Dr.352 人それぞれ悩みあり(5月27日)
いつも行くトレーニングセンターでよく顔を合わせる人に思い切って「いっぺん飲みに行きませんか」と声をかけた。ドクターよりもいくつか年上のおっさんだ。退職されているようで昼間の一般的でない時間にお会いすることも多い。気が合って(と勝手に思って)会えば必ず2こと3こと言葉を交わす。定年後の男子は地域に友達がなく孤立しやすいというのを読んだので、もっと仲良くなれるかと思い勇気を出して(しかし表面上はさりげなく)声をかけたのだが、その人曰く自分は血圧が高く運動すれば下がる、医者に自分はいつでも自分で血圧をコントロールできるから大丈夫と言ったら叱られた。やはり飲みすぎや食べ過ぎに注意していないと今後何かあっても知らないぞと言われたという。話の要領を得ないが、要するに一緒に飲みに行きたいのは行きたいが、身体のこともあって飲酒は制限されているので今は行けないということらしい。元気そうな方だったのでそんな健康上の悩みを抱えておられるとは思いもよらなかった。話は変わって地域の飲み会で一緒に盛り上がった40代男性は家庭的な悩みを酔った勢いで話してくれた。こちらも酔った勢いでいろんな話をした。要するにみんな外からは元気そうや幸せそうに見えても、それぞれ悩みを抱えているということだ。当たり前と言えば当たり前だが、偶然内実を聞く機会が重なり、自分も含めて元気で何不自由なく暮らしているように見える人もいろいろな問題を抱えていることが分かった。悩みを抱える同士の皆さん、問題を解決しようとか何とかしようなどと思わず(簡単に解決できるぐらいなら問題とは言わない)、それはそれとして自分のなすべき日常の細々としたことをたんたんとやって行きましょう。そうすれば思わぬ嬉しいことや問題を解決できることもあるかもしれません。
☆問題は問題、悩みは悩みとして、黒豆畑の準備はしなければならないので、草の生えた田んぼを耕して畑にしました。畝は曲がってますけど気にしてる場合ではない。この日も何とか終わり美味しい一杯飲んで眠れました。サンキュー。




Dr.351 tomorrow is another day (5月25日)
友だちと姫路の喫茶店に入ると入り口にこの「tomorrow is another day(明日は別の日)」の言葉が掛っていた。「明日は明日の風が吹く」などいろいろと解釈されるようだが、ドクター的には「今日一日が(辛いことが)いろいろあっても、明日は明日で別の日だから良い流れになるかもしれない(だから落ち込みすぎないで行こう)」みたいな感じで解釈しました。その時の彼が「私も過去には大きな失敗したんですよ」と話してくれたこととだぶってこの言葉が響いた。彼もこれで人生が終わりと思うほど追い詰められたらしいが、今は別の世界で期待され重要な役割を果たしている。明日(1年後10年後も含めて未来)は別の日(時間)がやってくるのだから、しんどいことがあっても諦めないでくさらず別の日(時)を待とう。別の流れの明日は必ずやってくるのだから、その日を楽しみに今日の仕事(業務・飲み会:これは今日のドクターの予定ですみません:も含めてやる流れになっていること)に精一杯取り組んで行こう。生物的にいつかは明日がやってこない日も来るだろうが(天寿を全うした場合)、それはそれでもはや明日の心配はしなくて良いのだから、ともかく上手く行っている時は感謝しながらその時間を楽しみ、辛い時は明日の別の日を楽しみに何とかその時間を生き抜き、みなさん元気に時を紡いでいきましょう。
☆この日はこの言葉が掛った喫茶店でおいしいランチを頂いた後、このようなきれいな花が掛った温泉で一風呂浴びて帰りました。バタバタの日が続いてますが、時にはこんな好い日(時間)もやってきます。できればこんな日が続きますように。あっ、でも明日はanother day か、気を付けながらボチボチ行こう(自分に呼びかけています)。


Dr.350 夢の跡(5月24日)
市内のかつての別荘地を訪れた。かつては何件もの家が建てられていたと思われるが、今は住む人もなく荒れ果てている。広い道路もついているが、今では落ち葉が積もり凸凹で倒木もある。一斉に立ち退かれたのか、徐々にいなくなられたのかは分からないが、そこかしこに子どもの人形や盥や机や椅子がほったらかしになっており、かつてここで子育てが行われてたことや多くの人が住まわれていたであろう賑わいと現在の誰も住まれていない荒れ果てた現実のギャップが心に沁みる。バブル期にしても別荘を持つことが出来たほど華やかな生活を送られた皆さんの夢の跡を目の当たりにして、人生の移り変わりと永い時間に思いを馳せた。日々生きていると目の前の出来事に一喜一憂するが、永い時間で見ると、大した違いはない。かつての財産も今は税金だけがかかる負の遺産かもしれない。現在物心ともに豊かに暮らしている人もそうでない人もその暮らしは永遠ではない。豊かだと言って奢らず、貧しいと言って腐らず、精一杯自分のなすべきこと、役回りを勤めたい。できれば同時代を共有しながら生きるご縁の仲間同士、つながって支え合っていきましょう。
☆かつての夢の跡も今は自然の中。人間の営みの儚さと自然の悠久を感じた。そこを感じながらも今をバタバタ生きるドクターの生き方は変わるのか。変わればいいな。でもまあボチボチ行くか。






Dr.349 健康に感謝(5月23日)
4月からバタバタな毎日が続いている。冒険指導も4月5月は多いし、百姓仕事も切れ目なく続き、新たにこの4月から頼まれた市民センターでの仕事、さらには頼まれたことはできるだけ引き受ける方針に基づくいろいろな会議や業務で毎日息つく暇もない。これは嘆いているのではなく、このように毎日立ち止まって考える暇もなくいろんなことをやらせていただいていることに感謝しているということが言いたいことです。今年の1月~3月は閑で考え事をする時間がありすぎて退屈を持て余した経験がある。忙しすぎるのと暇すぎるのとどちらが良いかと問われればその中間位が一番良いのは決まっているが、世の中自分の思う通りには進んでくれない。どちらにしても現状の良い面を有難く感謝しながら受け入れていきたい。第2の人生では、健康と生きがいと生活費が大事だと言われているが、ドクターの場合3つとも今後に向けて確固たる自信はないが、お陰様で今のところは何とかなっているかな。特にバタバタ人生を可能にしているのが健康で、これとて細かく見ていけばいろいろガタはきているが、何とか動き回り、おいしく食べモノと晩酌を頂けている。このことに感謝しながら当面のやらなければならないことに当たっていきます。皆様もご健勝で、今の恵まれた点だけみながら笑顔で参りましょう。
☆この日は地元ロータリークラブの昼食会に参加せていただき、皆さんの地域貢献に対する意気込みを感じ、その後は新車のトラクターで黒豆畑の準備をしました。こんなバタバタも健康とご縁と成り行きのお陰と感謝しながら今日もバタバタします。





Dr.348 第2の人生(5月22日)
人生100年時代に入った。50歳あるいは60歳から第2の人生が始まるということをいろんな本や人が言っている。そしてその多くが、第一の人生は生物として子孫を残し、社会の一員として仕事で貢献するが、第2の人生は自分の好きなことを気兼ねなくやる、第一の人生と同じ価値観で生きてはいけないみたいなことを言っている。50歳からにしても60歳からにしても第2の人生が始まっているのが間違いないドクターとしては、今をどう生きようと模索している。お陰様で第一の教員人生を面白く生きさせていただいた。第2の人生のメインテーマは決まっていないが、いつまでも第一を懐かしんでいても始まらないことは確かだ。第1の終わりころから準備をして第2の人生を充実させよという本もあるが、もはや始まっている人には後の祭りだ。だいたい第一の人生真っ盛りの人は第2を考えたりするのは遅くなるのが普通だと思う。こんな本を読むのは第2が始まってからだ。第2始まってるのにどうしよう派のドクターとしては、何度も言うように流れとご縁に任せてうまいこと第2の人生のテーマが見つからないかと狙っている。第2人生1年目の去年は冒険指導を核にいろんなことをやらせていただいて面白かったが、第2の核が見つかったかと言うとそうでもない。第2人生2年目の本年度は去年とは違う仕事(分野)もやらせていただいていて、これが核になるかどうかは未だ分からないが、今のところ充実している。こんな感じでバタバタ行くのが第2の人生かもしれないし、何かメインテーマが見つかるかもしれない。まあ折角の第2の人生だからどうなっていくのかを面白がる余裕を持ちながら歩んで行きたい。
☆第2の人生でも第1でやった「山の芋グリーンカーテン」を植えて、第1の経験が生きた。第2は第1とは無縁ではないのかなと思いながら夕陽の美しさに見入った。自然や動植物の美しさに気付く余裕は第2の方が優れている。第2も面白くなるかも。


