Dr.2276 久しぶりに元気です(5月23日)
何日ぶりか分からないけど、久しぶりに特に不安を感じない夕方の時間を過ごすことが出来た。心配の種はわんさか渦巻いているのに、ぽっかり穴が開いて穏やかな時間に浸れたッて感じ。
時間に余裕を持って夕食を食べ、調子のよい時の時間に眠れ、睡眠時間も7時間ほどとれた。何でこんなゆとりのある時間がやって来てくれたのか分からないけど、ありがたいことだ。また、この時間がいつまで続くのかなという不安な気持ちがやってきそうだが、考えて良くないこと(元気を無くすようなこと)は考えず、流れとご縁に任せて「なるようになる」という開き直った気持ちを持って、今日も過ごしていきたい。
昨日ちょっと皆さんの前でお話しする機会があって、その時に「人生は大半(8割程度)は偶発性からできている。偶発性を活かすには、柔軟性と楽観性、冒険心などが有効」みたいな話をさせてもらった。人前で話すことは、このブログと一緒で自分に返ってくる。
そんなこともあって、人生の行く末にあんまりこだわらずお気楽な気持ちで前へ進んで行こうという気持ちを自分に言い聞かせたのかもしれない。ともかく、昨日の夕方からの幸せな気分をもう少し続けて行けたらと思う。
☆通りがかりに見つけた、ちょっと奇麗な景色です。こんなの撮る余裕もありました、昨日は。今日もどうなるかは分かりませんが、「なるようになる」「なるようにしかならない」という開き直りの気持ちで、ボチボチ行きたいと思います。皆様も、穏やかな日が過ごせますように。あんまり油断し過ぎても危ないですけどね。

Dr.2275 食べれてはいるけれど(5月22日)
「よく食べよく眠り心配し過ぎない」が健康の秘訣というのはよくわかる。心は何となく超元気ではないけれど、食べる方は何とかではなくよく食べれている。食べ過ぎで太り過ぎを心配しなければならないほどだ。ストレスによる過食というのもあるけど、そんな感じではなく美味しく落ち着いて頂けている。
睡眠の方は、即寝はできているが、夜の会議もあって、睡眠時間は短い。これも体調今一つの原因かとは思うが、最低限の睡眠は確保できている。心の健康も大事で、何事もいくら考えてもどうしようもないことも多いので、考え過ぎず、流れとご縁を信頼して対処して行けば大丈夫なはずだが、これは理論通りには行かない。考えすぎ、心配し過ぎはよくないと分かっていても、気になることがあるとそれに心をとられ、何か気持ちが晴れやかではない。
このあたりは、性格によるところも大きいと思うのだが、性格には変わらない部分(気質)もあるので、これもどうしようもないか。生まれ持った自分の性格とは、上手く付き合っていくしかない。ドクター気質との付き合い方で、自分なりにたどり着いたのが「流れとご縁を信頼して任せる」(任せたら後は心配し過ぎない)という考え方だったはずだが、こちらは時々何回もチェックしないと、また悩みや不安がやってくることになる。
このブログも自分の迷いや弱気にも言い聞かせるためにも書いているが(もちろん、同じような悩みを持つ皆さんの少しばかりでも助けになればという気持ちもあります)、まあ同じような内容であると言うことは、大して心の状態も進化していないと言うことでしょうか。
進化してもしなくても、自分とは最後まで付き合っていかなければならないので、今日も何か生き方のヒント探って行きましょう。超元気でなくても、そこそこ陽気な毎日、目指すことは忘れませんよね。皆様、ボチボチ参りましょう。

Dr.2274 当たり前に感謝(5月21日)
今朝シャワーを浴びていて耳に水が入ってしまった。綿棒やら耳かきで掻きだそうとしたけど、出たのか出ていないのかよく分からない状態で、耳の中が痛くなってきたので中断した。その後、外を歩いていて、片足で跳んだら耳に刺激が行って、中の水が出て来た感じ。多分これで大丈夫かな。
この間30分ほど、耳が鳴って聞こえづらい感じが続いた。耳が聞こえる、人の声やテレビの音が聞こえるというのを当たり前と思っていたのだが、実はこれもとても恵まれた有難いことだというのが分かった。こんなことは日常生活に幾らでもあるのではないかと思う。
さらに、昨日は昼間ある小学校の校長先生が「元気出してくださいよ。しっかり食べて眠れていたら大丈夫ですよ」とわざわざ部屋まで励ましにやってきてくれた。これは、そんなにあることではなく、当たり前とは思わないけど、これまでも何回かはあるので、そのうちの一回と捉えていたところもあったかもしれないが、この何気ない日常に感謝の気付きから言うと、こんな励まし方をしてもらえるなんて誰にでもあることではなく、大変ありがたいことだと言うことに改めて気付いた。
このように、何気ない日常生活、時々ある嬉しいこと等の有難さの価値を再認識(しっかりとその有難さを味わう)し、感謝を忘れないようにして、それに報いるためにも自分にできる精一杯の貢献をしていかなければならないと、改めて気付きました。
☆見慣れたこの季節の緑ですけど、元気にこの緑が眺められている現状の有難さをしっかりと心に刻んで行きたいと思います。このブログ書きも、パソコンの調子やカメラを忘れないなど様々な好条件がそろったからこそできるということに改めて感謝し、それに報いるためにも内容を充実したものにしていかなければならない(という気持ちはありますけど、実力的に難しい所もあります)。


Dr.2273 なかなか大変です(5月20日)
出張からは帰って来ているんですが、朝の農作業やパソコンの不調やら何やかやとあって、久しぶりの更新となってしまいました。
今回もアップにまでこぎつけられるか心配ですが、いろいろあるのが人生もブログ更新も一緒なので、精一杯できるところまではがんばって行きたいと思います。今回お伝えできればお伝えしたいことは、いつものスポセントレーニングでいつもよく挨拶を返してくれる若者が、気持ちよく挨拶してくれたことです。
やっぱり若者はいいですね。そのさわやかな笑顔を見ているだけでこちらも元気がもらえます。「また身体が大きくなったね。こちらは小さくなるばかりだけど」と言ったら笑ってくれました。どの若者ともこのような気持ちよいコミュニケーションがとれるわけではないですが、やっぱり相性もあるので、でも、できるだけ多くの人と笑顔のコミュニケーションを交わして、元気で陽気なバタバタ人生を行けるところまで行きたいと思います。
☆今朝もバタバタでカメラ忘れて、6年前のですけど、やっぱこの季節は緑が奇麗ですね。変わるものと変わらないところがある人生、ボツボツ元気出して行きましょう。

Dr.2272 帰ってきました(5月17日)
3日間の出張を経て帰ってきました。丹波篠山市へ帰ってきたと言うよりは、この世に帰って来たという感じ。というのも、関東にいた時には、ほとんど知っている人はいなくて、電話やメールもほとんどかかってこなかったので、まるでこの世から自分の存在が消えてしまった感じがしていたからだ。
亡くなってあの世に行くってこんな感じかなと思いながら、寂しいけれどある種の別世界を体験していたという感じ。昨夜から地元に帰って来て、普段顔を合わせる人と、普通に話をしたりコミュニケーションをとったりしたのだが、それがこれまでは当たり前と思っていたのだが、しばらくそれがない世界を体験すると、この世にいていろんな人とやりとりするのが生きているってことで、誰も自分を知らない世界で、誰ともコミュニケーションをとらないで過ごすというのはこの世の自分の存在が亡くなったっていう感じであることが分かった。
いずれは本当にこの世からいなくなるのだが、自分がいなくなってもこの世は回っているっているということが体感できた。寂しいことではあるが、それほどの大事でもなく、世の中は自分がいなくなっても普通に回っていくということだ。
だからといってすねるわけではなく、肩の力を抜いて、自分が生かされている間、たんたんと自分の役割を果たし、それが終わればすっと別の異世界へ逝く(今回の関東出張のように)。人生をそんなに大そうに考えなくてよいということだ。今回の出張、いろんなことを考えましたが、力を入れずに日々を生きる、そんな貴重な体験にもなったと思います。ありがとうございました。
☆出張中でもホテルのテレビでやっぱりロペ見てました。あの世に行っても見るのかな。この世にいてもいなくても、肩に力を入れすぎず、たんたんと行きましょう。何事も大きなようにも見えますが、そうでもないとも言えます。自分の存在が消えても世の中回ってましたから。



