Dr.260 習慣(1月29日)
誰にも習慣はあると思うが、ドクターの場合は早朝ランニング(もはやウォーキングと言った方が良いスピード)、早朝菓子パン(朝新聞を読みながらコーヒーと菓子パン)、読書と思索(考えすぎるのは良くないと思索する場合もある)、トレーニングセンター通い(退職後はほぼ毎日)、スピードラーニング(全巻終了してこの頃では最終巻ばかりを聞いている。日本語のストーリーはほぼ理解した)、飲酒などだ。習慣の中には良い習慣、悪い習慣があると思うが、良い悪いは一概には言えないことが判明した。最近瓶詰の麦焼酎を良く飲み、酒屋さんに空き瓶を持って行って「この頃焼酎を飲むのが癖になってきました」と言うと、酒屋のおっさんは「良い習慣やね」とおっしゃった。酒を毎日飲むのが良い習慣と言われるとは思いもよらなかったが、酒屋のおっさんにとっては客が毎日酒を飲むのは良い習慣なのだ。このように良い悪いは簡単には決められない。ドクターブログも習慣に近いが、これを続けることが良いか悪いかは簡単には決められない。ドクターにとっては自分の考えをまとめる良い習慣だが、ひょっとしたら読者にとっては毎日の貴重な時間を浪費させている悪習慣かもしれないからだ。
☆ともかく酒屋のおっさんから勧められた瓶入り(実際にはプラスチック瓶)麦焼酎とこれを毎日飲むのは良い習慣と言われて気を良くして毎日飲むドクター。


Dr.259 地域の力(1月28日)
地域の人権学習会に参加した。講師の方は男女共同参画をテーマに男、女の特性を活かしてともに地域づくりや防災活動に取り組みましょうという話をされた。そして講演の中にワークショップと言うのか、二人や近くの数名で話し合う活動などを入れられた。ドクターが講演の時によくやる手法だ(というよりドクターの場合はこれがほとんどすべてだ)。ただ自分としては普段から地域の会に出席していて、自分の地域ではこのような活動をしても盛り上がらないだろうなという思いがあったが、何とやってみるととても盛り上がった。普段はそんなにしゃべらないあの人・この人が嬉しそうに周りの人と話している。地域の人にはこんな力があったのだ。そういえば、どの人も活躍する分野を持たれている。地域ではワークショップ系の活動は無理と思っていたのはドクターの勝手な思い込みだった。これからは固定観念を排して地域の力でもなんでも見ていかなければならないと改めて思った。

Dr.258 流れに乗る(1月27日)
無理をしないで流れに乗って生活することを信条としている。人生とは自分の狭い思いや計らいを超えて、流れからやる羽目になったこと(今日で言えば地域の福祉講演会で講師に謝辞を言う役)や生きていくうえでやらなければならないこと(食事をする、服を着替える、ボーっとする、「おはぎのこしあんの方を食べたな、あんたが食べるのは粒あんの方や」と妻から叱られる等)を時間の流れ順にたんたんとやっていくだけのことだ。そう思って暮らしていたが、昨日のテニス全豪オープンでの大坂選手の試合を見ていると流れに乗るだけでなく流れをつくることができそうな気がしてきた。調子のよい流れの時はラリーでもサーブでもどんどん決まって簡単に勝てると思いきや悪い流れでどんどん相手に得点を取られる。このままやられてしまうのかと思いきや、辛抱してゲームをつなぎ、また良い流れに戻していく。大坂選手の戦い方を見ていると、誰か(神か運命か)が敷いた流れに乗ってゲームを進めていくというより、流れ自体を自分で作り出しているように見えた。しかし凡人がいくら自分で良い流れを作ろうとしても無理なので、それを諦め、たんたんとやってきた流れに乗っかって気楽に生きる方が良いと悟ったはずだった。いやいや一時的な出来事で折角これまで苦労して掴みかけているお気楽な生き方の極意を手放してはならない。もともと普段テレビをあまり見ない(正確にはチャンネル権がない)ドクターが夕方のゴールデンタイムにテレビを見たこと自体が流れのなせる業だ。決して自分の意志や家庭内地位が向上したからではないことを忘れないようにしたい。
☆いつもはこんな景色の村がこんな(雪景色)になって、こんなこと(除雪作業)をしなければならないのはすべて自力や自分の意志ではなく大きな流れのせいだ。流れに任せて気楽に生きよう。
Dr.257 飄々と生きる(1月25日)
久しぶりに禅僧の本を読んで「飄々(ひょうひょう)と生きる」ことを思い出した。多難多事でしばらく仏教関係の本を読んでいなかったのが最近の不調の元だったようだ。他人の活躍や他人からの評価を気にし過ぎて「我関せずお気楽に生きる」ということを忘れていた。「人生に意味はない」「人生は壮大な暇つぶし」「夢・生きがい・日々の充実・なりたい自分等にとらわれず飄々と生きる」という折角つかみかけていた人生の指針を手放すところだった。ここは一つ瞑想でもして、心配やとらわれを脇に置いて、たんたんと起きる事態に対応しながら日々を心安らかに生きていくとしよう。いい感じの心境になってきたが、適当な性格ゆえ、折角のにわか悟りも長く続かないのではないかと心配されるが、起きてもないことを今から心配するとは、真の悟りへの道のりは遠い。
☆俄か瞑想で成り行き悟りを得ようとするいい加減ドクター。当分悟ったり迷ったりが続きそうだ。
Dr.256 不調発信(1月24日)
フェイスブックでもブログでもよく発信されるのは調子のよい話が多い。どこそこへ行っただのだれそれと会っただのなにやかやと面白いことをしただの、そりゃ発信する方は気持ちいいだろうが、毎度毎度知人の調子のよい話ばかり聞かされる(正確には見さされる)受信者はどんな思いだろう。特に自分が何をやってもうまく行かず元気がない時など他人の上手く行ってる話は正直あまり歓迎ではない。こんな根性の悪い意見も言ってみたくなるほど、最近のドクターは調子が悪い。特に身体のどこそこが悪いということではないが元気が出ず、気持ちもウキウキしてこない。特に毎日の生活でも面白いことがあるわけでもなく、誰からも心ときめくようなお誘いの連絡があるわけでもない。今朝も日課の早朝ランニング中に雪交じりの向かい風が吹いてきて、傘でしのいだが抵抗で前へ進みにくい。帰りは反対方向なので風に背中を押してもらう格好になったが、これも帰りには頼りにしていた風が止まってしまったと訴えて不調日常を伝えるネタにしたかったのに思うようにはいかなかった。こんな元気がない時には誰か不調の出来事を発信してくれないかという気になる。不調の人がいることが分かれば同病相憐れむというのか、あの人も大変そうだから自分も何とかやっていかなければという気持ちになれるだろう。どうか皆さんSNSで調子のよい話ばかりでなく、不調の話もやりましょう。こんな呼びかけすること自体かなり不調か。
☆ブログ発信も滞る不調の中、恐竜の里で開かれた会議に立場上出席したが盛り上がりに欠け、自撮り笑顔もどこかひきつっている。人間生きてるとそんなに調子の良いことばかり無いのが当たり前のはずだが、SNS発信では調子の良い話題ばかりが多すぎると苦言を呈するこれまで「絶こうちょう」とか自称していたドクター。