Dr.772 いつまで今が(9月15日)
このところ新聞で見る訃報欄の死亡年齢が気になる。80代や90代が多いが、中には60代や70代で亡くなられる方もおられ、死因にもよるが現在63歳のドクターもいつ死んでもおかしくない。平均的にはまだ10年や20年は行けそうだが、齢を重ねると身体のいろんなところに支障が出てきて今のままの状態で最後まで行けなさそうなことに最近気づきだした。直接的には目のカスミだが、意識して老化現象を数えてみるといくつもある。朝の散歩(もはやランニングとは到底言えない遅さ)でもスピードが遅く距離が短くなったのは勿論、足首の痛みを感じることも多い。耳鳴りや傷の治りの遅さも結構進行している。疲れやすくもなっている。幸い現在は何の薬も飲んでなく、生活の質も老化は感じるものの比較的快調で食事も美味しく頂けるが、この今の好調がいつまでも続く保障はない。というより、常識的に考えると加齢とともにいろんな支障が出てくるのが普通だろう。だとすれば今の比較的体調が良い間にやりたいことをやっておいた方が良いということになることは分かる。だからといって、特にこれがやりたいという強い希望があるわけではなく、現況に感謝はするものの生活はいつものまんまが続いいている。ここが「流れ重視派」ドクターの弱点かもしれないが、その流れの中から「今の特に痛いところもなくご飯も美味しくいただけ、一杯も飲めて直ぐに眠れる」現況の有難さに気付くことが出来たのだから、今後の人生も成り行き「流れ」を信頼してお気楽に行ってもいいかな。
☆昨日載せたかった写真だが、HP更新フォームが替わって載せ方が分からなかったが、流れでいろいろやっているうちに、写真の載せ方が分かったみたいなので今回載せます。やはり「流れ」を信頼して生きて行けばいい。


Dr.771 流れの一日(9月14日)
流れ重視の一日とは例えばこうだ。昨日の朝は前日に頼まれた法人の新米販売お手伝いで始まり、その後彼岸に備えての墓掃除、乾燥機や籾摺り機などの農機の片付け、9月議会一般質問の整理、息子の誕生日祝いお食事会、お風呂、就寝だったが、どれも自分で決めてるようでそうでない。いろんな条件とタイミングですることが決まって行った感じだ。こういえば受け身のようだが、結構充実していた。世間では受け身を悪い意味で使うが、所詮人は受け身でこの世に生まれ、自分で決めた訳でない寿命でこの世を去る。生きている間の人生は自分で決めているようにも見えるが、これとて自分が置かれた(生まれ育った)条件や天性の性格や素質によって大枠は決められている。受け身や流れ重視の生き方を消極的とマイナスに捉えず、決められた流れ(定め)の中で悠々と泳ぐイメージで、天賦の一生を満期(寿命)まで楽しみたい。強いて言えば、「流れに従って生きる」ことを、自分の意思で選び取った感じか。そんなわけで、今日もどんな流れになるかにワクワクしながら、存分に泳いでいきたい。
Dr.770 危機感(9月13日)
この頃時々行っている「冒険広場 ささやま遊び村」へ、子ども達が遊んでいる様子を見に行った。今回も数名の子ども達が、保護者やおばあ様と一緒に思い思いに広場で過ごしていた。ザリガニ釣りをしている子、そりに乗って斜面を滑り降りている子、ウサギの赤ちゃんを触らせてもらっている子、アイスを食べている子などいろいろだ。入り口にはこの無料の遊び場をボランティアで運営されているIさんが、この公園を作ったのは「(子どもたちがゲームばかりで自然の中で遊んでいないことに対する)危機感」だみたいなことを書かれていた。子ども達の遊びから自然が失われていることの他にも、地球温暖化やコロナ危機、人口減少問題や財政危機など様々な危機感がある。ドクターの最近の個人的な危機感は、「平均寿命まで後20年くらいはあると思っていたが、その日々が現在と同じくらい元気とは限らない」ということだ。というのも、最近目のカスミや元気さの喪失を感じることが多いためだ。世の中がかすんでしか見えず、朝起きても何もやる気がしないのでは、後20年の人生をどう過ごそうかと不安になってしまう。Iさんのように危機感からそれを打破する行動に出られればいいが、危機感は感じながらもズルズル今の生活を続けているようではいけない。分かってはいてもなかなか現状を打開する行動がとれない。ここが自然派・流れ重視派ドクターの弱い所だが、自分が今後自然と流れの中で何らかの改善行動を起こすであろうことも信じてはいる(確信というほど強くはないですが、まあ多分)。まずはボチボチがんばります。
☆カスミ目をこすりながら、冒険広場で子ども達の楽しそうな様子と開拓者のIさんの熱い思いに触れて、自分の生き方が少し心配になるドクター。


Dr.769 自然学校HAP(9月12日)
久しぶりに嬉野台生涯教育センターの冒険教育(HAP)指導に出かけた。コロナ禍で短縮された自然学校の1日冒険教育の指導だ。17年ほど前にHAPを始めたドクターとしては、ここはホームグランドであり、子供好きとしては久しぶりの小学生との触れ合いは楽しいものだった。ただマスク着用や手の消毒や密接にならない配慮などコロナ対策をしながらの指導、さらには蒸し暑い残暑に雨での場所の移動など、久しぶりの割には結構ハードルは高かった。それでも加古川市の比較的少人数のこの学校の5年生は、人懐っこく、笑顔も素敵で、最後の振り返りでは多くのことを学んでくれたことが分かって嬉しかった。さらには指導見習いに来ていた野外活動家が、ドクターの「初めは目立つがやがて消えていく指導」という言葉に感銘を受けたと言ってくれて嬉しかった。さらにさらに、引率で来られていた先生の中にドクターと同じ名前の丹後先生(女性)という方がおられてさらに嬉しかった。その方が話しやすい方で、さらにさらにさらに良かった。こうして久しぶりの嬉野台自然学校HAP指導は満足のうちに終えることが出来たのだが、ドクターの心の中では冒険教育の指導をメインにする生活は本年度が最後という思いも芽生えている。それは、議員活動に力を注がなければならないのはもちろん、何事にも終わりがあって、いつ終わるかどうかは流れで決めるというドクター流の生き方による。ただ本年度からHAP担当をされるセンター職員の方が「(私が担当するであろう)後2年は講師登録をしてくださいよ」という言葉もあって、もう少しは冒険教育に関わりながら流れを見極めたい。
☆久しぶりに自然学校HAPの指導を行ったドクター。いつまで指導を続けるかは、寿命や今後の人生と同じく流れ重視で決まって行く。


Dr.768 教え子たち(9月11日)
臼摺をした米をJAに出荷しに行った。朝の6時30分から受け付けてくれる。朝早く米を積んで軽トラを運転していると、途中で工場に出勤する教え子に出会った。「早いですね」と言うので、「今日は用事があって早く出荷するんやけど、君こそ6時台に出勤とは早いね」と聞くと、「定時に退社したいので、いつもこの時間位に出勤するんです」と答えてきた。その後JAの出荷場所に行くと、JAに就職した生徒や出荷されたコメを大型トラックで運ぶ運転手をしている教え子にも出会えた。みんな逞しく働いている。それにしても地域で働いてくれているのは嬉しいが、朝の6時台からの勤務とは、その厳しさの一端がうかがい知れた。何にしても、教え子たちの活躍の姿が見られた嬉しさと彼らの今後の健やかな生活を祈って、帰路についた。帰ってから紙ウサギロペを見て、彼らに出会った感激をブログに書いて、久しぶりの冒険教育指導に出かける恩師?の軟弱ぶりを彼らが知ったら何というだろう。「先生、現役時代と変わらず軟弱ですね」「しっかりしてくださいよ」あたりか。教え子に心配される元校長、「自分たちがしっかりしないと」と思ってくれるだろうことは、今も昔も変わらない。
☆ドクターの運び込んだ米を降ろしてくれるJA職員の皆さん。教え子も含めて、ご苦労様です。頼りない恩師ですから、皆さんの活躍が頼りです、よろしくお願いいたします。



