Dr.392 至福のとき(7月11日)
最近は冒険指導(そう多くはないですけど)に百姓にその他の仕事や頼まれた役職の会合などでバタバタしていたが、昨日隙をついて自分のしたいことをした。自分の好きなことをしている時って「至福のとき」だ。決して私服を着た朱鷺(トキ)ではない。具体的にはお気に入りの車でドライブし、木陰でクーラー効かせて仮眠し、サウナに入っただけだが、今のドクターが割と手に入れやすい「至福のとき」だ。過去にはもう少し大きな至福のとき(海外旅行など)もあったが、人生という列車の通過駅ごとに風景は変わり至福のときも変わる。決して過去と比べても仕方ないし、至福の大小を比べてもせん無いことだ。その時々の至福を楽しめばいい。他人と比べても仕方がないことも含めて「至福のとき」は人生の生き方(意味)と似ている。毎日だと至福のときが普通になり至福を感じにくくなる。時々で良いのだが、あんまり間が空いても生きる元気が枯渇してしまう。丁度良いタイミングで、その時の状況にあった「至福のとき」を味わいたいが、そううまくは行かないか。ともかく皆さんも自分の「至福のとき」を持って大事にしてください。ドクターの今回の「至福のとき」は、サウナはその施設の入浴スタンプが溜まって無料で入れたので至福度が倍加し、サウナ帰宅後は雨降り前に黒豆土寄せのために田んぼに行くなどバタバタの合間のつかの間というちゃちなものでしたが、それでも至福は至福、いい時間でした。
☆ドライブ中眠くなったので、こんな景色の木陰で10数分仮眠したけど至福のときでした。入眠する時も多分こんな感じなのかな。


Dr.391 甘やかされて育てられました?(7月10日)
最近一緒にお仕事をさせてもらってる方から「丹後さん、甘やかされて育てられました」と聞かれた。ドクターの生まれた家は小さな百姓だがおばあちゃん、ひいばあちゃんがいて田舎の長男だからみんなに可愛がられ大事にされて育った。間違いなく甘々に育てられた。でも還暦過ぎのおっさんでも小さい頃の育ちが影響していて、それが周囲の人にすぐに見破られるとは意外だった。何歳か(正確な年齢は例によって思い出せないが)過ぎたら自分の顔に責任を持てと言われるように、生き方が顔に出るのだが、その自分の生き方にも責任を持てということだ。責任はともかく自分の生き方は自分で決めるという点ではこの言葉は腑に落ちる。物心つけば自分の持って生まれたもの(素質・才能・性格等先天的なモノ)と自分の生き方(ものの見方・人生観・習慣等後天的なモノ)の両方で生きて行くのだとは思う。結構自分で決めているように思っていても、生まれや生まれてすぐの育てられ方(先天的かつ自分の力の及ばないところで決まっているモノ)の影響がいつまでも大きく残っているということか。自己責任論(自分のことは自分で責任を持て)が幅を利かす世の中だが、そしてそれにも一理も二理もあるが、全てが全てその人の責任と言うのも違うような気がする。「お気楽人生論」の大切さを説いているが、それも背景には甘やかされて育った子供期があったからかもしれない。いろんな人の主張にはそれぞれの生まれや育ちが影響している。
☆「甘やかされて育てられました?」この図星の一言から、生まれや育ちの影響の大きさに思いを馳せる幾つになっても甘ちゃんドクター。プランターきゅうりにとまる蛙にお前の生まれは?そしてそれを持ってお前はどう生きる?と問う。そんな暇があったら仕事をしろってですか。


Dr.390 驚異的な記憶力(7月9日)
健康診断を申し込みに近くの医療センターに行って驚異的な記憶力の持ち主の女性に出会った。その方は受けつけにいらっしゃるのだが、私がここに検診を申し込みに来た理由(職場の検診を受けられるほどどれか一つの団体に所属していないという悲しい現実)を語り始めると、「去年も来られたので分かっています。昨年の通りになさっていただいたら結構です。確か去年は〇〇円でやらせていただきましたね」とおっしゃる。ドクターとしては去年このセンターで検診を受けたのは覚えているが、この方が受付にいらっしゃったかどうかもあやふやなのに、この方は恐らく何百何千人といるであろう受診者の中で1年前に来た上品な顔立ち以外何の特徴もないおっさんドクターを覚えていたのだ。最近のことでも記憶が怪しいドクターとしては、世の中にはとてつもない驚異的な記憶力の人がいることに驚愕した。そういえば世の中には記憶力だけでなく、普通には考えられないような発想力やバイタリティ、体力や許容力等のある人もいる。恐るべし人類、これからも細々と生きてそういう驚異的な力の持ち主に遭遇し、できればお知り合いになりたい。そんなことを考えていてはっと気が付いた。もしかしたらドクターは去年健康診断を受けた時誰の印象にも残るようなとてつもなく恥ずかしいことをしたのかもしれない。そういえば以前の集団検診の時バリウムを飲んでいて同僚に笑かされて吹き出し、検診バスの中をバリウムまぎれにしたことがあった。去年の検診の時、最後に受ける問診の先生に「自分もドクターと言われています。先生の脈でもみましょうか」みたいな不謹慎なことを言わなかったかどうか心配になってきた。
☆驚異的な記憶力を持つ受付女性がおられる医療センターでポーズをとる驚異的な忘却力を持つドクター

☆この間の「お父さんと一緒」の活動写真をスタッフが送ってくださった。このパパの中にはかつてドクターが採用した常勤講師の方もいらっしゃたのだが、挨拶されてもすぐには思い出せなかった。ごめんなさいAさん。あれっひょっとしたらこのイニシャルも違ってるかもしれない。ちがってたらごめんね〇さん。




Dr.389 パパトーク(7月8日)
七夕の日に市社会福祉課の「お父さんと一緒」というイベントがあり進行役として参加した。パパトークの前に0歳児から5歳児を連れたお父さん・お母さんと一緒に遊ぶ時間も担当したが、0・1・2歳児の指導はさすがに初めてだ。「ハイハイ競争」「お膝の上でたっち」「スマイルカモン」(子どもの笑顔を親の変顔や息吹きかけなどで引き出すというもの)など、事前にわか仕入れといつものその場適当で何とかしたが内実は冷や汗ものだった。でもハイハイ競争の目標が必要と思って急に「ドクターにタッチ」とか何とか言ってやったが子どもに助けられ結構こっちも楽しかった。その後の、子どもをお母さんや託児スタッフに預けてのパパトークが盛り上がった。一応、回答をフリップに書いて発表形式でやろうとしたが、一人の発言を機会にいろんな人が関連の話を始めて、進行役そっちのけで話が弾んだ。普段の冒険指導振り返りでも経験ないほどの発言のスムースさで、子育てと言う共通の話題と悩みを抱えるお父さん同士だからこそできたのか。例えば、子どもが出来て妻の許容範囲が小さくなって叱られる(勿論パパが)回数が増えたと一人の人が言えば多くの人(ドクター含む)が「うちも一緒」と言い、子どもが何故泣いているのか分からず困っていると言えば多くの人が賛同するっていう感じだ。参加者に共通の体験や思いがあれば対話は盛り上がる。これは今後の冒険振り返りに活かせる貴重なヒントが得られて良かった。残念なのはドクターの記憶力低下が激しく、自身の子育てを踏まえた適切なアドバイスが出来なかったことだが、パパ同士が学び合った今回のトーク会では特定の誰かのリードがない方が良かったのかもしれない。
☆七夕パパトークで盛り上がった「お父さんと一緒」参加の新米パパと還暦パパ(ドクター)





後の、子どもをお母さんと託児のスタッフに預けての
Dr.388 夏映え(7月7日)
市の公民館が主催する「夏映え」(ウォーターゲーム~弾丸は水!?サバイバル!?)というタイトルを見ただけではどのような催しか分からないイベントのちらしが市内各校の高校生に配られた。ドクターはそこにそのイベントのゲストとして写真入りで紹介された。ちらしを見た周囲の反応は、曰く「対象者:高校生から30代の外遊び大好きな方ってあるけど今時の若者は夏外で遊ばへんやろ」「一番集まりにくい年代に’水遊び’では申し込む人ないんちゃう」「景品でつらなあかんやろうけど、それが温泉の入浴割引券っていうのは若者には弱いなあ」「先着25人って強気やけど、小さい字で申込者が4名以下の場合は中止って弱気も混じってるし」「だいたい若者の会におっさんがゲストで行って何するの」「ちらしの写真は若こう見えるけどだいぶ前のやね」「目立つことはするなって言うてるのになに調子のっとるん」(妻)などだ。総じて辛口だ。ドクターとしてはその日空けといてくださいねっていうのは聞いたが、具体的に何をするのやらよく知らないし、こんなチラシが出るとも知らなかった。でも担当者の方の熱意は感じるし、一番集まりにくい年代の人たちが集まり仲良くワイワイできれば良い思い出になるし、人の輪も広がるし、地域を見直す若者も出てくると思う。何とか実現できれば良いと思うが、問題は若者が集まるかどうかと若者の会の進行役がおっさんで良いのかと言うことだが、後先考えず自分のやりたい企画を提案する若手公民館職員の行動力には敬意を表したい。後先考えず、つべこべいわずに前進できる、それが若いってことかもしれない。そういえば冒頭のネガティブな声はほとんどが若者からではない。
☆若手公民館職員が企画した「夏映え」のチラシを見て喜ぶ若手とは言えないドクター。気持ちは若い。



