ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.519 見落としているモノ(11月29日)

市内の商店街を自転車で走っていると、ビルの屋上の写真を撮ってる人がいた。そのビルの屋上には巨大な猪の飾り物がある。もう何年も前からある装飾でかなりくたびれている感じで、地元ではその風景が当たり前すぎて今更写真を撮る人はいない。ドクターも何度もその前を行き来しているが最近では気に留めることはなくなっていた。今回は観光客(多分)の方が写真を撮られていたので、そういえば初めて見る人は驚くよなこのデカさはって思い当たった。事程左様に、初めは珍しかったり感動があったモノでも、慣れてくると当たり前になって見落としているモノって他にもいっぱいある。結婚生活、子どもがいること、百姓仕事、家の周りの景色等何でもそうだ。最近毎日のように行くトレーニングでも、月に1~2回行く人にとっては毎回が新鮮だという話を聞いた。そもそも人間生活も当たり前のように送っているが、動物や他の惑星の生き物から見れば新鮮だろう。これからは時々立ち止まりいつもの当たり前の生活で見落としている大事なものを今一度見つめなおしたい。
 ☆観光客の方がしきりにシャッターを押していた丹波篠山では見慣れた猪の飾り物。これをきっかけに日常の大切なものを見落とさないようにしたい。

Dr.518 見習うべき熱意(11月28日)

今年最後の兵庫県嬉野台生涯教育センターの冒険指導に、3人の見学者があった。彼彼女らは遠く滋賀や京都からはるばるやってこられた。見学と言っても嬉野台生涯教育センターの紅葉や地面を荒らす猪ではなく、今回の指導をするベテランのファシリテーターの進行の仕方を学ぶためだ。はじめドクターはこんなに見学者があったのではいつものような行き当たりばったりの指導はできないなと緊張したが、始まってみれば見学者3人とももう一人のベテランの方を見に行ってしまったので、心配は杞憂と分かり、安心していつものように出たとこ勝負・自分が楽しむ指導をすることができ、結果的にも冒険の神のお導きで満足(ドクターが)な出来となった。それはともかく、見習うべきはこの人たちの熱い意欲、冒険指導の腕を上げようという向上心だ。自分が気持ちよく終わって、帰りに温泉で汗を流して上手い晩酌をしようというドクターの意欲とは雲泥の差だ。3人のうちの2人はこれまで結構指導経験のある方なので猶更称賛できる。見学者の方の今後の精進・成長とドクターのお気楽指導が今後も続けられるように祈るばかりだ。最後にちょっと(いつものように)言い訳させてもらうと、ドクター的には「自分が満足できる」指導とは「参加者も喜び学びをつかんでもらえた」状態が出来た時で、行き当たりばったりの指導とは臨機応変、参加者の状況に応じて柔軟にどのような活動をするかを決めるということだ(よく言えば)。風呂で汗流して晩酌を楽しむはそのままですけど。
 ☆熱い見学者は嬉野台生涯教育センターの紅葉やお気楽なドクターには目もくれず、熱心にベテランの指導を学ばれていた。

Dr.517 人生の正解は?(11月27日)

今日の新聞に「人生の正解」を求める若者の投稿に多くの人が答えるというコーナーがあった。この若者は学校にいる間に出会う問いには必ず正解があったが、社会に出てからは誰も人生の正解について教えてくれないという悩みを綴っていた。その悩みに対して「自分のやりたいことをやって幸せに暮らすのが正解では」「私も人生の正解(幸せ)について探し続けている」「人を幸せにしたり、自分の出来る社会貢献をすることで幸せになれる」みたいなことをいろんな年齢のいろんな人が答えていた。多くの方が人生の正解を「幸せ」と考え、どうしたら幸せになれるのかについて自分の経験を踏まえて答えられていた。それだけこの問いに多くの人が関心を持っているということだろう。ドクターも勿論関心があり、絶えず問い続けているが、今のところの答えは「人生に唯一絶対の正解はない」「人生の意味とか幸せの答えはこちらから問うものではなく、既に与えられている。後はそれに気付けるかどうか」「当たり前・普通のこと(日常)が当たり前でない有難いことだと気づけば幸せを感じることが出来る」みたいな感じだが、これとて正解と言うわけではなく、こう考えれば自分は心穏やかに生きられるという自分の納得で、また変わるかもしれないし、人に押し付けるつもりはありませんが、結構気に入っています。これって押し付け?
 ☆いつものように冒険指導がある日は、その日にやるネタをネタ本などでチェックし付け焼刃の指導を全力でやる。こんなドクターの指導でも講師として呼んでくださる人がいて、喜んでくださる受講者がいる。この日常に感謝しないでどうするって感じです。

Dr.516 カメムシの恩返し(11月26日)

「人間長い間生きてりゃいろんなことがあるさ」と誰かが言ってたが、今朝はカメムシに起こされた。明け方(と言ってもドクターの場合は3時台)頭の辺りがもぞもぞすると思って(思ったころに起きたか)髪の毛をかきあげたらカメムシが逃げていった。昨夜(と言ってもドクターの場合は6時台)家の中でカメムシを見つけたが、つぶしたり家の外に追い出したりせず「お前もがんばっているな」とそのままにしておいた。そのことに感謝したのか未明にドクターを起こしにやってきたのだろう。どうせ恩返しに来てくれるなら美女の姿でお願いしたかったが(カメムシ似の美女って想像しにくいが)、ともかくカメムシに起こされたのでいつもなら忘れてしまっているはずの夢の内容がはっきりと残っている。夢の中身はそれこそここに書くのもはばかられるような(といって別に違法と言うわけではないが)夢のような話だが、これも何かのご縁なので夢に向かってやってみるか。「長い人生いろいろやってみるのも悪くない」特にドクターのような飽き性の人は、同じことを同じように長くやるのには向いてない。いろいろ工夫しながらいろんなことがやれたらいいなとは思うが、ここもドクター流は無理はしないで流れとご縁を大事に自然体でだ。カメムシに起こされるのがご縁かどうかは分かりませんが。
 ☆ドクター流は農作業も自然体だ。朝小雨が降る前は畑に出て、小雨が降り出したら別のことをして、止んだらまた農作業に戻って日が暮れたらこの日の作業はおしまい。一杯飲んで熟睡してカメムシに起こされる。こんな感じです。

Dr.515 鯛のお面(11月25日)

かつて勤めていた高校の職員同窓会があって久しぶりに神戸で泊った。会はお昼からだったが、阪神間で飲み会の時には泊まるというこれまでの行動パターンで宿を取っておいたのだが、2次会3次会とあって結局終わったのが夜だったので泊ったのは正解だった。その当時一緒だった人たちは自分も含めてみんな齢を取っていたが、相対的な年齢差は変わらないし皆さん面影もあって直ぐに当時の世界に戻った。「あんたあの頃阿修羅のお面付けて授業していたな」(当時歴史の専門でもないのに日本史を教えていたドクターが、苦し紛れに編み出した仏像のマネ授業)と言われたが、これは自分の青春時代の思い出として今も大事にしているので、すぐに「その通り」と返答できたが、「あんた鯛のお面被って、対面たいめん式の司会してたな」(当時生徒会顧問だったドクターが、新入生と在校生の対面式の司会進行をする時、ダジャレで鯛の面を被ってやったらしい)と何人かの先生に言われた時には、自分では覚えていなかったので「そんなことやりましたか」と答えるしかなかったが、すぐに自分のやりそうなことなのでそれは事実だと思った。記憶力低下の激しいドクターは昔のことを覚えていないことも多いが、人から聞いて直ぐそれは自分のことだということは分かる。いかにも自分ならやりそうなのだ。それだけ人間の本性って変わらないということだ。さらに「あの時熱心に率先して掃除してましたよね」とも言われ、これも覚えていなかったが、率先掃除が自分の本性だとすれば自分も捨てたものでないことが分かって嬉しかった。今後自分が忘れている非人間的な言動が昔の人の話から出てこないことを祈る。
 ☆最後は校歌で締めくくられた職員同窓会。ここで語られた昔話に今も変わらない自分の人間性がある。久しぶりに夜の神戸をウロウロするドクター。酔った後の本性が善性なることを祈りたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月4日
    Dr.1939 法事(5月4日)
    2024年5月3日
    Dr.1938 何も知らない(5月3日)
    2024年5月2日
    Dr.1937 生きがい(5月2日)
  • ページのトップへ戻る