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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.497 隣保付き合い(11月5日)

隣保の村の堤防共同草刈りがあって出役した。11戸ほどの隣保だが、草刈りに出てくる人はみんな小さい頃から顔なじみの先輩・後輩の人たちばかりだ。この人たちの中で暮らしてきて、この人たちと共に老いていく。そうはいっても普段はそれほど話をするわけでもない。皆さんそれぞれの家で自分の生活をされている。定年した方が多いので、多くは百姓と趣味(大工仕事・ゴルフ・旅行・音楽・ジムトレーニング:最後のはドクター)の生活だ。時々今回のように共同作業や月一回の集会、年に数回の飲み会、2年に一度の海外旅行:これがあるのがうちの隣保の凄い所です)などで顔を合わす程度だ。田舎ではこの隣保付き合いが大事だが、定年後生活にも隣保付き合いが大事だと言われている。顔なじみで言葉が交わせる隣保付き合いがあると安心するが、基本は一人で生きて行くところにある。自分で自分の生活を楽しめるか、やって行けるかと言うところが大事で、自分でやっていけないのに隣保の付き合いも出来ない。孤独と言えば孤独だが、孤独だからと言って寂しく惨めなわけではない。ドクターの場合、まだ完全に孤独快適生活をマスターできていないが、隣保の達人の皆さんを参考に、この道を究めていきたいし、最後は誰でも究めないとやっていけない。定年後生活2年目のドクター、マスターはそこまで来ているようにも思うし、まだまだ先のようにも思われる。ともかく隣保の付き合いも大事にしながらぼちぼちいきたい。
 ☆隣保の人との共同作業、堤防の草刈り。草刈り後の集まりでちょっと喋って、後はそれぞれの生活。定年後生活の縮図のような感じだ。

Dr.496 無欲は難しい(11月4日)

この間からいつもの何気ない日常自体が有難いことで感謝し満足して生きなければならないということを、それらを無くした人や多くの無くした人に接した人の言葉から学んでいる。点滴で栄養を取る人が口から食べられることの有難さを言われたり、目の不自由な方が一人でトイレに行って用を足せることの有難さ、耳の聞こえない人や膝が痛い人が人の話が聞こえることや自分の足で歩いて何処へでも出かけられることの有難さにについて語られている。お酒を禁止されている人や夜眠れない人もおられる中、ドクターは晩酌を楽しみその後はバタンキューで寝入ってしまう。食べること・歩くこと・本を読んだりテレビを見たりする日常も何の支障もなくできる。こうした日常生活を快適にできる状態に感謝しなければならないことはよ~く分かるが、人間贅沢なものでこれだけでは何かもの足りなさを感じる。旅行へ行ったり楽しいイベントがあったりという日常以外のものを求めてしまうのだ。日常生活を送ることにさへ支障がある方がおられる中、これが欲張りであることは分かっているつもりだが、ついついもっと快適にもっと刺激が欲しいと欲張ってしまう。ホントに人間無欲って難しいですね。ドクターだけかもしれませんけど。
 ☆昨日の朝は市民一斉清掃の日でまちのあちこちで地域の掃除をしている人を見かけた。ドクターも俄か仕込みで清掃のまねごとをしてみたが、こんなことだけでは欲のコントロールは難しい。でもあきらめず日常に感謝できる達人を目指したい。

Dr.495 すごい人たち(11月3日)

盲導犬の育成には犬のトレーナーだけでなく、生後すぐの子犬を1年間預かる人や高齢の盲導犬の最後を預かる人たちなど多くの善意の人が関わっているという話を聞いた。教員をやっていて40代で途中失明して現在は講演などで学校を回られている人の話も壮絶だった。何もかも自分一人でがんばらなくても良いという話が心に残った。箒の柄やホースの切れ端など身近にあるものを何でも楽器として使い演奏する芸人にも出会った。これらの人たちが出演した会を主催進行する女性の心配りにあふれた司会者技にも感服した。世の中にはすごい人たちがいることを改めて感じさせられた一日だった。それらの人々に比べれば自分の冒険指導の力はまだまだだと落ち込んでいたところに、周囲の人から「あなたもプロでしょう」と叱咤激励された。指導料・講演料を頂く以上、ドクターもプロであることは間違いない。今後さらに自分の力量に磨きを掛けなければならないと思うと同時に、自分の持ち味はお気楽さ・面白さ・楽しさ・軽さにあることに思い至り、精進しなければという意欲は大事にしながらも、指導や講演は自然体であくまでも軽く楽しく流れに任せていきたいとも思っている。こんなんでいいんでしょうかと思わないわけでもないけど、自分は自分ですごい人たちとは同じようにはできないのだから、自分らしく行くしかない。そんな感じかな。
 ☆すごい人たちもいる中、ドクターはあくまで自然体で。それしかない。

Dr.494 休み飽け(11月2日)

このタイトル「休み飽け」は「休み明け」の間違いではないかと思った人が多いのではないか。ドクターブログには間違いが多い(かつては親切な教頭先生が丁寧にチェックしてくださっていた)のでいつもの変換ミスだろうが、それにしてもタイトルからミスるとはドクター脳もいよいよ危ないのではないかと心配した人はさらにおおいだろう。ここで言おうとしているのは、久しぶりに自由な時間を神戸で過ごして楽しいことは楽しかったが、この休みも何度も経験すると飽きるだろうなという話である。贅沢な場所や贅沢な時間もたまにはいいが、毎回となると飽きてしまう(これを「休み飽け」と名付けたいのだ)。現実生活ではそんなことはあり得ないのでそんな心配をする必要はないのだが。ドクターの性格によるのかどうか、定年後生活には毎日用があって、しかもその用が毎日変わるのが良い。「貧乏暇なし」という言葉があるが、貧乏性・バタバタ酉年生まれ・実際には他人が思うほど収入がない自分には、この言葉がぴったりだ。暇なくバタバタ一日動いて、一杯飲んでバタンキューと眠る生活が最高だ。何も考えない、何もストレスがない、定年生活万歳、これを目指している。実際にはそうはいってもそれなりのストレスは生きてる限りやってくるが、その程度のストレスはあった方が良いとも聞く。ともかく目一杯フルタイム勤務しない身には土日も長い休みも必要ない。ということで今日もこれから出かけよう。用事があるのはありがたいことだ。
 ☆丹波篠山盆地名物霧の海の中に立つドクター。ゆったりした休みもたまにはいいが続くと飽きてしまう。「貧乏暇なし」が自分には合っている。

Dr.493 手帳が要るうちが華(11月1日)

来年の手帳を買いに町の文房具屋さんに行くと、80代と思しきご主人が「手帳が要るということは予定があるということで、予定があるということは何かの仕事や役に付いているということ。人から頼まれたり用があるということは、あんたがまだ人から必要とされている何かの役に立つ人間ということだから喜ばしいことだ。何の用もなく手帳が必要無くなったら寂しいもんだよ」みたいなことを語ってくださった。海馬が大分弱ってきているドクターにとって手帳はなくてはならないものだ。これがないと日々の生活が送れないと言ってもいい。特に冒険依頼などは手帳を見ないといつだったのか思い出せず、指導日をポカしてしまったら多大な迷惑をかける。温泉脱衣所の貴重品ロッカーには財布と共に手帳を入れるほどだ。このご主人に言われて、自分にも手帳が要らなくなる日が来ることに気付いた。確かに何の仕事もせず何の役にも付かなければ、手帳は必要ないか。その状態も寂しいが、何より飽き性のドクターには毎日同じような予定のない日々を送るのが耐えられないように思う。その点今年は12月までは手帳に空いた日がないぐらい予定(しょうもない予定も含めて)でびっしりだ。今予定があり、手帳が必要なことに感謝しながら、できるだけ長く手帳が要る日々を続けたい。
 ☆今年の手帳と来年の手帳を手に、文房具屋の親父さんが言われた「手帳が要るうちが華」と言う言葉に思いを馳せるドクター。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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