Dr.205 仕事に呼ばれる(11月28日)
「自分が仕事を選ぶのではなく、自分が仕事に選ばれれる(仕事に呼ばれる)」という考え方が気に入っている。「天職」という言葉もあるが、天(人智を超えた何か大きな力)が、あなたを見込んでその職(狭い意味の仕事・職業だけでなく、自分が任されている役割)にあなたを導いたとも考えられる。いずれにしても、現在自分がやる羽目になっていることを全力でやるのがいい。そのままその職を続けるのか、「転職」が訪れるのかは自然の流れの中で決まっていく。それが「人が仕事に呼ばれる」ということだ。先日息子がお世話になっている学習塾を覗いて驚いた。学校の教室を少し狭くしたような部屋に長机が配置され、そこに小中高生がぎっしり並んで勉強していた。20~30人はいたように思うが、各自が自分で勉強して分からないところがあれば先生が教えてくれるのだという。「一人で教えるにはこの人数はもう限界ですね」とその先生は言っておられたが、塾生たちはその先生を慕ってこの塾に通っているのだ。この先生は塾講師という仕事に呼ばれたのだろう。今後この先生が「林先生」のようにマスコミ界へ行くのかそれとも別の道へ行くのかは分からないが、現在のこの塾の盛況と子どもたちの溌剌な雰囲気を見る時、今この先生がこの仕事に呼ばれているのは間違いないと思えた。やはり「呼ばれた仕事」に就いている人は活き活きしている。ところでドクターは冒険教育に呼ばれたはずで、指導後の参加者の嬉しそうな表情を見たりするとそうに違いないと確信するが、SAP指導依頼がそれほど盛況でないのはどうしたことだろうか。
☆朝霧の後の好天の田んぼで、葉取りが終わった黒豆を切り取り逆さまにして束ね、天日干し作業をするドクター。冒険仕事はそれほどでもないが百姓仕事は一杯あって、もしかしたらドクターは百姓仕事から呼ばれているのかもしれない。
Dr.204 原因と結果の法則(11月27日)
アレンという人の『原因と結果の法則』という本によると、世の中に偶然とかたまたまということはなく、必ず今の状態(結果)は自分がやったり思ったりしたこと(原因)の結果だという。欧米には馴染む考えかもしれないが、日本人と言うのかドクターには少しきつすぎる。この法則を信奉してしまうと、例えば今が辛い状態にあるなら、それはすべて自分が蒔いた種(自分の言動に原因がある)だということになってしまい、それでは自分を責めすぎることになるのではないか。アレンが言いたいのは、だから(それが嫌なら)自分の悪い言動を改めよと言うことだとは思うが。やはり結果をすべて自分のせいだと思うのはしんどすぎるように思う。ここはドクターが言うように(いろんな人のパクリではあるが)「嬉しい、楽しい、ありがたい」などを口癖にして笑顔で周りの人に接し、自分に回ってきた役割を精一杯やっていけば、(何でかは知らないが)お気楽で幸せな人生がやってくるという考え方の方がしっくりくる。いい加減なところはあるが、突き詰めないのがいい。ここはもう国民性と言うのか自分の好みと言うのか、自分にとって居心地の良い考えで生きるのが良いのだろう。というわけで皆さんはドクター派、またはアレン派、どちらで生きられますか。
☆好天の中を参加した「日本遺産ツアー」。歴史の史実もすべてその人物に原因があるというのは、やはりちょっと厳しすぎるように思ってしまうのですドクター派としては。
Dr.203 嬉しさ一杯(11月26日)
先日9回にわたる指導が終わった私立中2ドクター班の生徒達から色紙やお手紙をもらった。そこには「ドクターありがとう」「ドクターで良かった」「ドクター大好き」等の文字があふれていた。不十分な指導しかできなかったのに、こんなことをしてくれるとは嬉しさ一杯、感激100杯だ。こんなことがあるから冒険指導や子どもたちと関わることはやめられない。今朝の読書で(ドクターの日課には兵庫県の小中学校、ドクターのいた高校と同じく朝の読書タイムがある)、『あなたが仕事を選ぶのではなく、仕事があなたを選びあなたを呼んでいる』という言葉に出会った。ドクターにとっての冒険指導は仕事と言う感覚はそれほどないが、定年後あまり深く考えないでフルタイムの仕事にはつかず今のような状態になったが、このような状態(百姓などをしながら時々冒険指導をする生活)は自分で選んだというよりは、何かに呼ばれたという感じだ。考えてみれば、これまでもいつも何かに呼ばれ導かれて人生を歩んできたような気がする。そしてこの呼ばれた人生が面白く、ありがたいことや嬉しいことであふれている。この後も感謝することと周りの人にもその恩返しをすることを忘れないようにしていきたい。時々こんな殊勝な気持ちになる。生徒達からの熱に浮かされているのかもしれない。
☆熱い想いをくれた生徒達と。
☆生徒たちの熱い想いに嬉しさ一杯浮かされふわふわしているドクター。写真までふわふわしている。
Dr.202 ファシリテーター振り返り(11月25日)
決まった勤務日を持たない定年後生活者の充実には、空いた日を作らず毎日を何かしらの用事で埋めて、ぼおーっと来し方行く末を考える時間をできるだけ短くするのが良いと考えるドクターは、最近この方針通りバタバタと慌ただしく過ごしている。悩む時間を作らないという点ではまあまあ効果を発揮しているが、ブログ更新は滞りご迷惑をおかけして申し訳ありません。さて昨日1・2学期通算9回という指導を終えたK中学校の土曜講座に関わったファシリテーター仲間がこの間の指導を振り返った。最終回の指導で班員10数名の生徒全員から一人一人個別に感想を聞きその間他の生徒は自分達で時間を過ごすという大胆な試みをやった人がいて、その間生徒たちは自主的に自分達で遊びを組み立て展開していたという。他にも皆さん工夫を凝らした指導の様子を話された。他にも我々の指導後も生徒たちに関わっていかれる先生方に活動中の生徒たちの様子を知ってもらうためにビデオ撮影をしてはどうかと言う話や全10回の目標を明確にしなければならないか、明確にしすぎると実際の生徒の実態と乖離したときに有効でないので「生徒たちが主体的に学ぶようになる」ぐらいの緩やかな目標の方が良いかという意見や「この煮込みうどんはあらかじめ煮込んでなくて、席に出されてから携帯コンロで煮込むんかい」(ファミレスでの振り返り会で一人煮込みうどんを注文したドクターの意見)、「ビデオで撮られたら自分のいい加減な指導が知られるので困る」(次第に生徒になめられほとんど指示が通らなくなったドクターの意見)など様々な意見が出された。参考にはなったが、よく考えた鋭い意見やどこに出しても恥ずかしくないような自分の実践を語る他のファシリテーター仲間の熱さに比べて、お気楽にその回が終われば良しとするドクターは自信を失いかけていたが、最後に「そうはいっても、生徒と仲良く戯れるドクターの真似はできませんよ」みたいなことを言われて上機嫌が戻ってきた。単純な褒め言葉で一喜一憂するファシリテーターって困ったものだ。
☆K中学校土曜講座の終わりの会で代表ファシリテーターPochiの話を真剣に聞く生徒達。
☆ドクターのわちゃわちゃした最終回指導の様子と担当した生徒達との記念撮影。生徒に言われれば何でも受け入れるのではなくもっと主体性を持ったファシリテーションをしてほしい。
Dr.201 いろんな顔(11月22日)
いつも土曜講座で指導に行っているK中学校の合唱コンクールを見に行った。いつもは体操服でふざけあっているイメージの強かった連中が、キリっとした制服に身を包み、真剣に課題曲と自由曲を歌っている。顔つきや態度がまるで別人のようだった。そういえば生徒達だけでなく誰しも日常いろんな顔を持っている。ドクターで言えば、陽気な冒険指導者、謎のセールスマン、適当なお百姓、悩み多い定年退職者、恐妻家、陰の薄い家庭生活者、頼まれごとお気楽引受人、稀代の聖人丹吉師等だ。いろんな顔があって、その顔ごとに言うことすることに微妙に違いが出てくる。どんな顔でも「自分らしく」という人がいるが、ドクター的にはあまり「自分らしさ」にこだわらず、その都度の顔ごとに求められるというのか自然とそうなる自分でいいと思っている。能天気だったり、心配性だったり、楽天的だったり悲観的だったりすればいい。できれば自分として気持ちの良い状態が多い方が良いとは思う。今のドクター的には忙しくってバタバタしてあまりものを考えないような元気なおっさん状態が良いようだ。
☆謎のセールスマンを終えて、気持ちの良い公園を走る黒のおっさんランナーを経て、素敵な礼拝堂で行われた中学生合唱コンクール見学部外者という顔の一日だった。いろんな顔にいろんな性格があって良い。