Dr.762 神のご加護(9月5日)
昨日は雨の予報が出ていたが、本格的に雨が降る前に稲刈りが出来た。降ってきたら止めようと、軽トラに積んだ米コンテナとコンバイン用のブルーシートを持ちながらの作業だったが、何とか予定の田んぼを刈り終えシートを被せた途端に雨が降ってきた。刈り取り作業にしても、いつもは水が溜まっていてコンバインが通れず手刈りしなければならない箇所があるのだが、今回は何とか機械で刈れたり、その機械も動かないようになりそうな時が2~3回あったが、何とか最後まで動いてくれたりした。これを「神のご加護」と言うのだろう。特定の神ということでなく、「困った時の神頼み」の「神」だ。人知・人力を超えた存在を確かに感じる。人の役割としては、人事を尽くすことと、人知を超えた存在(神)に好かれるような言動を心掛けることだと思う。決して利己的だけであってはいけない。ドクターが普段からそれほど立派な言動をしているという自信はないが、天命(流れ・ご縁)でやってくる役割は引き受けるように心掛けていることと、人知を超えた存在(神)に対する畏敬の念は持ち続けている。それが良かったのか、今回の天候や機械運に恵まれた稲刈りとなった。こんなことがあると益々、そうした大きな力の存在を認めたい。大きな存在への賛否はおいといても、全てが人間の力で何とかなうるという思い込みは傲慢な生き方につながる心配がある。「神のご加護」に感謝して無邪気に喜ぶ、そういう生き方でこれからも行こう。
☆雨降り前に稲刈りを終えることが出来たのに加えて、息子と一緒に農作業が出来た。これも神のご加護と有難く嬉しく思っている。神様ありがとうございます。



Dr.761 プラス思考(9月4日)
何事も楽天的に捉えるプラス思考が生きやすいが、人間は進化的な特徴もあってマイナス思考(最悪を想定する)が一般的である(ドクター説)。最悪を想定して常にそれを心配して備えるマイナス思考は生きて行く上では必要なことかもしれないが、精神的には生き辛い。かと言って無理にマイナス思考をプラス思考にしようと思っても無理があり、あまりこだわりすぎるとプラス思考の出来ない時分に失望し落ち込む。そんな中自然なプラス思考人を村の中に見つけた。その人が立ち話のついでに「(丹後さんはー村ではドクターと言わない)いつも早く稲刈りしてやのに今年は遅いですね」と言われたので、「いやあ、今年は選挙もあって植えるのが遅れたから」と答えると、「今年は遅く植えた方が苗の育ちが良いみたいですよ」と言い、私が「でも本当は早く刈りたいのですが、田んぼに水が溜まっていてコンバインが入りにくいんです」と言うと、それには「今年は水が溜まっていた方が稲の生育には良いですよ」と言う。万事がこの調子で、ドクターの心配症発言を、プラス思考で補ってくれる。農業は自然が相手のこともあり自分の思うようにはいかないことも多い中で鍛えられたのか、なかなかの腰の据わったプラス思考だ。ちょっとしたことで一喜一憂して大騒ぎのドクターとしては見習うことも多い。プラス思考満載の楽天家にはなれそうもないので、流れ重視の自然派を目指すのだが、こうした身近にいる達人に学びながら自然道を磨いていきたい。
☆ビッグで友達お勧めのビール(発泡酒?)を買ったが、少しでも自分に有利な情報があれば飛びつくようでは、泰然自若の域には遠いか。


Dr.760 地域人材(9月3日)
廃校になった旧福住小学校の跡地活用を担うNPO法人 SHUKUBAが主催された「古文書講座」に参加した。講師は神戸大学の先生だ。古文書は兵庫教育大学の大学院で学んで以来約30年ぶりだ。古文書や歴史の話も面白かったが、講座には若い人も含めて大勢の人が参加していたのと、主催法人の理事長や理事を福住ではよく見かけるいつもの方々(ドクターよりも年配)が担っておられるのに感銘を受けた。ドクターがかつて篠山東雲高校校長でお世話になった時に地域活動の中心として活躍されていた皆さんが、今も地域の中心となって活躍されているのだ。新しい人がいないといえばそうかもしれないが、有意な地域人材が長くその地域を支えるのはすばらしい。地域をよく知る人だからこそできる地域を適切に運営できるし、新しい人たちもその輪が広がりかけている。各地域には中心となられる地域の人がいる。その人を中心に、若者や移住者も巻き込んで地域づくりが進んで行くのだ。翻って自分の地域はどうか、お前はその中心になれるのかと問われれば心もとないが、自分のキャラに応じた役割で地域に貢献したいという思いはある。ここでもご縁と流れや大きな意志(地元の意志を含む)に従い、たんたんと自分の出来る範囲でできることをやっていきたい。古文書講座は面白かったし、福住地域は移住者も多く活性化しているように思うが、地元には地元の、長くやっていればそれだけの課題やしんどさもあるのだろう。でも皆さん、明るくお元気なご様子だった。見習うとこころは見習いながら自分のできることをやっていきたい。
☆地域の人によって「古文書講座」が行われた旧福住小学校校舎。この講座にはご縁と流れで参加することになって、多くの学びを得させていただきました。やっぱりご縁と流れで生きるのが大事。



Dr.759 どうしようもないものは気にしない(9月2日)
村のあちこちで稲刈りが進んでいる。ドクター田もいつ刈るかが気になり出した。稲の成熟状況もさることながら、田んぼの乾き状況や当日の天気も大きく影響する。市議としての用務の日もあったり、何やかやと稲刈り以外の用事をしなければならない日もある。降水状況で言えば、長らく雨が降っていないので黒豆畑としては雨が欲しいが、水はけの悪い田はまだ乾いていない(地面が乾かないとコンバインがにえこむ)ので長雨はご遠慮願いたい。台風も発生してきているので、風雨で稲が倒れる前に刈りたいところだが、まだ準備が整っていない。そんな中地域の用事でため池の状況を視察に行った折り、その時ご一緒した地域の先輩に「いつ稲刈りされるんですか。台風が来る前に刈りたいですね」と伺ったところ、「天気のことはどうしようもない。自分の都合通りに行かないのだから、出来る範囲でやるしかないやろう」とさらりと言われた。ドクターの何倍も米や豆を作っておられる方なので、天気のことは心配なはずだが、「心配してもどうしようもないことは気にしないで、出来る最善を尽くす」と言われるのだ。これは米作りだけでなく人生にも通ずる名言だ、身近なところに哲人は多い。
☆「どうしようないことは気にせず、出来ることを出来る範囲で全力でやる」学ぶべき人は身近にいる。


Dr.758 比べない(8月31日)
機嫌よく暮らすためには「他人と自分を比べない」のが良いと経験では分かっているが、放っておくと人はつい周りが気になり他人と比べてしまう存在であることも経験から分かっている。周りと比べて順位付けするのは人間だけでないことを昨日のテレビで知った。テレビではアメリカやカナダの寒い地域に住むヒツジの一種の「ビッグホーン」の大きな角をぶち当てての戦いを放映していた。見た目の角の立派さで群れの順位を決め、見た目で分からない場合は角をぶつけた戦いになるという。厳しい自然環境では繁殖の順位付けが必要だということだ。自分の順位を探るために周りを気にするのは、動物としての人間の習性らしい。周りや過去の自分と比べず、今の自分の状態で流れに従って生きるのが良さそうと言うのが、今のところのドクター流絶こうちょうの極意だが、それを阻む順位付けが動物の本性由来のものだとすれば、これを脱却するのはなかなかやっかいだ。だが、やっかいでも現在の私たちの生存環境で快調な生き方・考え方をさぐらないと生きづらい。原因を見極めて、対処法を考える。原因も対処法も多様で個人差もあると思うが、できるだけ汎用性のある方法を見つけて提案していきたい。今回はビッグホーンというヒツジさんの生き方から少し学んだが、まだまだ修行は続く。これからもドクターの学びを紹介します。
☆この間の派閥視察研修で地元材を使った和風の特別養護老人ホームを見せてもらったが、こんな細かいところまで配慮した施設が県内や西日本で他にもあるのか、やはり他や順位が気になってしまった。




