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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.452 季節を感じる(9月17日)

普段は定年後充実生活のセオリー通り「きょういく」で、今日行くところを作るために今日の用事を埋め込み今日が何月なのか何曜日なのかもあまり意識することなくバタバタ過ごしているので、季節や時間の経過を感じることはないが、時折何かの折に季節や時間の経過を感じることがある。最近では、中秋の名月や秋の運動会、村総代10年間ご苦労様会などだ。中秋の名月の翌日の満月を見てもう秋なのかと感じ、中学校の運動会に来賓参加してやはり熱いけど秋だよなと感じた。5期10年間村の総代を勤められたTさんのご苦労様会に参加し、Tさんにはいろいろお世話になった、自分も村や地域の役に関わって10年にはなるのか等と時間の経過に思いを馳せた。村の人はみんな顔見知りで相対的な年齢差やそこから来る序列は変わらないので時間が止まったようだが、かつてはその場にいたあの人・この人がいなくなられているのに絶対的な時間の経過を感じる。代々受け継がれてきた村の役を自分達も担わなければならないとは感じるが、それぞれ担う役が違う。お調子お気楽者のドクターにはどういう役が回ってくるのかは分からないが、季節の移り変わりのように自分の季節には自分の役を無理ない範囲で演じよう。
 ☆生徒数は減ったが、昔と変わらぬ中学生の元気な姿をテントの中から眺めながら、季節と自分が過ごしてきた年月を感じた束の間だった。その後はまたバタバタ季節感曜日感なし日常が続いている。

Dr.451 ビーガン(9月16日)

ビーガンという完全採食主義の方に出会った。ビーガンというのはベジタリアンよりも徹底した菜食主義で牛乳も卵も食べないらしい。音楽家だという彼はもう何年もこの主義を貫いていているらしいが、スマートではあるがやせ細っているという感じではない。タンパク質は大豆から摂取して、米は玄米らしい。外食は難しく、どこへ行くにもお弁当が欠かせないと言われる。ヨガもやられ、路上ライブで生計を立てているというインドの修行者さながらの風貌の彼(30代)は、間違いなく今の日本ではあまり見かけないタイプだ。同調性の強い日本社会で、これほどユニークな生き方をしているとさぞや暮らしにくいのではないかと心配するが、ここまで飛んでいるとそんな余計な世間の圧は関係ないのかもしれない。多様性が大切だと思うドクターとしては、特異な生き方・見かけだが、礼儀正しく丁寧な応対のできるこのビーガンを応援したいと思う。自分も現役時代は異端の校長と言われ、旧来型を重視する校長界からは陰に陽にプレッシャーを受けたが、自分のスタイルを貫き自分がその業界で年長になった時には、随分生きやすくなった。この音楽家ビーガンも自分の生き方を貫き、日本でもこんな生き方もあるということを認めさせてほしい。いろんな制約もある(彼はその時出された「エビせん」も海老が入っているからと食べなかった)このビーガンのような生活は、雑で適当に生きるドクターには到底できないが、エビせんをほおばりながら自分と違う生き方・価値観を認め合う社会の実現は大事だと強く思ったのだった。
 ☆ビーガンであろうと「エビせん」大好きおっさんであろうと気持ちよく生きていける多様性を認め合う社会が大事だ。

Dr.450 素晴らしき隣人(9月14日)

今朝ランニング(お散歩という人が多い)をしていると2~3軒下のSさんに出会った。ドクターより2~3歳上の方だが、その人が獲ったばかりのイチジクを「これ食べへんか」と差し出してくださった。しかも一番熟した大きなやつをだ。「いや、私の家にもありますから」と断ったが、自分家の分だけ獲っているドクターとしては恥ずかしくなった。恥ずかしさをごまかそうと「うちは何とか稲刈り終わりましたが、Sさんとこはどうですか」と田舎では最もポピュラーな田んぼの話へ話題を振った。「大方は刈れたけど、まだこけたとこ(稲が倒伏しているという箇所という意味)はそのままや」と言われる。「雨が降って田んぼ乾かなくて大変ですね」とドクターが同情すれば、「いやあ、田んぼが乾いて刈れる時に刈れたらいいんや。米なんてようけ穫れても穫れなくてもそんなに変わらんしな」と平然と言われる。最後は米価が安いのを自嘲気味に言われたのだが、日々の様子を見てもマイペースで農作業を進められ、本当に農作物の穫れ高に一喜一憂されていない様子がうかがえる。定年前に辞められ、悠々と農業と趣味の生活をしながら、誰もが嫌がる村の役を沢山勤めておられる姿や何事にも「そんなん大したことない」と動じられない言動には学ぶ所が多い。ドクターの隣人(村の人)には他にも学ぶべきところを持った素晴らしい人が多く、自分も早くその域まで成長しなくてはと焦る気持ちもあるが、幸いなことには皆さん小学校からの先輩で、ドクターはいつまで立ってもその人たちからすると「(可愛い所もあるけど)しゃあない若造やな」で済むところだ。自分のことを「可愛い所もあるけど」と注釈する辺り、まだまだ甘ちゃんである。
 ☆この間の市日本遺産・創造都市会議であいさつするドクター。一応委員長をさせていただいているが、識見のある委員の皆さんから比べると、まだまだ甘ちゃんだ。

Dr.449 組織と個人(9月13日)

2年前ドクターが勤めていた組織(三田S高校)に久しぶりによってみた。生徒には会わなかったが、事務室や校内で見かける職員には知らない人も結構増えていた。在職時には「自分がこの学校(組織)を背負ってやっている。自分がいなければこの学校(組織)はどうなってしまうか分からない」というような意気込みでいたが、ドクターがいなくてもちゃんと学校は回っていた。そりゃ校風や内部の決まり事などは変わっただろうが、今は今で独自の在り方で厳然と成り立っている。組織は強い。1次的に個性の強い人がいて、この人がいなくなればこの組織は回らないだろうなどと思うようなことがあっても、その人がいないならいないなりにやっていけるものだ。その時その組織に存在する人たちでやっていくしかないし、又やっていけるものだ。少しさびしさはあるが、久しぶりの訪問で世の中の厳しい現実を再確認できた点は良かった。また一方、自分が属する組織は変わっても(転勤など)、活き活き働いている人にも出会った。個人に力や魅力あれば、どこに行っても(どの組織に属しても)その人らしく活躍できるのだ。こうなると自分の力(魅力)を磨くしかないが、そうがんばって磨けない人はどうしたら良いのだろう。ここはドクターが再三言ってるように流れに任せて、今自分に出来ること(回ってきたこと)を背一杯やるしかないし、それで十分だし、それでいいんじゃないでしょうか。
 ☆かつて自分がいた場所(組織)に立ち、組織と個人の厳粛な在り方について思いを巡らせるドクター。厳粛に考えるのは自由だが、まあ自分が出来ることを自分のペースでぼつぼつやるしかないか。

Dr.448 ざっとした指導(9月12日)

三田市内のT小学校5年生の仲間づくりとチャレンジをテーマとする冒険指導を行った。例年では考えられない熱さと時間的な短さ(45分)と参加者の多さ(保護者も併せて60人余)でざっとした指導になってしまった。活動時間も参加者数も事前に聞いていたので、その準備をしっかりしていなかった指導者(ドクター)のせいで、ざっとした指導の言い訳にはならない。ドクターの考えるきめ細かな指導と言うのは、活動に入る前にしっかり丁寧に説明して、予定通りに実施して、実施後に振り返りや活動の意図の説明を行うというものだが、今回は暑さのために長い説明は省いて直ぐに活動に移り、わちゃわちゃ活動した後振り返りも活動意図の解説もなく次の活動に入って終わりと言う感じになった。でも子どもたちはそれなりに楽しんで元気に活動してくれ、保護者の方もその様子を見たり時々参加してくださったりでよくがんばってくださっていた。ドクターが一番残念に思っているのは、自分がなぜこの活動を選んだかと言う意図を得意げに説明する時間を持てなかったことかもしれない。でもようく考えて見ると、こういう体験活動では指導者がしゃべりすぎるのは良くない。体験から何を学ぶかは参加者にかかっている。これを指導者が得意げに解説すると、指導者は満足かもしれないが、参加者の学びを奪ってしまうことになる。そういう意味では今回のざっとした指導は良かったのかもしれない。これはこれでざっとした指導の言い訳をしているようでもあるが、考えて見ると熱かろうが涼しかろうがドクターの指導はいつもざっとしたものだった。
 ☆ある大学に行った時の事務のお姉さんが素敵だったので一緒に写真を撮らせてもらいました。こんなざっとした説明でいいんでしょうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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