Dr.777 レジリエンス(9月20日)
心理学で人の「精神的な回復力」を示す言葉として「レジリエンス」というのがある。最近ドクターの周辺で骨折やマムシに噛まれた同世代の友人があいついだが、長い間(1月や1週間)の入院やリハビリ治療を経て回復した。回復は簡単ではないが、人間にはゆっくりでも傷を癒す力が内在する実例を見せられた。彼らほどではないが、ドクター自身も擦り傷を化膿させて何日も膿み続けた肘の傷がようやく治りかけた。このように人の肉体には回復する力があるのは目に見えて分かりやすいが、そこから類推して精神的にも回復する力が確かにあり、それを「レジリエンス」と言うのだと理解できる。「不登校」や「引きこもり」など精神的な打撃でで苦しむ人も多いが、そのうちの多くの人が回復し社会復帰を果たしている。もちろん回復や復元は簡単ではないが不可能ではない。人の心身にある回復力(レジリエンス)を信じ、回復を早める方法を研究しよう。最も早く早くと焦るのは良くないようだが、このレジリエンスを高める方法は、普通の人が機嫌よく生きるのにも有効だ。運動をする、音楽を聴く、呼吸を整える、そうそう日記を書くというのも良いらしい。このブログもドクターのレジリエンスを高めるのに効果があったのか。
☆明智光秀についての講演会に参加して、自分のレジリエンス(回復力)を高めるドクター。何がレジリエンスを高めるか、まだまだ模索中だがこの追求が「定年後の充実人生」のヒントと繋がっている気がする。



Dr.776 連休ですか(9月19日)
世間では9月の大型連休が始まっているようだが、曜日に関係のない生活をしているドクターとしては「連休ですか、それが何か」って感じだ。この4連休はシルバーウィークと呼ぶ人もあるらしい。ドクターも現役で働いている時には週末や祝祭日が楽しみだった。それは働きがいとは別で、いくら仕事が充実してても休息や変化が必要ということだ。逆に言うと現役フルタイム労働時代は、勤務日と週休日で放っておいても変化が与えられていたともいえる。退職後曜日に関係ない労働時間の今は、毎日を自分でどう変化を付けて飽きないように充実した時間が過ごせるように、労働と休息のバランスが取れるようになどに配慮し決めなければならない。これは結構ハードルが高く、齢とともにやれることが限られてくると一層難しくなる。だが、1日を上機嫌で過ごす日程を自分で作り出すというハードルは、やがていつかは誰にでも訪れる。今から練習だと思って慣れておく必要がある。現役の人は休暇中にやりたいことが一杯あって4連休でも足りない感じだろうが、放っておくと何もすることがないしんどさはまだご存じないだろう。そんな後輩の参考にしてもらうためにも、定年後ハッピーライフの秘訣を磨いておきたい。
☆この日は地元小学校に新たに設置された2階手洗い場の視察と好きなドライブという過ごし方を組み立てました。


Dr.775 親ガチャ(9月18日)
先日「親ガチャ」という衝撃的な言葉を知った。自分の親は選べないという当たり前の事実を、ゲームに出てくるガチャガチャ(ガチャガチャが何かよく知りませんけど)からとって若者の間で言われているらしい。でも考えて見ると選べないのは親だけでなく、出身地(出身国含)や性別、育つ環境から才能までいくつもある。大事なのはそうした自分ではどうしようもない環境があるという現実を踏まえた上で、どう生きるかということだろう。自分に与えられ環境は変えられないかもしれないけれども、自分の意思で変えられる未来はあるので夢や目標を持って生きて行くことが大事だと唱える人は多い(特に学校の先生など)。ドクター的にはこれはこれで一理はあると思うが、この「がんばればなんとかなる」という思想は、「上手く行っている時は良いが、上手く行かない時に自分の努力不足を責めてしんどくなる」のではないかと危惧している。だからこのブログなどで何度も言うように、「がんばるがんばらないもその時の流れ次第」「大事なことは流れやご縁に従い、その中で自分が出来ることをその時出せる最大の力でやればよい。その結果が成果に結びつけば嬉しいが、結びつかなかったとしてもそれはそれでそれだけのこと。落ち込む必要はない。たんたんと日々を自分も周りの人も気持ちよくすることを心掛けて機嫌よく生きる」ことに尽きる。この今のところの結論(悟り)も一番は自分に向かって言い聞かせているということも、何度か書くとおり。
☆自分の市議会一般質問では言いたいことが言えなかったが、精一杯はやった。自分の番が終わった昨日は心置きなく美味しい昼食を頂けた。こんな時間も根底には親ガチャを含めていろんなガチャのお陰だ。感謝して流れに従い生きて行こう。


Dr.774 初体験(9月17日)
この年齢になると初めて体験することは少なくなるが、昨日は市議会本会議で一般質問するという初めての体験をした。若者や子育て世代に選ばれるまちづくりと新型コロナの影響で田舎暮らしが注目されている流れを活かした移住定住促進策について質問したが、結果は散々だった。①市長がどのように答えられるか予測がつかず想定していた内容の半分も言いたいことが言えなかった、②質問の仕方が分からず、もっと的をしぼって尋ねるべきだった、③市当局の答えに反論することが出来なかった、④緊張しなかった、等の反省が渦巻いた。ただ何事も初めてやる事は上手く行かないものだ(ビギナーズラックという言葉はあるが)。次回からはこの反省を活かして改善していきたい。市議会の一般質問は全議員がしなければならないものではないが、今回やって良かったと思う点は次の通りだ。①何事にもプラスマイナス両面があり、良かった点が必ずあるから、②質問項目の設定から通告文書案づくり、関係機関への聞き取りなど準備に労力をつぎ込んだが、結果はともかくそれが終わったということで達成感はあるから、③移住定住策の一つとして本市の移住相談窓口の待遇改善を訴えたが、少しはそれが改善されそうな答弁がもらえたから、④何事でも少しはがんばらないと、その後の解放感が得られないから、等である。ともかく一つの初体験を終えて今後ドクターは成長するのだろうか、はたまた初々しさがなくなるだけなのだろうか、これからの展開が自分でも楽しみだ。
☆いつも議会がある時に行く美味しい昼食屋さん。昨日は初体験準備で行けなかったが、今日は初体験も終わってまた美味しい昼食が頂ける。初体験後はちょっと美味しさがアップするかもしれないのが、初体験は何でもやってみるものだということの証になる。


Dr.773 足し算命(9月16日)
今日の新聞で、ご自身もガンで余命宣告を受けているホスピス医の方が、人生は余命でなく足し算命で考えた方が、毎日が充実するみたいなことを書かれていた。平均寿命や余命宣告などから換算して、後何日生きられると余命を考えて毎日を生きると、余命はどんどん減って行くわけで、長く生きるほど心細くなり焦燥感にかられた日々を送ることになってしまう。その点、足し算命ともいうべき考え方で、起点の日から「今日で〇日生きられた。そしてまだ生きている。」と考える方が、自分ががんばって生きている足跡が感じられ、その日を生きる感謝と充実感が感じられるという。ドクターも退職後の人生を平均寿命から換算して、後〇年は生きられるだろう(余命〇年)と考えていたが、そうではなくて60歳の退職の日から数えて、「今日で2年と4カ月と〇日、いろんな体験をして、まだ特に不調なところもなく薬も飲まずに食欲と一杯欲はあって直ぐに寝られる(これは昨日のブログにも書いた)。ありがたいことだ」と考えて過ごす方が良いということだ。今後は「足し算命」で毎日を数え、日々の感謝と楽しかったことや嬉しかったことを綴っていきたい。このブログも何回まで続けるなどとは考えず、気が付いたら773回(だいたいですけど)になっている、そういう感じで生きるということか。
☆昨日は今日の一般質問に備えて、かつて勤務していた「暮らし案内所」へ伺ったが、また思い出の1ページが積み重なったっていう感じだ。「後何ページ積み重ねられうのだろう」あっ、この考え方は足し算命ではなく余命癖が出てしまった。気を付けたい。



