Dr.879 生き方の衝突(1月12日)
これまで生きて来て見つけた生き方モットーが錯綜こんがらがることがある。昨日も「閃きを大事にする」と「流れに任せて生きる」が衝突し、上手く行かなかった。閃きでは町で見かけた牛丼新商品を紹介するのぼりが目に飛び込んでいて、昼食にそれを食べようと思っていた。ところが朝食時台所にカレー鍋があるのが分かったので、流れに任せてカレーをしっかり食べてしまい、昼食時の新商品牛丼がいま一つ美味しくなかった。卑近な例で恐縮だが、同じようなことは人生の大きなイベントでも起こるかもしれない。折角つかんだ、生き方を楽にするモットーたちだけにどれも大事にしたい。今回の場合のドクター解決法は、結局「なるようになる」「なるようにしかならない」モットーたちが出てきて、「流れで朝食にカレーを食べ過ぎたこと」も、前からの「閃きで昼食に新商品牛丼を食べること」も、やってしまったのだから「仕方ない」「仕方ないからそれでいい」となってしまった。このより上位の人生訓「なるようになる」は強力なので使い方には気を付けたいが、この教訓・モットーのおかげで比較的楽に衝突の傷から立ち直れた。
☆昨日の午前中は裏山の整備(雑木草刈り)をやったが、開始直後に草刈り機の刃が緩んだので草刈り機使用を諦め、持って行っていたのこぎりでの木竹切りをやった。「流れで生きる」(やることを柔軟に変える)は生きているし、「閃きを大事に」でこぎりも持って行っていたのも良かった。結局なるようになる。

Dr.878 成人の方へ(1月11日)
本日成人式を迎える方へ、というのかいつものように人にも言うけど自分にも言うという感じで、人生について思いつくことを言います。ドクター人生の大部分を占めるのは教員としての勤務だが、教員が自分に向いていたかどうかは確信がない。自分としては子ども達と関わることは楽しかったし、一部の生徒たちは慕ってくれたので、完全に間違った選択ということはないだろうと思うが、自分の人生にはこれが一番合ってたかというと分からない。一部の特別な才能を持った人以外の人の人生は大方こんなものだろう。一番や2番目に向いた職業でないにしても、人は何かしらの仕事に就いて生計を立てなければならず、特別不向きな分野でなければ人生のこの頃(成人式頃)に出会った選択肢の中から選ぶのでいい。最初の仕事から転職したり徐々に変質したりする。ドクターの場合は高校勤務から教育委員会転出であったり、冒険教育との出会いだったり、管理職としての勤務だったりした。いずれも面白かった(この辺りから「流れ」に任せていれば結構面白い人生が展開するという価値観が来ているのかもしれない)が、それなりにしんどいことも多少はあった。そんな仕事もいずれ終わりが来て、フルタイム勤務が終わってからの生き方がテーマとなる。こんな感じで人生は展開していくので、新成人の方には、絶対唯一の自分の道探しなどと気張らず、淡々と、ただそれなりに打ち込んで、自分の人生の展開を楽しんで行ってほしい。どう展開しても、人生なるようになるし、なるようにしかならない。
☆天気が良ければ田んぼ仕事、天気が悪ければ読書やデスクワーク、状況(流れ・環境)に応じて時の過ごし方(1日~人生)を合わせていけば良い。


Dr.877 こんな生き方(1月10日)
人生の生き方に「こんな生き方」「あんな生き方」と一杯あって、各自が自分の生き方を生きてるし、それでいい。時々自分の「こんな生き方」に比べて他人の「あんな生き方」が羨ましくなることもあるけど、生き方が変えられないなら自分の「こんな生き方」のメリットを見つけていく方が良い。そこで、ドクターのような「何故生きる」「どう生きる」を問い続けながら生きる人たちに新たな発見として自分たちの生き方の良さを見つけたので報告したい。一般的には「何故生きる」「どう生きる」追求派よりは、そんなことにとらわれず元気に生きる「あんな生き方」の人達の方が悩まないで生きられる分メリットは多い。「何故生きる」「どう生きる」が絶えず頭から離れない「こんな生き方」の人は、下手をするとそれらの問いにやられてしまって普通の生活が送れないほどだ。そんな厳しい状況でも生き方を問うことがやめられず生きてると、永遠の真理には辿り着けないとしても、その都度の答えは見つけたり(ドクターの今の答えは「流れに従って生きる」)、たとえ答えは見つからなかったとしても「日々をどう過ごすか」は意識しているので、それなりに日々を噛みしめながら送ることが出来るのではないかというのが今回見つけた利点だ。噛みしめたからどうなんだと問われれば返答に困るが、そんなことを考えないで生きるよりは人生の最後の振り返りで後悔が少なくて済むと考える。このメリットも「こんな生き方」の人(ドクター)が考えたものなので、「こんな生き方」派に都合よい結論になっているかもしれませんけど。
☆「こんな生き方」派だからこそ、子どもとこんな時間が過ごせることの幸せをより噛みしめることができている。

Dr.876 黄金の15年(1月9日)
60歳からの15年を「黄金の15年」という言葉があるようだ。この期間は定年後で時間はあるし、まだ身体も動くしということで、人生の中でもしたいことが出来て行きたいところへ行ける特別充実した期間ということらしい。ドクターは最早3年使ってしまっているので残り12年ということになるが、残数を数えるのが良くないのはこれまでの人生経験から分かっているので、残数数えは止めて「今が一生の中でも恵まれた時間」なのだという自覚を持って大切に過ごすことにしたい。そういえば、この頃は1日のほとんどを自分で自由に使えるし、行きたいところへも行ける。金銭的な問題など諸条件があるし性格でもあるのか、そんなに思い切ったことは出来ていないが、十分に恵まれているような気もする。「黄金の〇年」この言葉に出会わなければ、今の恵まれた時間を漠然と過ごすところだった。今後は毎日を感謝を持って味わいながら過ごすようにしたい。と言っても実際にやることや行くところはそんなに変わらないかもしれないけれど、心構えが違う。
☆思いがけず友達に出会ったり、静かなラウンジで車の点検をゆったり待つドクター。これらはやっぱり黄金の期間だからだ。実際には結構バタバタしてましたけど、これは性格だから現役時代も黄金時代も変わらないか。


Dr.875 連休がなんだ(1月8日)
同級生の退職した友達が「連休が楽しみでない」「曜日の感覚もなくなってきた」とグループラインしてきた。定年後あるあるだ。ドクターも正月休みや土日や今度のような連休の過ごし方には苦労する。天気が良ければ農作業という手もあるが、休日よりもやる事選択肢の多い平日(議会・冒険指導・農業・ぼおーっとする等:注1 休日でもぼおーっとは出来るが妻も休みなので油断ならないから完全安心ぼおーっとは平日に限る)の方が良い感じだ。現役なら平日は仕事仕事で、やる事選択肢の多いのは断然休日だろう。このように現役、定年後どちらも一長一短あるけど、時間は戻らないので今の境遇の良い面を活かして、できるだけ快調に過ごしたい。良くないのは無い物ねだりと過去への郷愁だ。過去の楽しかった思い出を時々思い出し生活のアクセントにするぐらいなら良いだろうけど。今気づいたが、健康で時間が持て余すほどある現在の状況の恵まれていることを無くす前に気付きたい、「連休が楽しく感じることの素晴らしさにそれを無くしてから気付く」ことを教訓に。
☆正月飾りのある温泉施設に平日昼間から入れる幸せを、もっとかみしめなければならないドクター。



