Dr.136 定年後のコツ(9月11日)
定年後の充実した生活を模索しているが、昨日は比較的良い感じの過ごし方が出来た。ここにきてようやく定年後のコツをつかみかけたような気がする。気がするだけなので、まだ大きなことは言えないが、確信が持てるまで待っていれば何時の事になるか分からないし、忘れてしまいそうなので、とりあえず昨日つかんだコツを紹介しておきたい。コツ①仕事を持つ(定年までよく働いたので定年後はゆっくりしたいと思っている人も、「何もしない生活」は1週間ほどで飽きてくるらしい。フルタイムか週3日程度かは好みによるが、何らかの仕事を持った方が人との関りも持てて良いようである。しかし、このコツは65歳とか70歳くらいまでは行けても、その後は通用しなくなるようにも思う)、コツ②健康を維持する(これが大切なことについては説明の必要もないと思うが、普通にしていると加齢とともに問題が生じてくるものなので、その覚悟「どこか悪い所が出てきて当たり前」と手当「コレステロールや血圧が高ければ運動をして痩せる、歯がガタついてくればインプラントで補強するする等)が必要。決していつまでも完全な健康体にこだわってはいけない。無理なことにこだわるとストレスになる)、コツ③自己(自分の人生)を肯定する(「なんやかやと言ってもよくここまでやってきたやないか」「今こうして生かされているだけでも大したものだ」とか何とか自分に甘く肯定する。決して自分で自分に厳しくしてはならない)、コツ④時間的余裕を楽しむ(コツ①と矛盾するようでもあるが、そこそこの時間的余裕ならば、それを楽しみゆったり過ごすことも可能なはずだ)等だ。昨日は朝から息子の送迎(塾のある日は学校への送りと学校から塾への送りはドクターの役割)と無理のない仕事、退職先輩校長や母とのおしゃべり(この会話の中からコツをつかんだ)、読書、スポセン、サウナ、飲酒などで過ごしたが、最近には珍しく結構よかった。この調子で行きたい。
☆昨日久しぶりに訪れた退職時勤務校で馴染みの生徒達(3年生)と。昨日調子が良かったのは結局この子たちと出会えたからかもしれない。やっぱりドクターブログには生徒が似合う。
Dr.135 神のご加護(9月11日)
公教育の現場にいる時には、あまり大きな声では言えなかったが、神を信じるというのは大きな力になる。何教の神でも、仏でも、宇宙の意志でも良いが、人間の力を超えたものの存在を認め、人間(自分)の力の限界を知り謙虚さを失わず、生かされていることに感謝しながら生きるという姿勢が大事だと思うのだ。昨日も新米をJAの倉庫に運ぶときに雨がピリピリ(篠山地域の方言。雨がパラパラ降る意)してきて、ドクターは神に祈った。「どうか倉庫に運び入れるまで本降りになりませんように」と。祈りが通じたのか、何とか小雨のうちにJA倉庫に運び込むことができ、これでようやく今年の米作りはすべて終わった。神のご加護を実感した瞬間だった。今後は供出した新米が「2等になりますように」(ドクター流成り行き任せの米作りでは1等を望むことは気が引ける)と祈らせていただく。神頼みだけの生き方でいいのかと言う批判はあろうが、何も人の努力を否定している訳ではない。神のご加護を信じ心安らかに自分の生かされている範囲で精一杯はやるというスタンス(生き方)がいいようにおもうだけだ。ただし、神のご加護を受けるに値するだけの善行(ホントは善行かどうかは分からなくても自分が頼まれたことややる羽目になったことを誠実にやるということで良い)を積んだり、自己中や卑怯な振る舞いはしないように気を配っておかなければならない。こんな感じでやってます。
☆小雨の止むのを神に祈って「新米の供出」を何とか終えることができました。そして今日も又ドクターの神頼み人生が続きます。
Dr.134 ヤッター後もやもや(9月10日)
最近はよく警報で学校が休みになる。朝、警報が出ているのを知って「ヤッター」と思う人は多いと思う。どんなに学校好きな人でも一瞬はそんな気持ちになるのではないだろうか。先週土曜日の某私立中学校の冒険指導も警報のため中止となった。そんなことがあるとは夢にも思わず、朝早く家を出て学校に向かう車の中で中止の知らせを聞いて思わず「ヤッター」と叫んだ。冒険指導は好きでやっているくせに、それが中止になって喜ぶのはおかしいと思われるだろうが、この時はホントに心から嬉しかった。この冒険講座は10回シリーズで、同じ中学生20名ほどを相手に90分授業を10回おこなわなければならないというハードルの高いもので、毎回新しいネタを用意しなければならないこともあって、子どもたちは素直で可愛いのだが、指導者としては指導日が近づいてくると頭が痛くなるほどストレスがたまるものだ。だからそれが一回減ったのが嬉しさにつながったのかもしれない。指導者は岡山や大阪など遠くから集まってきているので朝7時の時点で中止と言われても、来るのを中止することはできない。この日も全員が集まり、対象学年の学年団の先生方とのミーティングをして解散した。その帰り道で気付いたのだが、いつもの満足感がない。いつもは無い知恵を絞りだして精一杯の指導をして帰路に就くときには、それなりの満足感と言うのかある種の達成感があるのだが、今回はそれがない。そういえば、達成感なり満足感は、ある種のがんばりとかハードルを越える努力の後に感じるものだ。気がかりだった指導が警報で流れた「嬉しさ」とハードルを越えなかった「達成感の無さ」とが、心の中で葛藤して「もやもや」の状態になったのだ。では「もやもや」が嫌だから、警報は出なかった方が良かったかと言うと、単純にはそうともい思えない。そこが優柔不断人間ドクターの性(さが)だ。性(さが)はどうしようもないので、「どうしようもないものには逆らわない」という、お気楽人生の教訓に従って、今回も単純に「ヤッター後もやもや」を経験したというにとどめたい。ところで最近結構「お気楽人生」への教訓と言うのかヒントが溜まってきた、本にでもまとめたい。
☆雨の合間を縫って、魚肉ソーセージ(母のお勧めです)を食べながら草刈りをした。雨が上がっていれば外で作業をし、雨が降っていれば屋内で作業をする。「自然の流れに従って生きる」、また教訓集のネタが一つ増えた。
Dr.133 ほめ上手(9月9日)
ある私立中学校土曜講座冒険プログラムのコーディネートをしてくれているPochi(犬顔の冒険指導者)に、「あなたにコーディネートしてもらってよかった。私では(毎回5人以上の指導者を10回も集めるようなことは)無理やわ」と言ったら、「ドクターは『ほめ上手』ですね」と言いつつもまんざらでもなさそうな顔つきだった。意識的に褒めようと思って言ったのではなく、本当にそう思うので感謝の気持ちを伝えようと思って言っただけなのに『ほめ上手』と言われ、そう言えば校長になった時には意識的に職員の良い所を褒める声掛けをしようと思ってやってきたのが、いつしか習い性となり無意識のうちに人の良い所を指摘せざるをえないような人間になってしまったのかと嬉しかった。その後行ったトレセンで、ランニングマシンの順番をおばさんに譲った面識のない男性に「さっきは順番を譲りましたね。いいことをされました」と話しかけたが、先ほど『ほめ上手』と言われていなければ言わなかったセリフだ。何かPochiの一言で自分の褒め行為が活性化したように思う。Pochiこそ真のほめ上手かもしれない。トレセンで褒めた男性は「いやあ、あの人の方が先から待っておられましたからね」とか言いながらもなんか嬉しそうに笑顔を返してくれた。『ほめ上手』は褒めた方も褒められた方も気分が良くなる。お気楽ご機嫌な生き方のコツに『ほめ上手』を入れたい。
☆ある通信制高校のスタッフの方と。この方も「私も三田市内であった『絶こうちょう』講演会聞きたかったですわ」とか嬉しいことをおっしゃる『ほめ上手』だ。ドクターの顔がにやけているのがその証拠だ。『ほめ上手』の輪を丹有地域から全国へ。
Dr.132 影響(9月8日)
諸事情で高校等を回っていると、時々ドクターのことを知っている人に出会い、さらにごくまれに褒めてくれる人がある。この間行った高校では、ドクターが現役校長だった時にインタビューに来た生徒が高2に在籍しており、彼はドクターインタビューをきっかけに社会には変わった大人がおり、変わった大人は同じような若者が好きだということを知り、どんどん積極的にいろんな機会にいろんな人に会うようになり、ついには市の地域起こしやイベントに参加するようになり、将来は市の職員として地域創造に関わりたいと思うようになり、そのためには大学進学が必要だと思うようになり、今受験のための勉強を始めたという話をしてくださった。高校入学当初は進学を考えていなかった彼が大学進学を考えるようになったきっかけがすべてではないにしても、その一部にドクターの存在が関わっているという話を聞きとても嬉しかった。また、そのように理解してくださっている先生がおられるということも嬉しかった。このように自分の存在が誰かに影響を与えて、自分の考えなり思いが伝わっていくのだと思えることは、自分がやってきたことや生きてきたことが何かの役に立っていたということであり、それは何よりの生きがいになる。毎日がすべて面白いことばかりでなくても生きてると時々こうした嬉しい知らせに出会え、この世もまんざらでないと思える。ここに生きることの妙味があるが、世の中そう妙味ばかりが続かず、いろんな大変なことも待っているのものであることは、長く生きてると分かる。というわけで今日も良いこと・普通の事・大変なことに出会うだろうけど、ともかく今日一日を精一杯生きよう。
☆ドクターの影響を受けたという生徒がいる学校で。自分が勤務していた学校にも影響を受けた生徒はいるはずだと信じている。信じる者は救われる。お気楽な道へのヒントがまた一つ見つかった。