ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.199 学びのバケツ(11月20日)

この前の冒険体験会の最後の振り返りで『学びのバケツ』という活動をやった。参加者一人一人が今日一日の学びを象徴するモノ(今回はお手玉)をその説明と同時に活動時(ニトロクロッシング)に使ったバケツに入れる。「初めて会った人たちとこんなに短時間に学べるとは思いませんでした。なぜこのようなことができたのかを考え、これからの自分の指導に活かします」「このような心の交流ができることを知り、今後の大学での人間関係の研究に活かしたいと思います」「楽しい時間をありがとうございます」「仲間がいたから高い所の挑戦が出来ました」「ドクターの指導は素なのか狙いなのかはわからないけど楽しく学びの多いものでした」「そう来るか、と思わされることが多かった」などと言いながら、強制はしていないけど全員の学びがバケツに入った。普通ならこれで終わるところだろうが、ドクター流はここから、「このみんなの学びが入ったバケツを手を使わないで一周回しましょう」となる。不安定な椅子に座っての、足バケツリレーは左右の人などが助け合わなければできないし、第一大事な学びを途中で落としてしまったのでは、最後の活動だけに気まずい思いが残る。やらない方が無難なのかもしれないけど、出たとこ勝負やってしまうのがドクター流だ。第一その方が面白いし、落としたら落としたで何とかなる。でも大体はみんなでワーワー協力して回ってしまう。これも生き方そのもので学びと感謝が含まれている。うまく行く時ばかりではありませんけど。

☆「学びのバケツ」を回し終えた仲間たちと。やってもやらなくても良いことを全力でやる、そこが面白い。それが生き方だ。適当ですけど。

 

 

Dr.198 自分の力を超えて(11月19日)

嬉野台生涯教育センターで冒険教育体験講座を担当した。学生から教員、女性からおっさん、初心者から何度もHAPを指導しているおっさんまで、年齢から経験まで多様な11名が集まった。これだけ冒険教育の経験差があるグループを指導するのは結構難しい。通常のエレメント(冒険を体験できる用具)を普通に使ったのでは経験者には満足してもらえないのではないかと考え、あれやこれやといつもはあまり使わないようなアクティビィティ(活動)を考え、結局出たとこ勝負でやることにした。最初の初対面に近い人々の緊張を解くアイスブレークというのかウォームアップはドクターの得意とするところで、開始から1時間以内に全員が笑顔で仲良くなれる様はドクターマジックと言われる。しかしその後の展開は流れ任せと言うのか運任せというのも、ドクター適当ファシリテーションと言われ(今命名されました)いつものやり方で、そこが不完全なところでもあるけど自分としては好きなところだ。そもそも優秀なファシリテーター(指導者)の力で参加者が何かをつかむというのには違和感がある。あくまでファシリテーターはその場の促進者であり、活動やその場の空気が良くなり多くの学びや楽しさにあふれるかどうかは参加者による。ただドクターとしては参加者はともかく、自分は毎回この場を楽しむぞという気持ちでやっている。今回も参加者の個性や力とそのハーモニーに助けられ素晴らしい体験会となった。改めて参加者の皆さんや目に見えない流れに感謝したい。追加ですけど、篠山市長選挙と市名変更住民投票も市民の皆さんや目に見えない流れのお陰で決着を付けることができました。こちらにも感謝します。

☆多様な経験差のある参加者に普段あまりやらないフォーポインターやトラストフォール、巨人の縄梯子などのアクティビィティで初心者からベテランまで楽しんでもらおうとしたドクターの指導。何より普段あまりやらない活動は新鮮で本人自身が楽しみました。

 

 

 

Dr.197 いろんな大人(11月18日)

K中学校の土曜冒険講座の指導は冒険教育研究会のメンバーらが中心となって指導している。今回は8名ほどの指導者が参加したが、後の振り返りを聞いているといろんな個性で指導していることが分かる。子ども達がよそよそしいのはお互いを知らないからだと考え、一人一人の将来の夢を語らせそれぞれを激励する指導者。人それぞれ嫌だと思うことは違うことを立ち位置で明示させて互いの違いを理解させようとした指導者。みなさんそれぞれの活動の意図をもってやられていて素晴らしい。ドクターのように行き当たりばったりで子どもが喜べばいいと考えているいい加減な指導者(おっさん)は少数派だ。ともかく子ども達(中学生)が普段接している先生や大人とはだいぶ違ったタイプの指導者(大人)ばかりだ。大人にもいろんな人がいて、なんやかんやで活き活きと生きている。自分も周りとは違うかもしれないけど、自分の生きたいように生きていけば良いんだ、と思ってもらえるだけでも意味がある。ここは一つドクターらしくいくしかない。

☆子どもたちも休憩中や活動中の様子もみんな違う。いろんな人に接して、みんな違ってみんないいと感じてほしい。

 

 

 

 

Dr.196 ジョージ写真集(11月17日)

4月から冒険指導に行っていたK中学校の土曜講座が後2回で終わりを迎える。全10回十数名の同じメンバーを指導するというのは初めてで、それこそこの講座を引き受けること自体が冒険だった。それでも一緒に指導するファシリテーター仲間に助けられながら、何より子どもたちに助けられてここまできた。後2回となった今となっては、もうすぐ終わってしまうのが寂しい感じだ。せっかく仲良くなった子どもたちと別れなければならない。10回近く接していると、生徒一人一人の個性が見えてくる。二つの班を指導しているが、メンバーの組み合わせで全く違う味が出て、やること(アクティビィティ)も微妙に違ってくる。その中の一つの班でドクターの冒険ペット、フライングチキンのジョージを毎回写真に撮るのが習慣となっている。いろんな絵を考えてきてくれるのが嬉しい。後2回となってきたので彼女たちにこれまで撮った写真を『ジョージ写真集』にしてプレゼントしようと作ってみた。ドクターのことだから適当な出来だが、喜んでくれるだろうか。

☆こんな感じで毎回講座が終わってからジョージの写真を撮っている。これがもうすぐ無くなるのも寂しい。勿論写真撮影以上に講座内容にも力を入れていますよ。

 

 

 

Dr.195 誰かが見ている(11月16日)

ある人が縁起が良いという数字「3・5・8」を車のナンバーにしている。この前ふと前を見ると「358」のナンバーの車が走っていた。滅多にないことなので、運転者に「私と同じ本を読んでこの番号にしているんですか」と聞こうとも思ったが、変質者と思われると思い直して留まった。自分も逆の立場で誰かに思いもよらない理由で探されているかもしれない。一昨日の選挙運動朝立ちで道行く車に元気よく手を振っていたが、「10年来の知人に出会ったような笑顔で手を振って支持を訴えてくださってありがとうございます」と市長選に出られている前市長の奥様からお電話を頂いた。何でも子どもさんがその時間帯に私たちの前を通りかかられ、えらくにこやかな人たちが手を振ってくれたと報告したらしい。世の中どこでだれが見ているか分からない。「誰も見ていないと思っても天が見ている」というような言葉もあったように思う。これからもどこでだれに見られたとしても、恥ずかしくないというのかドクターらしいと思ってもらえるような言動をしたい。人が恥ずかしいと思うようなことも平然とやってしまうのもドクター流なので、恥ずかしさにはとらわれないですけど。

☆娘の中学校参観日で道徳の授業を見て帰る途中に、お母さんと一緒に小さな子供たちが肩を組みながら来るのに出会った。授業も良かったけど、このような日常の仲良し行動こそ生きた道徳だと思って写真を撮らせてもらった。子ども達にしたらいつもの自然な行為だろうが、どこでだれ(変な写真好きおっさん等)が見ているか分からない。

☆「丹波富士」と呼ばれる地域の名山『高城山』が格好良かったのでついパチリ。ついでに自撮りもしてたら、タイミングよく通りかかった車中の人が笑っていた。いつどこで誰が見てるか分からない。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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