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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.807 生き延びる(10月27日)

人間ドックE判定を受けての精密検査を受けての診察で、即入院かもと覚悟しての受診だったが、結果は「しばらく様子を見ましょう」ということだった。身体に何も問題がないということではなかったが、即入院や即手術でもなく、即投薬でもなかったことは有難いことだった。まだ今週もう一つの診察があり、油断はできないが、ひとまず生き延びた感じだ。本人は特に致命的な体調不良は感じず(老化に伴う機能不全はいたるところをで感じるが)いたって元気だが、周囲の同年代があいついで入院や大病を患うという実態があるだけに、流石の上機嫌派も心落ち着かなかった。案外小心者で、妻から言わせると「気にし過ぎ(で弱気のおっさん)」ということだ。ともかく一つの一番心配した診断結果では当面何もしなくて良いということなので、一挙に解放感で一杯になった。何事でもたいそうな一喜一憂派だ。しばらくはこの「一喜」気分を続けたい。

 ☆診察を受ける前の不安を抱えたドクター、この後本物のドクターの診断で「当面大丈夫」の判定を頂きウキウキになるが、今週もう一つの診断が待っている。

Dr.806 旗振り役(10月26日)

「旗振り役」と言っても何かのイベントを中心になって進める役というような意味ではなく、本当に国道脇で旗を振ったというお話。地元の農業法人が黒枝豆をテントで販売する最終日に、売り子として参加したドクター(60代)と、同じく売り子の若者(20代)が交代で道行く車に向かって自分たちの販売所をアピールする旗を振った。旗を振っているのを見て来客者が増えたが、その理由がドクターと若者では違う。若者の元気な旗振りを見て来てくださったお客さんは「販売所が近くにあるのが分かって寄ってみた」とおっしゃり、ドクターの旗振りで来られた方は「年齢を感じる旗振りに悲壮感を感じ、可哀そうになってやって来た」とおっしゃる。理由は違えども来客者が増えたんのだから、旗を振ることの大切さと年代に応じた役割というのか味があることが分かった。この「旗振り教訓」は本来のイベント進行、地域振興にも当てはまるかもしれない。旗を振った動機も、若者は売り子としての使命感から、ドクターは面白そうで一変やってみたかったからだが、こちらは人間性による違いだ。

 ☆「いっぺんやってみたかった」「面白そうだから」が動機のドクターの旗振り役。使命感がないのがちょっと残念。

Dr.805 即答力(10月25日)

地域の農業法人のテント販売を手伝った。丹波黒枝豆の実だけ袋詰め、枝付き、葉が付いたままの株販売などだ。いろんなお客様がやってきたが、その中に車から降りてはきたが、「一束1000円は高い。去年の別のテントではもっと安かった」と言い張るおばさまがいた。「高いと思うなら別の店へ行けば」とも言えず黙っているしかなかったが、「ここは地域の農業法人がやっている店で、ここでの収入で経費を賄って地域の農業を支えている。地域の農業を維持するためにもこの値段でご協力してほしい」と言えば良かったと後で悔やんだ。ドクターとしては行け行けどんどんの時は思い付きで何でもしゃべり対応できるが、一つリズムが崩れると適切な対応が出来ない。どんな場合でも当意即妙に対応できる即答力が欲しいものだ。このテント販売係が回ってきたのも、今お前に必要な力はこれだということで神が用意してくださったのかもしれない。自分にやってくる試練は全て自分の成長に必要なものだという言葉もある。流れで何でも回ってくる役は引き受けているドクターとしては、時々「これで良かったのか」「気安く引き受けたが却って迷惑を与えているのではないか」と不安に思うことがあるが、周りのためになっているかはともかく、自分の成長にはなっているということか。「そんなに成長しなくても良いから、きついことを言われるのは避けたい」ものだという逃げの気持ちも正直あるが、成長するもしないも、周りの役に立っているかいなかも含めて、流れにお任せすることにしよう。

 ☆地域の農業法人のテント販売で多くの楽しい体験と自分の即答力の無さを噛みしめる苦い体験などを体験する流れ派ドクター。

Dr.804 そこそこ(10月24日)

11月に講演を頼まれている幼稚園へ下見に行った。PTAの方から依頼を受けたのだが、下見に行って職員の方とお話をしていて、その方がドクターを講師にと勧めていただいたことが分かった。その職員の方は2回ほどドクターの話しを聞いて面白いと思って勧められたようだ。思えば時々こうしたドクターファンの方がおられ、そうした方のご縁で講演や冒険指導をさせて頂いている。こうした方の存在は嬉しくありがたいが、そんなには多くない。言わば「そこそこ」の人気だ。勿論「そこそこ」は「全くない」よりずっとよく、本当に有難い。そしてこの「そこそこ」は講演依頼だけでなく、ドクターのいろんな分野において見られる。いろんな役割でも、家族としての在り方でも、経済面でも、大方「そこそこ」のような気がする。「そこそこ」よりも「大きく」の方が良いだろうが、それこそ持って生まれた特性でもあり、自分の思い通りには行かない。それに、結構「そこそこ」は気に入っている。「大きく」はドクターにとっては、忙し過ぎて荷が重すぎするような気がする。決して現役時代に学校現場で子どもたちに語る人生観としては勧められないだろうが、「そこそこ」の人生、大万歳だ。「そこそこ」支持してくださる皆様、ありがとうございます。

 ☆昨日は学校給食試食会や小学校学校運営協議会やら何やかやと役割をこなしたが、これも例によって「そこそこ」の役割を果たしたに過ぎない。でも「そこそこ」人生、お気楽とそこそこの充実感があって良い感じです。

Dr.803 弱気(10月23日)

昨日は久しぶりにHAP(ひょうご冒険教育)で小学生に冒険指導をやった。本来ならハイテンションでノリノリのはずだが、①朝から天井がグルグル回るめまいに襲われた、②HAP会場でその話をしたら課長から「私も同じ症状で3日入院した」という話を聞いた、③最近同い年の友人が大病をしている、④この間の人間ドックがE判定(要精密検査)だった、⑤この頃自分の実年齢を言っても「そうは見えない(もっと若い)」と言ってもらえなくなった、⑥この齢になって何も悪い所がない人はいないと言われることが多い等の理由が重なって弱気になっている。10数年来のHAP仲間にも「あなたの人生はそれ(HAP講師を主収入とする人生)で良かったの」と尋ねたり、「自分は、人生の終わりにここ(嬉野台生涯教育センター)でHAPの立ち上げに関われて良かったと思い出すんだろう」と話したりした。いつもならHAP指導の合間にそんな話はしないが、ドクターとしては珍しく弱気オーラに包まれた。それでもHAPの終わりころには小学生から元気をもらったのか、思い通りの指導が出来たのが良かったのか、気分は上向きいつもの自分に戻った。気分が状況によって浮き沈みするのもドクターのいつものことだ。弱気や沈み気分は嫌だが、それを自分も体験するからこそそうした気分に陥っている人の気持ちが理解できるとも思う。別に他の人気持ちを理解するために浮き沈みするんじゃないが、流れに従って生きる派のドクターとしてはその日の気分も流れに任せている。

 ☆冒険指導前は弱気、終わってからはお気楽と気分の上下が激しいドクター。その下は10数年前に設置したコース案内板。あの頃も弱気と強気が錯綜していた気がする。結局人ってそう変わらない。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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