Dr.855 密かな夢(12月19日)
流れで生きるドクターに夢(将来こうなったらいいなという思い)の話など似合わないように思うが、密かな夢がある。ここでそれを明かしたら密かでなくなるが、流れに任せて明らかにすると「海外で日本語教師として働く」というのだ。外国旅行に良い思い出があるのと、英語が好きなことから、いつか海外に住みたいと夢見ている。旅行ではなく短期(数か月)でもいいから、そこに住んで生活してみたい。そして同じ暮らすなら貯金を取り崩してというより、少しでも稼ぎながら人の役にも立ちながら生活してみたい。ホントに夢のような話だが、こんな夢を時々夢想するのは、変わり映えしない日常を元気に生きるエネルギー源になる。これまでの経験では、自分が想定したことは実現しないという経験則があるから、今回の夢も実現しない可能性の方が高いとは覚悟しているが、それでも夢を見るのは自由だし、夢があるのは元気につながる。夢が実現しない人生だが、想定外の出来事はどれも想定外の恵みを自分に与えてくれている。例えば、校長も市会議員も想定外だったが、やりがいも面白さもある。ホントに何か大きな流れに導かれている有難い人生だと思う。夢が現実になる人生はこれまで経験したことないけれど、それが実現するかどうかも含めて、これまで恵みを与えてくれた流れにお任せして、今後の人生を歩んで行きたい。
☆昨日出勤途上の車中から見事な高城山が見えた。天気予報とか時刻とか狙ったとしてもこんな奇麗な景色は見えない。想定外の美景色だ。ドクター人生やっぱり想定外がいいのか。写真はもちろん想定通り、車を道脇に停めて撮った。大きなことでなければ、想定通り行くことも結構ある。


Dr.854 いろんな日(12月18日)
調子のよい日もあれば悪い日もある。耳鳴りがきつい日もあればましな日もある。屋根裏のイタチが騒々しい日もあれば大人しい日もある。美味しい食事の日もあればそうでない日もある。普段話ししない人と話すことが出来る日もあれば、孤独な日もある。世の中それが普通だと思うが、日に色が付いている訳ではない。その日をどう感じるか、どう過ごすかは自分にかかっている。だからと言って、「何事も常に前向きにとらえてポジティブ積極的に生きよう」みたいな表層的な呼びかけをするつもりはない。実際に調子が良いと感じる日もあれば、調子が悪いと感じる日もあるのが現実なので、その日をどう感じるか、どんな感情が招来するかは流れに任せ、調子が良いと感じる日はどう過ごすのが良いのか、調子が悪いと感じる日にはどう過ごすのが良いのかの実践知を高めたい。これまでの人生経験を基に、この感じの日はこう過ごす、感じがこう来た日にはああ過ごすみたいな対処方法を磨いていけば生きやすくなる。調子よく感じる日は過ごしやすそうだが、対応が悪いと思わぬ落とし穴にはまったりする反面、調子悪く感じる日もその感情を上手く扱えればそんなに落ち込まなくても済む。そんなこんなで調子の波を穏やかにして、淡々と平常心で、しかもその平常心をちょっと上機嫌モードで常に暮らせるのが目標だ。というわけで、毎日毎日どんな感情が来ても修業ということだ。毎日が修行なら楽しく望みたい。
☆議会がある日に行く、美味しい昼食。こんなご馳走を頂ける日もあれば、昼食無しの日もある。どんな昼食(感情・色合い)の日でもたんたんと上機嫌平常心で生きたいというには、もう少しだけ笑顔度が欲しいか。


Dr.853 挫折は好機(12月17日)
本を読んでいると、「挫折や失敗や不幸は自分を成長させる試練であるから、そういうものに出くわしたら自分を豊かにする好機ととらえるべきだ」というようなことが書かれていた。厳しい自然環境の中で生まれた宗教などにもその様に説くものがあるということだ。この観点から言うと、そこそこまあまあなお気楽人生では人間としての成長がないということになる。人間的な成長もいいけど、お気楽まあまあに最後まで生きられるなら、それでいいようにも思うが、そうは問屋が卸さないということか。ドクター人生を振り返ってみると、その都度都度には大変なこともあったように思うが、著者が述べられているような「3年間の入院」や「身体が動かなくなるような事故」というようなものには出くわさなかった。何度か言うように、人生の幸不幸に絶対的な尺度はないと思うので、その出来事の大きい小さいは一概には言えないとは思うが、今考えると神のご加護で有難い人生が送れているように感謝している。今後どのようになっていくのかという不安はあるし、今回の本のように「人生に挫折は有意義」みたいな言葉に出会って誰の人生にも厳しい挫折が訪れるのかと思うと益々心配になるが、これも何度も言うように、考えてもどうしようもないこと(この頃では人生のほとんどがそうではないとさへ思っている)は流れに任せ、淡々と生きて行きたい。
☆雪景色の中、昨日の一般質問を振り返るドクター。「ふるさと教育のさらなる充実」と「地元と協働した高城山の整備」についてだったが、完璧な満足ではないが、ここでも他の人生模様と同じく「そこそこまあまあ」って感じで感謝している。


Dr.852 いかにして生きるか(12月16日)
本を読んでると「いかにして生きるか」という、昔20代が悩んだテーマを今は40代が悩んでいる、というようなことが書いてあった。40代でも少しは悩んだが、公務員という立場は捨てなかったドクターとしては、60代の定年後にこのテーマと格闘している。30代でも40代でも現役中は、次から次からやるべき用事がやってきて落ち着いて悩んでいるヒマがないという感じで、忙しいことは忙しいけど、人生の大きなテーマには深入りしなくても良いという利点はあった。遅かれ早かれ、「いかにして生きるか」というテーマはやってくるということだ。特に定年後は、会社(組織)という枠がないだけに、自由もあるけど自分で一からやりくりしなければならないという大変さもある。年金で最低限の生活は出来る(今のところは)というのは有難いことだが、無前提で「それじゃ何をするか」という問いの答えを見つけなければならないという精神的な課題はより大きい。「贅沢な悩み」と言ってしまえばそれまでだが、悩みに絶対的な尺度があるわけではなく、悩んでいる人はみんな主観的に深い悩みの中にいる。自分の悩みが贅沢と気づけば結構悩み解消に近いかもしれない。今のところのドクターが出している「いかに生きるか」への答えは、「考えてもどうしようもないことは流れに任せて、ともかく今日一日を充実して生きる」というものだ。そして、一日が充実してたかどうかは、「晩飯の一杯が美味しいかどうか」で判断するというものだが、これはまだ模索中の指標でどこまで勧められるかは分からない。
☆この前タイヤ交換で整備屋さん事務所で待ってたら急に霰が降ってきた。人生も寒かったり酷暑だったり、雨も降れば暴風もある。どんなときにも対応できる「いかに生きるか」答えを見つけたい。



Dr.851 今日は仕事ですか(12月15日)
午後からの用事のためネクタイを締めて行ったトレーニングセンターで、受付の方から「今日は仕事ですか」と声をかけられた。いつもはネクタイなしの普段着なので、疑問に思ってのことだったのだろう。そこでこちらの答えは「えっまあ、仕事のようなそうでないような」という曖昧なものになってしまった。議会広報の表紙写真を撮る目的で市内のある地域で行われる「しめ縄づくり」を取材しに行くという用事なのだが、仕事と言えば仕事だし、そこで自分が何か特別な役割(写真撮影以外)を求められている訳ではないので、狭い意味での仕事ではなし。結局は、そんな機会でもなければ話が出来なかった地域の方と、地域の課題も含めてお話しできたので、議員として市内各地の課題に触れるという意味では大切な仕事となったわけだが、このように議員の仕事や定年後の生活では、どこまでが仕事でどこからがプライベートを分けるのは難しい。むしろそんな区分けに拘らず、日常全てが「生きる」という意味で大切な用事をしているという思いで、どれも大事にしかし力を入れ過ぎず、たんたんとしかし楽しみながら取り組んで行きたいと思う。
☆珍しくネクタイ姿でトレーニングへ行ったので、「今日は仕事ですか」と聞かれたドクター。その後、地域の「しめ縄づくり」を取材に行った。もちろん「生きる」という大事な仕事だ。




