Dr.141 来賓席に座っている(9月17日)
娘の中学校運動会がありPTA会長として参加した。PTA会長の当日の主な仕事は、①テントを建てる、②来賓席に座っている、③競技を応援する、④来賓席に座っている、⑤他の来賓と世間話をする、⑥来賓席に座っている、⑦トイレに行ったついでに知人と立ち話をする、⑧来賓席に座っている、⑨校長や生徒会長が演台に上がる前に一礼されるのに答礼する、⑩来賓席に座っている、その他で、そのメインの役割は「来賓席に座っている」ことだ。しかし、この「来賓席に座っている」役割を馬鹿にしてはならない。来賓のほとんど(全員といってもよい)がいくつか演技を見て帰ってしまい、長くても午前の演技終了でいなくなるので、ここでPTA会長までいなくなると、来賓席が来賓席か隣の敬老席か分からなくなってくるからだ。閉会式の時に壇上に上がる人が来賓席に向かって礼をしようにも無人では格好がつかない。ともかく、この日ドクターはこの「来賓席に座っている」という大役と、その他の役割の午前のプログラム終了間際の「PTA会長あいさつ」を全力で行った。「PTA会長あいさつ」は、やっと午前の全プログラムが終わって「やれやれこれで昼飯だ」という慌ただしく、誰も早く終わってくれという状況の中で行われる「あってもなくても良いが、なければない方が良い」ものだ。妻にも「誰も聞いていないから短く早く終わるように」言われていたが、こうした「あってもなくても良いこと」「どうでも良いこと」に全力を注ぐのが人生を面白くするコツだと鈴高校時代に先輩から学んだドクターとしてはこの日も、誰も聞いていない、あってもなくても良い「PTA会長あいさつ」に全力を注いだが、その詳細については次号で。
☆中学校運動会で「来賓席に座っている」という大役を務めるドクター。
☆誰も聞いていない、どうでもいい「PTA会長あいさつ」に全力で取り組むドクター。あいさつに中身は次号で。こうご期待(しないでね)。
Dr.140 メール相談(9月16日)
数少ないドクターブログの愛読者の方からメールで相談が届いたので、ブログでお答えしたい。私的な相談を公開することに躊躇はあるが、ブログのネタ不足に悩むドクターを助けると思って勘弁して頂きたい。勿論プライバシーには気を付け、誰からの相談かは分からないようにしたい。回答を公にすることで広くドクターの考え方(お気楽な生き方)を多くのみなさんに知ってもらいたいという思いと、これを名物企画にできればネタ探しも楽になるのではという下心もある(ネタ不足の時に登場する「丹吉師」にもゆっくりしていただける)。今回の相談内容は「海外への生徒引率を頼まれたがどのようなことに気を付けなければならないか」ということだ。相談者はドクターがかつて生徒をオーストラリアへ引率したことと、「頼まれたことややる羽目になったことは引き受けた方が良い」と主張していることを知っている方だ。相談に入る前に後段の主張は最近「頼まれたことは引き受けたほうが自分の可能性を広げるという意味で良いが、気乗りしないことは引き受けなくてよい」という風に変質していることをお断りしたい(変質はずるいって)。ドクター自身が何でもかんでも引き受け過ぎて多忙になっているのと、気乗りしないことを引き受けるのは自分にも相手にも良くないと思うからだ。引き受けたほうが良いのは、迷っている場合(迷いがあるということはまんざらでない要素もある)や思いがけない提案の場合だ。これらは間違いなく引き受けた方が良い。さて、海外引率の相談だが、ドクター自身も行く前は不安いっぱいだったが、行ったあとの今では引率して本当に良かったと思っている。行ったことのない国へ大事な人様の子どもの命を預かって行くことに不安があって当たり前だが、「案ずるより産むがやすし」ということばもある通り、やったことがないことはやってみないと分からないし、やってみると思っていたより大したことないというのが通例だ。まずは引率を引き受けたというあなたの決断に賛辞を送りたいと思うと同時に、今回の体験があなたの人生を豊かにするのは間違いないということを確信をもって申し上げたい。これで回答を終わるが、これでは何のヒントにもならないって。新コーナーの先行きが危ぶまれるが、「まあ何とかなるでしょう」。そうこのお気楽な生き方の極意が引率の極意でもあるのです。
☆朝のランニング中に見た虹を相談者の餞(はなむけ)に送りたい。引率を楽しもう。
Dr.139 災害列島(9月15日)
先日全国から集まった大学の先生方と話す機会があったが、その席で「台風の被害は大丈夫だったですか」があいさつ言葉のように使われていた。この台風が何号を指すのか分からないぐらい、台風を地震や風水害と置き換えてもおかしくないぐらい、最近の日本列島(世界)は災害が頻発している。その時も、関空の近くに住む方が「近くの駅が壊れたり、断水が続いたりしました」と言えば、「地震でコレクションのウィスキーが全てだめになった」とおっしゃる方がいて、「北海道ですか」と聞けば熊本地震の時の話だった。新潟の方も新潟地震のことを話されるので、ドクターも阪神大震災に遭った話をした。結局長く生きていれば誰もいつかどこかで大きな災害に遭うものだという話に落ち着いたが、それにしても近年の災害の多さはひどい。災害について考えていると、良寛さんの「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候」という言葉を思い出した。この言葉は一見厳しいようだが、だれも災難(災害)から逃れられないのだから、災難に遭った時には覚悟を決めて、愚痴や嘆いてばかりでなく、被害への対処や現実にやらなければならないことを一つ一つやっていこうという意味だと思う。災害は嫌だし避けれるものなら避けたいが、どうしようもないものならどうしようもない。仕方がないことにぐちぐち言っても始まらない。仕方のないことやどうしようもないこと、ついでにやる羽目になったことなども含めてこうしたものには腹を決めて受け入れ、自分のできることをできる範囲でやるしかない。災害はマイナスが多いが、それに出会ってしまうと、「何が一番大切か(多分、命や家族)」「いかに(災害や災難に遭わない)普通の状態や日常がありがたいことか」を思い出させてくれる。それを災害のメリットと呼ぶのは気が引けるが、災害にやらっれぱなしにならないためにも、つかんだ教訓は明日からの生活に生かしたい。
☆朝のランニングは晴天の中でやりたいが、天候はどうしようもない。雨が降ったら傘さして、降ってなければ傘無しで走るだけだ(近所の人は「今日も雨の中を歩いてはったね」と表現されますが)。
☆今日は娘の運動会。おもろいPTA会長あいさつを思いついたが、中止なら仕方ない。できる時にやるだけだ。どうしようもないものは受け入れる、これもお気楽人生の大事な秘訣だ。空いた一日はたまった事務処理でもしながらだらだらしよう。
Dr.138 1等賞(9月14日)
先日JAへ出荷した新米の検査結果通知が来た。今年のドクターが作ったお米の審査結果は何と「1等」だった。「何とか2等には入りますように」と神に祈ったあのお米が、祈りを超えて「1等」になったのだ。親父が亡くなり自分でお米を作るようになってからの等級は、初年度が「1等」(これは親父が土づくりをしてくれていたお陰)、その次の年から順に「2等」「3等」と来て去年が「2等」(一部「選外」)で、今年「1等」になったのだ。自分で土づくりからやって「1等」だったのは今年が初めてということだ。初めての米作りの「1等賞」と言ってもいい。「嬉しい」「でもなぜあの米で1等なの」「今年は全員1等なんとちゃうの」「これで1等がでるんやったら、来年からもいけるぞ」「この頃定年後の一人生活にも慣れて来たな」「今年の気の合う仲間とやる黒豆パーティーはいつにしようか」「ブログで触れると喜ぶ人(親友のT教頭とかA高校生のU君とか)と嫌がる人(S高校のB教頭とか)がいるな」「冒険指導はヒマやけど地域の役員は忙しいな」とか何とかいろいろな思いが頭の中を駆け巡った。米作りの1等(賞)と言っても、これまでのドクターの人生で1等賞をとったことってあったけと考えて愕然とした、1等や最優秀賞をとった記憶が全くないのだ。教員採用試験模試は全国2位やったし、国体の空手競技はベスト8やったし、全県校長人気投票1位は架空やし(とか何とか言いながら自慢してる?)。でも、1等賞はなくても十分生きていけるし、「1等賞は獲るより目指すもの」とある人が言ってたし(丹吉師曰く)、何より今年のお米の1等は単にお米の等級であって、ドクターの米作りが市内「1等賞」であったわけではないのだ。これからは「お気楽な生き方」の1等賞を目指してがんばろう。でも待てよ、「お気楽な生き方」に他人と競う発想は要らないか。
☆今年のお米の検査結果「1等」に喜ぶドクター。「1等」かどうかは別にして、低農薬無化学肥料神頼み適当耕作のドクター米はおいしいよ。みなさん一度食べてみてくださいね。
Dr.137 先生も素敵(9月13日)
久しぶりに嬉野台生涯教育センターで冒険指導を行った。対象は高校1年生だが、生徒も素直で素敵だったが、引率の先生方もみなさん熱心で冒険教育やよりよい指導に対して関心が高い素敵な方々だった。指導の合間や休憩時間、終了後などに多くの先生方とおしゃべりをした。ドクターが冒険指導でやりたいことの一番は先生方に従来の教え込む教育だけでなく、教えないで生徒の気付きを待つ教育のすばらしさを知ってもらうことだ。そのため普段から引率の先生方とはできるだけおしゃべりをしたり、活動の様子をみてもらったり、時には生徒と一緒に参加してもらったり、写真を撮ってもらったりしている。中にはいつもの学校と同じ調子で課題に取り組んでいる子ども達に指示を出したり、盛り上がるところだけ見て後は無関心だったりする残念な先生もいるが、今回の先生方はどなたも熱心ですばらしい関わり方をなされた。ドクターとのやりとりはこんな感じだ。「あの子はすぐやりたがるけど、あまり周りのことを考えてませんね」「いつもそうです」、「あの子はグループを引っ張る力があるのだから、もっと自信をもってやればいいですのにね」「私たちもそれを期待しています」、「あの三人は結構グループ全体のことを考えていますよ」「学校では見ない姿で、彼らの意外な一面が知れて良かったです」みたいな。中には「教員向けの冒険講座ってありますか」と、冒険教育に関心を持たれた先生もおられた。ドクターが特にすごいと思った先生は、自ら志願して生徒たちに身を任せてタイヤをくぐった先生だ(写真参照)。こんな先生はこれまで見たことがない。良かったことも多かったが、残念なのはドクター丹後の体力の衰えを実感したことだ。ドクター班だけ20分ほど早く終わってしまった。体力の衰えか、いつも以上に生徒や先生としゃべりすぎたせいかはさだかでないけれど。
☆久しぶりの嬉野台で、いつものような冒険活動の指導が始まったが、
今回の生徒たちは素晴らしかったが引率の先生方も素晴らしかった。最後の写真のような感じで生徒たちに身体を支えてもらってタイヤをくぐった先生もいた。こんな先生はこれまで見たことがない。