば書けるが、無くても生きていける。
Dr.155 どこを走っても(10月1日)
これまでの人生で、旅行や交流や仕事の合間などにいろんなところで走ってきた。遠くはハワイやアメリカやオーストラリア、近くは猪名川道の駅やJR相野駅周辺など、滞在先や車で走っていて走りやすそうなところなどを見つけると走ってきた(ドクターカーには常時着替えとランニングシューズが積んである)。先日もかつての同僚の皆さんと宿泊宴会をした翌朝、近くの公園を早朝ランニングした。どこを走っても景色はもちろん違うが、走っている間の爽快感や、走り終えた後の「これでおいしいビールが飲める感」は変わらない。これらのために走ってきたと言えるし、大げさに言えば「これらのために走るために生きてきた」とも言える。大げさで良ければ、「ブログを書くために生きてる」とも、「おいしいコーヒーと一緒に菓子パンを食べるために生きてる」や「スポセンでトレーニングした後のビールのために生きてる」などいくつでも挙げられる。ビールと菓子パンがメインなことでもわかるようにどれもあんまり高尚でないが、「高尚な人生の目的がなければ生きていけないということはないことを実証するために生きてる」とも言える。理屈はともかく、今日もどこでもランニングやトレーニングなど好きなことをしながら平凡な楽しさを味わって生きたい。
☆心置きなく話せる旧知の同僚と楽しい時間を過ごした後のどこでもランニングは格別だ。
☆久しぶりに妻と行った10割蕎麦のお店でビールと冷酒を楽しむという小市民的幸せを味わうドクター。これはめったにない極上の幸せでした。妻には大きな声で話すな、何でも写真に撮るなと叱られたけど。
Dr.154 やる気(9月30日)
毎日をやることで埋める一環として、丹波地域ビジョン委員会グループつなぐが主催する「金山(きんざん)イベント」に参加した。金山は篠山市と丹波市の境鐘ケ坂にあって、山頂には1578年に明智光秀によって築かれた城跡がある。今回は金山登山と鐘ケ坂にある明治と昭和のトンネル(普段は閉鎖、現在は平成のトンネルが両市をつなぐ)を歩いて渡るという計画で、両市をつなぐのと過去と現在をつなぐのを意図したものだと勝手に解釈した。ドクターは明智光秀がとり上げられる2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の篠山市の誘致委員会委員長になってしまった手前やむを得ず参加したが、先着50人で締め切られた参加者は何の義理もないのに参加した「やる気」(歴史や登山が好きという)にあふれる人たちだ。だから当日はすごい雨だったが多くの人がそれにもかかわらず参加した。なんせ主催が自らの意志でビジョン委員会に参加した「やる気」のある人たちなので、普通なら中止するであろう天気なのに実施された。さすがに金山登山は中止され、ドクターなどはホッとしたのだが、住職講演やふるさとガイドの解説、トンネル散策等は実施された。知り合いのグループ長にお聞きすると、ビジョン委員会グループの集まりは「やる気」がある人ばかりなので面白いそうだ。やる羽目になったことをたんたんとやっていくのが人生だと受け身的な人生訓をモットーとしているドクターとは対極にインターネットる「やる気」の人たちだが、世の中にはこんなに大勢いることがわかって良かった。受け身でもやる気でも自分にあったやり方でいいと思うが、要は自分の毎日、一生を快適に生きていくことだ。
☆金山ゆかりのお寺のご住職の講義をお聞きしてから、トンネル探索の旅へ。
☆雨の中、説明を聞いたり、山道を登ったり、トンネルに入ったり、参加者も主催者も「やる気」のある人たちはすごい。
☆「やる気」の人たちに紛れて、「受け身」のドクターも行動した。やる気であろうと受け身であろうと同じようなことができる。時と場合と内容によっては同じ人が両者を行き来する。帰ってすぐにブログを更新したドクターも、ブログに関しては「やる気」派か。