Dr.432 第2の人生の仕事(8月27日)
50歳からか60歳からか65歳からかはともかく、第2の人生をほとんどの人が経験する時代となった。第2の人生は、主に結婚・子育て・主生産を目的とする第1の人生とは違う心持が要る。第2の人生を第1の人生と同じようにやろうとすると無理があるし、それでは折角の第2の人生の意味がない。第1の人生では社会の主構成員としてバリバリ働き、時に休憩・休暇を楽しむ。ところが第2の人生を生きる者はそんなにバリバリ働けないし、働く目的も働き方も金稼ぎやバリバリだけでなく多様性があった方が良い。趣味や社会貢献や地域貢献、友との触れ合い(人間関係の充実)なども入れていくと生活が充実し生きがいも湧いてくる。とはいっても年金だけでは食っていけないので、生活費を稼ぐ仕事もやらなければならない。こんな第2の人生では生活費を稼ぐ仕事だけを仕事と言わずに、趣味の活動や地域のための活動も自分の人生を支える仕事と考えた方が良い。第2の人生の仕事にはお金が入ってくる仕事と入ってこない仕事(むしろ出ていく仕事)があるわけだ。ここまでの大筋はある本の受け売りだが、その著者に言わせるとドクターが昨日書いたボランティアもボランティアと考えず(金は入ってこないが人から喜ばれる)仕事と考えた方が良いという。なるほどなるほど等と読んでいたが、今のドクター人生も結構いろんなタイプの仕事にあふれていることに気付いた。お金のための仕事もあるが生きがいのための仕事(冒険指導等)や人から頼まれたことは何でも断らない主義で引き受けた仕事(お金をもらえる場合ももらえない場合もある)、家族や自分のための仕事もあって、第2の人生の仕事としては理想的なことがわかった。意を強くしてこれからもいろんな仕事をして行きたい。
☆一昨日の小学校ボランティアの写真。実はこれも第2の人生の大切な仕事だった。昨日は人に喜んでいただける写真を撮る仕事をさぼってしまったのでこれで勘弁してください。仕事をさぼって謝るのは第1の人生の仕事でも第2の人生の仕事でも変わらない。

Dr.431 ボランティア(8月26日)
小学校の美化作業にボランティアとして参加した。小学校5・6年生やPTAに交じって草刈りやグランド整備を行った。定年後生活の充実のためには地域デビューが大切で、地域での自分の特技を生かしたボランティアなどが最適だと勧める本や論説は多い。現役時代ボランティアだからと軽く考え、障碍児のプール指導を引き受け勝手に休んで責任者の方から「ボランティアと言えどもいったん引き受けた以上責任が伴う」ということを教わった。その教えは教訓にしているが、そんなに気楽に参加できないボランティアということでボランティア参加のハードルが上がったことは確かである。地域の役や市から頼まれるいろんな委員会参加もボランティアと思って引き受けているが、厳密にはボランティアとは違う。今回も9月に地域と小学校合同の運動会をするので、この日の美化作業に地域の人も参加できる人は参加してくださいという呼びかけに応じてのもので、何もない所を自分から進んでというものではない。どうもドクター的には何かないとボランティアに参加できない症候群のようで困ったものだ。でも、純粋のボランティア精神からであろうとなかろうと、参加すると参加した人と顔見知りになったり声を掛け合ったりと何かしら得るものはある。これからも純粋ボランティア精神でないかもしれないが、いろんな機会には積極的に顔を出していきたい。
☆地域自慢の木造校舎であった小学校美化作業にボランティア参加(純粋ではないが)したドクター。




Dr.430 ちょっとした差(8月25日)
ぽっかり空いた予定なしの日、この過ごし方で定年後人生の過ごし方が決まると気合を入れていたが、最初楽しい予定があってそれが急になくなった日だっただけに、だらだら過ごすだけの嫌な予感一杯だった。それが結果的には息子と二人で今度のNHK大河ドラマの舞台になるであろう地元の高城山に登って、その後牛丼の昼飯を食べ、夕方関東へ帰る息子を見送って、夜は母と二人でいろいろ話しながらの夕食を食べるという結構充実した一日となった。これもその日の朝にSNSで見た冒険友人の「息子を山へ誘ったら乗ってきたので二人で山へ行く予定だ」という投稿がきっかけだった。その投稿に背中を押されて、NHK大河ドラマ推進委員長として前から気になっていた高城山の現状を見ておく登山に息子を誘ったら、さっと乗ってきて二人であたふたと準備して登った。登山自体は往復で2時間ほどのものだったが、環境が変われば会話も変わるという格言(丹吉師曰く)の通り、会話も弾んで良い夏の思い出になった。だらだらした嫌な感じの日になるか、ちょっと充実したすがすがしい日になるかの境目は、ちょとした切っ掛け(友人のSNS投稿を見た)と思いっきり(息子を登山に誘う)だった。それをするかどうかはちょっとした差だが結果として大きな差を生むことになった。そのちょっとした差を生むきっかけのSNS投稿をスマホで見たというのはたまたまだった。一日の流れの中でたまたまであった一コマが一日を決めたと言ってもいい。やっぱり流れとちょっとした思いっきりは大事だ。ちょっとした思いっきりをするかどうかも流れかもしれないし、その日偶然「息子を山へ誘う」投稿を見たのは天啓かもしれない。
☆息子と高城山へ登るという流れと天啓に従った行動で思わぬ好い日になった一日。山頂は森林組合による樹木伐採も進み眺望もよくなりつつあった。これも良い流れだ。関係者の皆様、天啓の方に感謝申し上げます。





Dr.429 ぽっかり空いた日(8月24日)
定年後の生活には何の予定もない空いた日を作らない方が良いと、これまで何やかやと予定を詰め込み馬車馬のように駆けてきたが、諸事情によりぽっかり空いた日ができた。そりゃあ世間は自分中心で回っている訳ではないので仕方のないことだが、最近では滅多になかったことだけにどう過ごしたら良いのか途方にくれている。当初は、本来ならやるはずだったことに思いを馳せてウジウジしていたが、時間と共にドクター哲学の「流れでやる羽目になったことを淡々とやって行く」が頑張り出し、空白でもやらなければならないこと(食べたり・寝たり・ブログを書いたり・・・)をぼつぼつやりだした。最初から休養のための空いた日ならそのように過ごせるが、本当は用事を入れたかったのに都合でできなくなって何も予定がないというのは結構厳しい。こんな日が続くと精神衛生上もよくない。定年後うつはこんな状態からなっていくのかとも思わされた。ここはこれからの生活が「うつ」か「お気楽か」の分かれ道と思って、空いた時間の過ごし方の研究と行きたい。ここでも身体を張った実験が続く。
☆急に何も予定が無くなった日、池の金魚を見つめながら「さてどうするか」と考えるドクター。今後の生活の試金石かもしれない。


Dr.428 ただ生きてるだけでも(8月23日)
旧知の知人に会おうと思い立ってその方の職場に立ち寄った。知人には会えたが、前日までは病気で休んでいたという。たまたま出勤してきた日にたまたま会いたくなった暇人ドクターがふらりと立ち寄り再会できたわけだ。たまたまの不思議さにも驚くが、聞けば以前にも生死にかかわる大病を経験されと言う。この頃ドクター周辺では、亡くなった方やうつ病で仕事を休んだり、家に閉じこもったりしている人、足の不調で歩けなくなったりしている人等何かのトラブル・不調・不幸に見舞われたニュースが多く入ってきている。中には人生を活き活き生きるために~にチャレンジしているというような景気の良い話も入ってくるが、釈迦がとっくに喝破された「人生は苦である」という厳しい真実を忘れてはならない。「人生は苦である」を前提にすれば、毎日が生きがいにあふれキラキラしていなくても、「ただ生きているだけ、特に大きな痛みや火急の困りごとがなく生かされている毎日」がどれだけありがたいことか。そうはいっても、生きている限り何も心配事がないという人はいないと思うが、心配事があっても何とか生きていることが出来ていれば、それだけでありがたいことだ。この感謝を忘れずに日々を生きる、まずそこを大事にしたいと再認識したお盆過ぎの蒸し暑い午後だった。
☆暇人ドクターが街をうろうろしていると、ライバルの丹波市で「2020年NHK大河ドラマ」に関するPRが華々しくされていた。丹波篠山市もがんばれと言う声もよく聞くが、こちらは出来る範囲で日々の感謝を忘れずボチボチやって行きたい。





