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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.264 カメラをなくすな(2月3日)

愛用のカメラを無くして数日が立つ。ほとんどブログ用写真を撮るために使っていた。ブログを始めて6~7年立つので6~7年間カメラをズボンの右ポケットに入れて暮らしていたことになる。カメラは何代目かになるが大体同じような大きさで、右ポケットは常にカメラで膨らんでいた。それがここ数日はスマホとハンカチだけでスリムな感じだ。カメラ無しで生活していると、「あっこのシーンを撮っておきたい」と思うことが日に何度かあるが、カメラがないことを思い出してスルーしている。ところがそのカメラが南淡路警察にあることが分かった。方々心当たりのところに電話していて行き当たったのだ。在処が分かったのは嬉しいが、それからが大変だった。ドクターは簡単に警察の係の方に「着払いで送ってください」と言ったが、そのカメラが自分のものであることを証明しなければ送れないとおっしゃる。もっともなことなのだが、機種や形態を聞かれても「すぐ取り出せるように紐がついてます」と答えるのが精いっぱいで色もメーカーもはっきりとは思い出せない。そこで写っていそうな写真を説明した。「おっさんが親指立ててにやけているやつ」「子どもが大勢で小さなところに乗ろうとしているのをにやけたおっさんが見ているやつ」「空飛ぶチキンを持った女の子とおっさんがにやけているやつ」「そしてそのにやけたおっさんが私です」みたいな。この説明が良かったのかどうなのかとりあえず着払いで送っていただけるようだ。良かった。こうして不調とプチ幸せな日々が続く。
 ☆こんな感じでカメラを持ったにやけたおっさんがいっぱい写っているカメラをなくしました。 

Dr.263 それだけのことで(2月2日)

こちらは特に何といって面白いことがあるわけでない日が続いているのに、SNSや書籍などちまたには調子の良い言質があふれている。曰く「毎日を楽しめ」「元気よく生きよ」「上手く行っている人の話や活動の例」「引きこもらないで人の中へ出よう」などだ。この前までドクターも元気の良い人たちの仲間だったのを顧みずいうと、このような元気を出せ呼びかけは現に元気の出るネタがない人には何の効果もないだけでなく余計落ち込みに追い打ちをかける。その点ドクター家の昨日など危なかった。息子が大学の出願をするというので一緒に書類を揃えていたら、センター試験成績請求書類なるものがないのに気付いた。家じゅうあちこち探してみたが見つからない。大学に問い合わせてみたら、その請求書類が貼ってない申込は受け付けないという。センター試験センターにも問い合わせると再発行できることはできるが日にちがかかるという。出願締め切りには間に合わない。ほんの数センチ四方の小さな紙がみつからないそれだけのことで本年度の入試を棒に振るのだ。きちんと保管していないのが悪いのだが、それにしてもこれで一生の方向が違ってしまうのかと思うと親子とも落ち込んでしまった。もう諦めるしかないと思っていたところに奇跡的に書類が見つかり何とか出願できたが、人生はそれだけのことで大きく変わる。一寸先は何があるか分からない。上手く行かないことだらけだが、書類が見つかった時には何とも言えず嬉しかった。親子ともども手を取り合って喜び合った。人生何が喜びにつながるか分からない。ともかく生きてみよう。
 ☆カメラがない不調が続くので以前撮った塀の前の鳥。何が面白いのか分からないが元気にしている。 

Dr.262 絶好調でない時(2月1日)

冷たい雪が降っている。今日の予定は気乗りのしない会合とぱっとしない仕事だけ。無くしたカメラも戻ってこず、携帯で撮った写真をパソコンに送ろうとするがうまく行かない。あこがれの冒険指導者に会いたいとコンタクトを取ったが予定が合わず難しそう。こんな中でも体調は良く食べ過ぎで太り気味。不調だ。ドクター現役時代は「絶こうちょう」と言われ(正確には自称した)、定年後も「上機嫌」のお気楽な生活を謳歌しているように思われがちだが、実際には今日のように「絶好調でない時」もしばしばある。考えて見ると誰の人生もうまくいく時ばかりではない。うまく行かない時に、他の人の調子のよい話ばかり聞かされても余計に元気がなくなる。こういう時には不調の人の話が慰めになる。「下を向いて生きよう」という本さへ出ている。「下を向いて生きよう」とは校長講話や若者には不向きだが、人生の悲哀を感じることの多い中高年には必要な時もある。そんなことでドクターブログのテーマは「定年後の生き方」と「不調な時の生き方」にしたい。これなら今実際に経験していることをそのまま書けばいい。ただ心配はそんなテーマのブログを読んでくれる人がいるかどうかだが、不調な時にはいろんなことが気になるものだ。ここは勇気をもって評判を気にせずドクターの不調な日々を綴っていきたい。
 ☆ともかくしばらく写真がないのでこれまでに撮りためた中から使わなかったしょうもないもので勘弁してください。しょうもない文章にはお似合いかもしれませんけど。(この自虐的な言い方が不調な人の特徴だ)。というわけで、第一弾は中途半端な雪景色と無理に元気を出そうとするおっさんです。

Dr.261 忘れ物(1月31日)

忘れ物がどんどん得意になってきた。鍵や眼鏡や財布など忘れて困るものはほとんど忘れた経験がある。この頃では忘れたことさへ忘れている。日々の生活の手順さへ忘れて、これは今までやったことがないなあと思うことがある。例えば、朝ドクターはお湯を沸かすと、コーヒーカップとコーヒータッパ(これは冷めてから冷蔵して翌朝飲む)両方にコーヒーを入れるが、一方を忘れ冷やしたコーヒーがなかったりするので今日は奮発してドリップで行くかなどとなる。今回これにさらにブログ用のカメラが加わった。淡路島のサービスエリアでタイマーをかけて自撮りした覚えはあるのでそこで忘れたのかもしれない。後でサービスエリアに電話してみようと思って忘れている。これだけ忘れ物が増えると不安にもなるが、嫌なことも忘れるのと忘れたためにこれまでやったことのないこと(と思っているだけかもしれないが)が出来るのが新鮮だ。この忘れ物増加現象のように加齢とともに訪れる変化とうまくつきあいながら、日々を元気よく過ごしたい。
 ☆愛用カメラが忘れ物になったので今回は以前参加したワークショップの写真を昨日送っていただいたものを使わせていただきます。女性と仲良く手をつなぐ幸せな体験をしたのに、この写真を見るまでこの滅多にない幸せな体験も忘れ物リストに入ってしまっていた。こんなことがあると忘れ物も困りものだ。カメラはいいんかい。










忘れ物は得意になってきた。鍵や眼鏡や財布など忘れて困るものはほとんど一回は忘れた経験がある。この頃では忘れたことさへ忘れ出した。日々の生活の手順さへ忘れてこれは今までやったことがないなあと思うことがある。

Dr.260 習慣(1月29日)

誰にも習慣はあると思うが、ドクターの場合は早朝ランニング(もはやウォーキングと言った方が良いスピード)、早朝菓子パン(朝新聞を読みながらコーヒーと菓子パン)、読書と思索(考えすぎるのは良くないと思索する場合もある)、トレーニングセンター通い(退職後はほぼ毎日)、スピードラーニング(全巻終了してこの頃では最終巻ばかりを聞いている。日本語のストーリーはほぼ理解した)、飲酒などだ。習慣の中には良い習慣、悪い習慣があると思うが、良い悪いは一概には言えないことが判明した。最近瓶詰の麦焼酎を良く飲み、酒屋さんに空き瓶を持って行って「この頃焼酎を飲むのが癖になってきました」と言うと、酒屋のおっさんは「良い習慣やね」とおっしゃった。酒を毎日飲むのが良い習慣と言われるとは思いもよらなかったが、酒屋のおっさんにとっては客が毎日酒を飲むのは良い習慣なのだ。このように良い悪いは簡単には決められない。ドクターブログも習慣に近いが、これを続けることが良いか悪いかは簡単には決められない。ドクターにとっては自分の考えをまとめる良い習慣だが、ひょっとしたら読者にとっては毎日の貴重な時間を浪費させている悪習慣かもしれないからだ。

 ☆ともかく酒屋のおっさんから勧められた瓶入り(実際にはプラスチック瓶)麦焼酎とこれを毎日飲むのは良い習慣と言われて気を良くして毎日飲むドクター。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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