Dr.438 元気な70代(9月2日)
このところ立て続けにお元気な70歳代のおっちゃん(おじいちゃんと呼ぶには若々しい)に出会った。一人は高城山の頂上で見晴らしを良くするために木を切っていた林業組合のおっちゃん。462mある高城山は若者でも上り下りは結構大変である。60代のドクターは登った晩に足がつり、20代のJA広報誌担当の女性は途中何度も休まないと登れなかった。10代の息子は飛ぶよう走りあがり下りにはそこらに落ちていた2m前後の木を数本持って帰ってきたが。林業の72歳おっちゃんは、毎日高城山に上がり、朝から晩まで何メートルもある大きな木を切り倒していると言う。もう一人はうちの庭木を剪定しに来てくれた植木屋のおっちゃん。確かな齢は聞かなかったが息子さんが50歳だというからご本人は70歳は超えられていると思う。しばらくほったらかしだったうちの庭木を高い木から低い木まで、松からもみじまで、ものすごい勢いですっきり刈ってくださった。昔は大勢で仕事することもあったらしいが、若いものが気を使って「大丈夫ですか」「無理しないでくださいよ」とか声をかけてくるのが面倒だと、この頃では一人の仕事が多いという。お二人とも長年やってきた自分の仕事に誇りを持ち、70代になっても活き活きと自分の好きな仕事に自分のペースで従事されている姿は見ていてすがすがしい。自分もこういう風に齢をとりたいと思わされる。ドクター自身は木こりも庭師もできないので、さしずめ老冒険案内人だろうか。70歳になっても冒険案内人をやっている自信はないが、流れで生きる派としてはなるようになる形で続けて行けるとこまでいきたい。まあ流れで別の事やるかもしれませんけど。
☆70代林業おっちゃんが切り開いた高城山頂上と登山途中に休む20代JA広報担当者(彼女は文化部系です)。70代庭師おっちゃんが手入れしてくれた庭と自分の70代もこうありたいと願いながら60代を生きるドクター。




Dr.437 もう一度教員になるか(9月1日)
教員の採用試験倍率が低下しているということでニュースになっている。新聞特集の中で、日本の教員の仕事についての満足度は8割ほどでまずまずだが、「また教員を選びますか」という質問の該当者は5割ほどしかなく諸外国と比べて低いと出ていた。ドクターなども教員をしたことの満足度は高く、生徒と関わるのも大好きだったが、生まれ変わってまた教員を選ぶかと問われれば、迷ってしまう。それは教員に魅力がないということではなく、飽き性故か別の仕事もやってみたいと思うからだ。ドクター現役の頃は4月一斉採用、いったん就職したら基本的にはその仕事で一生を過ごすという風潮が強かった。今頃は転職、兼職、中途採用なども増えてきたようなので、一生でいくつかの仕事を経験することもできるかもしれないが。同じ就職先でも職場や職種、自分がする仕事の中身が変わる人も多いと思うので、自分を見込んで頼まれた業務は積極的にどんどん引き受け、自分の可能性を試していってほしいと思う。自分の可能性などと大層なことを言わずとも、いろんな仕事を経験することは退屈しないで面白い人生が送れそうでいいじゃないですか。「またその仕事を選びますか」の回答率が必ずしもその仕事の満足度を表すわけではないということと、いろんな仕事を経験するのは面白いということを、今朝のニュースで感じたドクターは、今週もいろんな業務にあたふたといそしむのだった。
☆昨日は文学部を出てJAに就職した地元の女性と、広報誌取材のため高城山に登った。彼女もいろんな仕事(JAの中にもいろんな分野がある)を経験して、自分の人生を豊かに面白くしていってほしい。



Dr.436 お気楽な人(8月31日)
知人のお気楽な人(50歳代 女性)と話していて、「丹後さん、悩みないでしょう」と言われた。「何を言ってるんですか、私は悩みやすいタイプなので、いろいろ研究してようやく何とか日々を安楽に生きる方法を身に着けたんです。でもまた不安が襲ってくることがあるから油断はできないんです。根っからお気楽なあなたと一緒にしないでください」と抗議したが、周囲の人は二人をマイペースで生きる同じタイプと見ているようだ。それに聞いてみると彼女にも一応悩みと言うのか思い通り行かないこともあるらしいのだが、そういう時は『まっいいか』と言って諦めると言う。『まあいいか』はドクターの口癖だ。「『まあいいか』を建設的でないという人もいますが、そんなこと言ったってどうしようもないことはしゃあない(仕方がないの意)やんね」というと、『仕方がない』は彼女もよくつかうと言う。自分は根っからのお気楽人間でなく、苦労してお気楽に生きる道をみつけて、見つけた知見を同じ悩みを持つ人に紹介する求道者と思いたいドクターとしては、天然お気楽キャラの彼女と一緒ではないと思いたいが、もしかしたらそう変わらないのかもしれない。人間50年以上も生きて来て何も悩みがないという人はいないので、彼女もそれなりに考えているのかもしれないし、血液型も同じB型らしい。天然であろうと求道の成果であろうとお気楽道は大事なことだ。
☆流れに任せて生きる、頼まれたことは引き受ける生き方がお気楽道には大切だと公言していたら、急に特別支援学校小学部の先生がいるようになったからやってくれませんかという言うオファーが来た。やりたいのはやまやまだが、教員免許の問題に加え先約優先のため断わらざるをえなかった。何事も原則通りには行かない。写真は原則通り言われたままに引き受け参加した大河ドラマ意見交換会会場で。

Dr.435 頼れる若者(8月30日)
数年前Uターンして丹波篠山市でIT関連会社を立ち上げたHさんと話をする機会があった。彼は地元の高校を出た後情報関連の大学に入学したが、卒業時が就職氷河期で企業に就職せず自前でやっていたようだ。数年前故郷の丹波篠山市が消滅可能都市に入っていたのが気になって帰郷し起業したとのことだ。彼の下には何組ものUターン組が集まり、Iターンも巻き込んで結構大きな規模になってきている。市関連の仕事も引き受けて、今では当市になくてはならない存在だともいえる。立派な地域貢献をしてくれている。IT関係の知識に疎いドクターにはできない活躍で、最新技術を持った若者が地域づくりに力を貸してくれるのは本当にありがたい。自分の事しか考えていなかった自分の若い頃が恥ずかしい。恥ずかしいのは恥ずかしいが、いつまでも恥ずかしがっていても始まらない。自分は自分の出来る範囲の役割を果たさなければならない。最新技術はないし、何かに特に秀でている訳でもないので大した役には立たないかもしれないが、頼まれることはできるだけやるようにしていこう。前から漠然と考えていたことだが、頼もしい若者に出会ってその意を強くした。流れに任せてですけど。
☆この前登った高城山ではベテランの森林組合員さんが眺望をよくするための伐採をしてくださっていた。若者であろうと年配であろうと、自分の特技を生かした貢献が出来るのは素晴らしい。

Dr.434 ちょきん(8月29日)
定年後生活に必要なものとして、「きょういく」「きょうよう」は有名だが、同じような感じで「ちょきん」というのもあるらしい。ご存知のようにこれらは、これらの言葉を聞いてまず思い浮かぶ「教育」「教養」「貯金」ではなく、「今日行く」「今日用」「貯筋」のことだと言ってその意外性でまず関心を引き、後者がそれぞれ定年後生活充実のために必要だという一理ある説明で多くの人を納得させる。今日行くところがある「今日行く」と今日やる用事がある「今日用」は、定年退職後の居場所の必要性を言ったもので、居場所もなく家に引きこもっていると自己の存在意義(自己肯定感)が感じられなくなって精神的に不安定になりうつ病になったり不健康になったりする危険性があるので、それを取り除くためにも、その日に行くところややる事があるように心がけようということだ。そして、その場所に行ったり用事をやったりするためにも健康で筋肉が必要と言うことで、筋肉を蓄える「貯筋」が出てくるという説明だ。定年後生活2年目に入るドクターとしては、何もしないで家にいることの虚しさや危険性を身をもって感じ、「今日行く」「今日用」の大切さを実感したので、積極的に何でも引き受け手帳が毎日予定で真っ黒になるように心掛けているが、今日行くところや趣味も含めた用事を入れるためにも「教育」や「教養」と言った知識や素養はあった方が良いので、本来の意味での「きょういく」「きょうよう」も大事だと思う。同じように「ちょきん」も老後生活の経済的安定のために本来の意味の「貯金」も大事だ。さらに思うのは「今日行く」「今日用」はなくても自分はゆっくりしたいので大丈夫という人はいるかもしれないが、老後生活を維持する貯金と健康を維持する筋肉が要らないという人はいないと思うので、「ちょきん」は他にも増して大事だということだ。
☆今日の用事で言った場所で見かけた検診の車と筋肉の貯筋のために言ったトレーニングセンター前のドクター。定年の前でも後でも健康は大事ですね。




