Dr.131 遺産(9月7日)
良い面でも悪い面でも親から多くの遺産を受け継いでいる。経済的な遺産だけでなく、体質や性格と言った遺産も受け継いでいる。後者の方は遺伝と言った方が良いかもしれないが。特に5年前に亡くなった親父から何を受け継いでいるかを考えてみた。分かりやすい例では、親父と一緒に旅行に行くと、親父は旅館のスタッフや店の店員さんによくどうでもよいような話を話しかけていた。一緒に居るこちらとしてはそれが嫌で仕方なかったが、最近では自分がよく店の人に話しかけて、子ども達から嫌がられている。でもきっと息子もおっさんになれば、同じようなことをしそうな気がする。校長として大いに役立った大勢の人の前で話すのが気にならないという性格は親父もそうだったことを思い出す。なぜ今そんなことを回想しているかと言うと、昨日長年使っていたコンバイン(米を刈り取る機械)の調子が悪くなり、修理に来てもらった農機具屋さんの勧めで新しいのを衝動買いすることにしたからだ。今ドクターが農業が出来ているのは、親父が遺してくれた農地や農機具や倉庫のお陰だ。今の農業は農機具がないと何もできない。その農機具も年々更新していかなければならず、これまではちょこちょこ修理でごまかしてきたが、今回初めて大物を買い替えた。農業も人生も今後どうなるかは分からないが、親から受け継いだものと、自分が独自に手に入れたものを使いながら終いまで行きたい。親父の晩年を見ていると、好き勝手に生きていたように思うが、いつもお気楽とは言えなかった。ドクターとしては日日お気楽な定年生活を完成したいが、結局親父と同じようになるかもしれない。
☆菓子パンを食べながら(ドクターが自分で獲得した生活志向)、親の遺産のコンバインを使って最後の田の稲を刈る。
☆その後、遺産(コンバイ)は不調となり、遺産処分を決意して新しいコンバインを買う契約をした農機具やの兄ちゃんと。
Dr.130 何かお手伝いできることは(9月6日)
健康診断で病院に行き廊下を歩いていると、泣きじゃくり嘔吐した2~3歳児を抱えたお母さんが椅子に座って困っておられた。その時ドクターの口から咄嗟に「何かお手伝いできることはありませんか」という言葉が出ていた。いつもはこのような場合は通り過ぎてから、「声を掛けようかどうしようか」「何か力になりたいけどどうすればいいのだろう」とか考えあぐねている間に時期を逸するというようなことが多いのだが、今回は考えるよりも前にこの言葉が出て、言った後から自分でもびっくり。そしてその後「咄嗟に素敵な言葉が出るとは自分も進歩したもんだな」と、例のごとく自分をほめた。そして皆様にも聞いてもらっている。自分が言ったから言うわけではないが、この「何かお手伝いできることはありませんか」は良い言葉だ。自分ではこうした方がいいと思っても、その人にとってはいらないことかもしれない。尋ねる余裕がある場合は、当人にどうしたいのか、どうしてほしいのか、聞くのが一番だ。この時もお母さんからは「ありがとうございます。でも、もうすぐ看護師さんが来てくれますから」と言われ、実際その後すぐに看護師さんが嘔吐処理グッズを持って駆けつけてこられていた。おっさんも嘔吐して見せ、おっさんでも嘔吐するのだから小さい子供が嘔吐するのは当然だよと言う等、変に動かなくてよかった。ところで診察結果は惨憺たるものだった。コレステロール、血糖値、血圧等が高めで、低い音が聞こえなくなっていた。問診をしてくれた若い医者から「何かおてつだいできるこはありませんか」と聞いてほしかった。
☆病院の視力検査室で。視力も相当落ちていた。視力回復のために「何かお手伝いできることはありませんか」
Dr.129 試練(9月5日)
人生は順風満帆ばかりではない。仕事や経済状況、健康や人間関係など試練が幾度となく襲ってくる。「逆境の時こそ真価が問われる」という言葉もあるから、試練の時こそしっかりしなくてはならない。ドクターなどは、「真価など問わなくてもいいから、逆境は無しにして」と思っているが、世の中そう甘くなく、試練はドクターにも襲い掛かる。いや「襲い掛かる」という表現はちょっとオーバーでした。ドクター程度の試練で「襲い掛かる」を使えば、本当に厳しい試練を受けている人に申し訳ない。昨日読んだ本では「自分よりもよりひどい状況の人と比べることは、精神安定的には良いことだ」と紹介されていた。これまでは、人と比べるからしんどくなるので、「人それぞれ」と他人を気にしない生き方が良いと思っていたし、何か自分よりも苦しんでいる人と比べて自分はまだましだと思って安心するようなことは姑息と言うのか潔いやり方ではないような気がするが、ホントにしんどい時はそんなことは言っておれない。人に公言する必要はないが、自分が試練に耐えれるようなやり方なり考え方なりを身に着けてほしい。話はそれたが、今回のドクターの試練は「台風で稲刈りが出来ない」ということだ。稲刈りには適期があるが、天候との加減でいつ刈るのかが難しい。何とか工夫してもう少し残っている稲刈りの試練を乗り越えたい。皆様もご自分の試練を工夫で乗り越えられますように。
☆これは月曜日に田んぼに入った軽トラが、ぬかるみで前にも後ろにも動けなくなった試練。この時は近所に住む叔父さんに小型ユンボで助けてもらいました。試練でもこれをネタにしようという(写真を撮る)余裕があったのがまだ良かった。
☆自室から降りしきる雨を見ていると、小鳥が瓦の隙間で雨の試練に耐えていた。
☆今朝見るとドクター黒豆は結構暴風雨の試練に耐え、さやまでつけていたが、さらに大きくなるには虫の試練とも戦わなければならない。自然界も人間界も試練が多い。
Dr.128 独り言言ってますけど(9月4日)
時々行く市のトレーニングセンターで今は市内で働く篠山東雲高校の卒業生達と一緒になった。おっさんドクターは主にランニングマシンで脂肪燃焼に励み、彼らはベンチプレスで筋肉増強に励む。ランニングマシンの良い所はいくら遅くても誰にも抜かれないところだ。一般道路をちんたら走っていると散歩のおばさんなどに抜かれたりするから油断できない。村で走る時には常に周りの人影を意識しておかなければならないのだ。「丹後のおっさんはもう何年も走ってるのに、散歩の人に抜かれるらしいで」という評判だけは立たないようにしたい。ともかく20~30分のランニングマシンを終えて腹筋台に向かっていると、教え子たちが「先生、独り言が気持ち悪かったわ」「俺らは知ってるからまだいいけど、知らん人は気持ち悪がって誰も近づかんやろな」と言う。「えっ、わし独り言言うとったん」と聞いたが、自分では全く気が付かないままにブツブツ言うてたらしい。二人して言うからまちがいないようだ。これはまずい。前にも書いたが、「しまったしまった島倉千代子」「「まあいいかいいかのイカの塩辛」的な言葉遊びは言うが、これは意識してのことだ。ブツブツの内容は分からなかったようだが、ランニングという現実の行動と、何かブツブツ言うという無意識の行動が同時に起こっていることになる。このまま進めば、今が夢か現実か分からない半覚醒状態に陥ることになる。それはそれでお気楽なようにも思うが、周りは大変だろう。何にしても覚醒状態が続いているうちに現役を引退したのは正解だったようだ。もしかしたら現役時代にも無意識化の変な言動が出ていて迷惑かけていたかもしれないが、今となっては許してもらうしかない。
☆目薬を買いにドラッグストアに寄ったら、ここでも篠山東雲高校の卒業生に出会った。彼女も市内で元気に働いているという。このように市内には卒業生やそのご家族が大勢おられるので、元校長が徘徊していても身柄を確保していただけるだろう、安心だ。
☆このような何が撮りたかったのかはっきりしない写真も多くなってきた、不安だ。
Dr.127 ドクターの影響です(9月3日)
ある会合(飲み会ですけど)で出会った篠山市出身の指導主事の方から、他市の女性指導主事の人が「この世界(この世界が何を指すのかは定かではありませんけど)に入ったのはドクターの影響です」と言ってましたという話を聞いた。この女性指導主事が兵庫教育大学にいた時、嬉野台生涯教育センターにいたドクター(その当時からこの冒険ネームを使ってました)の指導を受けたらしい。彼女がどんな影響を受けたのか確かなところは分からないが、多分「こんな人でも指導主事が勤まるなら私にもできるだろう」とか「指導主事って大変って聞いていたけど、ドクターみたいに自分がやりたいことを楽しそうにやってはる指導主事もいるんや」とか思ったに違いない。ところでこの頃読んでいる『定年後(人生後半)を充実させる本』(仮題)によると、「自分が輝いていた頃を思い出す」「自分の自慢話を自分にいくらしても良い」そうだ。それでわざわざ今日の話題にしてみたのだが、確かに「ドクターの影響です」という話を聞いた瞬間は嬉しかったが、それを皆さんに聞いてもらったからと言って嬉しさが増したわけでもない。むしろ「自慢話ですみません」って感じだ。そう言えば、その本には「(昔のことは忘れて)今日一日を充実させる」みたいなことも書いてあった。今度はこれでいってみよう。定年後の充実した毎日を目指して摸索の日々が続く。
☆生き方摸索は摸索として、今が盛りの田んぼ仕事はできる時に(雨が降らないうちに)やっておかなければならない。「毎日やることがあることがある(今日用がある)ことが幸せ」という話も聞いたこともあるなあ等と考えながら作業をするドクター。「昼間農作業に汗を流し、夜においしい肴でビールを頂く」これが幸せなのだろうか。