Dr.562 もし市議選に出たら(1月18日)
この4月に行われる丹波篠山市議会の議会選挙に出たらどうかというお声を頂き悩んでいる。私のようなお気楽な者が市民の未来が掛った大事な議論をして行けるのかと言う不安がある。『ある市会議員のお気楽な毎日』などというブログをやっている場合でないことは勿論だが、万が一の場合を考えて「もし市議選に出ることになったら」どういうことを訴えたいかを考えて見た。いろんなテーマに関心がるが大きなものとしては、①教育問題、②農業問題、③高齢者の生きがいの3つが自分の事と絡めても特に関心がある。①の教育では、地域の子ども達に郷土愛と体験活動を通じて「自分の人生を生き抜くのに必要な力」の育成の大切さを訴えたい。具体的には地域の人との触れ合いや行事への参加、『トライやる』や冒険教育のような体験から学ぶ機会を増やすことになるので、教科学習とのバランスが問題となるが、新学習指導要領でも「主体的な学び」は大事と言われているので方向としては合っている。②の農業問題では耕作放棄地が気になり、その解消策として今も取り組まれている集落営農や大規模農家や法人による農地の集約はさらに進めばいいとは思うが、ドクターのような兼業農家の人の耕作が続けられるような策を検討したい。兼業農家の人は農業の赤字を本業の給料で補填していることが多く、これを続けるのが嫌なら(無理なら)農業を止めるかもっと工夫して儲かる農業に取り組めばいいと言われるかもしれないが、先祖伝来の農地を放棄はしたくなく、さりとて誰もが儲かる農業が出来る裁量を有している訳ではない。この辺りの人を支える制度作りを考えたい。③の高齢者の生きがい問題は、高齢者大学も良いが、高齢者が地域のまちづくり協議会や学校や学童のサポートなどに入る制度作りやきっかけづくりができれば、高齢者の生きがい創造・地域の活性化・先生の働き過ぎの解消・子供の人間関係の拡大など一石二鳥から三・四鳥の効果が期待できる。どれも思い付きなので、具体的な策に落とし込むのは簡単ではないと思うが、何とかなるかな、しないよりはましかなって思うが、こんなお気楽では議員は勤まらないか。
☆先日入った公共の温泉施設のカギがたまたま「3・5・8」という、ドクターの好きな数字だった。何かのご縁かな。


Dr.561 教えることは学ぶこと(1月17日)
地元の幼稚園保護者の皆様向けの講演会をやらせていただいた。いつものようにワークを入れながら、いつものような話をさせていただく。ドクターの話しは自分の体験からつかんだもので、それを参加者の皆さんに話していると改めてその当時のことが思い浮かんだり、新たな気付きが合ったり、参加者の皆さんの反応からこちらが学ぶことが多かった。ドクターの先生になった原点は「教えたい」ではなく「(子どもから自分が)学びたい」だったが、改めてそのことを思い起こされた。つくづく「人に教える(語る)ことは、自分が学ぶこと」だと思う。今回「教育はねらったところよりも思わぬところが効く」ので、「皆さん、自分の子どもをこうしてやろう等とあまり狙わず、親自身が活き活きと自分の人生を生きてください」等と話したが、これは今の自分の生活にも当てはまる。子どものためと自分を曲げるのではなく、自分自身が活き活きと生きることが大切と言うことだ。「教えない(子どもの気付きを大切にする)教育」の大切さについて話したところ、一緒に参加されていた校園長先生が「子供が主体となる学びの大切さは今の学校現場でも大事だと言われています」とドクターの想定以上に話を深めてくださった。硬そうな様子の参加者の女性がゲームで真ん中に立った途端にギャップのある弾け振りを見せてくださったので、帰り際にドクターが「面白い方だったんですね」と声を掛けたところ、「(今日の講演会)面白かったです」と返してくださった。人は見ただけでは分からない。今回も講師をさせてもらって、自分が語って、自分がいっぱい学べた。ありがとうございました。
☆いつものような活動を提供したが、こちらが参加者の皆さんから学ぶことは多い。この学びを今後の講演活動や自分の学びに活かしていきたい。こんな自己中な考えでいいのでしょうか。「自分が活き活きしてるのが周りに感化・触発を与える」っていうのもドクターの『絶こうちょう教育のヒント』にあったような気がする。



Dr.560 自然は信用しない(1月16日)
市民センターのホール内に雀が迷い込んでいた。自動ドアの開閉に紛れて入ってきたのかもしれないが、この時期は暖房のためドアや窓は閉められているので放っておくと外に出られずに死んでしまう。何とかして逃がしてやろうと思ったドクターは周りの人に協力してもらい、網まで持ち出して雀を捕まえようとした。この時ふと思ったのが、「雀さんがこちらを信頼して捕まってくれれば命が助かるのに。人を信用すると自分の命が助かるのに馬鹿だなあ」ということだが、考えて見ると自然界の生き物が人間を始め他の動物を信用することはあり得ない。そんなことをしていると生きていけないので、動物と言うのは基本的には他を信頼しない本能になっているのだろう。もしかしたら人間にもこの本能があって、本来的には他を信頼・信用しない性向があるのかもしれない。でも現代社会では逆に、周りの人を信用して良好な人間関係を築いていかないと生きにくい。知らない人や知らない世界では用心した方がいいかもしれないが、身近な集団で信頼関係がないと生きにくいし建設的な社会や未来は作れない。ドクターのやっている冒険教育でもこの信頼関係がないと達成できないような課題を与えて、信頼の大切さに気付いてもらうのが目的の一つだ。こんなことを考えながら何人かの信頼できる人と雀を追い回していたら心が通じたのか、人に捕まりはしなかったが、私たちが開けたドアから外へ出て行ってくれた。この雀救出活動を通じて、雀の命は助かり参加した人の信頼関係は強まった。
☆市民センター館内を飛び回る雀と見上げるドクター。疲れて(知らんけど)窓際のラックの上で休憩する雀。私たちに信用についての深い学びを与えた後に外へ飛び立った。もしかしたらこの雀は神の化身かもしれないが、謙虚な私たちは何の恩返しも求めていませんのでご心配なく。でも一応最初にあなたを見つけたのは、このドクター丹後であることを申し添えておきます、念のため。



Dr.559 本来無一物(1月15日)
「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)は禅の言葉で、人間は本来何も持たずに生まれてきて何も持たずに亡くなっていくのだから、いろんな執着や強すぎる欲望に振り回されないように生きるのが良いというような意味らしい。ドクターは時々頼まれる講演等でお話をさせていただくときは「〇〇のヒント」というようなタイトルのレジュメというのか話す要点をまとめたプリントを配布することが多いが、この間妻が誰かの講演のプリントをもらってきて、そのプリントの中にある一つの言葉を指して「この表現は誤解を生むわよね」といつもの有無を言わさず口調で同調を求められた。確かにその表現は、講演等で講師が説明しながら話される場合には、そのあたりのことも含めて説明されるから問題はないだろうが、プリントだけを見ると誤解を与えることがあると珍しく夫婦の意見が一致した。そこで自分のプリントを振り返ってみると、その中にも誤解を与える表現が多いことが分かった。特にドクターは「焦りや悩みが襲ってきた時は『死んでたかもしれない体験』を思い出そう」ということを書いているが、この意図は「(自分の過去の何度かの死んでたかもしれない体験を話した後)その時死んでしまっていたかもしれなかったのだから、それと比べれば生きていられるだけでもまし。今の悩みなんて大したことないと思い直して、気を取り直して元気を出してやっています。自分の場合は」ということだが、これは誤解を生むかもしれない表現だと改めて思い当たった。そこでこれからのプリントはそれを「悩みが襲ってきた時は『本来無一物』(禅語)を思い出そう」と改めようと思ったわけだが、これとて誤解を与える心配はある。心配してたらキリがないので、ここは一つ「本来無一物」と諦念して、この辺で考えるのを止めます。
☆昨日は特にこれといった写真がなかったので、前に撮っていた写真を載せたが、これとて妙な誤解を与える心配がある。心配してたらキリがないのでここは「無一物」の精神で誤解が出ればその時考えることにしよう。


Dr.558 病気から分かったこと(1月14日)
お陰様で今朝はいつもと変わらない朝を迎えさせてもらっている。昨日ほぼ熱は下がったが用心のため少し大人しくしていたので、今回の風邪で都合2日間の療養生活を経験したことになる。この療養生活から次のようなことが分かった、①ドクターと名乗っているのに病気に弱い、②ドクターは日頃から元気者と思われているらしく、多くの人から「日ごろ鍛えているのに珍しい」とか「一番元気な人が病気になるとはおかしい」とか言われることが多かった。自分で思っている以上に周囲はドクターを元気者と思っているらしい、もしくは自分が思っている以上にドクターは元気らしいこと、③熱以外は特にしんどくはなかったので「昼間から寝る」とか「病人食を食べる」とか「昼間寝るから夜目が覚める」とか普段できないことを体験するのを面白がっていた。でも、それも2日続くと飽きだしてきたことから、ドクターの持病は「飽き症」であること、④妻の厳しく温かい対応の有難さ。「(インフルではなく)風邪に決まってるやろ」とか「(食欲あるんやから)お粥なんていらんやろ」(といいながら熱々のご飯とうどんの病人食を作ってくれた)とかポンポンいいながらも病人に適切な対応をしてくれるのは安心で心地よかった、等だ。多くの方にご心配とご迷惑をおかけしたが、お陰で早期に回復し学ぶことも多かった。学ぶことの多い病気だが、できればしばらくはご遠慮したい。
☆今回の病気療養から多くを学んだドクター。自分の体力のお陰でこんなに早く回復したのだとという過信を捨てなければいけないことも学んだはずだが。
