ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.336 新しい季節(5月4日)

新緑が美しい季節になった。新緑はこれまでの緑から新しい芽が出て葉が出てその色が活き活きとしている新しい季節にぴったりだ。年度が代わり(ちょっと前ですけど)、年号が代わり、篠山市は市名も変わった。こんな大きな流れの中で何ですけど、SAPのHPも変わった。「ささやま冒険教育(SAP)」も市名変更に従って「たんばささやま冒険教育」にしようかとも考えたが、それだと略称が「TAP」となってしまい、「玉川大学アドベンチャープログラム」と同じになってしまう。TAPは歴史も長く、ドクターの尊敬する方が長くTAPセンター長を勤められていた施設で恐れ多くてとてもTAPは名乗れない。ということでSAPはSAPのまま、写真などを変えただけで細々と行こうと思っています。でも細々であろうと消極的であろうと受け身であろうと、物事は全て時の流れとともに移り変わって新しい季節(ステージ)が始まる。ドクターの仕事もちょっと変わって、息子が関東で一人住まいになったので家の雰囲気も変わって来ている。別に新緑の5月だけでなく毎日毎日が何か変わっているのだが、特に目に付く新緑・年度替わりの今の季節は時の移り変わりを感じやすい。というわけでSAPも自分の毎日も変わることは変わるのだが、信条と言うのか生き方と言うのは同じような感じで、特にドクター流は「流れでやる事になったことをそれなりに楽しみながらやって行く」という受け身的なものだから、新緑の季節であろうとそれ以外の季節であろうと激変と言うことはない。それでも時の流れとともにいろんなもの(体力・体形・仕事・家族の形など)が変わっていくことには抗(あらが)えず、ここは一つ変わっていくことを「これから自分はどうなって行くんだろう」ってな感じで楽しみながら生きて行きたい。

 ☆新緑の季節に変化を感じながら新しい仕事も流れで勤めさせていただいてるドクター。

Dr.335 趣味の農業(5月3日)

高校剣道部の仲間と還暦同窓会をして以来ライングループで情報を交換している。そんな中、「私(ここではドクターネームを使っていない)は連休も田んぼ仕事で代掻きしてますが、農業は趣味みたいなものですわ」と書いた。農業を生業としている人には失礼な表現だと思うが、こう言ったのは、一つは連休でウキウキしている仲間に丹後一人が仕事で可哀そうにと言う気を使わせないためと自分自身に農業を(趣味のように)楽しめというメッセージを贈るためだ。普通にしてると農業っていろいろ段取りや考えなければならないことが多くあって、おまけに機会オンチのドクター(ここでは自信を持ってこのネームを使わせていただきますが)はさらに心配しなければならないことが増えて、なかなか農作業を楽しむ域には達しない。それでも考え方さへ変えれば、自然の中で自分のペースで出来る達成感のある仕事の百姓仕事は魅力が一杯だ。農作業だけでなく普段の仕事や生活も「・・・それは趣味」みたいな感じでちょっと余裕を作って取り組んでゆけば、そのものの良い面が見えてくるように思う。長い間の趣味だった狂言を辞めて、今はホントに農業も含めて毎日が趣味のような感じで過ごしています。プロの方すみません。
 ☆「今日も元気だ農業が楽しい」と気合を入れて農作業に入るドクター。プロの農家はきちんと真っすぐに代掻きされるが、テキトー農家のドクターはテキトーに曲がりながら適当に写真など撮りながら百姓をやってます。

Dr.334 一切修行(5月2日)

年号が変わる日に篠山市から丹波篠山市に市名変更があって、市政20周年のお祝いも兼ねて式典や数々のイベントがあった。ドクターは市のホールであった式典に参加した後、家でちょっと野暮用をこなして久しぶりのトレーニングへ行った。3月までのようにほぼ毎日トレーニングをしていた時には何でもなかったランニングやウエイト上げがなかなかできなかった。その後にちょっと拾い読みをしていてこの言葉に出会った。「一切神徳」「一切修行」ということが書いてあった。この世で自分に起こることは善悪含めてすべて無駄なことはなく、特に悪というのか一見自分に厳しいことこそ自分を豊かにする修行になるということだ。上手く日常が送れている時には「そうそう」と思えるのだが、厳しい状況が起こった時やそれが続いた時などは、これが何で自分のためになるのかはなかなか理解できない。それでも一山超えると、やはりあの試練は自分に必要であったことが分かる。篠山市も自分の人生もこれまでいろんなことがあったが、すべてが未熟な自分には必要だったということだ。これからもいろんなことが起こるだろうが、これまでの経験を踏まえてジタバタしないで対処して行きたい。どうせ何かのお陰で授かって生かされている人生なのだから、生きてるだけでありがたいと思って感謝を忘れずにやっていきたい。
 ☆5月1日の市政20周年記念式典で表彰される皆さんと記念の歌を歌う皆さん。皆さんそれぞれの修行を経て市や周りの人へ貢献できる器を身につけられたのだろう。尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

Dr.333 平成最後の日(5月1日)

今日は令和(初めて入力しました)最初の日だが、昨日の平成最後の日は連勤の合間を縫って田植えの準備(代かき)でした。年末年始に年が改まる時や誕生日に一つ年齢をとる時と同じようにいつもの連続した時間が続いている。改元は年末年始や誕生日よりも大きな節目だとは思うが、自分としてはいつもの時間の延長と言う感じだ。きっとこの調子でこの世からあの世に行く時も特に気張ったりせず、普段の日常の延長で事果てるのだと思うし、そうありたい。節目を祝い大事にするのもそれはそれでよいと思うが、最後の日であろうと最初の日であろうと、いつもの日と同じように大切な日である。ドクター的には生きている日は大切なものだからと言って気合を入れ過ぎず(それではもたないので)、たんたんと、やるべきことを自分のできる範囲で出来る範囲の力でやっていく。これしかないし、これで十分だと思う。いつもの生き方を評価していただければそれはそれで嬉しくありがたいことだが、人の評価ばかりを意識せず自分の納得感を大事に時を紡いでいきたい。年号の変わる節目にそう考えた。これってつまりは節目を意識しているってこと。節目もいつもの日も変わらず大事と言っておきながら、節目ならではのことを言う。年号が変わってもドクターのいい加減さは変わらないようです。
 ☆平成最後の日は代かき。いつもの時間が流れていますが、この日にドクタートラクターの新車がデビューしました。でも1日作業すれば新車も汚れいつものトラクターに(トラクターは仕事をすれば汚れるのが通常の状態)、ドクターもいつものようにテキトーに全力で一日を過ごしました。節目を超えて自分らしく時を紡いでいきたいと思います。

Dr.332 大きな存在(4月30日)

ある神道系の団体で体験談をお話しする機会を頂いた。これまでの自分の人生の節目節目に神に支えて頂いて今の自分があるということをお話しさせていただいた。また、自分は公立学校の教員だったので特定の宗教を信仰するように子供や親御さんには言えないが、人間は人間の力を超えた大きな存在に導かれて活かされている。人智や人間の計らいを超えた大きな存在(それを神とか仏とか、宇宙とかサムシンググレイトとか呼び方はいろいろだが)を信じることが、自分を謙虚にそして生きやすくすると思うと話した。自分の力で全て何とかできる、してきたと言うのは思い上がりだと思うし、このような自分の力至上主義的な発想では上手く行かない場合も全て自分のせいと言うことになってしまいしんどいだろうし、上手く行ったら行ったで自分の力を過信して傲慢になって鼻持ちならない。これまで生きてきた実感から言っても、やはり自分は何か大きな力に導かれて歩んできたし、その助けでいろんな困難(自分で蒔いた種も多いですが)を何とかして(突破とはいいがたいですけど)ここまでこられたと心底思っている。それがドクター流、「流れに従って生きよう」「頼まれたことややる羽目になったことはできる範囲で全力で」「同じやるなら笑顔でお気楽に」というような人生訓につながっている。よい機会を与えてくださったことに感謝しながらこれからも出来る範囲でボツボツ歩んで行きたい。
 ☆写真は前回の高城山登山中に見た、水田に写った逆さ高城山(丹波富士)と風でなぎ倒された木の根っこ(生えている場所の土や岩盤に従って奔放に根を生やしている・生きている)。生き方の参考になる。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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