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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.531 学びたいことを教える(12月13日)

人は幾つになっても生徒でもあり先生でもある。人は自分が学びたいことを教える。誰かの受け売りだがドクターの最近の実感でもある。昨日もある高校の生徒達にお話をする機会を頂いたが、そこで話したことは自分が興味がある事であり学びたいことでもある。曰く、「柔軟な考えで固定観念に縛られず生きると生きやすくなる」「過去と他人は変えられないので、今の自分を変えて未来を生きやすくしよう」「人生何が良くて何が悪いかはそう簡単には分からないので(何事にも両面ある)、出来事に一喜一憂せず、こだわらないで自分のやる羽目になったことや人から頼まれたことを引き受けながら上機嫌で生きよう」等々。これらの生徒たちに話したことはみんな自分に向かっても話している。人に話すことが一番自分の学びになる。言ったことはやらなければならない。何歳になってももう学ばなくてよいよいうことはない。子どもであろうと、聴衆からであろうと、主催者からであろうと、その学校の校長先生からであろうと誰からも学ぶことはあるし、昨日もたくさんの学びを頂いた。その学校への進入路が分からなくて困っていた時、「じゃ僕らが学校まで案内します」と自転車で校門まで送ってくれた地元の別の学校の高校生など、もしかしたら昨夜一番学ばせていただいたのはドクターかもしれない。こんな素晴らしい学びが出来る講演の機会があれば又よろしくお願いします。「厚かましさはほどほどに」とは学ばなかったらしい。 

 ☆人は学びたいことを教える。教える人が一番学ぶ。そこに勤めているかつて一緒にお仕事したことのある養護の先生と。「女性とツーショット撮ったからといって舞い上がってはいけない」 これまでの痛い経験から学んだことを忘れないようにしたい。

Dr.530 懐かしい声(12月12日)

朝、濃霧の中を運転しているとブルーツースで繋がる車内電話に聞き覚えのある懐かしい声が入った。「お元気ですか?突然副所長(丹波教育事務所時代のポスト)の顔が浮かんで声が聞きたくなったものですから」と10年ほど前に一緒に働いていたAさんからの電話だ。こちらも懐かしく一頻り当時の話で盛り上がった後、ふと彼が急に私を思い出してくれたのはドクターがもうすぐこの世とお別れする前兆ではないかと不安にはなったが、それはともかく自分のことを思い出して電話をかけてきてくれる人がいるというのは有難いことだ。しかも話の中で「副所長が来られてから職場が和やかになりましたね」と語ってくれたのは嬉しかった。同じ日に別の人からも「丹後さんがいると和む」と言われたので、自己評価はやめたものの自分に確固たる自信が無くなりかけていたドクターとしては、「和む」をキーワードに自分の存在意義があるようで、これは「お気楽」「上機嫌」にも通じる自分の追求する生き方とも合致して、失いかけていた自信をちょっと取り戻させてくれた。このすぐ自信を無くしたり、またちょっとしたことですぐ自信を取り戻したりする「軽さ」も自分らしいなと思う。

 ☆濃いい霧の中から遥かな思い出とともに懐かしい声が聞こえてきた。その声はドクターに無くしかけていた自信を一時取り戻させてくれた。またすぐ無くすと思いますが、このおっさんは。

Dr.529 感想文が怖い(12月11日)

先日T小学校で行ったPTA人権講演会の感想文を係の方が送ってくださった。今回に限らず講演会後に感想文を頂くことは時々あるが、人の批判に弱いドクターはこの感想文を見るのが実は怖い。ほとんどの人が肯定的な事を書いてくださっていても、一人二人批判的な文章があればそれが気になってしょうがない。普段からやりたいことをやり、言いたいことを言っている人とは思えない繊細な心の持ち主なのだ。講演会後の感想文は本当は自分の講演を振り返る貴重な資料となる。良かったと言ってもらっている点は続け、今一つと言われたことは改めれば良いだけだ。これも普段から講演も含めてドクターがよく言っていることだ。自分が言っていることが自分で出来ていないとは情けない。今回の感想文も勇気を出して読ませていただくと、全員の人が「楽しかった」「これからの生活に活かしたい」みたいなことを書いてくださっていたり、自分にはこの言葉、この活動が心に残っているなどと書いてくださっている。中には深い内省も含めてこちらが思っている以上の学びを得られたことが書いてあるものまであった。講師の方がそんなに深いところまで考えていませんでしたと申し訳なく思ったり、こちらがさっと流したところがその人には深く心に残っていたり、感じるところは人それぞれであることも分かった。これはもう、講師の話や活動を切っ掛けにして自分で学ばれたというしかない。こちらが機嫌よく話させていただいて、聞いてくださる方が自分で勝手に自分に必要なことを学んでくださるのなら、こんなに嬉しいことはない。このことに気付かせていただいた今回の感想文やこれをお送りいただいた係に方に感謝するとともに、これからの講演をやる元気が出てきました。ありがとうございました。

 ☆この前の人権講演会の感想文を送っていただき、どきどきしながら読んで、やっぱり勇気を出してやると学びも多いと実感するドクター。ありがとうございました。

Dr.528 今を生きる(12月10日)

どこかで聞いたようなブログタイトルだが、ドクターの趣旨は「今を昨日の反省や明日の心配に心取られてぼっーと過ごすのはもったいないやろ」という意味だ。昨日ドクターはいつも以上にバタバタいろんなことをして過ごした。農作業前は計画で頭が一杯で、雨で濡れた黒豆が天気が良くて乾いたらこう、まだ乾燥機に入れるほど乾いていなければこうとか、作業始めの時間が遅ければこう早ければこうとかいろいろ想定して結局は思っていたのとは違う作業を思っていたのとは違う中途半端な形で終わってしまった。それからは何でこんな中途半端なことしかできなかったのだという反省。冷静に考えて見ると、いつも明日(次)の準備や昨日(後)の反省ばかりで、肝心の今日(今)が上の空で充実していないことに気付いた。これもようく考えて見ると昨日の過ごし方は悪くなかった。結構いろんな体験を気持ちの良い時間も含めて過ごしたのだ。折角の時間をそのことに集中して過ごせていればもっともっと充実感を感じられていたはずだ。おっと又反省で過去に心が行って今を大事にしなくなりそうになってしまいました。というわけで今後は過去の反省や未来の準備はほどほどにして、今を大切に生きたい。この学びもにわか仕込みなのでまだまだ完成してませんけど、みなさんに公表したら自分も頑張ると思うのでここに発表させていただきました。

☆早朝から水分過多で天日乾ししていた豆がやっと乾いたので、村の共同選別機で豆殻やごみを取り除き、大きいのや小さいのを選別して農協に出荷。その後歯医者に行って・・・どれも結構うまく行ったののに残念なのは心がそこになかったことだ。

Dr.527 自分に関する判断をやめる(12月9日)

いろんな国際的な統計では日本人の自分に対する評価(自己肯定感など)は低い。自信家の多い国や以上に自己評価が高い人は日本にもいるが、それはそれで困った面もある。要するに自己評価が低すぎるのも高すぎるのも自他に弊害がある。特にドクターのように上手く行っている時は自己評価が高く、ちょっと拙いことが続くと途端に自己評価が低くなり落ち込む成り行き派は自分に対する評価をやめるのが良いということに気付いた。自分の評価はほっといても周りがしてくれるし、その周りの評価も紆余曲折あるからあてにできないことも知っている。なのでそんなあやふやな自己評価はやめて、それより自分が人にどう優しく愛情を持って接せられるか、そこに一番の関心とエネルギーを注ぐのが良いということ。自己評価をやめると変な劣等感やマイナス思考からも自由になれるので、その分のエネルギーを人や地域への貢献に回せる。この考えは良いと思うが、これとて今朝思いついたのでどこまでこの考えで行けるか自信はないが、そんな自己評価はやめて良いと思うことはちょっとでも試してみよう。

☆大好物の干し芋を大量に送っていただいて喜ぶドクターと昨日見たクリスマスコンサートの後「丹後さんは音楽は何が好きですか」と聞かれ、思わず「自分は音痴で、音楽はだめなんです」と答えてしまったが、今なら音楽についても自己評価はしないで干し芋への御礼(お返し・自分の出来ることは何か)を考えることだけにエネルギーを使う、そんな感じの学びです今朝のは。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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