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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.870 いつものように(1月3日)

新年が始まり、特に変わりのない時間が過ぎている。いつもの時間に起き、運動や食事などいつものように時間を過ごし、いつもの時間にいつもの部屋で寝る。季節ごとの行事ややる事は違うが、年単位で見るといつもと同じことがいつもと同じ時期に繰り返される。元旦の午前中にはお寺へ参り、翌2日にはお寺さんが返礼に各家を回られてくるので玄関を開けて待つ。農作業でも、季節ごとにやる作業が決まっており、天候等により年によって細かな作業内容や収量は違えども、大きくは毎年同じように作業は進んで行く。1日も1年もいつものように過ぎていくなら、何年生きても一緒のようにも思うが、去年のコロナ禍や市議選立候補のようにその年ならではの出来事も起こるので簡単には判断できない。いつまでか分からない寿命を精一杯生きたいし、いつもと同じと感じる日々を過ごせることの有難さも分かっているつもりだが、いつものように過ぎていく時間にやられてしまいそうな時もある。やられないためには自分でワクワクすることを取り入れれば良さそうなものだが、流れ重視派にとってはなかなか自分から動くことが出来ない。たんたんといつもの生き方を重ねながら、面白い流れを待つ日が続いている。流れ派にとって、世間の流れが止まる年末年始は結構生きにくい試練の時かもしれない。

 ☆いつもの正月通り、お寺さん(副住職)が持ってこられた冊子を読むところから、いつものような正月時間を過ごしていくドクター。このいつもの流れにどう対応していくか、これへの上手い対処法ができれば結構生きやすくなる。

Dr.869 タイムマシン(1月2日)

早朝の菓子パンタイムに、珍しく早起きした帰省中の息子が「お父さんは、タイムマシンがあったら使ってみたい」と尋ねてきた。「うーん、微妙なところだが、それは使っても弊害はないのか」と、慎重な父ドクターは尋ねた。「過去に行ったら、もう今の世界には戻れない」と息子は答える。彼自身は今の状況(平和な日本で、生活の心配なく大学生活が送れている等)に満足しているから、タイムマシンは使いたくないという。でも、自分に自信はなく何を目指して生きて行ったらいいのか不安だともいう。父ドクターは自分も目下格闘中のテーマであるにもかかわらず、さもずっと前から知っていたように「場は未来からやってくる」という、心配だろうが生きているとその時自分に必要な状況(場)がやってくるから、その場の中で自分にできることを自分のペースでやって行けばよい、みたいなことを話した。そして今朝こんな話が出来るのも、たまたま所用で息子が早起きしたことや、父ドクターがいつもなら新聞を読むところを休刊日だったので時間があった等の状況が重なって実現した(場が出来た)からだと付け加えた。息子は納得したかどうかは分からないが、こんな話を子どもとできることや彼が「タイムマシンはいらない(今の状況に満足している)」と言ったことは、父ドクターは嬉しかった。これまで「どう生きる」を探求してきた甲斐があった。

 ☆昨日の正月腹減らしランニング途中にある移住者の家々。彼らは人生の途中にこの田舎に移住してくるという場を与えられた(自分で選んだと思っているかもしれないが)。良いも悪いもない、ここから歩んで行くしかない。

Dr.868 今年はどう(1月1日)

新年あけましておめでとうございます!「今年はどうよ」「信念の決意は」と問われても、「いつも通り」と答えるしかない。大晦日も新年も、年越しそばやおせち料理を食べる以外はいつもと同じような時間が流れている。いつもの時間に寝て、いつもの時間に起き、いつものように早朝ランニング(これもいつものようにこの頃では早朝散歩と呼ばれることが多い)してブログを書いている。こんな感じでいつものように一日が過ぎて、それが重なり1週間、1月、1年と過ぎ、何年か後に寿命が来る。これは別に悲観的投げやりに言っているのでもないし、殊更理想を言っている訳でもない。ただいつものように日々を過ごす、これで悪くはないし嫌でもない、どころか有難いことだと思っている。何かもっとワクワクドキドキの時間が欲しいような気もするが、これで十分という気持ちもある。すべてを流れに任せて、できることを淡々とやっていく。大きな変化は流れに任せるが、小さなことには意思を入れたりも出来る。最悪を想定していれば全てが有難く、「まあいいか」「仕方がない」で生きていれば動じることも少ない。何か消極的な生き方のように聞こえるかもしれないけど、これまでの摸索でたどり着いた目下の生き方、今年もとりあえずはここから始めます。

 ☆元旦早朝の満月と日の出。お日様の方は、丁度このブログをここまで書いて来て、目の前に日の光が出て来たのでカメラで撮ってここに載せられた。こんな感じで、流れは自分に味方してくれると信じられる。感謝 感謝

Dr.867 真っ白な気持ち(12月31日)

今朝起きてみると一面銀世界の真っ白な世界が広がっていた。一年の終わりに「真っ白な気持ち」で来し方行く末を考えよという天の声と思い、この一年を振り返って、今後の生き方も考えて見た。出来事としては、義母の死、市議会選挙出馬、新型コロナウィルス感染拡大、それに伴う冒険指導激減、友の死等と大きな出来事が数多くあったが、追い求めるテーマとしてはこれまでと変わらず「定年後をいかに生きるか」だった。このテーマは来年も変わらない気がしている。現役フルタイムで働いている時には仕事で忙しく、大変なこともあるがやりがいもあり、夢中で時が流れ去った感じだ。生き方を考える時間も余裕もなかった。いや実際には結構「どのように生きるのが良いか」等についても考え、学校の子ども達にも発信してきたように思うが、定年で定職がなくなってからのその問いに答える切実さに比べればその比ではない。「いかに生きるか」「どう過ごすか」をしっかり考えていないと、人生・毎日がズタズタになりそうな気がする。結果的に「考えても仕方がない」「流れに任せて生きる」みたいな答えになったとしても、全力で問いと格闘し答えが腑に落ちていれば良いが、そうでないとと何度も迷いが襲い掛かる。また、一度「これで良い」と思っても、答えを磨き続けていないと、安心安定した気持ちは続かない。そんなことで、来年も「定年後の生き方」をメインテーマに生きて行くことになると思うので、お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。このテーマで生きる人生、大変なところもあるけど、やりがいもあるし上手く行けば快調だし、ともかくやるしかない。

 ☆久しぶりに出現した雪景色を機に、真っ白な気持ちで期し方行く末を考え、やっぱり「定年後の絶こうちょうな生き方」のテーマを追い求めていくしかないという思いに至ったドクター。もちろん流れでやることになった役目や仕事は精一杯取り組む覚悟だが、頑張りすぎるとドクターの良さがなくなるから自然体で行きなさい、というアドバイスも大事にしたい。

Dr.866 人の世話(12月30日)

ドクターが人の世話をしたという話ではなく、逆に人の世話になって田んぼの隅に車の駐車スペースを作ったという話。ご近所の農業先輩にお願いして、ユンボやダンプ形状の軽トラック等もお借りしての作業となった。ドクターも手伝いはしたが、先輩の機械操作の腕前や段取りの良さ、素早さや献身的な作業姿勢を目の当たりして、自分の非力さや人頼みの性格などを痛感した。先輩は駐車スペースの土台となる部分の田んぼの土をユンボで掬い取り、ダンプ軽トラの荷台に乗せてくれた。それをドクターが田んぼの中を走らせ、田んぼの低い部分に運ぶのだが、途中でタイヤがぬかるみにめり込み動けなくなり、またユンボで引き出してもらった。田んぼの土を取り除いた部分に今度は先輩が1~2年かけて自分の田から拾い集めておいた小石を入れて土台を作り、その上にこれまた先輩の山から運び出した山土を被せて出来上がった。これだけ惜しみなく資材を提供しておきながら、先輩は「農業機械は自分の趣味みたいなものだし、小石を捨てる手間が省けてウインウインだ」と言ってくださった。勿論幾ばくかのお礼はしようと思うが、損得抜きで人の世話を焼く先輩の姿勢に(定年後)生き方の一つの見本を見せてもらった気持ちだ。人の世話をすることの大切が分かったからと言っても、急に不自然な人の世話を始めたら却って人様に迷惑をかけるだろうから、従来通り自分の出来ることを自分のペースでやるとしても、それが誰かの役に立つことは意識していきたい。

 ☆同じ村の先輩に世話になって作成中の田んぼ隅駐車スペースとお手伝いで却って作業の足を引っ張るドクター。「人の世話をする」「人のためになる」ことを心掛けていきたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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