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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.846 悲しく寂しい人生(12月10日)

普段は「絶こうちょう」とか「上機嫌」「お気楽」と威勢の良いフレーズを使っているが、折に触れて人生の悲しさや寂しさを感じている。特に体調が悪い時(健康診断の結果が悪い時を含む)や親しかった人との別れや孤独を感じる時などだ。人は元々一人で生まれて来て、一人んで死んでいく。人生に「生老病死」は付きもので、元来が人の人生は「悲しく寂しい」のが当たり前なのだと説く人もいる。ともかく、「悲しく寂しい人生」を根底に据えれば、それより少しでも楽しいことがあったり寂しさが慰むことがあれば嬉しく思える。「楽しく絶好調な毎日」を前提や目標とすれば、そうはいかない現実に必要以上に落ち込むことになる。ここは一つ「悲しく寂しい人生」に慣れ、高望みせずたんたんと日々やるべきことをやっていくことにしよう。そうすればちょっとしたことに喜びや感謝を見つけることが出来、小さな幸せを感じることが出来る(こともある)。

 ☆ちょっとした良いことも気がかりもある一日の終わりに見た夕景色。「絶好調」「お気楽」「上機嫌」は、「悲しく寂しい人生」を生きるドクターの夢かもしれない。

Dr.845 再会(12月9日)

一度無くなったモノや出会わなくなった人と再会することは少ない。だから毎回の出会いを大切なものとして心を込めるようにとたしなめる教えや言葉は多い。親しかった友人が亡くなったり、昨日参照していた文章がいくら探しても見つからないような体験が続くと、再会は滅多にないことだから今ある出会いやモノを大事にしなければということを実感する。でも時々は無くしたモノや久しく会っていない人に再会することがある。先日もトレーニングセンターで旧知のトレーニング仲間に再会した。彼はコロナ禍でトレーニングセンターに来ることを止めて自宅で体幹を鍛えていたらしいが、ある人に誘われてセンター通いを再開したのだ。久しぶりに会ってこちらのテンションは知らないうちに上がって大きな声になっていたらしい、「やあお久しぶり、元気にしてましたか」。こちらの喜びはあちらにも伝わったらしく満更でもないような感じだった。再会は嬉しいものだが次回が必ずあるわけではないことを忘れず、一期一会の出会いを大事にしていきたい。さらに言えば、毎日の生活も必ず明日があるわけではない。1日1日、一瞬一瞬を大事に生きて行かなければならない。そう分かってはいるが、だからといって毎時間がキラキラ事で満ちているわけではない。ボーっとした時間やだらだらした時間も含めて味わって生きたい。

 ☆家の前の見慣れた景色もいつまでも永遠にあるというわけではない。久しぶりにタイマーの使い方を思い出したが、いつまでもタイマー撮りができるわけではない。貴重な一枚(一瞬)だ。

Dr.844 忘れん坊将軍(12月8日)

今朝の新聞に、認知症が進むご主人を「忘れん坊将軍」として大変な中にもユーモアと温かみを持って対応して行こうという主婦の方の投稿があった。ドクターも日々物忘れが進んでいるように思うが、どうしようもないところはこの「忘れん坊将軍」の精神で、面白がりながら付き合って行こう。問題はうちの奥様がどう付き合ってくれるかだが、これも心配してもどうしようもない。どうしようもないことには流れと成り行きに任せるドクター哲学で行くしかない。それにしても、毎回新しい物忘れが現れて「こんな忘れ方があるのか」「次はどうくるか」などと楽しみな面もあるくらいだが、もしかしたら以前にも同じ物忘れをしたのを忘れてるのかもしれない。何にしても日々の出来事を、チョット無理してでも余裕を持って、そこにユーモア・笑いの要素を絡めて、面白くするようにしていきたい。このまとめ方って、あんまり面白くありませんか。

 ☆物忘れ防止のため、忘れん坊将軍ドクターはボタンの多いシャツを着て指先を使うようにしている。この頃は結構今回のような自撮り写真が多いが、これはカメラのセルフタイマーの使い方を忘れかけているためだ。

Dr.843 死後の世界(12月7日)

同級生の訃報が聞こえてきたり、自分の健診結果に赤信号(要精検)が灯ると、後どれぐらい生きられるのかが気になる。死とか死後の世界についても気になるが、死後の世界についてはいろんなことが言われている。①考えるな、話題にするな、②死んだら無になる、③肉体は無くなるが、魂は生き続ける、④魂は何度も輪廻する(だから生存中に徳を積み、輪廻からの解脱を目指さなければならない)、⑤地獄・極楽・浄土など死後の世界は存在する(あちらの世界で先に逝った家族・友人に再開できる)などだ。いずれも、死の恐怖を和らげたり、現生を充実するためのものというニュアンスが強いように思うが、実際には誰にも分からない。死や死後の世界を考えることも、死の恐怖を取り除くという点では一利あると思うが、考えたからと言って現実の死からは逃れられない。考えてもどうしようもないものは成り行きに任せるしかない。ここでもドクター哲学の「(人生の多くのことは)なるようにしかならないし、なるようにはなる」ので、安心して「流れや天の意思に任せて(その日まで)生きる」しかない。この結論にたどり着いたからと言って、死への不安が0になることはないが、まあ仕方がない。そうそうこの「仕方がない」「まあいいか」もドクター人生によく出てくる言葉だ。

 ☆昨日は図書館へ本を借りに行ったが、定年後の生き方や、死ぬまでどう生きるかに関する本ばかりで、余計に迷いが深まるような気もする。

Dr.842 なぜ悩む(12月6日)

現役で忙しくしている人や退職後も仕事がある人は「人生(毎日)をどう生きるか」みたいな問いに悩んでいる暇がない。仕事は大変だと思うが、時間がたっぷりある中を悩まずに生きるという課題を持った人が直面しなければならない重荷からは逃れられる。人間が「どう生きる」かを悩むのは、ドクター的には、頭脳が発達した人間という種の宿命だと思っている(以下はドクター説、以前にも言ったかもしれないけど)。爪や牙といった特別な肉体的武器を持たない人間は、知能を発達させることで生き延びて来た。知能は人類にとって自然界での生存競争に勝つ必須の武器だが、その武器を持つ代償として「生き方に悩む」ということが起こってきた。動物なら悩まない。発達した知能のお陰で未来を予測し、それに備えることが出来る。自然界では大きなメリットだが、文明が発達した現在社会では一部(あるいは多く)の人にとって悩みの種となる。未来が不安になったり、生き方(の選択)に迷いが生じたりするため、宗教や哲学や人生訓が発達して来た。自分に合ったやり方で、生き方の不安を解消すればいいわけで、何を頼りにしようと他人に害を及ぼさない限りとやかく言われる筋はない。自分が試してみて良いと思ったことを人に紹介するのは良いが(ドクターブログもその一つ)、強制するのは良くない。そんなわけで、今のところのドクター推奨策は「流れに任せて生きる」だが、これだけで絶対安心という域に達しているわけでなく、只今も試行錯誤中です。また別のが見つかったら紹介しようと思っているが、結構この「流れ任せ生き方」との付き合いは長くなった。

 ☆親父の代から使っている黒豆の乾燥機と脱粒機、こちらとの付き合いも結構長い。昨日は流れに任せて初めて一人で作業をやってみて、しんどかったが何とか出来た。なんせ時間はあるし、その間生き方には悩まなくて良い。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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