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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.113 夜の気がかり(8月17日)

気がりがあって夜中に目が覚めることがまれにある。かつての気がかりは、生徒のことだったり、職員の事だったり、保護者の事だったりだったが、定年退職してからはこれらのことは関係ないので何も気がかりなことはないはずなのだが。昨夜途中で目が覚めて眠れなかった気がかりは、先だっての豪雨で壊れたままになっている橋の修理のことだった。橋と言っても、我が家の作業小屋の前を流れる川を渡るだけの小さな橋だ。去年コンクリートで新築したその橋自体は無事だったが、その周りの土の部分が増水で洗い流されて壊れているのだ。隣の人に教えてもらったセメント技術で自力で補修しようか、前に作ってもらった業者に依頼しようか迷っていたのだが、やはり餅は餅屋ということで、無理はしないで業者に頼もうと決めてからは落ち着いていられたのだが、昨日その業者の連絡先が分からないことが判明し、そこから俄然自分で直さなければならないと思い込んだようだ。「ようだ」というのは、自分のことなのに変だと思われるかもしれないが、昼間は他にすることもあってそんなに気にしていなかったのに、無意識化では気になっていたのか、夜中のトイレ起き後に急にその気がかりが去来して離れなくなったのだ。もっと大きな悩みを抱えている人や現役時代の自分の悩みとも比べても屁でもないような悩みなのに、気がかりとしては一丁前に自分を眠らせてくれない。悩みの大小は客観的な基準では決められないというのか、決めたとしても自分にとっては今の自分の気がかりがやはり大きな悩みになることが分かった。このことに気づいてからは、これを明日のブログ(今のこれです)に書こうと思って、今度は内容を忘れないかが気になって眠れなくなった。といってもその内寝てしまいましたけど。

☆昨夜のドクターの夜の気がかり「橋の修理」の橋です。ブルーシートをかけているところが壊れたところです。こんな気がかりでも夜寝られなくなるのだから、大きな気がかりの人はホントに大変でしょうね。全ての人の快眠をお祈り申し上げます。ドクターの「夜寝られない」は昼寝と寝る時間の早さ(20時頃)のせいかもしれませんけど。

 

Dr.112 風に乗る(8月16日)

久しぶりに風に乗って飛んでいるワシを見た。風に乗って生きるのを信条とするドクターとしては、理想の生き物だ。常々あのように生きたいと思うあこがれの存在だ。でも今朝はよく観察していると、ワシも結構バタバタしているのが分かった。羽を大きく広げて悠然と飛んでいる時もあるが、今回見たやつは、それ以上にバタバタと羽ばたきしてる場面が多かった。風に乗るポイントまで上がろうとしてるのかもしれないが、バタバタ中は結構大変そうだった。これを見てしまうと、あの優雅に大空を舞っているように見えていた図も、あれだけがんばって、ちょっとの間だけ休んでいるように見えるから不思議だ。優雅な飛行時間が、次のバタバタのためのつかの間の休息に見えてしまうのだ。バタバタ羽ばたきも、スイスイ風に乗った舞も、どちらもがワシの人生だろう。ドクターのお気楽な毎日の裏にもバタバタ忙しい日常がある。それでも昨夜は子供二人がそれぞれ友達とデカンショ祭りに行ったので、久しぶりにというのかほとんど結婚以来初かもしれないぶりに、妻と二人で近所にできていた地ビールを製造販売しているおしゃれな店のカウンター席に腰かけ、地ビール4種類とフィッシアンドチップスなどを頂いた。優雅な風に乗ったひと時だった。そしてまたバタバタのもがく日常が始まっている。

☆風に乗って舞うワシと旗。風がある時は優雅に見えるが、風が吹かない時間もある。

 

☆風に乗ってやってきた優雅な時間。デカンショ祭りの花火。

 

☆風がないのに無理にはためかせようとするドクター。ここはやっぱり無理はしないで、次の風に乗ろう。

Dr.111 丹吉師現る(8月15日) 

お盆だからか、終戦記念日だからか分からないが、久しぶりに稀代の聖人丹吉師が現れた。丹吉師はドクターの師匠だが、普段はどこにいるか分からない。気が向いた時にやってきて、思いつくままに振る舞い、またどこかへ去っていく。丹吉師は各自がバラバラの我が家を見て、「人生、人間そんなものだ。悲観してはならない」と誰に言うともなくつぶやかれた。「なかなか自分の人格が向上しないで情けないと思っています」というドクターの思いつめた訴えにも、「それで」と一言おっしゃったきり遠くを見つめてしばらく微笑みをたたえて黙っておられたが、その内、お盆の「おはぎ」が残っているのを見つけられると、黙々と美味しそうに食べられ、食べつくすとどこかへ消えてしまわれた。丹吉師が食べ散らかされた後を片付けながら、ドクターはなんだそういうことかとちょっと吹っ切れたような感じがした。結局は、悩んでも仕方のないことは悩まず、今自分のしなければならないこと、する羽目になったことをするしかないかと、直近の自分のしなければならないことである書き物を仕上げるために机に向かった。

☆丹吉師はドクター家のご先祖ではないので祭壇を拝んでも現れるわけではない。いつなとやってきて、勝手に振る舞って、またどこかへ去っていかれる。昨日まで写真の添付に苦労していたが、おかげで今日はものすごくスムーズになった。ただ写真の添付はしばらくは無理だろうと油断していたので、今回は同じような(全く同じではありませんよ)写真で失礼します。

Dr.110 お盆に思う(8月14日)

今年もお盆がやってきた。お盆は先祖の霊を迎え、先祖や自分や家のことを考えるのにいい時期だ。我が家も庭の植木を雑に刈り込み、お盆を迎える準備をした。主人の雑な手際とは別に、庭のあちこちに勝手に生えたユリたちが先祖を迎えてくれてる感じだ。ところで、今朝、我が家の箸入れザル(箸やスプーンやフォークが詰め込んであるザル)から、自分の箸を出そうとしたら、奥の方に行ってしまっていて、なかなか見つからなかった。一晩外泊して箸を使わなかったからだ。食事をした後、洗って水を切った箸が上から入れられるザル容器には、しばらく使われない箸やスプーンなどは下の方へ行く宿命になる。やはり毎日使わないモノは見つかりにくくなるものだということに改めて気づいた。先祖もあまり思い出さないことが続くと、意識の下に沈んで見つかりにくくなる。お盆は、下に沈んだ先祖を意識の上に持ってくる好機だ。せめてお盆の間はしっかり意識の上に置いておくようにしたい。そして、自分の存在も無くなってしまえば、やがて我が家の箸のように、日々使われるもののの奥に隠れていくのだろう。寂しいような気もするが、それでいいとも思う。お盆に箸ザルを見ながら思った。

☆お盆の用意を整えたドクター家の座敷。

 

☆先祖を迎えるために咲いてくれているような庭の野生えユリ。

Dr.109 120歳まで生きる友人

40年来の友人と居酒屋で旧交を温めた。積もった話やとりとめのない話をしながら楽しい時間を過ごしたが、その友人が「自分は120歳まで生きるつもりだ」と言う。「人間の寿命はそんなにないぜ」というドクターに対して友人は、「今はなくても、時代が進めば生きられるはずだ」という。どうも本気でそう考えているようだ。そして65歳か70歳くらいまで働き、80歳から念願だったペルーへ移住して、インカだったかナスカだったかネアカだったか忘れたが、その古代文明の研究をするという。「ペルーは行ったことがないから、あんたが移住するんやったら、その間に一回は旅行で立ち寄らせてもらうわ」と話が弾み、「でも、どうせ移住するんやったら、まだ体の動く70歳からの方がいいんとちゃうの」と言うと、70歳から80歳までは日本で移住や研究のための準備をする期間に充てるという。結構具体的に計画しているようだ。人生の山は過ぎたので、後は余生をどうお気楽に無難に過ごすかということしか考えていなかったドクターにとっては衝撃だった。同じ年齢の人が、人生まだまだこれからと考えているのだ。そういえば、先だって小学校の同級生の還暦同窓会をやったが、その時の同い年の参加者もこれからコンビニのオーナーを始めるとか言っていた。これらの還暦過ぎても意気軒高な人たちには刺激を受けるが、だから自分も壮大な夢に向かって歩んで行きたいと思っても、その夢がない。無理して、大してしたくもない夢を追い求めるのも無理がある。第一、つけ焼きの夢では原動力にならない。ここはやはり従来通り、「ドクターのお気楽な毎日」の実現に向かってぼちぼち生きてゆこう。でも待てよ、ひょっとしたら「日々お気楽道」「日々上機嫌道」の完成こそ、ペルー移住やコンビニオーナーにも劣らない大きな夢かもしれない。

☆120歳まで生きるという壮大な夢を持つ友人とお気楽道完成の夢を持つドクター。お互いの夢に乾杯。

☆11年ぶりの小学校クラス会。6年間一緒の仲間36人中12人の同級生と90歳の先生が参加した。90歳先生のお元気な姿こそ、ドクターのめざす夢の姿かもしれない。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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