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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.536 学びは身近に(12月19日)

昨日はWi-Fiの調子が悪く更新できずにすみませんでした。今日は今のところ大丈夫な感じです。「1日だめでも、次の日には回復する」これはパソコンだけでなく人間の身体も含めた調子にも言える。この学びがあれば、目の前の状況に一喜一憂せず、希望を持って目の前のしんどい状況にたんたんと対処できる。このように貴重な学びは何からでも、誰からでも得られる。「学びは身近にある」を実感したのは市が主催する身近なところにある歴史箇所を回るバスツアーに参加した時だ。それこそいつも通っている道のすぐそばに歴史的な史跡があったり、いつも通っている道だがこれまでは入ったことのない道へ初めての角を曲がっていくと、教科書で学んだような史跡があったりした。今回来年度のNHK大河ドラマの関係で、こんなことでもなければ参加しなかったであろうツアーや講座に参加して、「自分の身近にこんなに知らないところや見逃してきていたことがあったか」という驚きと喜びで一杯だ。これをきっかけに身近な人や出来事から自分の人生を楽にする考え方を学んでいきたい。「人生、我以外皆師」このような言葉があったと思ったが、先ずはこの言葉から学びなおしか。身近な人やことから学べるなら、師匠にはことかかない。これは楽しみになってきた。

 ☆こんな身近なところに、田んぼの中に、道の側に、知らなかった世界(学び)があることに気付かせてくれた歴史バスツアー。「学ぶ人は老いない」こんなことも学ばせてもらった。ありがとうございました関係者の皆さん。

Dr.535 上機嫌を維持する方法(12月17日)

ドクターのこれまでの研究によると、人間は本来心配性なので放っておくと将来の心配で頭が一杯になり、そうすると機嫌よくはいられなくなる。また、日々出会う出来事は本来中立でただ原因と結果の法則により、起こり継続しやがて消えていくだけである。それに一喜一憂するのはばかげたことで、人の気分はその外側の出来事をどう解釈するかと言う自分の内側の捉え方によっている。だからその捉え方と言うのか考え方をプラス思考と言うのか自分の上機嫌を維持する方向に持っていけば良いわけである。これが言うは易し行うは難しでなかなか難しいが、この理屈を理解していると、行きつ戻りつしながらもだんだん上機嫌を維持する時間を長くすることが出来る。自分もだんだん上機嫌を維持する方法が身についてきたと思うあたりがお気楽者のゆえんだが、お気楽根性でもなんでも上機嫌で毎日を送れるのが良い。こんな調子が良いことを書けるのも昨日の過ごし方や心の向け方(自分が嬉しかったこと恵まれていることに心を向ける)が上手く行ったからだが、明日のブログもこの調子で行けるように努め、上機嫌を維持する方法がほぼ完成したら世間に発表したい。

 ☆一昨日はぬかるみにはまり込んだらどうしようとマイナス気持ちの田んぼ鋤作業だったが、この日は天候にも恵まれ畑地を鋤いたのでめり込む心配もなく、鳥さんと会話しながら予定の作業が出来たのでご満悦なドクター。たまたま上手く行った一日だったが、たったそれだけで悟りきったような今日のブログだ。この一喜一憂ジェットコースター感情の起伏を何とかしたい。

Dr.534 心の向け方(12月16日)

最後の黒豆の乾燥・雑粒・選別が終わった。日陰田の黒豆でなかなか乾かず苦労して、雑粒も枝が乾いていないと機械詰まるので心配したが、少しづつ機械入れて何とか無事に終わった。その後は来年に向けてトラクターで田んぼを鋤いたが、どの田もまだ乾いていないところがあってもう少しでまた動かなくなるところだった。本来なら天気の良い日に田んぼを鋤くのは気持ちの良いはずだが、ぬかるみが気になって気分晴れやかと言うわけにはいかなかった。まだ鋤かなければいけない田んぼが残っているので気分はブルーだ。こんなことが毎年続くと考えると今後百姓をやっていくのが不安になった。ここまで考えていると、久しぶり登場の丹吉師(ドクターの師匠、心の中の存在)から一喝があった。「お前はまた何をマイナス思考に落ち込んどるのじゃ。長いことかかった黒豆の作業が大勢の人に助けられてやっと終わったところじゃろ。しかも心配していた機械の故障もなかったんじゃからもっともっと喜んでいいはずじゃ。先の心配ばかりしよって情けない。お前はこれまで何を学んできたんじゃ、人前でいっぱしに講演なんかもしてるくせにしっかりせい」と叱られた。将来の最悪を考えて対処を考えるのが人の常で人類はそうやって生き延びて来たのだから心配性になっても仕方がないじゃありませんかと反論しようとしたが、また師から「現代社会と太古の社会は違うじゃろ、自分が気持ちよくいられる心の向け方をせんかい」と叱られそうなのでやめた。こうして心の中で師との対話は続くが、こんな師匠がいてくれるだけありがたい。

 ☆心配した黒豆作業が無事に終わって、残された最後の農作業「田鋤」に出かけるドクター。「田鋤」でもまた心配の種が芽生え、根っからの心配性とお気楽道の丹吉師匠との格闘が続く。

Dr.533 過去にどう対処するか(12月15日)

「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来」というのはドクターの十八番のセリフで、時間については変えられない過去にとらわれてそのことで時間やエネルギーをとられて折角の今や未来を台無しにするのはやめようという意味だ。ドクター以外でも過去を見ず今(または未来)を大事に生きて行こうという主張の人や書籍は多い。ただこの場合の過去は暗黙の了解でマイナスの過去や後悔すべき失敗を指していることに気づいた。幸せな過去を思い出し今が幸せな気持ちになったり、過去の自分に対する肯定的な評価を知ることで元気が出たり未来への展望が開けたりする場合は、過去(を思い出すこと)も悪くない。このことに気付いたのは、最近教え子に会って「あの頃はたのしかったですね。一緒にあんなことこんなことしましたね」という話をしたり、「あなた(ドクターと呼ぶ人や絶こうちょうと呼ぶ人や丹後さんと呼ぶ人やお気楽なおっさんと呼ぶ人などがいる)がいると場が和んだり元気が出たりしましたよね」というような思い出話を聞いたりしたからだ。こんな過去なら、現在がジェットコースターのように自信を持ったりなくしたりが交錯するドクターにとっては悪くない。過去の自分で自信や元気を取り戻して今を生きて行くというのはありではないか。だからといって過去からしか元気がもらえないというのもどうかと思ったりもして。とかく過去との付き合いは難しい。

 ☆多くの教え子がお世話になっている地元企業のクリスマス会に参加して、教え子たちと。過去と彼らに元気をもらった。過去も悪くないっす。

Dr.532 思いがけない発想(12月14日)

 寂しい定年者、自分だけ楽しむ講演者、お気楽道の求道者、よろず頼まれ役引き受け者、恐妻家などいろんな役をしているが、村では水利委員と言うのもやっている。水利委員の役の一つに村の農業用池の管理と言うのがあって、この間池底の保護のための水抜きをやったが未だに池の水が抜かれたままになっているので池の樋係(水利委員とは別に池ごとに係が決まっている)の人にもうそろそろ堤防の栓を閉めてくれるように頼んだ。その人(村の先輩)がうっかり閉め忘れているのか、黒豆の収穫などで忙しくって時間が取れないのかと思っていたら、先輩が「狩猟期間が始まって・・・」と言われたので、ドクターは「そうですね、山のふもとにある池に入って誤って打たれたら大変でものね」と応えたら、その先輩の答えはドクターの思いもよらないもので、「水を溜めて水鳥がやってきたらハンターに撃たれたら可哀そうだと思って(水を抜いたままにしている)」というものだった。こんな優しさに溢れた発想はドクターにはないし、普段専業百姓で忙しくしている先輩がそんな余裕のある発送をされているとは思いもかけなかった。このように思いがけない人が自分では思いつかない発想をされる場に出会うことが時々あって、これが視野を広めてくれる好機でもあり、人生の醍醐味の一つでもある。

 ☆この間行きつけの自動車整備屋さんで冬用タイヤに交換したが、ここの大将は安い工賃でタイヤを交換して、交換したタイヤを次の交換まで預かってくれる(結局ノーマルタイヤかスタッドレスタイヤを年中預けっぱなしということ)。こんなことしてたら採算合わへんやろと思うが、こんな商売の仕方をする人もいる。損得や近視眼的な発想から脱却する思いがけない人・発想との出会い

                      

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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