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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.508 いつもハイテンションは難しい(11月17日)

頼まれて「ひょうご五国博覧会 in 大阪」のイベントで、丹波篠山市が出店するブースの販売に朝早くから梅田に行った。猪汁や猪フランクを道行く人に売る役だ。声が大きいのとハイテンションということで白羽の矢が当たり、声かけられたものは引き受けるというドクター哲学から二つ返事で引き受けたが、朝の十時頃から17時までいつもハイテンションでいるのは難しいということが分かった。商品と同時に抽選券を渡しながら「1等賞当たったら報告に来てくださいよ」等と声をかけ、中2年生が「1等の豪華ホテルペア宿泊券が当たりました」と報告に来たときやドクターと同じ村出身の人(現在は京都在住)に出会ったとき等は超ハイテンションだったが、何時間もハイテンション大声でいるわけにもいかず、次第次第にテンション下がり声小さくなってしまった。ずっと立ちっぱなしの体力的疲労もあるけど、いつもいつもハイテンションっていうわけにもいかなし、いつもいつも声でかっていうのも周りも本人も疲れてしまう。やはり何事もバランスということでしょうか。とここまで気付いて、今日もこれからも自然体プラス時々ハイテンションで行きたいと思います。笑顔は常時を気を付けながら。
 ☆カメラの前では常にハイテンションですが、四六時中というわけにはいきません。静かな時もハイテンションの時もホントのドクターです。

Dr.507 自分に返ってくる(11月15日)

講演は「〇〇のヒント」と題して、生き方や教育、時に人権等について語ることが多い。生き方や人を育てる事に唯一絶対の正解があるわけでないので、私(ドクター)の話をヒントにして考えて見てくださいというスタンスで話す。これだと何を話しても私はこう思うけど、同感なら参考にしてください、自分の意見は違うと思われるならそういう考えの人もいると思ってくださいということなので、こちらとして遠慮なく自分の考え(多くは誰かの本のパクリ)を主張できる。今回の小学校保護者向けの後援会でも、「自分も周りの人も大事にする『も』の精神を大切に」「人が変わるきっかけは感化や触発です。自分が活き活きと生きて子どもからあこがれられるような生き方をしましょう」「人生何が良いか悪いかは最後まで分からないので、物事に一喜一憂せずたんたんとなすべきことをやっていきましょう」「笑顔を忘れず、感謝と自分にできることはする貢献の気持ちを忘れないで生きることが幸せにつながります」「人から勧められたり頼まれたことは断らずに引き受けましょう。自分の可能性が広がって行きます」等と力説した。しゃべったことを全て自分が完璧に実行できている訳ではないが、しゃべった内容は自分に返ってくる。でも、こうやって時々人前で話させていただく機会があるので、自分の生き方がチェックできてまだこの程度の自堕落な生活ですんでいるのかもしれない。有難いことだ。ここで一つ、感謝入れときました。
 ☆今回思いがけず講演後にPTAの方から花束を頂きました。これもまた感謝です。ありがとうございました。

Dr.506 捕まってたかもしれない体験(11月14日)

時々ある講演会などで、「焦りや悩みが襲ってきた時には、死んでたかもしれない体験を思い出す」と楽になりますよという話をすることがある。人間生きているとだれも、人間関係や仕事、生き方やお金の問題などで悩まない人はいない。一時的には悟ったような気になっても、また迷いや不安に襲われる。その際の脱出策として、ドクターは自分の経験から、過去に何度かある「死んでてもおかしくなかった体験」や「仕事を辞めなければならなかったかもしれない体験」等を思い出すようにしている。そうすると、今の状態がいくら悪くっても、死んでたかもしれないよりはまし、仕事を辞めてたら退職金も何もなかったわけだからそれと比べたらまだ恵まれていると思って、焦りや悩みが消える。死んでたかもしれない体験等の具体的な話はまた別の機会に譲るとしても、死んでたかもしれない体験はそうそうあるわけではないが、先日黄色信号で止まった時に交差道路の先頭にパトカーがいてあのまま黄色信号で突っ走っていたら、信号無視で捕まっていたかもしれない体験をして、その体験が契機となってその日を心穏やかに過ごした話をしたい。黄色信号で突っ走った場合には、そのタイミングやパトカーがいた場合等に捕まることがある。ドクターはもう1点でも交通違反があれば、免停90日以上の要注意状態にある。だから慎重な運転を心がけていて今回も黄信号で早めに止まって正解だった。もしこれが捕まっていれば、免停で車に乗れない状態が1月以上、反則金も何十万円か分からなかっただろう。そのことを考えれば、その日も特に何もない無為な日だったが、その無為・平凡無事の日が過ごせる有難さを身にしみて感じることができた。こんな最悪の状態を想定しないと平凡日常の有難さが分からないということは情けないが、底の浅い人間はこんなことでもないと本当はありがたい平凡な日々に不満や退屈を抱く困った存在だ。今後はもう少し精進して、こんなねらいとは関係なく交通ルールを守り、日常に感謝できる境地を目指したい。
 ☆この風景のような境地に至るには、まだまだ修行がいる。

Dr.505 強く願えば叶う?(11月13日)

「強く願えば叶う」という主張をする人の本を読んだ。その人はさらに後悔にも2つあって「した後悔と」「やらなかった後悔」があって、「やらなかった後悔」をなくすように勇気をもってやれる時にやっておこうとも言っておられる。その人の人生ややられてきたことを思うと、成程と納得できる主張なのだが、ドクター的にはちょっとしんどいなって感じだ。頭では理解できても、なかなか自分では実行できないと思われる。そんなに強い意志も行動力も持っていないように思う。そもそも願うことと言ったら「寿命まで毎日がお気楽で楽しく過ごせますように」「自分だけでなく自分に関係する人も笑顔で過ごせるように自分に出来ることをさせていただけますように」ぐらいだ。これは何もドクターが無欲というわけでなく、「毎日をお気楽で絶好調で過ごせますように」というのは結構欲深いものだと思うけれども、こんな願いを持ちながら、人から頼まれたことや自分がやる羽目になっていることを精一杯と言うのか出来る範囲でやっていくというのが、これまでの人生だったし、これからも自分としてはこれでいいように思っている。「やらなかった後悔」を無くすというのも頭ではわかるが、どうもそこまで気合を入れてやるほどではないように思ってしまう。それよりは、先に述べた自分がやるべきことをやれる範囲でやる脱力系の生き方が自分には向いてるし、これでやってきて結構いろんなことをやらせていただいた。ありがたい人生だと思っている。結局、生き方は人それぞれということでしょうか。
 ☆昨日も流れでやることになった雑務をやりながら、時々秋めいてきた景色に心を動かす一日だった。強い願いで動いているという人生ではないけど、結構いい感じです。

Dr.504 去年のブログ(11月12日)

時間があったので(定年後は時間は作ろうと思えばいつでもある)去年のブログを見てみた。このHPにはアーカイブが見やすい位置についているので検索しやすい。自分の文章は恥ずかしく見直すのは初めてのことだ。今回見直したのは、それだけ暇を持て余していたか、厚顔無恥化が進み恥ずかしいという感情が鈍化したかのどちらかだ。ともかく去年の今頃のブログを読み返してみると、今と全く同じようなことを書いていることに愕然とした。ほとんど進歩というものがない。メインテーマは今と変わらず、定年後生活を如何に過ごすかだし、毎日用事をつくって暇を持て余さないのがコツみたいなことも今と同じように書いてるし、悟ったような書きぶりの時もあれば迷い悩みが行間にあふれている時もあるというのも今と変わらない。毎日のやる事が時々の冒険指導と百姓仕事とトレーニングというのも変化がない。書きぶりもたまにある(ひと月に1回くらい)分かりやすい文章を除いて、長ったらしく分かりにくい。写真にしても行事のある時はそれを載せ、無いときは家の周りの景色などを撮っているのも同じ。一昨年は現役だったので毎日の過ごし方は違っていたかもしれないが考え方はほとんど今と同じだったことは、時折出くわすドクターが昔書いた文章(PTA広報誌など)を見ても明らかだ。去年のブログを見て、百姓仕事でこの頃には何をしなければいけないかを確認できるメリットがあったくらいで、後は人間いかに変わらないか、幾つになっても同じようなことに悩み同じような生活を繰り返しているかが分かっただけだ。この分だと来年の今頃も大した変化がないのが予想できる。ひょっとしたら、「去年のブログ」というタイトルでブログを書いているかもしれない。
 ☆去年のブログも秋には同じような外の景色を撮った写真が多い。それも今と同じ服装で映っているのは新しい服が買えなかったという点で悲しいが、自分というものが変わらないことにある面安心もした。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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