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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.382 心の余裕(7月1日)

慌ただしく時間に追われる日々を過ごしている。慌ただしい中で自宅周辺の民泊を検索していると(そんなことをしているから余計に慌ただしくなる)、ドクターの家から数百メートルのところに素敵なキャンプも出来る民泊がオープンしていた。そこのサイト写真を見ていると普段自分が目にしているはずなのに心に留めていなかった映像が一杯あった。満天の星空、椅子の上のアマガエル、若稲の並んだ田んぼなどだ。同郷の知り合いに聞くと、「時には一人で星空を眺めることがある」という。ドクターだけだったのか。こんな自然が豊かな土地に暮らしながら時間に追われるセカセカした毎日を送っていたのは。夜は大概早々に酔っぱらっているので(前回参照。するほどのことでもないですけど)、夜中に外に出たことはほとんどない。年齢とともに押し寄せる頻尿に夜中に何度も起きるだけだ。折角の人生、これでは情けない。これからは心に余裕を持って、自然の美しさにも目を停めながらゆったりと行きたい。と思うと同時に、これまでセカセカの人生だったのだから、これからも多分セカセカの人生を送るのだろうなという予感もある。何事もそうだが、理想と現実の間にはギャップがある。生きるには現実も大事だし、かと言って理想も全くなしでは生きる甲斐がない。ちょうど「優しさだけでは生きていけない。優しくなければ生きて行く資格がない」って感じでしょうか(なんのこっちゃ)。この理想と現実の葛藤は何度か話題にしたことがあるように思う、生きる上での永遠のテーマかもしれない。ドクター的には大体は現実に生きて、でも時々は理想(の生き方・生活)を追いかける、こんな感じだ。現実と理想の割合がこれまでは8対2か7対3だったのが加齢とともに7対3からどうなっていくのか、これも定年後の興味あるテーマだ。また報告したい。
 ☆きゅうりの蔓の巻き力や道端のアジサイの花、現役時代には見逃していたかもしれない。これに気が付いたからと言って現実的には変わらないこと、でもこれからは徐々に大事にしたい。

Dr.381 晩酌が戻った日(6月30日)

何でも無くしたものは簡単には戻らないし、もはや今後ずっと戻らないことも多い中、ドクターの晩酌はお陰様で一日で戻った。休肝日的にはもう少し間が空いた方が良かったかもしれないが、何せ「晩酌が生きがい」のドクターとしては生きがいのない日が続くのは避けたかったので先ずは一安心だ。晩酌が戻ってどうなったかも記録してみた。先ずご飯が美味しい。良く冷えたビールと食べるおかずは何でもおいしく、トンカツやらギョーザやら豚キムチやら母の分まで大食いしてしまった。食べて飲んだ後は直ぐに睡魔が襲ってきたが流石に夜8時前の就寝は早すぎるだろうと、がんばって読書しようとしたが結局は8時に寝てしまった。昨日は蒸し暑く夜中2回ほど起きてしまったが朝の4時まで何とか8時間睡眠は確保できた。問題はこのように晩酌ある日常が戻ったのに特に大きな喜びは感じない点だ。晩酌ロスの時には大いなる不満を感じたが、それが戻っても大いなる満足でないのはどうしてだろう。ドクターだけが勝手なのか、人間一般にある身勝手なのか。不満は直ぐに感じるが、特に不満がない状態の時にはその有難さに気付かない。これからは反省して特に不満がない何気ない日常が送れている時、その有難さや掛け替えのなさに感謝しながら生きるようにしたい。この決意は嘘ではないが、大切なこともすぐに忘れるのがこれまでのドクターの日常であるのが少し心配だ。
 ☆前の日に急いで畑に移植した黒豆の苗を見に行って、斜めになっているのやらこけている苗があるのに不満げなドクターだが、鹿に苗を食べられる地域もあることから比べればこれだけ植わっていれば上出来だ。適当に植えたのだから、これだけ根付いていれば感謝だ。何気ない日常や大失敗でない出来に感謝する習慣を身に着けたい。

Dr.380 晩酌をしない日(6月29日)

昨晩は年に1回あるかないかの晩酌無しデーだった。別に宗教上の理由や特別に心配していただくような理由があったわけではない。昼間飲み過ぎたので夕食時に身体が受け付けなかっただけのことである。ともかく晩酌をしない日は記憶にないほど久しぶりなので(といっても最近のドクター記憶は全くあてにならないが)、晩酌をしないとどのようになるかを記録した。まず一緒に食べるごはん(この場合は夕食)が美味しいと感じずそんなに食べられない。やはりよく冷えたビールと頂くお肉屋お魚は最高です。次に夕食が終わっても直ぐに眠たくなることがなく、昨夜の場合は陸上男子100mの決勝が見られて良かったのだが、これまで晩酌をした場合はその後瞬眠していた。テレビを見た後布団に入ってもなかなか寝付けず、少し眠っては目が覚める感じでこれでは昼間ウトウトしてしまうかもしれない(瞬眠した場合もウトウトすることは多いが)。後は夕食が少なかった分、朝食前菓子パンがいつもより増えた程度だが、何といっても一日の最大の楽しみ晩酌がなければ生きている励みがない。「お前は晩酌のために生きているのか」と叱られそうだが、「ある面そうです」と答えるしかない。存外本音を言えば人が生きる理由は単純だと思うし、それで良いと思う。変に難しく複雑に考える必要はない。寿命が来るまで、食べて飲んで寝て機嫌よく行きたい。
 ☆写真は先日会った地域の青色パトロール研修会。生きてるとしがらみで参加しなければならないことや、頼まれる役も多いが、基本は「食べて飲んで寝る」。難しく考えないで行きましょう。

Dr.379 半農半X(6月28日)

農業をしながら別の仕事もする生計の立て方を「半農半X」と言うらしい。この場合は、農業に興味関心があったり、自然や田舎での生活にあこがれるX(ドクターのイメージとしてはこのXに入る仕事はネットビジネス)従事者が本業としてではなくちょっと農業もやってみようという感じでやっているという解釈だ。農業をやりながら冒険指導やその他の仕事もやるドクターの場合も見かけ上は「半農半X」かもしれないが、生まれながらの農家であるドクターは流行りの「半農半X」とは少し違う。農は興味や関心があって積極的にやっているというよりは、親の代から続いている田畑を止めるわけにはいかないのでやっているという消極的かつ受け身的なものだ。でも自然の中で汗が流せて収穫物も得られる農業は嫌いではない。でも農業一本でやっていくほどの気概はない。だから今のところは、消極的・受け身的・田舎に生まれた宿命的「半農半X」が性に合っている。流れやしがらみでやっている農業はドクターの人生そのものだが、流れでやる事になったことにポジティブな意味を見出すのが人生を面白くするコツというこれまたドクター哲学を応用して農業を見ると、農業は自分のペースで出来る(自然や作物と相談しながらではあるが)という魅力もあることに気付いた。何でも自分で決めるのを好むドクターとしては、農業は校長(お気楽校長だったが)や社長(やったことはないが)と同じく自分の意志を業務に反映できると言うメリットがあるように思う。これからも「半農半X」を大事にして行きたい。
 ☆朝ランニングをしていると昨日の雨で自分が植えた稲や黒豆が元気になっていた。やっぱり農業は魅力的だ。なぜか目はつむってますけど。

Dr.378 どっちにしても一長一短(6月27日)

人は何故悩むのだろう。理由は様々だろうが、その大きな一つに「この選択で良かったのだろうか」「あの時あっちを選んでいれば」「どっちを選択した方が良いのだろう」というような(過去・未来の)選択に関する悩みがあるように思う。あれこれ考えない動物や選択肢のないような状況では、「どっちにしようか」「どっちが良かったのだろう」というような悩みは起きない。悩みがないのを幸せというのなら選択肢がない方が良いようにも思うが、一番良いのは選択肢があって悩まない状態だろう。これはなかなか難しいが、これまで生きてきた経験からは「どっちを選んだとしても一長一短あって、完全な間違いというのはない」「えいやっと、選んでしまった後は選んだ方の良い面だけ見て(悪い面はスルーして)どっちにしてもそう変わりない。何事にも良い面と悪い面があるからこれで良かったのだ」ぐらいに思うのが良い。卑近な例だが、昨日の夕方の天気は雨が降るのか降らないのか微妙で、降らなければ農作業をしようと思っていたが、降りそうなのでトレーニングに行った。トレーニングが終わって帰る時にも雨は降っておらず、これなら今日は農作業(草刈り)していればこれからの農作業日程が楽になったのにと思わなくもなかったが、「どっちにしても一長一短」を思い出し、「今日は久しぶりにトレーニングで汗が流せてよかった。農作業も汗は流すけどトレーニング程ではないし筋肉も使ったので体調体形維持にも良かった。帰っての一杯もおいしくなるし、農作業はまた出来る日に追い込んでやればなんとかなるだろう。今日はトレーニングにして良かった」と思うようにした。ついあれこれ考え悩んでしまうのが大脳が発達した人間の性だが、これからも「どっちにしても一長一短」を合言葉に選択悩み無しの人生を目指しましょう。そう簡単には行かないけれど。昨日の微妙な天気と一昨日の夕焼け。どっちも一長一短、どっちも良い。

 ☆最近人と話すのが面白いと書いていたら、思わぬブログ愛読者の方が「私と話しませんか」と尋ねて来てくださった。ドクターと話しても何と言うことはないだろうが「どっちにしても一長一短」、一度決めたらその決定の良い面を見よう。「ドクターと話すのは面白い」としか思ってはいけない。












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