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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.552 用事を詰め込む(1月8日)

定年後1年目の1月から3月まで過ごし方に苦労した。この時期は冒険指導も農作業も地域の行事も薄くなるので、時間を持て余すからだ。贅沢な悩みだが何もすることがない(「きょういく」「きょうよう」がない)のは定年後生活の敵だ。2年目の今年は去年の反省を活かして、何もすることがない時間を作らないように極力用事を詰め込むことを心掛けている。昨日も正月飾りを焼く「とんど焼き」の他には特に用事がなかったので、急遽いろんな用事を詰め込んだ。詰め込むと言っても何でもいいわけではなく、やっていて自分が楽しいこと、どっちみちいつかはやらなければならないこと、人が喜ぶこと、それにちょっと小銭が入ってくることが加われば申し分ない。それで昨日詰め込んだのは朝から順に、①とんど焼き、②姫路までドライブ、③トレーニング、④散髪、⑤テレビ「こんなところに日本人」などだ。これが結構上手く行って、朝起きてから夜に一杯飲みながらテレビを見た後即寝するまであっという間だった。この調子でこの3ケ月を乗り切りたいものだが、用事を押し込むと「閑を持て余して余計なことを考える」(「小人閑居して不善をなす」系)リスクはなくなるが、あっという間に日や時間が過ぎて気が付いたら70歳、80歳ということになりかねない。時を味わいながら生きるのと暇を持て余さないののバランスが取れれば一番いいが、これも何度か言うように世の中はそううまくは行かないものだから(「2つ良いことさてないものよ」系)、ドクターとしてはバタバタ過ごして「ハイそれまでよ」という方が性に合っている。

 ☆昨日の用事の中に散髪を詰め込んで、バタバタ切ってもらった髪に満足げなドクター。

Dr.551 緊急時の対応(1月7日)

自宅以外で使っているパソコンにウィルスが入ったのか、突如大きな音で緊急音と「直ちに下記の番号に電話してください」「電話する前に消そうとすると大変なことになりますよ」という表示と音声が出てきて動転した。これまでも自宅のパソコンに警告ウィルスが紛れ込んだことは何度かあるが、その時は音声は無かったのでまだもう少しは冷静に対応できた(帰省中の息子にどうしようと相談に行くなど)。今回の大きな音声は人の冷静さを打ち壊す。「どどどうしよう」と狼狽するドクターを尻目に、隣席の女性が「大丈夫ですよ。大したことありませんよ」と言いながら、彼女のパソコンで対処方法を検索してくれた。窮地で神に出会ったような気がしたドクターは支持された三つのボタンを押したが、音は止まらず解決策のようには進まない。またまた「どどどうなってるんやろ。なななんで動かんのやろ」と慌てふためくドクターに対して冷静な彼女も同じようにボタンを押してみたがやはり上手くいかない。もしかしたら彼女も内心は完璧な冷静ではなかったのかもしれないが、表面上は落ち着いて今度はゆっくりもう一度ボタンを押してみたら、何と警告音は止み、その後も解決策通り対応してくれた。緊急時に動転するのは人の常であり、ドクターは特にその傾向が強いことがこの一件ではっきりしたが、今後は彼女のようにまずは言葉から「大丈夫、何とかなりますよ」と言って少しでも冷静な対応が出来るようになりたい。

 ☆今朝は正月飾りなどを燃やす村の「とんど」だ。いつものように慌ただしく玄関の飾りを取り外すドクター。このいつもバタバタが、緊急時の落ち着きを奪ってるのかもしれない。バタバタしながらも「何とかなる。大したことではない」と言ってみた。これで少しは何とかなるかな。

Dr.550 孤独と孤立(1月6日)

正月早々寂しい話題で恐縮だが、今回は孤独と孤立について考えて見た。というのも年末年始は家族以外の付き合いは乏しく一人の時間が多かったからだ。そうでなくても孤独と孤立は定年後の大きなテーマだ。先ずは基本的なおさらいからだが、孤独と孤立は違うらしい。孤独は「寂しい」といった感情で個人の内面の問題だが、孤立は他者との関係性が乏しいことで社会的な対応が求められるということだが、ドクター的にはどちらも一人で生活する時間が多いことで同じような気がする。一番のポイントは一人でいても平気かどうかだと思う。さらに、孤独や孤立は女性よりも男性に多く、中でも単身高齢者の男性が最も高い。また、孤独は健康に悪影響を及ぼし、孤独感が死亡率を26%も高めるらしい。孤独は世界共通の課題らしく、イギリスには孤独担当大臣まであるらしい。これらを踏まえて自分はどうかと考えて見ると、現役の頃から群れるのは得意でなく単独で行動することが多かったように思うが、さりとて気の合う仲間との交流は好きだった。一人の時間が多い定年後も寂しさを感じることが多く、出来れば人と触れ合う機会を持ちたいが、さりとて年がら年中誰かと一緒と言うのも気が重い。結局寂しがりだし、健康のことを考えたら適度に人と関わりたいが、これも流れでそういう機会が減るのなら、それを無理に何とかしようという意気もなく、人生の生き方と同じく流れや成り行きに従い、やってきた環境を受容するよう努める。ってこんな感じでしょうか。こんな感じでいいけど、問題はこれで寂し過ぎずに健康で行けるかどうかだ。でも心配しても仕方のないことはどうしようもないと受け入れるのがドクター流なのでやっぱこれで行くかな。

 ☆正月休みにセメントセットを買って自宅回りの気になるところを補修したが、その晩雨が降って台無し。でも仕方のないことは仕方ない、結構まだがんばっている箇所もあるから良しとしよう。孤独にもこんな感じで対処できればな。

Dr.549 老いては子に従え(1月5日)

帰省している息子と高城山に登った。今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の市の推進委員長をしている手前、明智光秀の丹波攻めで取り上げられるであろう郷土の高城山を知っておかなければならないと思ったからだ。小学校の時に登ってから長らく登ってはいなかったが、大河ドラマが決定した昨年は結構登る機会が増えた。いつも同じ登山道で登るのだが、今回は別の登山道から登ってみることにした。いつもの道よりは登りやすかったが、それでもおっさんには30分強の登山は楽ではない。ところが息子は楽々と登りこちらが追いつくのを待って又先へ登っていく。最後の階段道などはこちらは休み休み出ないと登れなかったが、あちらは軽快に走りあがる始末だ。体力差を痛感し、これはもう完全に息子の方が上と認めざるを得ない。体力以外にもパソコンが不調の時なども彼の助けなしにはお手上げ状態だ。勿論まだ父(ドクター)の方が上のものはあるにはあるが、老獪さ・妥協心・依存心(神や仏、天や妻などに頼る気持ち)・諦めの心などどれも誇れるほどのものではない。かくなる上は「老いては子に従え」の格言通り、子の意志を優先して生きて行くとするか。流れで生きるのをモットーとするドクターとしては、その流れの中に子どもの意志が入ろうと大したことではない。今回も急に思い立って「高城山に登ろう」という老いた父の意志に嫌な顔をせず付き合うという大人の対応ができる子に従うのは望むところだ。

 ☆急な山道をヒョイヒョイと登る息子と比べて、喘ぎ喘ぎ登る父(ドクター)。子がいろんな場面で父を超えていくのは自然の流れか。

Dr.548 妻のトリセツ(1月4日)

連日妻と神戸へ出かけている。今回は野暮用だが、ついでに駐車料金節約のため百貨店の駐車場に車をとめて3000円分の買い物をした。近頃名前が替わったデパートだが、妻は地下の食べ物売り場をスイスイと泳ぎ回って、お目当てのパンやらお惣菜の売り場に直行する。ドクターはと言えば、人ごみの中、妻を見失わないように買った荷物を抱えて必死で後をついていく。荷物持ち役は、今年のテーマ「人のために」にピッタリなので異論はないが、人ごみ苦手、方向音痴の身で妻の後を必死で付いて行きながら、これまでの人生でも家族のことは妻の後をついていったなあと感慨に浸った。ドクター家はこれまで何度か海外を含め家族旅行をしてきたが、これとて全て妻が計画し、ドクターはその後に付いて行った。このことが嫌なわけではなく、妻が先導してくれなければ、決してあのような貴重な体験はできなかっただろうと感謝している。妻は普段は無駄遣いをしないが、ここぞという時には躊躇なく思い切ったお金の使い方が出来る。とても自分の及ぶ所ではない。パソコンやスマホなどの電子機器を含む家電・家具・食料等も妻が購入役だ。そういえば毎月の家計も妻が管理してくれている。あれやこれやと考えていると、想像以上に妻に依存していることが分かってきた。そのくせこれまではドクターが家の主導権を握っていると思っていた。これも妻のすご技だ。かくなる上はこれからも妻の掌で踊りながら生きて行くのに何の異論もないし、楽でいいと気楽なことを考えていたら、子ども達が独立した後の海外旅行は「あなたと二人だけだとつまらない」と拒否された。

 ☆写真は前回の続き。海辺の異人館がある公園をお気楽に走るドクター。妻のトリセツよりも自分のトリセツをもっと充実させなければならない。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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