Dr.247 変わらない本質(1月13日)
先日の市内小学校教頭研修会で謝辞を言ってくれたのは、ドクターの高校時代の剣道部1年後輩の先生だった。その先生は「講師(一応ドクターのこと)が言われるように、人間万事「塞翁が馬」なので、出来事に一喜一憂せず自分がやる事になったことを精一杯やって行きたい」と語られた後、「講師は高校時代から今と変わらず頑張りすぎるなと言われていたので、私も無理に昇段試験を受けなかった」というような話をされた。「いやあ、そんなこと言いましたか。いくら何でも運動部やってて頑張らなくてよいはおかしいでしょう」と返したが、どうも自分では覚えていないがそんな昔から「がんばらなくて良い」と言っていたようだ。自分としては紆余曲折の人生経験を経てようやく今の境地「流れに従って生きる。無理をしないで(がんばらないで)、出来ることを出来る範囲でやりながら上機嫌で毎日を生きる」に達したと思っていたが、昔からあんまり無理しない派だったことが判明した。人の根っこ(本質)はあんまり変わらないということか。それなら自分の根っこを冷静に見つめ、それにこれまでの人生でつかんだ生き方のコツ(生きる知恵・人生のヒント)を味付けして、今の自分に一番ピッタリくる生き方を見つければ良い。
☆研修担当の教頭先生が研修会の様子を撮った写真を送ってくださった。一見しただけではこれが何の研修になるのかと思われるかもしれないが、みんなで楽しい時間を共有することの大切さについて改めて教えてもらった会だった。ドクターのいい加減な指示に気持ちよくお付き合いいただいた皆さんに敬意を表するとともに、各教頭先生の個性を活かされ、子ども達のために頑張らないで頑張られることをお願い申し上げます。
Dr.246 楽しかった研修会(1月12日)
久しぶりにSAP活動として市内小学校教頭先生の研修をさせていただいた。テーマは「互いの良さを認め合う人間関係づくり」だ。このテーマは先方が提案されたもので、ドクターは「分かりました。やらせていただきます」と二つ返事で引き受け、実際には教頭先生方にお話ししておいた方が良いだろうと思う「校長試験に受からなくても落ち込まなくてよいという話(実は私も落ちたけど何とかなるし、受かったから幸せ受からなかったら不幸せと言うことではない)」や「思うように人(職員・先生方)が動いてくれない時どうするかという話(もともと他人を自分が思うように動かそうというのは無理があるので諦め、そんなことより自分が活き活きと仕事をしたり子どもと関わったりしているとその姿に感化されて動くかもしれない)」をしたりみんなでワイワイ楽しい時間を共有するアクティビィティ(活動)等を行った。ドクターのやる冒険教育は必ず人間関係やコミュニケーション、仲間を肯定的に見る要素が入っているので、どんなテーマでも何とかなる(と少なくとも本人は思っている)。研修がテーマに沿っていたかどうかはともかく、とても楽しい時間をみなさんと共有できて嬉しかった(と少なくとも本人は思っている)。研修が有意義だったかどうかはともかく(自分の言動で人を動かそうとする、今回なら何か役立つ知見を参加者に与えようという思いは横において)、自分自身がその場を思いっきり楽しむという見本は見せられたのではないだろうか。後は自分勝手に楽しむドクターの姿が参加者の皆さんに感化や触発をあたえられたかどうかが心配なだけだが、「心配してもどうしようもないことは気にしない」というのも元気な管理職の秘訣だということも自他共に伝えたい。
☆これまでやったなかでも最も楽しかった研修。参加者はともかくドクター的には最も盛り上がった。
Dr.245 農家の生き方に学ぶ(1月11日)
先にも書いたが農家の生き方には学ぶ点が多い。ドクターも半農家だがなんちゃって農家のドクターに学べと言うことではもちろんない。学ぶとすれば何事も中途半端では学ぶところがないということか。ともかく農家の生き方の何が良いって、自然の流れに従って生活しているところだ。それは農業自体が自然に大きく左右され、人間の力や計らいを超えた天地自然の流れには逆らえないということを身に染みて知っているからだと思う。いくら人間の力でがんばっても、日照りや日照不足、長雨や水不足、台風や病害虫の発生があれば豊作はない。今頃なら晴れて田んぼが乾いていればトラクターで荒鋤きをし、晴れても田んぼがぬかるんでいれば畔直しなど別の仕事をし、雨や雪が降れば室内の仕事か休み。天候や自然に合わせてその日やることを柔軟に決めていく、いくら緻密な計画を立てても計画通りにいかないことを知っている。敢えて言うなら、計画通り行かないことも織り込んだ大まかな方針で行くということか。細部にこだわりすぎない柔軟な生き方、(自然の)流れに任すと言っても自力努力をしないということではなく、やる時には(やれる日には)日没まででもがんばるが、日没過ぎれば仕事はやめる(できない)。身体を使うことも多いので齢とっても元気だし、共同作業も多いので孤独でもない。こんなに学ぶ所が多い農家でありながら、定年後の安らかな生活が得られないドクターの行く末はどうすればいいのか、農家一本でいくのか、冒険指導家との二足のわらじで行くのか。計画にこだわり過ぎてはいけないということに未だ気が付かないのかと言う農業の神様のお叱りが聞こえる。
☆今日も生き方のヒントを求めて町の書店へ行く。長年「町の本屋」でやってこられた店主方のお人柄からも学ぶ所が多い。
Dr.244 雪景色(1月10日)
日課の早朝ランニング(出会った人からは「今日も歩いてはりましたね」と言われるが)開始時に降り始めた雪が返ってくる頃には積雪数センチになっていた。あっという間に雪景色が広がり、いつもとは別世界のようになった。雪景色は美しい。なぜ美しいのかを考えて見ると①汚いものやややこしいものが全て雪で覆い隠されるから、②年に何回かで滅多にないから(毎日雪景色だとうんざりするかもしれない)、③仕事に行かなくてもよいから(冬用タイヤがあっても油断できないので出来るだけ外出はしない方が良い。定年後ドクターとしては必ずこの日に行かなければならないところがあるわけではないが、雪で誰も外出していないと安心する)等が考えられる。この雪景色が美しい理由を雪がない時にも応用して、①普段からややこしいものやごちゃごちゃしたものは減らしたり捨てたりする、②滅多にないことを大事にする(よく考えて見ると毎日毎日がいろんなご縁により成り立っており、1日たりとも同じ日はないので毎日を大事にする)、③冒険教育の仕事がないことにおいては自信があるので、これについては心配いらない。後はバリバリ活躍している様子を毎日のようにフェイスブックで発信してくる冒険仲間を気にしないことと、無仕事の状態に慣れるだけだ。その点、冬には特に農業仕事は無いけど穏やかに過ごされているご近所農家の暮らしぶりは参考になる。こんなことを考えながら雪景色を眺めていると、午後には雪が溶けだし地(元の姿)が見えてきた。せっかくつかみかけた清く美しい悟りも溶けだし、またフェイスブックの記事が気になってきた。
☆昨日の雪の降り始めから降り終わりまでの雪景色。冬景色の消滅と共に淡い悟りも消えかけている。
Dr.243 先生臭(1月9日)
毎日のようにトレーニングセンターへ行っていると、さすがに顔見知りの人も出来、少しづつ話をする人や時間が増えてきた。特に市内の民間ジムが閉鎖されてからこちらのトレセンへ移ってきた人たちには話好きが多い感じだ。以前からのトレセン人間には黙々と自分の運動だけをする人が多く長年顔を合わせているのに会釈もしないという人が多かった。ドクターも以前からトレセン派だが、最近やってきた派の人とも話をするタイプだ。タイプにこだわらないタイプかもしれない。ともかく最近やってきた派のうちの一人、3つ年上の工務店主おっさんと話をしてお互いの素性(住んでるところや仕事・年齢など、特に年齢情報は「その年齢ならあの人しっとてけ」と話が盛り上がるので重要だ)などを交換した後で、おっさんが「そうけ、やっぱり学校の先生やっとったったんけ。最初から先生やないかとおもっとったわ」と方言丸出しで言われた。「えっ先生臭出てましたか。先生臭出ないように気を付けてたんですけどね」とドクター。『先生臭』とは、①偉そう、②固くて融通が利かなそう、③世間知らず(学校と言う独特の価値基準で生きてい)そう、④背広に運動靴で必ずカバンを持ってそうな一般的には悪いイメージだ。「学校にも世間の風を(学校の常識は世間の非常識を無くしたい)」と考えていたドクターとしては、先ず自分から先生臭を消したいと思ってやってきたが、長年の教員生活で知らず知らずのうちに染まってしまったらしい。「先生臭が出ていたとはショックですわ。偉そうにしてましたか」と尋ねると、饒舌な工務店主おっさんは「いいや、そういうわけではないんやけど」と言葉を濁ごされたが、偉そうにしていたに違いない。冒険教育家という訳の分からない仕事で偉くもなんともないのに偉そう臭が出てたとはお笑いだ。ここは一つ消臭剤を持ち運ぼう。
☆地域の公民館に「NHK大河ドラマ決定」垂れ幕を知り合いの工務店主(饒舌おっさんではない)がつけてくれたというので見に行ってトレセン知り合い饒舌おっさんに出会ったのだが、その後公民館長に電話で「ちゃんと(垂れ幕を)つけてくれていたので、ちゃんと支払いしてあげてくださいよ」と連絡したが、やっぱり偉そうな先生臭出てます?