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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.950 住み分け(4月25日)

何やかやと言いながら主に2つのブログを書いている。このブログと市HP教育長ブログ『教育長きょういくじょう』だ。『きょういくじょう』の方は、くだけた名前だが公のブログなのであまりいい加減なことは書けない。かと言って、硬すぎると読んでもらえない。そのあたりの加減が難しいので、書くのにはかなり注意を要する。ドクターの頭が一番冴えているのは朝方なので、以前からのブログ執筆時間のロペ後(紙ウサギロペのテレビを見終えてからの7時頃)に自宅で仕上げたいが、出勤時間が気になると中身に集中できない。それならと少し早く起きて(3時半頃)、菓子パン前(菓子パンを食べながら朝刊を読む長年のドクター習慣)までに書き終えるようにしたら、菓子パン時間は変更できるので〆切時間は気にしなくても良くなったが、代わりに寝不足が気になりだした。かといって、業務の合間を縫って市役所で書くと集中できず、書かなくても良いことまで書いてチェックスタッフの仕事を増やしてしまう。当面いつ書くかという執筆時間についての試行錯誤は続くが、『きょういくじょう』で少し硬めに本市教育の良さを発信し、このブログで少し気楽に心に浮かぶよしなしごとを書いて、(自分の心の)バランスをとるという住み分けは決まってきた。まあもう少しやってみるしかありません。

 ☆休日は休日で村の用事があったり、ためていた私用があったりバタバタしてます。休日の過ごし方や休日のブログは自由にかけてストレスは少ないけど、妻のチックや時間不足でそれはそれでまあま大変です。

 ☆写真は水利組合員として、村の同僚と抜き樋(溜池落水)のチェックに水門に集まっているところ。平日の教育委員会業務と休日の農作業&村行事、こちらの住み分けもだいたい決まってきたが、休日に業務が入ることもあり、これもやりながら詰めて行くしかありません。

Dr.949 リミッターを外せ(4月23日)

慣れない教育長職、全力ではやっているが、全力故か力不足からか、いろんな会議や来客が続くと前の会議で決まったことで事後処理をしなければならないことを次の難題を前に忘れてしまったりすることがある。その後に思い出したり、他のスタッフにフォローしてもらったりして何とかやっている日々だが、時々嬉しいお話を聞くことがある。「学校説明会での説明を聞いて、楽しそうな学校だと思いました」とか以前の校長職時の話し多いが、この間は「『リミッターを外せ』いい言葉ですね」と話しかけていただいた。お聞きすると、教育長ブログ『きょういくじょう』がご縁になってか、私の過去のブログも見て頂いているようで、「おかげで夜中まで起きることもあるけど、生きるの楽になります」とか言っていただいた。しんどい日々が続く中、力を頂いた嬉しい言葉だが、『リミッターを外せ』って、3年も4年も前に校長をしていたS高校で生徒達に「君たちは自分の限界を勝手に決めている、思い込みを取払って自由に生きよう」みたいなことを、お隣のバイク屋さんから借りたリミッターを自分の身体から取り外す動きと一緒に呼びかけて来た時に使っていた言葉で、それをどのブログで何時頃書いたか本人も思い出せないほど昔のことだ。こんだけブログを書いてると、最早自分を飾ることはできず、地で行くしかない。こんな地を嫌な人もいるかもしれないけど、嫌な人はドクター(or教育長)ブログを見ないはずなので、見てくださっている人は、こんな奴でも何とかやっているのかと知ってもらえればと思ってやっている。それも本心だし、書いてることで自分を納得させているという役目も果たしている。どっちにしろ、地(自然体)で行くしかない。こんなお気楽な人間ですけど、良かったらこれからもよろしくお願いします(自分にも言ってます)。

 ☆勤務が終わってから駆けつけた地元農業法人の役員会。そうそうこの法人のブログも担当でした。

Dr.948 ネタがない(4月22日)

教育長という重職をやらせて頂いて全力で取り組んでいるが、そのあいさつや一言を求められる機会の多さから、底の浅いドクター(このブログでは自分のことをこう呼んでおり、あちらのブログ『きょういくじょう』ではこの習慣から自分のことを教育長と呼んでますが、これは何も教育長を自慢したいということでは全くないです)としては、もはやネタがつきそうだ。当たり障りのない季節のあいさつなどをしていれば済むかもしれないが、折角聞いてもらえる機会があるのならと、これまでの自分の人生でつかんだ最も良いと思うことを出し惜しみせず(出し惜しみするほど貯えもないけど)話させてもらっているので、半月余りで最早しゃべるネタというのか話題が無くなりかけている。昨日も市内校園長先生方に「学校園経営のヒント」ということでお話しさせていただいたが、話に使う小ネタ(アクティビィティ)も含めて、一番言いたいことや効果的な具体例はこれまでから大事にしていたことで(例えば「教育で大切なのは、感化・触発・あこがれ等だから校園長先生自身が活き活きと子どもに接し、他の職員からあこがれられるくらいが一番効きます」みたいなことを話してしまった)、それを着任早々に使ってしまったので、これから同じ話を同じようにはできないのでどうしたものだろうか。でも一番伝えたいことを出し惜しみするのも、全力執務とは言えないし、これはこれでよしとして、今後もいろんな言い方でこのテーマに触れようか。まあ何とかなるだろう。あっそうだ、次回はこの「何とかなりまっせ」心の落ち着かせ方も、ストレスの多い管理職の皆様に伝えたい。

 ☆最初は原稿を見ながら、途中ワークを入れると調子が出てきていつもの自分が最も言いたいことを最早言ってしまった。この次この皆さんにはどんな話をしようかなと心配になるが、まあ何とかなるだろうという話にしたい。

 ☆下は、いつもこの話(感化・触発・憧れの大切さ)をする時使う「幸せの鍵」のネタ。この次はもうあれしかな残っていない。

Dr.947 折れ合い点(4月21日)

教育委員会の仕事は何をするにあたってもいろんな立場の関係者がからんで、予算を伴う事案も多く、誰もが百パーセント満足する解決策はなかなか難しいことが分かってきた。あちらを立てればこちらが立たずって感じだ。それでも決定を先延ばしにできない案件もあるので、どこかで落としどころというのか折れ合う点を見つけていかなければならない。これを妥協や中途半端というと印象が悪いが、考えて見ると誰の人生においてもあるコトではないだろうか。ドクター流れ人生論では、その流れて行く先を妥協とか折れ合い点とか思わず、天の意思として受け入れて行くということなので、そんなに葛藤はないが、公の行政の仕事となるとそんな風には進められない。そこで深い悩みや葛藤が出てくる。ただ折れ合い点を探る中で工夫や飛躍につながることもあると思うので、消極的な態度ではなく、プラス面も意識して誰もがそこそこ納得できる折れ合い点を探る日々が続く。

 ☆行政折れ合い点の一例、途中で切られた東馬出の松の木。倒壊して民家に被害が及んではいけないと伐採が検討されたが、景観や自然保護の観点(だったと思うが当時の真実は少し不確かです)からは樹木があった方が良いと根元からの完全伐採はせず今の途中での切断となった(らしい)。折れ合い点を探るのはかくも難しい。

Dr.946 素人の発想(4月20日)

市役所の廊下で議員時代に産業建設委員会でよく顔を合わせた市役所職員の方と立ち話をした。彼は「あの委員会では鋭い質問をしていましたね」と言われるので、お世辞とは分かっていても調子に乗ったドクターは「水道とか商工観光とかこれまで経験のない分野が多かったので、素人に近い発想で基本的初歩的な疑問から質問したのが良かったのですかね」と答えると、その方は「そういう素人的な観点からの質問も大事ですが、しっかり勉強してこそ分かる専門的な知見に基づく質問も大事ですね」と返された。やっぱり専門的研究・勉強が大事ということだ。只今教育長という初めての職務に就く中で初めて経験することも多いけれど、初心者ならではの素朴な疑問と教育という専門的な知見を踏まえた専門家ならではの探求心の両方を磨かなければならないと感じている。初心者・素人的な気付きは比較的得意だが、期待されている専門分野の知見をもう一度しっかりと学ばなければならない。

 ☆市内あちこちを訪ねて現場の声を聞き、現実を見ての議論をしたい。ウロウロするので多くの皆様に支えられて本市の教育が成り立っているのは分かるが、自分の専門知識を深める時間も取らなければならない。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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