Dr.723 折々のことば(7月13日)
新聞休刊日の朝、忘れていつもと同じ時刻に起きてしまって、いつもなら新聞を読む小一時間をどうしようかなと思って、手帳を読み返したり、昨日の新聞をもう一度読み返したりした。物忘れが進む身としては手帳のスケジュールは無くてはならないものだ。残念なのはこの頃では冒険指導や講演の依頼もなく、ほとんどが真っ白なことだ。手帳の後ろのメモ欄にはこれまで出会った名言や大事にしたい言葉が綴ってある。近年は代々の手帳から抜き出した名言中の名言、ドクター丹後の生き方エッセンスとなる字句が記されている。真相はこの頃は良い言葉を見つける感度が鈍化して、1年たっても手帳の後ろがほとんど埋まらないから、これまでの言葉で特に気に入ったものを書き写しておかないと真っ白なまま1年が終わるからだ。ともかく、今年の手帳に書き写した語句は、長年かかって大事にしてきた自分の生き方そのものだ。いくつかを紹介すると、「あなたが仕事を選ぶのではなく、仕事があなたを選び、あなたを呼んでいる」「『何のために生きるのか』ということはこちらから問うことが出来るものではなく、『人生から問われていることに全力で応えていくこと』つまり『自分の人生に与えられている使命をまっとうすること』だけができること」等々だ。その後昨日の新聞を読んだが、これも物忘れが進む身としてはありがたいことに、昨日読んだ内容をほとんど忘れているので、新鮮な気持ちで読むことが出来た。その中に「折々のことば」という小欄があって、筆者が出会われ感銘を受けられた言葉が紹介されているが、こちらはドクター手帳の言葉とは違って毎日更新されている。よく感度が鈍らないことだ。触発されて「折々のことば」を手帳に書き写したが、もの忘れが進む身としては、この新しい習慣をいつまで覚えていられるかが心配だ。
☆新聞休刊日の朝、これまでに感銘を受けた言葉を書き写した手帳を読み返し、改めて自分の生き方を確認するドクター。これだったんだ、自分の生き方は。

Dr.722 迷い(7月12日)
人生の問題の大概は流れやご縁や成り行きに任せて行うのを哲学としているドクターとしては最近はあまり迷いがないが、昨今の降ったり止んだりの天気を前に迷いが生じている。と言っても大した問題ではなく、雨が降らなければ黒豆畑の土寄せ(鍬で苗の周りの土をかき集めて、除草や根への通気や倒錯防止のための農作業)、雨が降ればスポセンでのトレーニングをやるのに迷いが生じているという話だ。所詮どちらも汗をかいた後のビールをうまくするのが目的、どっちになっても大した違いはない。そりゃあできればこの時期に土寄せを済ませてしまいたいが、小雨なら作業が出来ても土砂降りの中では御免こうむりたい。着替えの都合もあってどちらかに決めたいが、微妙な降ったり止んだりで、結局家で迷ってる間に貴重な時間を浪費してしまう。時間だけでなくエネルギーも浪費してしまう迷いはできるだけなくしたいが、今回はなかなか決められなかった。まだまだ流れ哲学に乗り切れていない自分の不徹底を悟ってしまう結果となった。迷いが人生を深める契機になるという考えもあるが、ドクターとしてはそもそもこの迷いが嫌なので流れ重視の生き方に決めたという一つの理由もある。今回のあやふやな天気を呪うのではなく、今一度自分の生き方を見つめなおす契機になったと思いたい。
☆迷ってる間に写真を撮る時間も気力も無くしたので、以前に撮っていた雑紙回収の写真。やはり迷いは支障が多い。


Dr.721 ぴえん超えてぱおん(7月11日)
今年上半期の若者の流行語大賞に「ぴえん超えてぱおん」っていうのがあるらしい。「ぴえん」も「ぱおん」も使ったことないが、感無量で泣きたくなるようなときに(嬉しい時悲しい時両方)使うという。あっもしかしたら、おっさんドクターも「ぱおん」は象の鳴き声で「ぱお~ん」って感じで使ったかもしれない。流行語にも驚いたけど、それらをSNS等でよく使う女子高生や女子中学生をJKやJCというらしい。JKは「じょしこうこうせい」をローマ字で書いた時の頭文字ということで何となく分かったけど、JCが「じょしちゅうがくせい」というのはぴんと来ない。「jyosi tyuugakusei」ならJTやろと突っ込みたいところだが、それはドクターが習ったローマ字表記が違うだけかも。おっさん的にはJCと言えば青年会議所しか思いつかない。流行語はともかく、若者や子育て世代、現役労働者に後期高齢者など自分と違う世代の流行や価値観・悩み等にはアンテナを張り巡らしておかなければならないと全世代代表の市議会議員としては思う。でも最早「アンテナを張る」という表現自体が若者世代には通じないかも。
☆先日選考があった「議会だより」の表紙に漏れた写真。ぴえん超えてぱおん。

Dr.720 ポテンシャル(7月10日)
市議会だよりの話し合いを議会広報特別委員会でやった。細部の言葉遣いに敏感な人、ある部門にめっぽう強い人、全体的な俯瞰が出来る人、表紙写真に強い人、ワーワー言う人(ドクター丹後)、事務処理能力の高いスタッフ等、一見しただけでは分からない各自の能力を垣間見させていただいた。ドクター丹後もずっと以前に「あなたのポテンシャルは高い」と言われたことがある。確か嬉野台生涯教育センター職員として冒険教育の講座をしている時に、それに参加した人材育成会社の人からだったと思う。自分ではよく分からなかったが、その言葉を切っ掛けに「もしかしたら自分の冒険教育指導能力は自分が思っている以上にあるかもしれない」と自信を深め、退職後のSAP(ささやま冒険教育)活動にもつながっている。でも「ポテンシャルがある」というのは、「今はまだそれを発揮していない」ということで、「もったいない。宝の持ち腐れ」というようなニュアンスもある。是非ポテンシャルを顕在化したいとは思うが、毎日を自分の能力磨きでなく、やりたいことや好きなこと優先で暮らしているようでは、「宝の持ち腐れ」のまま、宝が無くなってしまうかもしれない。もはや、自分の宝が何か、宝があるかどうかさへ疑わしいい。
☆市役所エントランスに掛かっている柱時計。ネジを巻いて重り(分銅)を持ち上げてその重みで動いている。ネジを巻くという継続的な営み(3日に一回くらい巻かなければならないらしい)がなければ、重りのポテンシャルは無くなってしまう。長くネジを巻く努力を怠っているので、最早ポテンシャルが残っているかどうかも疑わしいドクター。


Dr.719 共同作業(7月9日)
市議会が終わって気が付くと午後から地域の農事組合法人の共同作業があるという。共同作業は出られないことが多いので、都合がつくときには出来るだけ出ておこうと参加した。今回の作業内容は黒豆畑の雑草防除だ。背負い型の動噴(エンジンで動く散布機)で除草剤を撒いた。7人で3時間ほど作業をしたが、まだ終わらないので次の日もやるという。法人の共同作業は予定を合わさなければならないので大変だ。農作業の場合は天候の急変もあるので、個人なら臨機応変に雨の合間を縫ってできることも、大勢が集まらなければならない共同作業は日時を決めるのも大変だ。薬剤の準備からお茶の手配まで世話役の人の苦労は大変だ。そもそも個人の畑では今頃除草剤を撒かなくてよいほど管理が徹底している。自分の畑と、共同の畑では作業勝手も違う。やはり農作業の共同化は難しい、だが地域営農組織による共同作業がないと放棄農地は増えるばかりだ。共同作業は地域の人と話も出来て良い面もある。難しい面も多い農業協同作業だが、何とかスムーズに動くように工夫を重ね、出来る作業には参加したい。救いは今回の急な呼びかけにも7人が参加するということからもわかるように意欲的な人が結構いるということ、課題はドクター丹後自身が寂しがりの癖に個人志向が強いということだ。
☆寂しがりの癖に個人行動が多いドクター丹後が参加した農業法人の共同作業。農業の共同化は課題もあるが成功させたい。


