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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.840 予定通りには行かない(12月4日)

人生もそうだが農作業も予定通りには行かない。天候や作物の生育等の条件もあって、こちらの予定だけでは進まない。昨日も議会広報の原稿を書いた後、畑で干した黒豆を束にして乾燥機に入れる作業をしたが、途中で雨が降ってきた。天気予報では本市の降水確率は0%のはずだったが、現実の天気は予報通りには行かない。この日に豆を乾燥機に入れて1日ちょっとで乾燥させて土曜日に脱粒して選別、日曜日に出荷という予定をこちらは勝手に組んでいるが、これには天気はもちろん、機械の調子、選別機などは地域の共同なので他の人との兼ね合い等もある。定年後は時間的な余裕もあるので、予定が多少変更になっても大したことではない。議員の今は議会日程などどうしても出席しなければならない日もあるが、これも終わればほとんどが自由が利く毎日となる。自由な時間をどう過ごすかという大きな問題はあるが、予定通りには行かない農作業や人生にとっては対処がしやすいという利点はある。自由な時間が増えることで農作業はやりやすくなるという視点を人生にも活かせないかと考えている。まずは予定通り行かない事態をストレスとしてではなく、いつどのようになっていくのか楽しみという他人事のような余裕のある視点で面白がることから始めたい。

 ☆雨が大降りにならずに畑から黒豆を運び出すことが出来た。予定通り行かないことを楽しむと言っておきながら、予定通りに行くように天に祈ってしまうドクター。今後は予定通りでないことを面白がる人間の幅を身に着けたい。

Dr.839 セコイ性格(12月3日)

大きな声で言うのは憚られるが、ドクター丹後はセコイ性格だ。よく言えば節約家、悪く言えばケチ。あんまり好きな性格ではないが、持って生まれたDNAや親の育て方や生まれた時代の影響、百姓という家の生業も大きく影響しているかもしれない。ともかく、無駄な(時には必要な)出費は出来るだけしたくない質(たち)だ。嫌でも何でもなかなか変わらない性格なので、上手く付き合っていくしかない。この頃では物忘れが激しく認知症の心配があるが、それでもセコイ性格が幸いして、金銭に関する事項は割としっかり覚えている。貯金残高なども割と頻繁にチェックするので、無断で預金が引き出されるような被害には遭いにくい。などと考えて、この性格を肯定的に使おうとしている。自分の性格の中には、明朗快活、元気お気楽など好きな部分もあるので、プラスマイナスひっくるめて自分を構成している天与の性格を引き受けるしかない。性格もある程度努力で変わる部分もあるとは思うが、そこに拘って生きるよりは自分の良い性格の部分を伸ばす方が良い。マイナスを修正するのかプラスを伸ばすのか、これも性格によると思うが、ドクター的には自分の性格の好きな部分を伸ばすというのか活用して生きたい。そしてマイナス部分には、前述のようにその性質を上手く善用して付き合っていく作戦だ。

 ☆セコイ性格なので、割り得感のあるモーニングが大好きだ。この頃ではモーニングも結構な値段すると思うが、割り得感が刷り込まれていてモーニングのために喫茶店に入るのは抵抗感がない。大きく言えばセコイ性格が幸いして人生の朝の大きな楽しみの一つが確保できている。

 ☆天井裏に仕掛けた檻のえさにしようと唐揚げを買ったが、どっちみちネズミやイタチに食べられるならと値引き商品を買った。しかも一個丸々仕掛けるのはもったいないと半分にした(残り半分は自分で食べた)。こんなセコイことで檻の餌にならなかったらもう一度買わなければならない。セコサは結局高くつく(こともある)。

Dr.838 ただ何となく(12月2日)

毎日がただ何となく過ぎていく。やることはあったりなかったりするが、あってもそれが終わればただそれだけ。こんな日々で良いのだろうかというあせりもあるが、焦ったからと言って何とかなるわけでもない。最近ではこのように何となく過ぎる日を送れること、大きな支障もなく平々凡々と暮らせることを有難く感謝しなければとか、人間は本来無一物だからお金や健康や人間関係等があろうがなかろうが一喜一憂するな、だとか自分にもブログにも言い聞かせながら、ただ何となく過ぎていく毎日に慣れようとしている。まだまだこれで良いと思える時と焦りや郷愁が襲ってくる時がまだら模様だが、人生どうしようもないことはどうしようもないし、そのうちどうにかなっていくものだとは分かっている。これを総称して「流れに任せて生きる」と言って来たが、これが消極的だと言われれば「流れを信頼して生きる」と抗弁する手もあるが、いずれにしてもなるようにしかならないし、それで結構面白い人生だった(多分これからも)。こんなことが言える自分は幸せなような気もするが、自分の人生(流れ)に感謝しながら、ドクター人生に関わってくれた人や迷惑をかけた人(これからの分も含めて)に恩返しをする意味でも流れでできる貢献はして行きたい、大したことはできませんけど。

 ☆この間参加した高城山登山会。地元案内人の1人として参加したけど、これは貢献か自分のためか定かではない。案外貢献と自分のためは両立するかもしれない。

Dr.837 本来無一物(12月1日)

議会や農作業やトレーニングで日々が過ぎていく。大きな心躍ることもないかわりに、物心両面で大きな支障もなく過ごさせて頂いている。現役時代のような喜怒哀楽に富んだ日々でないのが物足りないような気もするが、日々がたんたんと平穏に過ぎていくことに感謝の気持ちを忘れてはいけない。しかし人間は欲深いものなのか、平穏な毎日が続くともっと何か面白いことはないかと求めてしまう。その時、この禅語「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」に出会った。前から知っている言葉ではあるが、時々必要な時にどこからともなく(今回は読書中の本の中から)現れて、自分の慢心を諫めてくれる。ドクターはこの言葉から、人間は何も持たないで生まれて来て何も持たないで死んでいく、現在所有している財産やお金はかりそめのもので、死ぬ時に何もなくなっていたとしても嘆く必要はない、だから現在の所有に固執してはいけない、さらに自分の身体にしても生きている間お借りしている乗り物に過ぎないから年月共にガタが来てやがて壊れてしまう(死んでしまう)のもしかたがないことなので健康や何歳まで生きることに執着してはならない、という教訓を得ている。今回も良いタイミングで思い出すことが出来た。本来が無一物だから、今あるものを粗末に扱っても良いということではなく、大事に扱っても減ったり無くなったりすることもあるのだから、今日そこそこの一日が過ごせたならそれで十分感謝しなければならない。

 ☆昨日何気なくシイタケの原木を覗いてみたら大きなのが生えていた。無くて元々なのに、いくらかでも収穫できたことに喜びと感謝を持ちたい。こんな調子で今日も感謝と喜びの一日を送ろう。

Dr.836 すごい人も(11月29日)

ご縁によりある国会議員の国政セミナーに参加した。その方もさることながら、来賓あいさつや講演をされた国会議員や県会議員のみなさんのお話がとても上手で感心した。ドクターも大勢の人の前で話をするのは得意だが、そんな比じゃなく話の内容、筋立て、ユーモア、オチまですごい人たちがいるものだと圧倒された。そらまあ考えて見ると、この人たちは元々人前で話すのが得意なうえ、何回もそういう機会を経て話術に磨きがかかっているのだ。これでは到底人前で魅力的な話をする合戦では勝ち目はない。少し落ち込みかけてる時に「人は皆何かしら自分の役割を持って生きている」という内容の本を読み返した。人前での話がうまくて聴衆を惹きつける人も、聞く人がいなくてはその力を発揮できない。世の中の人が全員人前話し力満載なら、そういう人は得てして人の話を感動して聞くのは得意じゃないので、感動を呼ぶ講演会は成立しない。世の中には、人前で話すのが凄くうまい人も必要なら、そこそこ上手い人、普通の人、聞くのがうまい人、そこそこ上手い人などすべての分野でいろんな種類の人が必要で、各自が夫々の役割を果たすからこそ世の中は回っている。人は各自の役割を与えられてこの世に生まれて来ているのであり、他人の役割をうらやむ必要などなく、自分の役割を果たして、気持ちよく生きるのが良い。ある分野では凄い人もいるが、世の中は凄い人ばかりも必要ない。もがきながら生きる人、中途半端な人、お気楽な人、小心な人みんなが自分の役割を生きればいい。

 ☆人前で話す力が優れた凄い人たちを見た政経セミナー。自分にもちょっと特異な分野もあれば多くの弱い分野があり、ちょっと優しい部分もあれば多くのセコイ部分もある。中途半端でも、みんなそれぞれの役割がある。臆することなく自分を生きよう。

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